第14楽章「刀と鞘」
訓練室、と銘打たれた場所はバトルフィールド以外に何もない、簡素な空間であった。
お互いのトレーナーコートに入ると、ヴァルキュリアツーはエンブオーを繰り出した。
灼熱を操り、その膂力は近づく者を容易く吹き飛ばすパワーの持ち主である。
エンブオーが豚鼻から火の粉を撒き散らす。
既に戦闘状態に入っているエンブオーであったが、やはり主の迷いを受けてか、その戦闘姿勢は少しばかり鈍い。
「研ぎ澄ませ。いつもより守りが緩い」
「分かってんよ! 本気出すから全力で来い!」
ヴァルキュリアワンはモンスターボールを投擲する。出現したダイケンキがアシガタナを構え、エンブオーと対峙する。
相性上は有利とは言え、この訓練は文字通りの訓練とはまるで違う。三人の連携が密でなければならない自分達にとって一人でも実力不足がいればそれは足手纏いだ。
この訓練は、それこそ全身全霊をかけて臨まなければ、ダークエコーズの一角が失われるという厳粛な儀式でもある。
「ダイケンキ、ハイドロポンプ」
加えてダイケンキは純粋水タイプ。この戦闘がヴァルキュリアツーにとって胸の中のもやもやを取る材料に成り得るかもしれない。そういう点でも戦いは慎重だ。
直上に踊り上がったダイケンキがアシガタナの切っ先から水流を発する。
まずは小手調べの一撃。それに対してエンブオーの行った事は少ない。
元々素早さの低いエンブオーがやったのは、その重量級の身体を活かした、最大の熱風攻撃である。
全身から可視化するほどの熱量を発生させ、ダイケンキの「ハイドロポンプ」を完全に気化させる。
最初の一撃では沈んではくれない。それはお互いに分かっている。
「エンブオー。ヒートスタンプ!」
エンブオーが姿勢を沈めたかと思うと、その巨躯とは裏腹の跳躍力を示した。
エンブオーは全身が筋肉だ。
上半身を支えるために異常発達した脚の筋肉はその身に似合わぬフットワークを可能にする。
初見でエンブオーが耐久型と見積もった相手はここで破滅を迎える事になる。
跳躍したエンブオーがまるで隕石のように足先から炎を発し、墜落してくるのだ。
ダイケンキが着地した直後、それを押さえ込むために全身から水の皮膜を纏い付かせた。
えらのように出現した水のベールを用いて繰り出すのは「アクアリング」と呼ばれる技である。
主に回復用に用いられる水の円環であったが、ヴァルキュリアワンはそれを別の方向で使っていた。
「ダイケンキ。エンブオーの攻撃に際し、アクアリングの密度を固定。コンマ一秒以内の誤差で射出」
水の輪は回復のための布石ではない。円環が覆いかかったのはエンブオーの燃え盛る蹄である。
足首に巻きつき、瞬間、蒸気が発生した。
炎熱の踏みつけ攻撃が逸れる。
ダイケンキという標的を狙い損ねたエンブオーが鉄の床を踏みしだいた。
粉塵が舞い上がり、エンブオーが振り返り様の一撃を見舞おうとする。
格好の機会である。
しかし、エンブオーの動きは鈍い。それもそのはず、その足首には水で形作られた重石が巻きついていた。
エンブオーの動きを遮断するのは間断なくダメージを与える「アクアリング」の呪縛である。
回復のはずの「アクアリング」の作用は炎タイプそのものであるエンブオーには逆の作用を及ぼす。
元々自身を癒す目的である「アクアリング」という技だが様々に応用可能であるのは意外と知られていない。
癒しの輪は、エンブオーにとっては棘付きの拷問器具と同義。
しかし、ヴァルキュリアツーのエンブオーは半端な育てをしていない。
その場で四股を踏むようにエンブオーが拘束された片足を払うと、蒸気熱が発生し瞬時にその呪縛を解き放った。
最早、お互いにとってこの戦法は慣れているもの。
むしろここからが真の戦いであった。
エンブオーは解除したとは言えかなりのタイムロスが発生している。その間を縫うようにダイケンキはアシガタナを振るい上げた。
