FERMATA








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二章 新たなる風
第15楽章「汚れなき悪意」

 思っていたよりも快晴でアデクとバンジロウはすぐに野営を仕舞い、次の目的地を回ろうと言い出した。

「次の目的地?」

「オレとじィちゃんは戦いの旅をしてるんだ。だからライモンはついでに寄っただけ」

「遊園地があるから、と言っておったじゃろう」

「じィちゃん! それ言ったらカッコつかないだろ!」

 バンジロウが頬を染める。案外、子供らしい部分もあるものだ。

「じゃあ次の旅先はもう決まっているんだ?」

「なに、ワシらは旅がらすじゃからのう! 強い奴と戦い、その先を目指すまでよ」

 根っからのポケモントレーナーらしい。アデクの返答には迷いがなかった。

「兄ちゃんはどうするのさ?」

 これから自分はどうするべきなのだろう。

 プラズマ団を止めなければならない。そのためには常に動向を探り続けなければならないのだが、今のところ情報はゼロだ。

「ボクは……やらなければならない事がある」

「プラズマ団ってヤツか。オレ、手伝ってやるって。そうすりゃ、勝てるに決まってる」

 バンジロウはプラズマ団の戦力を甘く見ている。だが、それは自分も同じであった。

 ダークエコーズ部隊が出てくるまで、実戦部隊などこの時代にはないものだと思い込んでいた。

 自分の考えよりもプラズマ団はずっと狡猾であったと見るべきだろう。

「ボクの知っているプラズマ団は、もっと普通の組織だと思っていた」

「その中の王様とやらがノアタローか。正直、ワシはプラズマ団が何をしていても驚かんが、ポケモン解放を謳った組織の内情がそうであったとするのならば、ショックには違いないじゃろう」

 ポケモン解放の裏で、プラズマ団は確実にイッシュを取る算段をつけていた。

 そう思うとノアはやり切れない気持ちでいっぱいになる。

 ――どうして気づけなかった。否、どうして、自分は真実を知ろうともしなかったのだ?

 知ろうと思えば出来たかもしれない。名前を捨てるまでに、自分の力でプラズマ団を止める事は。

 だがもう手遅れであった。

 名前を捨てた。過去を振り返らないと決めた。

 もう戻れないのだ。

 ならば、進むしかあるまい。

 どれだけ後悔を踏み締めてでも、進むしか。

「小高い丘があるんだ。そこまで競争な!」

 バンジロウが駆け出す。それを微笑ましげにアデクは眺めていた。

「我が孫ながら、元気が過ぎるのう」

 ノアはアデクへと静かに声を振り向ける。

「……アデクさん。今なら、ボクの事を、放っておいてもいいです。このまま、行ってくれても」

「何を言うか。持ちつ持たれつ、出会ったのも何かの縁。ワシはお主を応援するぞ」

「でもそれは……イッシュを覆う闇との戦いです」

 出来れば巻き込みたくはない。その心意気にアデクは呻った。

「ノアタローがそこまで言うのなら、ワシはあまり口を出さんが、これだけは言わせてくれ。お主一人で戦おうとしてどうする? 一人では何も出来ん。何も成せんのじゃ。それは、もう四十年も前にハッキリしとる」

