FERMATA








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三章 N∽N
第28楽章「堕天國宣戦」

 北方の町、とは言っても、ポケモンのレベルが低くなるだけで、トレーナーの熟練度がイコール低くなる、というわけではない。

 現に強者と思しきトレーナーとバンジロウは幾度か勝負を重ねた。

「メラルバ! 虫のさざめき!」

 メラルバから放たれた音波がバトルフィールドを駆け抜ける相手のポケモンを拘束する。

 舌打ち混じりに相手トレーナーが手を払った。

「ラグラージ! マッドショット!」

 長大な両腕を保持する水棲ポケモンである。しかしながら、そのポケモンの周辺領域は湿気に覆われており、水辺の戦いと大差ない。

 泥を操るのだ、とアデクは説明した。

「水・地面と言うタイプ特性が未開であった頃から重宝されておるポケモンじゃな。ラグラージという」

 その言にチャンピオンとしての幾度の戦いに身を浸してきた風格が宿る。

「勝てるんですか?」

「通常のタイプ相性では難しい」

 メラルバがいつもの炎攻撃で勝気に出ないのはそのせいだろう。泥の周辺領域を作り出したラグラージに対してメラルバは出来るだけ直接攻撃に打って出ないようにしている。

「虫のさざめきなんて今まで使ってきませんでしたよね」

「我が孫が血気盛んなのもあるが、メラルバは押し切れば勝てるんじゃ。ただ、一度防戦一方に回れば難しくなる」

 その証拠に立ち回り上ではメラルバが優勢に思えるのに、ラグラージの領域に一度として踏み込めない慎重さがあった。

「泥のフィールドに、入らないんですね」

「いくら逸るとは言え、バンジロウとて分かっておる。タイプ相性と勝てない相手、というものは。あれはトレーナーとして聡い。だからこそ、ラグラージの射線に入るのを控えておるのじゃが……」

