FERMATA








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序幕 再演
第7楽章「緋ノ糸輪廻ノGEMINI」

「おいおい、先頭車両で会合が行われていたんじゃないのかよ」

 ヴァルキュリアツーの困惑に、なるほど、と連絡を受け取ったヴァルキュリアスリーが応じた。

「ブラフであった、という事か。反乱分子を炙り出すための」

「しかし、たった一人、というのは解せないな。プラズマ団を嘗め切っているのか、あるいは」

 あるいは、本当にたった一人だけの反逆か。

 益のない思考だ、とヴァルキュリアスリーは切り捨てる。

「どちらにせよ、奴の顔は覚えた。奴は……」

 そこまで言いかけてヴァルキュリアスリーは言葉を切る。

 あれは、どこかで会った事がなかったか。しかし、どこでという部分で立ち止まる。

 会ったとして、そこいらの街並みですれ違ったというレベルではない。もっと印象深いはずなのに、思い出せない。

「どっちでもいいけれどよぉ、おれ達まで騙すってのが」

 文句を垂れるヴァルキュリアツーに言いやった。

「敵を騙すには味方からだ。幸いにして会合は無事、執り行われたらしい。イッシュ政府とプラズマ団との密約が結ばれ、また一つ、プラズマ団は躍進した」

 だが同時に悪の芽が垣間見えた。

 プラズマ団にたった一人で立ち向かうならず者。

「ノア、と言ったいたな。特一級として報告すべきか」

「いや、特一級はやり過ぎだろう。ヴィオ様に報告はするが、特一級となればそれは我ら反響音の出番ではない」

 それこそ一級の存在――ダークトリニティの出番だろう。

 自分達ダークエコーズで対処出来る内は相手を重く見ない事だ。

「でも、あのポケモンには用心すべきじゃねぇか? 見た事のない格闘タイプだった」

 ケルディオ、と呼ばれていたあのポケモンか。ヴァルキュリアスリーは思考する。

「図鑑システムに潜って調べを進める。なに、プラズマ団には優秀な頭脳もある。戦いだけが全てではない」

 しかし、と電車から降り立ったヴァルキュリアスリーは停止した車両を見やる。

 死んだのか。あるいは……と考えてから、何を思っているのだ、と戒めた。

 あれはただの、自分の分も弁えない反逆者。

 それ以上でも以下でもないはずなのに、何故、自分はこうまであの者との戦いに物足りなさを感じているのか。

 まるで、平時の相手ならばもっと状況が違っていたかのような、相手をよく知っているかのごとき思考である。

「いや、ワタシがあれを知るはずがない。あれはただの……自分の分を弁えない人間だ。それだけのはずだ」

 そう言い聞かせたが、納得は出来なかった。














 会合はゲーチスの仕事だ。

 だから自分の仕事はこうして待つ事だけである。

 王とは言っても、プラズマ団蜂起のその時まではただの人間。

 ただの――ポケモンの言葉が分かるだけの、取りとめのない化け物。

 Nは今日も観覧車を眺めていた。何度か乗る事を薦められるも、見るのが好きなのだ、と言いやる。

 数式と観覧車は似ている。

 円環の末に答えがあり、その答えを導くのに必要な時間が存在する事。

 証明問題のように、始めと終わりに意味がある事。

 その時、ライモンの地下鉄で爆発音が響き渡った。ゲーチスが地下鉄で会合を行っているはずである。

「テロだ!」

 そう叫ぶ民衆にNは自然と吸い寄せられていた。

 ゲーチスの安否も気にかかったが何よりも、平和なこの地を穢す人間は許せなかった。

 地下鉄構内はほぼパニック状態で、Nは人ごみを掻き分けて現場に向かう。

 僅かに煙い。空気の循環が悪いのだろうか。息苦しさも感じた。

「近づかないように!」

 警官隊の声にNは歩み寄る。

「すいません、通してもらえますか」

「あなたは?」

「イッシュ機動隊の人間です」

 もしもの時のために幾つもの偽造証明書があった。その中の一つを取り出すと、警察はNを通しつつ言葉を発する。

「酷いもんですよ。いきなり先頭車両がボン、ですからね」

「被害は?」

「それが、不思議な事に一切なし。まぁ、あったら困るんですが。換気だけで何とかなりそうです。他の沿線にも影響はなく、爆発事故で済みそうですかね」

