第18楽章「鏡面界」
「報告はした。だが、これから先の判断は慎重に、との事だろうな」
ヴァルキュリアスリーの返答にヴァルキュリアワンは困惑していた。
ダークエコーズの中での離反者など計算に入れていなかった。
「どうするんだ……、だってヴァルキュリアツーは……」
「もう奴はヴァルキュリアではない。ただの裏切り者だ」
そう断じたヴァルキュリアスリーの声はどこまでも冷たい。これほど割り切れれば、と自分は思う。
「しかし、機密情報が漏洩する可能性も」
「それも視野に入れての行動をするべきだろうな。闇討ちで奴を殺せるか」
ヴァルキュリアワンは頭を振った。
「いや、無理だ。それなりの実力者。闇討ちなんて成功するはずがない」
「それには同意だが、何故そこまで弱気になっている? お前のダイケンキが一番に有効打になるはずだろう? 勝てる、という気持ちがないのか」
言い当てられて、ヴァルキュリアワンは返答に窮した。
今までタイムオーバーまで決着が一度としてつかなかった相手。正直、勝てるとは思っていない。
ヴァルキュリアスリーは嘆息をついた。
「お前も、その程度というわけか」
「違う! ぼくはただ、仲間で殺し合うのが嫌なだけで……」
「忘れたのか? ワタシ達は別人であって別人ではない。その根幹にあるのは、忌むべき研究成果だ。我らの存在そのものがプラズマ団の業である」
ヴァルキュリアスリーの言葉はまるで重石だ。自分の中に重く沈殿する。
「どうしろって……」
「今は、様子見だな。ただ相手が仕掛けてきた時には勝てるようにしておけ。そうでなければ、食われるのはこちらだ」
ヴァルキュリアスリーがジャローダと共にその場から立ち去る。
ヴァルキュリアツーは芝生に腰かけて顔をさすっていた。
――この顔も、声も、遺伝子でさえも……全て。
今すぐ叫び出したい衝動に駆られる。
だが、自分に課せられた役目はプラズマ団の敵となるものの排除。
それにはやはり、ヴァルキュリアツーとの戦いも含まれているのだろう。
「……でも、彼と戦って、勝てるのか?」
分からなかった。今まで全ての戦闘は勝利するという前提条件で成り立っていたが、こればかりは全くの不明。
叶うのならば逃げ出したかったが、それではヴァルキュリアツーと同じ汚名を被るだけ。
組織から追われるだけだ。
そんな日々に耐えられるとは思えない。
「プラズマ団は、どうしたってヴァルキュリアツーを殺そうとするだろう。その前に、ぼくがやるしかないのか……」
自分が介錯するのが最も適切であろう事は分かっていたが、ここで踏ん切りがつかないのもまた、チームであった事の弊害である。
「せめて、N様にお伺いを立てられれば……」
無理な話だ。
自分は影の戦士。王であるNに謁見など。
その段になってヴァルキュリアワンはハッと気づいた。
「まさか、ヴァルキュリアツーはあの、ノアとか言う反逆者に見ていたのは……」
慌てて構成員名簿を呼び出し、ホロキャスターに映るNの顔を確認した。
ノアという青年とは髪の色も違う、憔悴し切ったような顔も違う。
だが、根幹の、それこそ本質と呼べる場所では、この両者は似通っているのではないか。
しかし見れば見るほどに、その違和感が偏在化する。
同じものを見続けてその結果としてそれそのものが認識出来なくなるような感覚だ。
ヴァルキュリアワンは額を抱えて、ホロキャスターを閉じた。
「どうすればいい……? プラズマ団にノアなる人物を報告するか? だが、ヴァルキュリアスリーは大事にする気はない。だとすれば、自分の役目は」
どうするべきなのか。
ヴァルキュリアワンは平原で呻く。
仰ぎ見た空は曇天が広がっていた。
「随分と遠ざかっただろうな」
ヴイツーの声に、ノアは首を傾げる。
「やはり、仲間同士で戦うのは嫌なのかい?」
「嫌っていうかよ、そもそもそれ言い出したら、お前のほうが……いや、お前というのは失礼か。だってN様なんだろ? その身体は」
ノアは自分にまつわる全てをヴイツーに打ち明けた。彼は特段、驚くわけでもなかった。ただ、その両者が合間見えればどうなる? という部分を詳しく聞いてきた。
対消滅の運命を告げると、彼はやはりという顔になってそれ以上は追及してこなかった。
「身体はN、というよりかは、何もかも、この時間軸のNとは同一らしいんだけれど、ボクにはこの戦局の、結末まで見えている」
「って事は、やっぱり……」
「ああ、プラズマ団は崩壊する」
ヴイツーはそれに関しても驚かなかった。やはり、という確信があったかのように受け止める。
「不思議なもんだな。おれ達はまだ、その戸口にすら立っていないってのに、崩壊するって言う現実は受け入れられるってのは」
「まだ未来の話だ。でも、それは数ヶ月以内に」
訪れる。ヴイツーは頭を掻いて、嫌になっちまう、と返す。
「こうも、物分りが良過ぎるってのもな」