 アデクが濁したのはその戦法も限界に近づいてきているのが分かっているのだろう。

 ラグラージは攻められるが、メラルバは先ほどから攻撃を避けるばかりである。

「圧しているぞ! ラグラージ、アームハンマー!」

 ラグラージが直下の地面に向けて腕を打ち下ろす。泥が舞い上がりメラルバの視界を塞いだ。

「メラルバ、後退! 虫のさざめきを撃ちつつ、出来るだけ射線を避けて……」

「遅い! ラグラージ、ハイドロポンプ!」

 いつの間に接近していたのか、ラグラージの掌から生成された水の砲弾がメラルバを撃ち抜いた。

 ほぼ直撃。

 後退した形のメラルバは「むしのさざめき」による遠隔攻撃しか出来ない分、近接で受けた攻撃には脆い。

 メラルバの体表からその力が失せていく。赤い触手が熱を失い、白い体毛が泥の汚れに沈んだ。

「押し負ける……」

「それもまた、経験じゃろうな。常勝の人間ではなかろう」

 勝負を見据えるアデクの瞳は怜悧だ。平時のアデクと勝負時のアデクとはまるで別人である。

 孫を可愛がるのではなく、あえて勝負の過酷さを思い知らせる。

 これもまた、一つの教育なのか、とノアは唾を飲み下した。

「ま、毎度勝てるってわけでもねぇだろ。あのガキはまだまだ青い。これからさ、強くなるのはな」

 ヴイツーも同じ心境なのか、観戦しつつその面持ちは冷静であった。

 バンジロウのメラルバが勢いを失い、泥の領域に引きずり込まれる。

 ラグラージのパワーは接近戦型だ。遠隔で戦っていたメラルバからしてみれば一度でも射程に入られればそれこそ敗因であろう。

「くそっ! メラルバ、仕方ない、フレアドライブ!」

 メラルバの体表が赤らみ、全身から炎が迸る。しかし、ラグラージにはまるで通用しない。

 ラグラージが泥を練り込み、その腕に纏い付かせた。

「アームハンマーだ!」

 泥の性能を誇る「アームハンマー」がメラルバに突き刺さり、メラルバの全身から生気を凪いでいった。

「勝負あり、じゃな」

 バンジロウは後頭部を掻いてメラルバをボールに戻す。トレーナー自身が退きどころを感じ取ったのだ。

「悔しいけれど、あんた強いな!」

 バンジロウと相手トレーナーがお互いの勝負を讃え合い、握手する。

 そこにあったのはトレーナー同士の友情であった。

 自分にはそのような相手はいたか、とノアは回顧する。

 自分と相手とを高め合える存在など。

 きっといなかった。

 自分は今の昔も一人だ。一人っきりで戦い続けている。

 相手トレーナーが手を振って去っていく。その背中をバンジロウはいつまでも眺めていた。

「負ける時もあるんだ……」

 その言葉にバンジロウが唇をすぼませる。

「何言ってんだ、兄ちゃん。当たり前だろー。勝負は時の運ってじィちゃんもよく言うからなぁ」

 バンジロウに傷ついた様子はない。心の底から、先ほどの勝負を楽しんでいたようであった。

「負けて、悔しくは……」

「そりゃ、悔しいぜ! でもよ、オレはそれ以上に嬉しいんだ!」

「嬉しい?」

 小首を傾げるノアへとバンジロウは拳を握り締める。

「だってよ! この世にはまだまだ、ツエーヤツがいる! そいつらとまたバトルする事が出来るってだけで、ワクワクしねーか? オレは、また戦える! また心躍るバトルが出来るってだけで楽しいけれどなー」

 バンジロウはどこまでも純粋だ。生粋のトレーナー気質。

 だからこそ、ノアには眩しく映った。

 自分は、一度として負ける事など許されなかった。

 野良試合でも同じ事。一度負ければその袋小路にはまったように、何故負けたのかを徹底的に分析した。

 そうでなけれな気が済まなかった。

 この世界に愛されていた自分が負けるはずがない。そう確信していたのだ。

 それが驕りとも知らず――。

「……羨ましいな」

 ノアのぼやきにヴイツーとバンジロウが首をひねる。

「羨ましい? 何で」

「またバトれるだけの話だろ? ……ああ、でもお前はそうか。N様だったか」

 その言葉にバンジロウが眉根を寄せる。

「ワケわかんねー。そのN様≠チてのがどれほど偉いのかオレにはわかんねーけれどさ。誰だって一度や二度くらいは負けるって。じィちゃんだって今はチャンピオンだけれどたくさん負けたって言ってたもんな」