 老練のトレーナーの声音は思っていたよりもずっと重く沈殿する。

 アデクは自分がしたような後悔をして欲しくないのだろう。

 だがこのまま進めばいずれ――。

 そう感じたその時である。

「な、何だ、お前ら! アヤシイヤツ!」

 バンジロウの悲鳴にノアとアデクが目線を振り向けた。

 バンジロウの前に佇むのは戦闘用のプラズマ団の衣装に身を包む三人である。

 それぞれが標的を見据える眼光を備え、バンジロウを連れ去ろうと手を伸ばす。

「ダークエコーズ……!」

 ノアは駆け出していた。モンスターボールを繰り出し、叫ぶ。

「頼む! ケルディオ!」

 疾駆したケルディオが水の皮膜を纏い、一気にダークエコーズの面々へと距離を詰めた。

 ケルディオの先制攻撃を真っ先に受け止めたのはダイケンキである。

 バンジロウが尻餅をつき、ノアが息を切らした。

「兄ちゃん……。まさか、こいつらが……」

「ああ、プラズマ団だ」

 睨み据えたノアにダークエコーズの中の一人が胡乱そうな声を出す。

「標的は、チャンピオン、アデクのはずじゃねぇのか?」

「分からん。偶然居合わせたにしては、出来過ぎているな」

 ダイケンキを操るダークエコーズが手を払った。

「関係ないんじゃないか。どうせ今回の目的は、チャンピオンの実力をはかる事」

 ダイケンキが自分達を跳び越えてアデクへと向かおうとする。ノアは瞬時に判断し、ケルディオを走らせた。

「させない! ケルディオ、ハイドロポンプ!」

 ケルディオが頭上で水の球体を練り出し、砲弾として発射する。ダイケンキはアシガタナを繰り出し、水の砲弾を割ってみせた。

「生ぬるいハイドロポンプだ」

「ボクの目的は、止める事だ。殺す事じゃない」

「その考えも、生ぬるいと言っている!」

 アシガタナがノアへと肉迫する。寸前でケルディオが飛び出し、角で受け止めた。

「生ぬるくっても! ボクは理想を貫きたい!」

 ケルディオが弾き返す。前回までとは覚悟が違う。それを示すようにケルディオも力強く敵を阻んだ。

「埒が明かねぇな。エンブオー」

 ヴァルキュリアツーがエンブオーを繰り出し、炎熱の腕がケルディオへと熱線を見舞う。

 それと相殺したのは背後から発せられた熱戦であった。

「メラルバ!」

 バンジロウのメラルバの正確無比な熱線攻撃がぶつかり合い、エンブオーの攻撃を相殺する。

 ヴァルキュリアツーが目を瞠った。

「やるじゃねぇの」

「嘗めてかかるな。ヴァルキュリアツー。こいつはあのチャンピオン、アデクの孫だ」

 その言葉にヴァルキュリアツーが口笛を吹く。

「揃って強者ってわけか。いいねぇ。やり甲斐がある」

「殺すなよ。あくまで今回は、N様がいずれ戦うに当たっての実力を見る。それだけだ」

 N、という名前にノアは拳をぎゅっと握り締める。

 こんな事が、裏で行われていたのだ。

 自分の実力での勝利だと思い込んでいたアデクとの戦闘でさえも、全て確率論を計算して行われていた。

 あの玉座は完全に張りぼてであった。

 目の前でそれがこうも明白に分からされている。

 ノアはダークエコーズ以上に、自分が許せなかった。こんな事を、知らずに挑んだ自分の愚かさ。その愚鈍さを。

「……だから、ボクはやり直すって決めた。自分を踏み越えてでも!」

 ケルディオが跳ね、ダイケンキと鍔迫り合いを繰り広げる。しかし、リーチの差か、あるいはアシガタナを巧みに使うダイケンキの器用さが勝ったのか、なかなか相手に肉迫出来ない。

「前よりか思い切りはよくなった。だがそれだけだ。実力不足を補えてもいない」

「ヴァルキュリアワン、遊んでいるんじゃないぞ。まずは水タイプで攻めると決めた手はずだ。こちらの手持ちを明かすのは面白くない」

「了解」

 ダイケンキが一度射程を離れ、アデクへと真っ直ぐに駆け出していく。相手の目的はアデクを倒す事だ。

 ノアは内奥から叫んでいた。

「アデクさん! 逃げて!」

 その声にアデクはモンスターボールを携える。

 コキリ、と首を鳴らした。

「逃げて? 馬鹿を言っちゃいかんぞ、ノアタロー。ワシは腐ってもチャンピオン。挑戦者を無下にする事は出来んのう」

「挑戦だとか、そういうのじゃないんです! こいつらは!」

「殺すつもりか? あるいは、ワシ相手に実力をはかりに来たか。なに、そういう相手にはワシはこう言ってやる事にしておる。お主が前にしておるのは……」

 ダイケンキがアシガタナを二刀携えて振りかぶる。

 完全にアデクを打ち破ったかに思われた一撃はしかし、中空で静止していた。

 アデクはポケモンを出したのかと思った。

 だが何もしていない。

 ただ、ダイケンキを睨んだだけ。

 それだけで、空気が震えた。

 大気が恐れを告げ、眼前に降り立ったダイケンキはポケモンの技を受けたのでもないのに、怯んでいた。

 攻撃を躊躇するダイケンキにアデクは言葉を続ける。

「……途中じゃったな。こう言うんじゃよ。――お主が前にしておるのは紛れもない。この地の王者だと」

 王者の風格だけで、ポケモンを行動不能にした。

 その事実に震えたのはノアだけではない。ダークエコーズの面々も、であった。

「嘘だろ、おい……。一睨みでポケモンを止めるなんて」

「やはりただ者ではないな。チャンピオン、アデクは」

「今さらの事を言うでないわ。プラズマ団の者共。さて、ワシは手持ちも出さんのはフェアではないな。じゃが、後悔するなよ。手持ちを出すという事は即ち、戦うという事。戦うという事はそれ即ち、勝者と敗者が生まれる事。ここで地べたを這い蹲るのは果たしてどちらか、決めようか」