水の刃がエンブオーの首を掻っ切ろうと迫る。
これは訓練とは言え、少しでも気を抜けば命取りになる、実戦と同じだ。
エンブオーが反射的に首を引っ込める事で難を逃れたが、当然、攻撃は一発に留まらない。
払ったアシガタナを逆手に持って突き刺す一撃。頚椎を狙ったその攻撃をエンブオーは振り向きもせず腕で受け止めた。
血潮が舞うが、それも僅かの時間。
エンブオーは自ら血を熱し、傷口を瞬間的に焼き尽くす。自らの身を焼く事で最大の攻撃力を発揮するエンブオーはアシガタナ一本の枷を手がかりに攻撃の契機を得た。
振るわれようとする灼熱の掌底に対して、ダイケンキも負けてはいない。
もう一本のアシガタナを両方の前足で構え直し、その切っ先をエンブオーの額へと正確無比に放つ。
――脳天唐竹割り。
まともに受ければ絶命は必定である。
しかしながら、ヴァルキュリアツーのエンブオーはそのまま特攻するように前に出た。
アシガタナの軌道は一秒後のエンブオーの脳天がある空間を計算して放っている。
つまり、一秒の誤差を減らせば、この攻撃は命中しない。
頬を掠めたアシガタナの切っ先にヴァルキュリアツーが確信する。
「おれ達の距離だ!」
灼熱の掌底が次の瞬間、ダイケンキの腹腔に見舞われた。
ダイケンキは水タイプである。効果半減のはずのその一撃はしかし、ダイケンキの臓物を瞬間的に焼き尽くす。
臓器機能が削がれたダイケンキがよろめくのと、エンブオーが腕を振るい上げるのは同時であった。
両腕を固め、そのままダイケンキの堅牢な外骨格を叩き潰さんとする。
だが、自分のダイケンキはこれでやられるほどやわではない。
直後に発生したのは水の皮膜である。
ダイケンキを保護した皮膜にエンブオーが少しでも触れた途端、攻撃が中断された。
戦闘時における研ぎ澄まされた精神がその皮膜に長時間触れる事が危険だと察知したのだ。
エンブオーが飛び退る。
だが、既に攻撃の只中。
貝殻の甲冑を打ち破ろうとしたその腕には粘性のある水の玉が浮かび上がっている。
その水の玉が一瞬でエンブオーの片腕を覆った。肩口まで至ったその水は泡となり、ヴァルキュリアツーの命令で弾け飛ぶ。
「バブル光線」
通常の「バブルこうせん」とまるで異なるのは、それが数個の泡で構成された狭義における「光線」ではない事。
さらに言えば、相手の身体の一部に侵食すれば、即座に食らい殺しかねない必殺の一撃である事だ。
「バブルこうせん」はまるで獲物に食らいつく蛇のように、エンブオーの片腕から本体へと侵食範囲を広げようとする。
しかし、エンブオーも通常の炎タイプではない。
既に壊死したはずの片腕が膨れ上がった。壊死ではない。その膨れ上がりは、筋肉が弾けた証拠だ。
瞬間的に二倍近く膨れ上がったのは二の腕であった。
それだけで「バブルこうせん」の侵食を完全に削ぎ落とす。
「ビルドアップ……」
ヴァルキュリアツーが静かに命じていた。
通常ならばただ単に攻撃力を上げるだけの「ビルドアップ」だが、炎・格闘の複合タイプであるエンブオーが使用すれば、それは相手の束縛を瞬間的に弾き飛ばす勢いと化す。
まさに攻防一体。
水を弾き落とし、その一滴すら残さずエンブオーが炎熱のフィールドを発生させる。
ここまでほぼ互角。
相手の攻撃をいなし、さらに相手の上を行く戦術で叩き潰す。
お互いに必定の手は出した。
ここから先こそが――出たとこ勝負の領域である。
アシガタナを携えたダイケンキが斬りかかった。勝負を捨てたかのように真正面から叩き切ろうとする。
しかし、これも作戦。
エンブオーは当然、最低限のステップで回避しようとするが、それを読んだかのようにアシガタナの射程が瞬時に延長した。
エンブオーの右肩口に切っ先が突き刺さる。
「シェルブレード。水による相乗効果で射程を上げた」