「勝負とは勝ち、と負け、を同じくするもの。どちらが優勢なわけでもない。どちらもあり得るから面白いのじゃよ」

 アデクは最早、玉座の領域。達観しているとは言え、自分の座っていた王の座とは違うものだ。

 アデクの戦いはトレーナーとしての戦い。チャンピオンとしての戦いであろう。

 自分は、自分という存在を賭けた戦いだ。

 プラズマ団を背負った戦いであったのだ。

 負けるわけにはいかない。一度の敗北が己の価値を落とす最大の敗北と成り得る。

 一度でも負けるわけにはいかなかった自分には、敗北も眩しいのだ。

「ま、N様じゃあ、しょうがなかった部分だろうがよ。今のお前はノアだろ?」

 肩に手をやったヴイツーの声音にノアは少しばかり救われた気分であった。

 ヴイツーはNとしての自分ではない。今の、ノアとしての自分を買ってくれているのだ。

 それだけで、まだありがたい。

「南に行くために、まずは北の航空口であるフキヨセを目指す。南方はまだまだ先じゃぞ。目が合ったら戦っていてはいつまでもかかる」

 ここまでバンジロウは目が合ったトレーナーに片っ端から勝負を挑んでいた。そのせいで二日分は遅れているだろう。

「悪いね、兄ちゃん。でもオレ、強くなりてーんだ。強くなるには戦わねーとな! だって勝負する前から勝ち負けって決まっているわけじゃねーもん!」

 バンジロウはどこまでも前向きだ。このひたむきさが自分にもあれば、とノアは羨望を覚える。

「やれやれ、我が孫ながら血の気の多い事よ。ようやく電気石の洞穴の手前じゃわい」

 電気石の洞穴、と呼ばれる未開の地がある。その名称の通り、電気を纏った岩石が連なる洞窟地帯であった。

 密度の高い電磁力が集結するため、この地特有の進化さえもあるらしい。

 外観は僅かに青く発光する岩場であった。入り口と思しき場所には人気はまるでない。

「あまり長く留まる場所じゃねぇみたいだな」

「電気石の洞穴自体、人体に影響のあるレベルではないが常に帯電しておる。そのせいか、人はあまり寄せ付けんようじゃのう」

「人を寄せ付けない、か……」

 かつてこの場所で自分は彼と戦った。

 その結果、敗北したのだ。

 その時には苦い敗北の経験であったが、今となっては忘れ難い思い出である。

 ――思えば、あの時どうして自分は、夢を語ったのだろう。

 ノアの脳裏に蘇ったのはつい先日のように思い出せる彼との戦いであった。

 自分は彼に「夢はあるか?」と尋ねたのだ。

 思えばらしくない問いかけであったが確か当時は戴冠式の直後。

 このまま流れるに任されて王になるのか。それとも――と模索していた時期だ。

 思えば彼に言って欲しかったのかもしれない。

 自分の夢くらい自分で見つけろ、とでも。

「電気石の洞穴には補給なしで入るか?」

 アデクの問いかけにノアが遅れて対応する。

「補給なし、ですか」

「大して強くもないポケモンの棲息地。補給なしでもいけるじゃろうが、如何にする?」

 ここは一歩でも前に進むべきだろう。

 ノアは首肯していた。

「行きましょう。一日でも惜しい」

「んだよそれー。オレが時間無駄にしたみたいな事言うなよなー」

 文句を垂れるバンジロウを他所にノアは電気石の洞穴に入って行った。

 青く発光する岩が数多くあるこの洞窟。どこでポケモンが飛び出しても不思議ではない。

 ケルディオを出しておくべきか。

 そう考えていたノアは指先から黒い瘴気が棚引いているのを発見した。

 眼を戦慄かせ、ノアは声を荒らげる。

「みんな! 警戒を!」

 その声音にアデクとバンジロウが胡乱そうにした。

「どうした、ノアタロー」

「……この反応、いるみたいです」

「いるって……何が」

「――恐らくボク自身が」

 バンジロウはその言葉を受けても警戒しなかったが、ヴイツーは早期に判じたらしい。

「なるほどな。……N様ご本人、か。ここで張っていりゃあり得る」

 エンブオーが繰り出され、前方に視線を注いだ。

「気配は感じぬな……。ポケモンのものも、人間のものも」

 アデクは周囲に視線を配っているがまだ発見出来ないらしい。

 しかし、自分だけが感じ取れる。

 N同士がぶつかり合えば対消滅の運命にある。

 ――ここで、か。

 ノアが息を詰めたその時であった。

「……驚いたな。この距離でも晒されるのか」

 その声音に全員が息を詰める。

 電気石にもたれかかった人影にヴイツーが息を呑んだ。

「……マジにN様ご本人かよ……!」

「いや……違う」

 ノアの言葉にヴイツーがうろたえる。

「や、違うって何も、てめぇが言い出したんじゃねぇか。同じ存在が重なり合えば、対消滅するとか何とか――」

「だから、あれは……」

 信じられない。

 しかし確信出来た。

 それは自分がNだからなのか。それとも――お互いに感じ取れる斥力のようなものなのか。

「――あれは、ボクであってボクじゃない」

「……どういうこったよ」

 当惑するヴイツーに対して説明の手段がなかった。だが、明白なのだ。

 目の前の存在は確かに外見そのものだけはNだが、Nではない。

 新緑の髪を揺らし、相手が嗤った。

「よく分かったね。さすがは、この時間軸に最初に放り込まれただけの事はある」

 その声音と共に上げられた面に、全員が硬直する。

「眼帯……」

 相手の左目の部位には眼帯が巻かれていた。Nと異なるとすれば、その部分だけだろう。

 しかしノアにはそれだけで完全なる別種と分かるほどであった。

「眼帯の、N様だってのか」

「ボクもまた、Nだ。ただし、キミとは思想が異なるね。僅かながら、ではあるが」

 先ほどから奇妙なのは相手が目の前に佇んでいるのにその気配をまるで察知出来ない点だ。

 アデクでさえ、言葉を発せられるまで相手を関知出来なかった。

「ボクとは違う……ボクだって?」

 眼帯のNは嘆息をついてノアを睨み据える。

「本当なら、こんな事はあり得なかったんだ。でも、ボクが一人放り込まれた事によってこの時間軸全てが狂いかねない事が分かったせいか、妙な実験心が出たらしくってね。キミも知っての通り、ボクは一人いるだけでも充分にこの時間軸を破壊しかねない。そのキミが、何よりもプラズマ団の抑止に出たとなっては興味には抗えないだろう」

 どうして自分の目的を知っている?