 出現したのは六枚の翅を擦り合わせ、炎熱のフィールドを作り出すポケモンであった。

 メラルバの進化系、ウルガモス。

 自分が戦った時と、同じはずであった。

 しかし、今のウルガモスはそれだけではない。

 王が持つポケモンに相応しい風格を備えている。全身から灼熱の鱗粉を撒き散らすその姿は悪魔にも映る。

 ダイケンキが一拍遅れて斬りかかった。

 瞬間、アシガタナが消えた。

 一瞬、手からすっぽ抜けたのだと思われたが違う。

 アシガタナはダイケンキの手の中で、燃え尽きたのだ。

 ウルガモスの射程に入っただけで、ダイケンキの右肩口までが完全に渇き切っていた。

 水気が失われ、灰色に染まる。

 水ポケモンとしてはあってはならない醜態であった。相手は攻撃を命じたわけでもない。

 ただその認識射程に入っただけで、武器は失われる。

 自分はこれほどの相手に勝ったのか、とノアは言葉を失っていた。

 神話級を使った。それだけではなく、このような姑息な真似も行い、ようやく取った勝ち星であったのだ。

 あれは全て計算ずくの勝利であった。

 そうでなければここまで明らかに、実力の差があっただなんて。

 アデクが指揮者のように手を持ち上げて払う。

 それだけで攻撃射程が膨れ上がった。ダイケンキの甲殻が炎熱に震え、亀裂が走る。

 最早ここまでと判断したのか、ヴァルキュリアワンはモンスターボールに戻した。

「さすがは、と感じている。まさか一撃も届かないなんて」

 しかしこのまま逃げ返すわけにはいかないのだ。ここで逃がせば相手の思うつぼである。

「ケルディオ! ダークエコーズを、逃がすな!」 

 ケルディオが水を角先で操り、地面を捲り上がらせて線を描いた。

 それ以上進めばただでは済まさない、という意思表明に、歩み出たのはヴァルキュリアツーである。

「ちょうどいいぜ、てめぇ。何だかむしゃくしゃすんだよ。この胸の違和感、てめぇの命でもって償え、反逆者」

 エンブオーが並び立ち、両腕を突き出す。

 発射されたのは高熱の砲弾であった。目には見えないが瞬時にして大気が燃え盛り、こちらへと熱を放ったのが伝わる。

 ケルディオなどひとたまりもない、はずであった。

 しかし、熱線は途中で遮られる。

「……何の真似だ? ガキぃ」

「オレは、じィちゃんと共に戦ってきた。てめぇらなんかに、負けるわけがない! メラルバ!」

 飛び出したメラルバが赤い触手を突き出し、ほぼ同じ熱量を放つ。エンブオーと相殺させ、メラルバがその直下に潜り込んだ。

「こんな小さいポケモンで!」

「小さくたって、強さは一級だ! メラルバ、フレアドライブ!」

「潰してやるぜ! ヒートスタンプ!」

 燃え盛る蹄を煌かせたエンブオーと全身を燃え盛らせたメラルバが衝突する。

 爆心地から広がった同心円状の輝きに、ノアは空気圧を感じ取る。

 ここで止めるべきは、他の二人だ。

 ケルディオと共に見据える。

「……やれやれだ。ヴァルキュリアワンは戦闘不能。もう一方はガキに目が行っている。ワタシがやるほかあるまい」

「一つ、聞きたい。誰の命令でここにいる?」

「教えてどうなる? ワタシ達は、同じ意思の下で統率された存在だ」

 繰り出されたのは新緑の蛇であった。ジャローダが赤い瞳でケルディオを睨む。

 こちらも負けじと睨み返した。

「行くぞ」

「来い、反逆者。いずれプラズマ団の天下が来るのも分からない、三下が」

 ケルディオが坂道を駆け抜けジャローダに肉迫する。ジャローダが赤い眼をぎらつかせてケルディオを制そうとした。

「へびにらみ」だ。まともに受けるわけにはいかなない。ケルディオは水で顔を覆い尽くす。光の屈折角が「へびにらみ」を半減させた。

 僅かに足取りが鈍ったものの麻痺の虜ではない。

「やるな。瞬間的に光の位相を変える。考えられてはいる戦法だ。しかし、にわか仕込みだと言っておこう」

 ジャローダの緑の刃がケルディオへと突き刺さりかける。ケルディオは跳躍し、ジャローダの懐に飛び込んだ。

「インファイト!」

「接近戦は、こっちのほうが優位!」

 角が幾重にも生み出した剣戟を、ジャローダの刃が打ち消していく。やはり手数では負けているのか。

 ケルディオの攻撃が有効射程に入らない。

「さて、無駄な足掻きを続けているようだが……何故、アデクに応援を頼まない? 向こうは炎・虫だぞ?」

「……ボクは、一人でも抗い続けると決めた。今は! アデクさんの力をもらう時じゃない! ボクの力だけでもお前らを屈服させられると、宣言する時だ!」

「口だけは一丁前だな」

 ジャローダの刃が僅かにケルディオの角の刃を上回り、攻撃射程から飛び退る結果となった。

 ジャローダには傷一つない。それに比してこちらは傷だらけである。

「無益な事を続けるのはおすすめしない。ケルディオでは勝てない。それに気づくべきだ」

「どうかな……。アデクさんは今、教えてくれた。タイプ相性が絶対じゃないと。己のトレーナーとしての格と、ポケモンとの信頼があれば、それを覆すものを生み出せると」

 肩越しに窺うとアデクは強く頷く。胸元を叩き、言いやった。

「見せ付けてやれ! ノアタロー!」

「はい!」

「根拠のない自信に、強者と弱者の境目も分からぬ半端者か。ワタシとしては実に……許し難い光景だ!」


オンドゥル大使 ( 2017/07/05(水) 21:08 )