アシガタナ一本でもヴァルキュリアワンのダイケンキは一騎当千に値する。それを二本、常時操るのであるから、その戦闘力は通常ならば二倍である。
アシガタナをエンブオーは握り締めた。そのまま砕くのかに思いきや、なんとその柄頭を握り締めたのである。
――得物を持った力士。
今のエンブオーの威容はまさしくそれだ。力士の戦いの道具は己が肉体。それだけでも全身凶器に等しいのに、さらに武器など持たせればどうなるのか。
エンブオーが内奥から炎を発する。アシガタナが塗り替えられ、金色から黒に変じた。
炭化の前後までアシガタナを熱し、さらに鍛え直した。いわば、刀剣の製造と同じ事がエンブオー単体で起こったのである。
エンブオーが黒いアシガタナを頭上に担ぐ。その構えは我流でありながら、両手でアシガタナを持つダイケンキが僅かにプレッシャーで圧されているのが分かった。
あのエンブオーと接触するのが本能的にまずいのだと理解している。しかし、接触なしで戦いを終えられるほど器用だとも思っていない。
ダイケンキはアシガタナを握り締め、切っ先を相手に突きつけたまま、構えを頭部の横に据えた。
打突の構えである。勝負を捨てたか、とヴァルキュリアツーは感じた事だろう。
だが、これこそが必勝の構え。ダイケンキは自らの防御を度外視した時こそ、真の実力を発揮する。
その証拠にエンブオーは硬直していた。ただの打突と断ずるのには、相手の構えに隙はないのだ。
力押しでは勝ち切れない。それを理解していながらもエンブオーの戦術は変わらなかった。
黒く変色したアシガタナを振るい上げ、そのまま衝撃波を発生させる。
振るった剣閃に炎の属性が纏いついた。当然の事ながらダイケンキはそれをいなす、かに思われたが違う。
変じたのは水の幻術である。
ダイケンキの肉体が両断された。
それは水によって作られた屈折角の幻影。
「みがわり」を使用した相手への肉迫はエンブオーも想定している。そのまま打ち込まれると感じられた刃はしかし反応したエンブオーが払い落とそうとする。
両者、互角の鍔迫り合いが繰り広げられた。
エンブオーが下段から攻めれば、その不意をつくようにダイケンキが水流で踊り上がり背後を切り裂こうとする。
反射したエンブオーがアシガタナを突き上げる。その時には既にダイケンキの位相は変異している。
斬ったのは囮。
そう判じたエンブオーが次の一手を打つ前に、ダイケンキの身体がエンブオーの懐へと潜り込んでいる。
必殺の間合いであったが、エンブオーは逃げもしない。
瞬時に発生した灼熱の大気がダイケンキの表層から水分を奪った。
飛び退ったダイケンキのいた空間から発生したのは紅蓮の炎である。
エンブオーに組み込まれているのは何も接触技だけではない。
中距離での攻撃も視野に入れたエンブオーの破壊力に、ダイケンキが僅かに怯んだのが見て取れた。
その隙を逃さず、エンブオーが跳ね上がる。
再びの「ヒートスタンプ」であった。蹄が赤く燃え上がり、ダイケンキを踏み潰そうとする。
今度も「みがわり」で逃げる判断を迫られたダイケンキであったが、取ったのはそのままの反撃であった。
身代わりの水攻撃を使わず、「アクアリング」にも頼らない、アシガタナによる斬の一撃。
一瞬、エンブオーがその構えに恐怖を覚えた。
推進剤のように燃え盛る蹄を反射させ、軌道を逸らす。着地した地面が捲れ上がり、粉塵を巻き上がらせた。
エンブオーが灼熱の腕を払おうとする。
ダイケンキがアシガタナを手にエンブオーの首を刈ろうとした。
その時、ブザーが鳴り響く。
戦闘終了の合図に両者、「そこまで」の声を発した。
「よくやった。エンブオー」
「ダイケンキも健闘だ」
赤い粒子となってポケモンを戻す。それだけではない。
二人ともどっと汗を掻いていた。極度の集中と、同調に近いポケモンとの連携。