 このNは、この時間軸のNではないのか。

「おいおい、こちとらまだ理解が追いついていないってのに、ペラペラ喋るN様だな。ただ、ノアがそうじゃねぇって思っているのなら、そうじゃねぇんだろうさ」

 眼帯のNはヴイツーを認め、首を傾げる。

「誰だ、キミは? まぁいい。誰だっていいだろう。ここ死ぬのに、理由なんて」

「そいつはまた、三下の台詞を吐くじゃねぇの。ポケモンも出さずに、嘗めてる真似を」

「手持ちも出さずに?」

 眼帯のNの声音に混じったのは僅かな侮蔑。

 しかしそれだけで、ノアには理解出来てしまった。

「危ない、全員、下がって――!」

「既に出ている。ボクの姿を、直視したその瞬間から」

 瞬間、高熱が電気石の洞穴を満たした。

 青く発光する電気石が赤く染まった途端、全方位から放たれたのは炎熱の彼方。

 その攻撃に反応出来たのは一人もいない。

 炎が燻り、何もかもを融かしつくした――かに思われた。

 ノアは少なくともその攻撃に反応出来なかったし、それは他の皆も同じなのだと思っていた。

 ただ一人、エンブオーを出していたヴイツー以外は。

 エンブオーが自分達を覆っていた。

「エンブオー……!」

 ノアの声にエンブオーがかっ血した。その背中は炎ポケモンとは思えぬほど焼け爛れている。

 今の攻撃から救われたのは自分だけではないらしい。アデクとバンジロウもエンブオーが咄嗟に救出していた。

「どうなってんだ!」

 バンジロウがエンブオーの覆っていた先から顔を出そうとする。

 それを遮ったのはエンブオーの丸太のような腕であった。

 熱線の攻撃がエンブオーに突き刺さったかに思われた直後、その腕が反対側に折れ曲がった。

 激痛に呻くエンブオーにバンジロウは言葉をなくす。

「何が……何が起こったんだ……」

 ノアにも理解が及ばなかった。

 瞬時に高熱を生み出し、電気石に伝導させておいた熱を放射した。その原理は理解出来るものの可能にするポケモンが分からない。

「……何つー、無茶苦茶な技だよ、ええ、おい」

 ヴイツーの声にノアは視線を振り向ける。

 息を呑んだ。

 彼は半身を灼熱に晒され、激しい火傷を追っていた。

 爛れた皮膚を目にして、バンジロウが絶句する。

 立っているのが不思議なほどの重傷であった。

「あんちゃん!」

「……まだ、だ。まだそっちに……。次が来る」

 その言葉に眼帯のNがほくそ笑む。

「実力者じゃないか。今の一瞬で、ボクのポケモンの攻撃網を感じ取るなんて」

「こちとら……そういうのだけは長けているんでね……。で? おたくのポケモンはまだ姿を見せねぇのか」

「だから、言っているだろう。既に出ている、と」

 ノアはその時、眼帯のNの姿が僅かに霞んだのを目にした。見間違いでなければ、この現象は……。

「光の屈折角を変異し、電気石の放電効果も相まって姿を捉えられなくしている……。この現象を可能にするポケモンは、あの一種しかない……!」

 その言葉に眼帯のNは微笑んだ。

「さすがは、未来のボク、と言っておこう。これを手離したんだって? もったいない事をしたね。こんな力、そうそう与れるものじゃないのに」

「……エンブオー! 行けるな!」

 アデクとバンジロウを守っていたエンブオーが踊り上がり、蹄から炎を発する。

 渾身の「ヒートスタンプ」であったが、それを阻止したのは中空の白い靄であった。

「何か」がエンブオーを掴んだ。

 だがヴイツーにはその「何か」が分からず狼狽する。

「ハッタリか?」

「ハッタリじゃない。ボクとこのポケモンは、最強の象徴だ」

「何て事だ……。ボクは、しかしこのボクは、ボクじゃない!」

 靄が実体化し、瞬間的な放熱を生じさせる。

 それだけでエンブオーは戦闘不能に陥った。全身を焼かれ、エンブオーの身体から黒煙が発する。

「馬鹿な……おれのエンブオーが……」

「育て、実力、全てを鑑みても相当なものだ。賞賛に値するよ。ただ、相手が悪い。このポケモンは、全ての炎タイプを凌駕する」

 そのポケモンの名前を、ノアは自然と紡ぎ出す。

「――レシラム、だって言うのか」

 眼帯のNは満たされたように口にした。

「知っているのか。やはり、手離したのは本当のようだね」

 実体化した純白のポケモンが翼を羽ばたかせる。それだけで電気石が震えた。

 神話級のポケモンである。

 理想と現実を体現するその片側。

 現実を行く者を補佐するポケモン、炎・ドラゴンのレシラム。


オンドゥル大使 ( 2017/07/30(日) 14:58 )