第17楽章「異端者たちの悦楽」
「ダークエコーズの一角が失われた……?」
その報告を受けたヴィオは信じられない心地で返していた。ダークエコーズは己が実戦部隊。
それがやられる事を想定はしても、裏切りは全くの想定外であった。
七賢人の面々が視線を振り向ける。
賢人会での迂闊な発言に、他の賢人からの糾弾が飛んだ。
「おやおや、これはヴィオ。自分の私兵を動かしているだけでも重罪なのに、まさか飼い犬に噛まれた、と?」
嘲る調子にヴィオは、いえ、と言葉を返す。今の賢人会の状況では冗談にもならない。
「情報の発信元を問い質すだけです」
「しかしダークエコーズとやら。ゲーチス様のダークトリニティの、その劣化にもならなかったという証明だな。元々ダークトリニティが信用出来ないから作った私兵だろう。それに裏切られたとなれば、七賢人ヴィオの権限に疑問も出てくる」
賢人会での追放はあってはならない。ここで追放されては何のために今まで権力の笠を着てきたのか。
「だから、まだ情報不足です」
「まぁどちらにせよ、ダークエコーズというナマクラではどうしようもない、という事だけはハッキリしたな」
嘲笑にヴィオは拳を握り締める。あと六人とて私兵を持っていないはずがないのに、何故自分だけこうも爪弾きにされそうになる。
それもこれも、無能な部下のせいだ、とヴィオは結論付けた。
「私はここで無能の謗りを受ければいいのですかね?」
「まさか。ここは賢人会。これからのプラズマ団の動向を決める会合だ」
ゲーチスは参加していない。無論、Nはこの会合の事を知りもしない。
ゲーチスがいないのはただ単に演説回りで時間が取れないからだ。今は一つの街でも、プラズマ団の思想にかぶれさせるのが必要である。
「それで如何にしますか? N様の戴冠式、それに際しての儀礼、と致しましては」
「我々にも大きな権力が与えられると思っていい。プラズマ団は確かに非合法組織かもしれないが、今に法にもなる」
その法になる時を待ち望んでいるのが七賢人であった。七賢人はいざという時には、ゲーチスもNも見限ってイッシュ政府転覆すら狙っている。
「城壁の完成度は? そろそろ数字が欲しい」
「八割、と聞き及んでいます。遅れはないかと」
「ただこちらの戦力が心許ないな。もし反抗勢力が現れた場合、戦える団員が不足している」
団員達の手持ちは統合されており、ミルホッグ系列と、レベルの低いポケモンでも容易に編成が組めるようにはしてあった。
「特記戦力、というわけですか。ですが今のところ、目立った特記戦力はない。強いて挙げるのならば、チャンピオン、アデク」
自分が仕掛けた事は恐らく、公然の事実と成り果てているのだろう。
アデクへと無謀にも仕掛け、さらに私兵を奪われた無能、と。
「その強さは本物とは聞くが、四天王防衛成績を見るに、アデクの能力は未知数。もっと言えば、弱い、可能性すらある」
その可能性は自分という犠牲である程度消え去った。今ある懸念事項は、アデクの手持ちを割る事と、さらに一般トレーナーにこちらの動きを勘付かせない事。
「ジムリーダーは? もしもの時、手を組まれでもしたら」
「対抗策は練ってあるつもりだが、難しいな……。特に叩き上げの軍人も中にはいる。イッシュのジムリーダーは皆、副業も持っているのが厄介だ」
イッシュのジムリーダーは恒例として副業を別に持っている。それによって生じたコネクションを活かしているのだ。
馬鹿には出来ない。ただでさえ実力者達が、寄り集まる可能性がある。
「うまく使えれば、分散は出来ないか?」
「いや、イッシュジムリーダーを侮るべきではないだろう。そういえば、これは議題には挙がらなかったが、どうなのかね? 神話級のポケモンに関する追加情報は」
こちらが有する事になるイッシュ地方の神話に刻まれたポケモンがいる。
名前の部分以外は黒塗りになっており、ほとんど読み解けていなかったが、七賢人は口にした。
「ゼクロムとレシラム。この二つの相克するポケモンを手にした時こそ、プラズマ団は王を戴き、最強の組織と相成る。だがそれまでにどうやってこの二体を揃えるのかが鍵だ」
まだ神話級のポケモンの出現条件を満たしていない、と七賢人は考えていた。
ヴィオは内心ほくそ笑む。
それに関しては自分が一歩リードしている事を。
ゼクロムとレシラム。両方を呼び出すために必要な媒介を、自分の部下が手にしている。これはギリギリまで伏せたほうがよさそうだ。
「だが……全面戦争となると他の地方の地下組織が危ぶまれるのでは? 確かカロスではフレア団とか言うのがいると聞いたが……」
弱気な発言にはすぐさま野次が飛ぶ。
「何を言っている? フレア団は新参と聞いた。まだまだ熟練度の足りない組織。それに、もっと言えば、チャンピオン、カルネは歳若い少女と聞いた。向こうのほうが陥落しやすそうだ。それなのに、わざわざ他地方に乗り込んでくるかね?」
カロスがどれほどの防衛成績を誇っているのかは知らないが、少なくともアデク以上の熟練者であるのはないだろう。
アデクは、四十年前のポケモンリーグの生き証人だ。
四十年前の第一回ポケモンリーグ。今ではポケモンの生物学に名を連ねるオーキド博士をはじめ、現代では考えられないほどの強豪が揃ったと言われる最初のポケモンリーグであった。