 それならば自分の心配は杞憂に済みそうだな。

 考えつつNは爆発したと言う先頭車両を目にしていた。

 内側からの強力な爆弾が使われたのだろう。覚えのある爆発のし方をしていた。

「しかし、ポケモンの技でも壊れない車両がどうしてまた……」

 ぼやく警官にNは先頭車両を眺めていたが、その時、裾を引っ張る力を感じ取った。

 人か、と声を振り向けようとしたNの視界に入ったのは、曇天のような髪色をした青年であった。

 生存者だ、と声を振り向ける前に、青年が怨嗟の声を発する。

「……見つけた、ぞ……」

 その瞳が見据えたのはまさしく自分自身であった。

 碧眼の鋭い眼光にたじろいでいると、Nは触れられた箇所から黒い瘴気が漂っている事に気づいた。

「これは……、ボクの身体が……」

 不明な力が発生している。声を荒らげかけたNに比して、相手は冷静であった。

「ここで現れてくれたのは僥倖としか言いようがない。決着を、つける……!」

 最後の足掻きとでも言うように相手がこちらの足を引っ張りかけたその時、一閃が瞬いた。

 闇に紛れていたNのポケモンが青年を打ちのめしたのである。

 赤いまだらと常闇の躯体がNと青年の間に降り立った。鋭い爪を有しており、二足で立つその姿はまさしく勇猛である。

「ゾロアーク……助かったよ」

 ゾロアークは青年へと爪を突きつける。それを目にした青年が信じられないものを目撃したように戦慄いた。

「ゾロアーク……、ボクの事が、分からないのか?」

「……何を言っているのか全く不明だが、ゾロアークはボクの長年のパートナーでもある。もしもの時に戦えるよう、いつでもボクを守ってくれている」

「知っている……知っているからこそ、言っているんだ」

 青年の言葉は要領を得ない。混乱しているのか、とNは判断した。

「キミは何だ? テロリストか? それとも、ボクらの道を阻む、敵か?」

 その問いかけに青年はゾロアークにつけられた傷痕をなぞった。掴んでいた右手に痛々しい傷がある。

「ボクは……過ちを犯した。どれだけ償おうとしても償えない、それほどのものを。だから、これはボク自身の業だ。こればっかりは、ボクだけなんだ。ボクにしか出来ない」

「それほどまでに思い詰めているのは勝手だけれど、ボクは……何だかキミの事を知っているような気がする。おかしいな。そんなはずがないのに」

 目の前の青年をどこかで見た事がある。どこだ、と記憶を手繰る間に、ゾロアークへと攻撃が見舞われた。

 水のベールを纏った一撃にゾロアークが鍔迫り合いを繰り広げる。

 見た事のないポケモンであった。青を基調とした身体が跳ね上がり、ゾロアークへと間断のない接近戦を挑んでいる。

 無茶、無策というよりも、なお色濃いのは憎悪だ。

 全てを破壊しかねない憎悪の念がそのポケモンを満たしている。

「そのポケモンは……」

「やり直すんだ。そのためならば、ボクは世界に拒絶されても、この戦いを全うしよう」

 お互いに一撃で引き離される。四足のポケモンが青年を先導した。青年が首肯して逃げていく。

 それを追おうとした警官をNは止めていた。

「待って欲しい。今、彼を追うのはやめてくれないか」

「しかし……、重要参考人ですよ」

「待って欲しいと言ったのは、その……今彼を追うべきじゃないと、ボクは思うんだ」

「そんな事言っている場合じゃ……」

 そこで警官が絶句する。

 Nの頬を伝っていたのは赤い血の涙であった。この涙が何故流れているのか、自分でも分からない。

 ただ、彼の行く末が地獄であろう事は容易に想像出来た。

 地獄に一人で向かう人間の後姿に、自分は何かを見たのだろうか。

 ゾロアークが降り立ち、Nへと言葉を投げる。Nは首肯した。

「そうだね。多分、いつかはまた、彼と相見えることになるだろう。その時、ボクがどうするのかは、ボク次第だ」












 垂れ込めた曇天の中、ノアはただ逃亡した。

 この世界に、安息の場所などないかのように思われた。自分を殺し損ねた事もそうだが、こうして死に損ね、生き恥を晒している事もノアの中では重く胸の中を締め付けるようであった。