「未来とか、そういうのって変わるんじゃねぇの? オレが読んだ漫画とかだと、過去に行ったら変わるとかあったけれど」
「そりゃ漫画の話だろ。現実には、そううまくはいかないのかもしれねぇし」
バンジロウとヴイツーはしきりに話す。戦い合ったからなのか、あるいは根本が似ているのか、バンジロウのいい話し相手のようであった。
「どちらにせよ、ノアタローの目的はプラズマ団の壊滅、なんじゃろう?」
アデクの言葉にノアは首肯する。
「ボクは、ボクを止めなければならない」
「ややこしい話だな、おい。N様が過去のN様を止めるってのは」
「でも能力は完全に向こうのほうが上だ。ボクが勝つのには、要素が足りない」
ポケモンの声が聞ける素養もなければ、トレーナーとしての格も違う。ヴイツーは頬を掻いた。
「完全にN様、ってわけじゃないのか。余計に厄介だな」
「完全に昔のボクと同じ能力なら、もう止められている。でも、ボクには勝つのに必要な能力だけ、意図的に外されたみたいに、こんな状態だ」
「確かに、N様なら、ケルディオだったかも、すぐにものに出来そうだ。それに比べてノア、お前はトレーナー初心者みたいな感じだぜ」
「実際に初心者だよ。ボクが今まで戦ってきたのは全て、ずば抜けたスキルによるものだった」
自分の掌を眺め、ノアは言いやる。そのスキルに全て、頼り切っていたのだ。
「でもよー、ヴイツーもいいのか? だってもうプラズマ団から追われるんだろ?」
「ああ、心配いらねぇよ。どうせ、追ってきても末端団員じゃおれを倒せねぇし」
「エンブオーは強かったのう!」
アデクの賞賛にヴイツーは照れくさそうに鼻の下を掻いた。
「そりゃどうも。現職のチャンピオンからお褒めの言葉とは、光栄だな」
「でも、オレに負けたけれどなー」
バンジロウの言葉にヴイツーは肩を竦めるしかないようである。
「ここいらで野営をするか。ノアタロー。テントを張る。準備を」
「分かりました」
野営の準備を始めるとヴイツーは尋ねていた。
「チャンピオンアデクでも、一夜の宿に困るのか?」
「こうやってオレとじィちゃんは強くなるための旅をしてるんだよ。ま、実際に強くなれているからいいんだけれど、たまにハズレ引くからなー」
そのハズレが自分とヴイツーか、と苦笑しているとアデクがいさめた。
「これ。滅多な事は言うものではない」
「はいはい。オレ、でももっとツエーヤツと戦いたい。そんでもって、もっと強くなるんだ。いずれはじィちゃんも倒してみせるぜ」
「期待せずに待っておるわ」
言い合いを眺めつつ、ヴイツーはノアの肩を突いた。
「ノア。この時間軸に、お前以外の、その……N様はいないんだな? それは間違いないんだろうな?」
おかしな事を聞く。時渡りで飛ばされてきたのは自分だけのはずだ。
「ボクがここにいるのに、他のボクがいるって?」
「いや、疑うわけじゃないんだけれどよ。お前、ちょっとばかし不利過ぎるだろ。能力を全部奪われていて? なおかつ、トレーナーとしても初心者でいきなり殺されそうになるって、それ、はめられてるんじゃねぇのか?」
誰かが意図的にこの時間軸の自分を殺そうとした、とでもいうのか。ノアはしかし、首を横に振る。
「そんなの、出来る人間がいるわけ――」
そこで思い至ったのは仮面の男の存在だ。
セレビィを操るあの男ならば、自分の能力を完全に排除してなお、暗殺を画策も出来るだろうか。
「時渡り、っての。おれは専門外だが、もし、そういう事象があるとして、おれなら過去に送るだけで殺せたとは思わないな。それこそ、確実な手を打つ」
「……過去に、刺客を送るとでも?」
息を詰めたノアに、ヴイツーは首を振った。
「分からねぇよ? そんな未来さえも干渉出来る相手が何をするのか、なんてな。ただ、この時間軸のイッシュに送られたのは、何も偶然じゃないかもしれない、って話だ」
「ボクをこの時間軸に、あえて落とした……でもだとすれば」
「対消滅の運命とやらも、狙ったのかもしれないな」
ノアは愕然とする。
だとすれば歴史が書き換わる。
自分とNの接触による消滅は、プラズマ団の支配と崩壊という歴史の大局面を変えてしまうであろう。
そんな、神をも恐れぬような事を指先一つで……。
絶句するノアに、ヴイツーは言いやった。
「あくまでも可能性だが……、そいつ、結構したたかなんじゃないか? そこまで考えておかねぇと、やられるのはこっちかもしれないぜ」
設営作業に戻るヴイツーの背中を見やりつつ、ノアは思案する。
もし、この時間軸に自分以外のNがいるとすれば……その目的は――。
少なくともプラズマ団壊滅、の方向に進むとは限らないはずであった。
「……でも、もしそうなら何も行動を起こさないはずがない。過去の自分を悔いているボクと、そうじゃないボクがいるって言うのか。だとすればボクの役目は……」
一人だけではない。
全ての「N」を破壊する。
それしか、今は思い浮かばなかった。