その中の一人がアデク。
最終局面まで生き残り、手持ちのウルガモスを失いつつも善戦した結果、今のイッシュの玉座を形作った。彼がいなければイッシュは未だにポケモンリーグのない地方だったかもしれない、というのはあながち嘘ではない。
「侮れない、と言えるのはまさしくその事。第一回ポケモンリーグの最終局面まで残ったとなれば相当な実力者であったのは疑いようもない」
「だが、もう高齢だ。孫がいるという。その孫をどうにかしてみるか?」
「逆鱗に触れてどうする? ここはやはり慎重を期して……」
全員の意見がバラけて来た。ヴィオはそろそろ頃合か、と咳払いする。
「いずれにせよ、接近するのには相当な実力者がいるはず。ダークエコーズをぶつけたのは間違いではなかった」
その言葉に誰も言い返せなかったのは、アデクに挑む、などという命知らずがいなかったからだ。アデクの実力の片鱗でも見られたのはむしろ僥倖であった。
「この成果を我々プラズマ団は重く見ている。ダークエコーズはこれからも重宝すべきであろう」
その判断にヴィオだけは僅かに渋い顔をする。ダークエコーズの報告にあったのは何も敗北しただけではないからであった。
一名の離反――それがどのような結果をもたらすのかは想像に難くない。
「それで、これからの方針を決めるとして、戴冠式までは大人しくしておく、でいいのだったか」
「我々が騒ぎ立てても仕方あるまいよ。王は王らしくあるべきだ。N様には、プラズマ団を背負って立つ象徴となってもらおう」
偽りだと分かっていても、この賢人会においての決定は絶対であった。
ゲーチスでさえ、全ての権限は持っていない。
賢人会による議決と、さらに言えば半数以上の出席が、プラズマ団という組織を動かしているのだ。
「ではこれにて閉会とする」
それを合図に全員が席を離れる。その中でヴィオは一人の賢人に言葉を投げていた。
「ダークエコーズ、やはり使えないと思うべきか」
そのような弱音を吐いてしまったのは一人の離反者を出してしまったからだ。本当ならばそれも言うべきではなかったが、相手は鷹揚に返す。
「何を弱気な。別段、ダークエコーズが使えない、という話でもないだろう。ただ、貴公一人が持つにしては過ぎたる力だ、と皆が言っているだけ。さして気にする事もであるまい」
「そうか……そうだな」
たった一人で離反したところでこちらには数千の兵がいる。ダークエコーズはまだ完全に消滅したわけでもない。
「それにしたところで、賢人会の恒例行事もさる事ながら、一貫しているのは他人を貶める事だけという……。プラズマ団の思想とはまるで正反対だな」
プラズマ団はポケモンの解放、ひいてはポケモンへの理解を考えるための思想を流布している。その中核が欺瞞の渦中とあっては相反すると考えるもの間違いではない。
「プラズマ団の思想など所詮は隠れ蓑。ゲーチス様の真の思想は、誰にも見抜けまいて」
ゲーチスの真の目論見はポケモンの絶対支配である。トレーナーからポケモンを奪い、自分だけが天に立つ、という野心。
だが、自分はその企みが殊更、危ういとも思わなかった。それにあやかれれば充分に自分の収穫だ。
ゲーチスも、Nも、そのための踏み台に過ぎない。自分が立つ場所に、二人も三人もいるのは相応しくないであろう。
「ゲーチス様も変わりないと言えば変わりないお方であるが、それ以上に読めないのはN様だ。あのお方は……変わりないのが我々にとっては恐怖に映る」
Nの肉体年齢を一度、調べた事があった。
その時に弾き出された結果に、ヴィオは今でも震撼する。
「あのお方は、遥かなる時を生きておられる」
「時間計測器の故障か、それとも正しい時間軸を示されたのか、それは不明であるが、彼の方の年齢が数百歳、というのは、さすがに誤りであろうと信じたい」
Nは既に百年以上を生きている、という結果であった。だが、それは機器の故障として切り捨てられた解析である。
「数百歳など……、本人ですらその自覚はないのだぞ。まして我々の用いた小手先の機械などで、あの方の能力をはかれるとは思えんが……」
「あの方はどこを見ていられるのだろう。我々にはもう見えない、何処かであろうか」
立ち止まった賢人の視線の先には風に当たっているNの姿があった。
Nは自由だ。どこにでもいるし、どこにもいない。
その能力に関しても、プラズマ団内ではあらゆる噂が絶えない。
「本当に、ポケモンの声が聞けるのだろうか」
「眉唾である、と私は判断するが……。解析班が血眼になってもその証拠は得られなかった。妄言である可能性は否めない」
「しかしあのお方なら……嘘は言わない気がするのだ」
この賢人もNという象徴に圧倒されているクチだろう。そういう人間は多いのだ。Nというカリスマに、自分の見えないものを見ている。
団員達の中にもその兆候がある。
Nの講演を開け、ゲーチスの講演など無意味だ、という輩もいるほどだ。無論、そのような人間が組織で長続きするはずもないが。
「ポケモンの声とは、どのようなものなのであろうな」
魅せられている声音であった。ヴィオは鼻を鳴らして切り捨てる。
「所詮、形骸化したデータに成り果てる代物であろう」