第23楽章「見ぬ友へ」
野営も慣れてくればほとんど困らない。
バンジロウは鼻歌を口ずさみつつ岩に腰かけていた。その隣にはヴイツーが座り込んでいる。
ヴイツーが飯ごうを仕上げている間に、自分とアデクは今宵のテントの用意であった。
意外な事にヴイツーは料理が出来るというのだ。
「なぁ、ヴイツーのあんちゃん。何だって、料理なんて仕込まれたんだ?」
「三人一組ってのは随分と厄介でね。妙なところに潜り込まなくっちゃいけない事もあった。そんな時、担当を決めようって言いやがったんだよ。ヴァルキュリアスリーの奴が。で、おれにお鉢が回ってきた。それだけだ」
微笑みながら料理をしているヴイツーにバンジロウは小首を傾げた。
「わっかんねぇなぁ。裏切ったのに、何だか嬉しそうでやんの」
「おれも分からん。だが、清々したような気分でもある」
二人の会話を小耳に挟みながらの作業で手が止まっていたのだろう。アデクが声を差し挟む。
「ノアタロー。人の話に聞き耳立てるのもいいが、今宵は雨じゃ。早目にやっておこう」
「す、すいません……」
ノアは慌てて野営作業に戻る。アデクはノアにしか聞こえない声音で言いやった。
「気になるか? 裏切ったあいつの事を」
「ええ、まぁ……。だってボクは、ダークエコーズの事なんて知りもしなかった。一つも分かっていないボクを選ぶのって言うのは何ていうか……」
「納得がいかん、とでも言うべきか」
ノアは首肯する。自分がNである、という証明も儘ならないのに、どうしてヴイツーはこちらについたのか。最悪の想定も視野に入れていた。
「裏切りはあり得んよ」
だからか、アデクの読み透かしたような声音に目を見開く。
「裏切りはあり得ん」
二度も繰り返したアデクの表情は穏やかであった。
「どうして、そう言い切れるんです?」
一度裏切れば二度目などもっと容易いのではないか。
ノアの胸中に、アデクは首を横に振った。
「信じられん気持ちも分かるがな。ワシは四十年も前にああいう手合いを見ておる。あいつみたいなのは純粋に実力で動く。それこそ、お主に負けた、それだけで無条件に、信じ込んでおるのじゃよ」
「でも、一回勝っただけで」
「一回の白星でも勝ちは勝ち。彼奴にとってしてみれば、命を賭けるほどの意味があった、という事よ。もっと胸を張れい。勝ったんじゃよ、お主は」
「ボクが、勝った……」
茫然自失のまま呟く。
勝利の感慨にふける間もなく、ヴイツーはこちらの味方についた。だからなのか、どこかで信用出来ていない。
自分の境遇を話しても、信用してもらっている気はしなかった。
「ノアタロー。そっちを持て。一気に広げるぞ」
アデクの指示にノアはテントの両端を持ち上げて骨組みの上に被せた。四隅にある杭へと鉤を引っかける。
「……でも、ボクには分からない。ダークエコーズなんて部隊があった事も。もっと言えば、そういう汚れ仕事が必要であったなんて事も」
自分がまだ正式に王になっていない時間軸のはずだ。その頃から、既にプラズマ団の手は汚れていただなんて。
「人は見たいものしか見ん。だから、お主はその時に見るべき物を見据えていた。たまたま映らんかっただけじゃ」
「でも……それはボクの、王としての怠慢です」
それが祟ったから、プラズマ団はあれほど酷い衰退を辿った。
一食のパンと水ですら、ろくに調達も出来ず、虐げられる日々。
女子供は身体を売り、そうでない男達は略奪の限りを尽くした。
人間は見たい物しか見ない。確かにそうだ。その通りなのだろう。
ノアがそれを知ったのは他地方に渡ってからであった。
イッシュにいた頃には悪評すら、自分の耳には入ってこなかった。
それも、見たいものだけ見た結果。
プラズマ団の汚れた部分など、自分一人で充分だと感じていた。
父親であるゲーチスに裏切られ、全てを失い、放浪の旅に出た自分は何もかもを諦観の向こう側に置いていた。
相棒である英雄のポケモンだけが、それを分かってくれたがノアは自らその繋がりを断ち切ったのだ。
このまま甘えていては駄目だと思ったのもある。
英雄のポケモンは常勝をもたらすだろう。
だがそれは、全てを見下しているのと何が違う。
王だと嘯き、他人を自分の理解の及ばぬ存在だと見てきた、かつての自分との決別のために、ノアは英雄のポケモンを手離した。
今はどうしているだろうと時折思う。
二体の英雄のポケモン。
白と黒のポケモンは、どこで、誰のために戦っているのだろう。
その行く末が、誰かのためになればいい。そう思っての行動であった。
「出来たぜ。特製スープだ」
調理を終わらせたヴイツーがこちらへと歩み寄ってくる。その気安い態度にもノアはどこか警戒を解けずにいた。
「おお、うまそうな匂いじゃのう!」
アデクはどこまで本気なのか分からない。ヴイツーを引き入れた時点で、この時間軸にはひずみが発生しているはずなのだ。
本来出会わなかった存在が出会い、こうして言葉を交わしている。
それだけでどれほどの影響があるのか。全く想像もつかない。
「兄ちゃん、何ケチな顔してんだよ」
バンジロウが肘で突いてくる。ノアは顔を伏せてこぼしていた。
「ボクが……これから先にどうすればいいのか、ちょっと分からなくなって」
「そんなの、もう言っただろ? プラズマ団をぶっ潰す! そんでもって、兄ちゃんは帰るんだろ?」
元の時間軸に、帰れるのだろうか。
ノアは暮れかけた空を仰ぎ見た。