 ケルディオが必死に自分を先導するも、ノアは最早体力の限界であった。

「……ゴメン、ケルディオ。先に行ってくれ。ボクは、もう駄目みたいだ」

 その場で膝を折り、ノアは天を仰いだ。

 この時間軸そのものが敵のように映る。

 その証拠のように雨が降り始めていた。体表を打ちつける豪雨にノアは顔を伏せる。

 ――もういい。ここまで世界に打ちのめされて、これからどうやって戦えばいいというのだ。

 やれるだけの事はやった。

 それでいいではないか。

 それで、満足出来れば、全てが……。

 雨に打たれてこのまま消え入ってしまいたいと感じていた。灰色の景色の中、自分の存在など何もかも始まる前になかった事にしてしまいたいと。

 ポケモンの声も聞けない。心も分からない。

 戦いで勝てるわけでもない。

 なら、自分に何の価値がある?

 プラズマ団の王であった頃の自分を消すなど、やはり驕りであったのか。

 自分の罪はどう足掻いたところで消せはしないのか。

 冷たい雨が今の世界の回答に思われた。

 この世界に居場所はない。生きていたところで、仕方がないのならば。

「ケルディオ。ボクを置いていってくれ。もう、歩きたくないんだ」

 ケルディオがふるふると首を横に振った。しかし、もうノアの中に生きる気力など一欠けらもなかった。

「歩き続けるのに、もう疲れたんだよ、ケルディオ」

 罪を贖い続ける旅路もここまで。

 悪を摘み、正義のつもりでいた愚か者は、ここで終わる。

 いいではないか。正しい末路だ。

 ケルディオは困惑したようにその場で足踏みをしてから、自分のほうに歩み寄ってきた。

 トン、とその角が自分の左肩の傷に触れる。

 世界からの拒絶の証。

 同時に、ケルディオとの絆の証。

 まだ戦える、とケルディオは言っているのだ。

 だがノアの答えはノーであった。

「どうすればいいって言うんだ。……ボクはボクを殺す以外に、道があるって言うのか」

 雨は途切れない。この世界の罰から逃れる術などないかのように。

 その時、ケルディオが不意に首を巡らせた。どうやら近づいてくる人影があるようだ。

 殺されようとも、追い剥ぎをされようとも、自分には抗う力さえも残っていない。

 佇むノアに差し出されたのは一本の雨傘であった。

「風邪を引くぞ、若いの」

 その声音にノアは面を上げる。

 瞬間、硬直した。

「何で……」

 目の前の人物がどうしてここにいるのか理解出来ない。相手は胡乱そうにしつつも、快活に笑ってみせた。

「チャンピオンがここにおったらおかしいかのう!」

 イッシュ地方の、真の王。

 チャンピオンアデクが、全く衰えを見せない笑顔で佇んでいる。

 困惑するノアにアデクはその肩を叩いた。

「何もかもを諦めたような顔をしとる。そんな奴を、放っておけん。昔から、そういう奴を見て見ぬフリは出来んようになっていてな」

 アデクが肩を貸す。ノアは言葉を繰り出しかけて、喉に至る前に霧散していた。

 ――いずれ、あなたの立場を崩す人間だ。

 自分がそうだとは言い出せず、ノアはただ、降りしきる雨の中を、アデクと共に歩み出していた。

 この歩みが、果たして意味のあるものなのかは、まだ誰にも分からなかった。



第一章  了


オンドゥル大使 ( 2017/06/13(火) 21:09 )