これには体力が必要となる。
ほとんど実戦形式に等しいこの訓練の終わりはいつだってブザーによる終了であった。
実力の拮抗する相手がために、時間いっぱいまで闘い続けなければならない。同時に、この時間終了まで戦い続けられないならば、それはもうチームとしては失格だ。
「エンブオーの反応、少しばかり鈍いね」
ヴァルキュリアワンの評に相手は鼻を鳴らす。
「そっちだってアシガタナを取られた。その時点で戦力の半減だ」
違いない。どちらの評も間違ってはおらず、三名で戦いを続けるに当たってはまだまだ詰める余地がある。
「しかし、エンブオーは毎回派手にやる」
「それが取り柄みたいなもんだからな。おれはこの戦い方に間違いはないと思っている」
ダイケンキは水タイプの中でも物理に秀でており、アシガタナを用いての近接戦闘が得意であったが、エンブオーは格闘の複合。さらに近接が得意である。
つまりどちらかが緊張を切らせば、どちらも敗北の可能性からは逃れられないのだ。
「それにしたって疲れたな。任務の後にも絶対に集中を切らせられねぇってのは苦労する」
ダークエコーズはいつ隠密活動を命じられてもいいように常に最善のコンディションが求められる。この後、回復を施し、次の命令を待つのだ。
ヴァルキュリアツーは買っておいたスポーツドリンクを飲み干し、息をついた。
「おれが気になっているのは、あいつの淡白さも、だ」
先ほどの違和感の話の続きか。ヴァルキュリアワンはあいつ、と称された相手をすぐに勘付く。
「ヴァルキュリアスリーは確かに、冷静が過ぎる部分があるようにも思うね」
「おれ達のリーダーのつもりなんだろうが、ジャローダなんておれの敵じゃねぇ」
「その割には、タイムオーバー以外で勝ったことがないようだけれど」
ヴァルキュリアツーが舌打ちする。自分達三人は常に連携が求められるため、時間制限以外での敗北は即ちその者の怠慢である。
出来る限りお互いの能力の差を縮め、全員が全員の代わりを務められるようにならなければならない。
全員が替えの利く駒でなければならないのだ。
「リーダー格っていうんなら強くなくっちゃ話にならねぇけれどな」
「まぁ、彼に勝とうとは思わないでいいんじゃないかい? だってあのジャローダが負けるのは想像出来ない」
自分でもそう感想を漏らしてしまうほど、ヴァルキュリアスリーの性能は抜きん出ている。
全員の能力は均等のはずだが、どうしてだか模擬戦においてヴァルキュリアスリーの負けはない。
それは恐らく、性能差を突き詰めているからだ、とヴァルキュリアワンは感じていた。
ジャローダの強さもそうだが、あの強さの秘密は恐らく――。
そこまで考えたところでポケナビが鳴った。
「はい、もしもし」
『私だ。ダークエコーズに命令する』
ヴィオの声だ。ブリーフィングを経ずにすぐ命令するという事は急ぎの命令なのだろう。
ヴァルキュリアツーも緊張に身を強張らせた。
『戴冠式までに実力をはかってもらいたい人間がいる。その人間の顔写真を送ろう』
ポケナビに送られてきた作戦概要に標的の顔写真が入る。
それを目にした途端、ヴァルキュリアツーは息を詰めた。
「こりゃあ……」
『特別難しい命令ではないが一つだけ。生きて帰って来い。そうして情報を的確に持ち帰れ。加えて言えば、プラズマ団だという事は明かすな。ただのチャンピオン狙いのアウトローを演じろ』
命令はそこまでであった。
後は作戦概要を参照しろという事だろう。
ヴァルキュリアツーが声を潜める。
「こんな奴に、勝てるのかよ……」
いつになく弱気だが無理もあるまい。
顔写真の相手は太陽の鬣を持つ男。イッシュ地方の玉座につく事が許された強者の姿であった。
「チャンピオン、アデク。まさか、この段階で矛を交える事になろうとは……」
訪れるであろう波乱に、ヴァルキュリアワンは唾を飲み下した。