斜陽が降り注ぎ、ノアは目を細める。
この世界には美しいものが数多存在する。
その美しいものの中だけで生きられれば、どれほどに幸運か。自分は美しいものの側で生きている人間ではなかった。
それ以外の、もっと醜悪な何かであったのだ。
そうでなければ、あの時、あの森から出たはずがない。
たとえ父親であるゲーチスの導きがあったとは言え、それは自分の判断だ。全てをゲーチスに擦り付ける事は出来ない。
自分は、自分で考えて、自分で行動した。
全ては良かれと思って判じた事。だというのに、今は後悔しかない。
もし、時間が戻るのならば、と何度も祈ったが、実際に戻った先にあったのは、虚無と後悔ばかり。
どうしようもない現実が横たわっているだけなのだ。
現実を前に、自分がいかに無力であったか。
どれほど戦いに長けていても、あるいはどれほどのカリスマを持っていたとしても。
自分は現実を前に、ここまで弱かった。
「……ボクは、元の時間に戻ったところで帰る場所があるのか分からない」
そうこぼしたのに、アデクは反応する。
「元々の、プラズマ団は……」
「もう、ないんです。プラズマ団も、何もかも。自分で壊しておいて、その場所に帰るなんて虫が良すぎる」
もう、帰る場所はない。この時間軸に、戻るべき場所がないように。
アデクは飯ごうから白米をよそってきて、それをノアに差し出す。
「まぁ、食え。食いながら、状況を纏めるとしよう」
今出来る最良の事を。
その言葉にノアは静かに頷いた。
「さぁ、出来立てだぜ、スープも飲みな」
ヴイツーがスープを混ぜながらノアの顔を窺う。
「……いただきます」
「兄ちゃんさ、ツエーんだからあんまり背負い込むなって。そんな顔してっと、勝てるもんも勝てないぜ?」
「バンジロウの言う通り。ワシも、勝つ人間はそれ相応の顔立ちをしているもんじゃと思っている。お主の今の顔色では、誰にも勝てんのう」
「じゃあ、じゃあどうすれば……!」
声を荒らげかけたノアへとスープが突き出される。
「まぁ、飲め。飲んで落ち着けば、どうにかなるさ」
この場で最も取り乱していいヴイツーが落ち着いている。その事実にノアはスープの注がれた皿を手に取った。
「……キミは怒っていいのに」
「怒ったって何にもならねぇさ。ヴァルキュリアの連中を倒すのに、怒るのだけではどうにもならねぇ。それに、おれは別に、後悔もしてないし。あのままでよかったとは思ってないからな」
「どうして……だってまだこの時間軸ではプラズマ団は絶対のはず」
「いずれ滅ぶんなら、早いか遅いかの違いだよ。おれは早くに判断を下した。それだけの話だ」
本当にそれだけだというように、ヴイツーはスープを飲み干す。
ノアはしかし、それほどまでに割り切れなかった。
「ボクは……まだ堂々巡りのままで」
「いいんじゃねぇの? 簡単に判断を下せるのは、それこそ馬鹿の所業だぜ? 悩みに悩みまくって、その上で自分がどうするか決めろよ。その時、後悔がないようにな」
自分はもう後悔している。
この時間軸に飛ばされた使命が揺らぎかけているのだ。
「どうすればいいのか……誰も教えてはくれない」
「元々、ポケモンと話せるんだったか。プラズマ団にいた時には? 誰かに教えてもらっていたのか?」
「流されるがままだった。ボクが王だと言われれば王らしく振る舞ったし、チャンピオンを超えろといわれれば、超えるべくして動いた。結局、自分の判断しかない。だから、誰のせいでもない」
「それが分かっているんなら、いいんじゃないのか? 世の中、てめぇのせいだけに出来る奴もそうそういないぜ?」
「違いない。他人のせいにして逃げたがる輩ばかり。その点で言えば、ノアタローは善処しておる」
「そう、でしょうか……。ボクは本当に、正しい道を」
「だーかーら! 正しいとか正しくないとかじゃないんだって! オレは、そんなもんで動いてないし。勝てねぇよ、今の兄ちゃんの考え方じゃ」
白米をかけこむバンジロウの声音にノアは言葉を詰まらせる。
今のままでは勝てない。
それは分かり切っている事だ。
プラズマ団の中枢どころか、ダークエコーズ二人にも勝てるかどうか怪しい。
「ボクがやらなくっちゃいけない事は、とんでもない事なのに、それを遂行出来るかどうかは全然自信がない」
「それでよいのではないか? 誰しも、自分の行動全てに答えを出せる人間ばかりではあるまい。答えが一回でも出れば、それだけで御の字」
アデクは立ち上がり、モンスターボールを放り投げた。
出現したウルガモスが翅を擦り合わせ、火の粉を撒き散らす。
瞬く間に焚き火が発生した。
「ポケモンをどう扱うのかも、その人間次第。お主のポケモンは勝つ事に飢えておる。それだけでも充分じゃないのか?」
ノアはモンスターボールを透かして窺う。
ケルディオは何を求めているのか。
自分についてきてくれているのは素直に嬉しいものの、やはり声を聞く能力がないせいか、最後の最後に自信がない。
「ケルディオは……ボクの事を、主人と認めてくれているのでしょうか」
「そうじゃなきゃ、前におれに勝てた事の説明がつかねぇだろ? 今のところはその問いは仕舞っとけ。後々、問い質すはめになるからよ」
食事を終えたヴイツーがテントへと戻っていく。
バンジロウが片づけを担当し、ノアもさっさと自分の食事を済ませた。
今は、一日でも多く、勝利する事。
シンプルなその答えだけが、自分に求められているのだと思った。