第6楽章「悪しき進化」
「荷物は持った?」
アリスの声にノアは首肯する。
旅立ちに必要なのは、いつだって地図と食料、それに水である。
タウンマップを丸め、携帯食料をバッグに入れたノアを見やり、アリスは口にした。
「出来れば、木の実ジュースも持って欲しいところだけれど……」
「いや、大丈夫だ。回復薬も持ち合わせているし、ケルディオのコンディションも申し分ない」
「それは、そうかもしれないけれど」
アリスが言いたい事は分かる。この数週間、アリスの世話にずっとなったのだ。これだけはハッキリさせなければならない。
「ボクは帰ってくるよ。必ず、ね」
今回の目的はライモンシティ地下で行われる秘密会合の阻止。さらに言えば、頭目ゲーチスの討伐。
二つ目の目標はかつて自分が成し得なかったものである。感情を殺す事が出来ず、父親という感情で放っておいた末路が、ゲーチスという存在の破局である。それを目にするくらいならば、この時間軸で引導を渡したほうがいい。
その覚悟はあった。
ゲーチスを殺し、自分を可能ならば止めてプラズマ団を崩壊させる。
それこそがこの時間軸に飛ばされた意味なのだと。
「あまり、思い詰めないでね。あたしは、ここで待っているしか出来ないから」
ノアは灰色の髪に、黒と白のツートンカラーの帽子を被る。
自分が歩くのは黒でも白でもない、灰色の境界だ。
その危うい綱渡りをするのが、自分の役目なのだ。
使命とも言い換えていいほどの。
ムーランドのムゥちゃんが別れを惜しんでか、足元に擦り寄ってくる。幾度となく助けられたポケモンだ。
言葉が分からない今の自分がもどかしいが、普通のトレーナーはそうなのだろう。
ポケモンが何を考えているのかなど、分からないのだ。
分からないままでも前に進むしかない。答えを保留にしたままでも、前を向くしか、自分達には残されていないのだと、皆が感じているのだ。
自分はその答えを出せた。
だがそれは、他の人々がする遠回りの結論を最短距離で急いだだけだったのかもしれない。
遠回りする事の意義もあるのだ。
ムゥちゃんの頭を撫でてやり、ノアは帽子の鍔を下げた。
「行ってくる」
ライモンシティに一度決着をつけなければならないのだ。
アリスはそれ以上、言葉を発しようとはしなかった。
今にも泣き出しそうな曇天が広がる中、ノアの旅路が始まった。
ライモンシティではビジネスマンが帰路についている。
その中を縫うように歩き、辿り着いたのは地下鉄である。
半球型のドームの中に幾つもの沿線があり、秘密会合はその中のどれかで行われる――カヤノがもたらしたのはそこまで、だ。
それ以上は自分でやれ、との事らしい。
「既に勝負は始まっている、か」
独りごちたノアは早速、試す事にした。
プラズマ団の中でも、隠密に長けた者、あるいは変装に長けた者など様々な者達がいる。だが、いずれも消せない気配というものが存在するのだ。
自分は腐ってもプラズマ団の王であった存在。
プラズマ団がどこにいるのかくらいは察しがつく。
思っていた通り、一つの地下鉄の入り口の前をガードマン風のプラズマ団員が固めていた。
ポケモンを持っているのは明らかであったが、ノアは歩み進む。
するとガードマン風のプラズマ団員が道を塞いだ。
「すみませんね。工事中でして」
「ボクは、この先に用がある」
「だから、工事中なんですってば」
「なら、力ずくでも進むまでだ」
その声音に団員二人が怪訝そうにした。
「……おい、もしかして、こいつ」
「いや、ばれてはいないはずだ。だが、この気配……誰かに似ているような……」
「通す気がないのならば、押し通る」
ホルスターに手をかけたノアに団員二人が色めき立った。
「押し通る、だと? ふざけるなよ、ズルッグ!」
「アイアント!」
繰り出されたのはいずれもプラズマ団員が多く所有しているポケモンであった。
ズルッグと呼ばれたオレンジ色の表皮のポケモンが前衛を務め、後衛にアイアントが入る。
アイアントは守りの固いポケモンだ。後衛に置くのは何も間違いではない。
ここでやるべき事が時間稼ぎならば。
しかし、自分はそれらを超えるためにこの三日間を戦い抜いてきた。ノアはボールを投擲する。
「行け! ケルディオ!」
降り立ったのはまるで水鳥のように軽やかであった。
蹄の音さえも立てず、ケルディオが二体のポケモンの前に立ち塞がる。
「見た事のないポケモンだが、やるんならもっと素早くやるんだったな! ズルッグ、不意打ち!」
ズルッグの身体が肉迫し、ケルディオへと攻撃を叩き込む。
悪タイプの攻撃「ふいうち」にケルディオは怯むどころか、その身体に内包する馬力を高めた。
恐るべき脚力でズルッグが叩き飛ばされる。
一撃であった。
角も使っていない、ただの体当たりに等しい攻撃で、ズルッグは戦闘不能になったのか、昏倒している。
「……今、何が起こった?」
確認するまでもない。ズルッグを一撃で戦闘不能にしたのだ。
ノアが歩み出ようとするとアイアントが前に飛び出す。
「まやかしを! アイアント、噛み砕く!」
アイアントの鋼の牙がケルディオへと食い込んだ。明らかにこちらの攻撃意思を潰そうとする一撃であったが、ケルディオはそれを受けた途端、眼を見開き、瞬間的にアイアントの背後へと回り込んだ。
トレーナーですら知覚出来ないほどの速さ。
ケルディオの角が煌き、アイアントに突き刺さる。その一撃を前にアイアントの堅牢な表皮が吹き飛んだ。
またしても一撃の下に葬られた事実に二人のプラズマ団員は目線を交し合う。
「何が……何が起こっているんだ」
「全てだ、プラズマ団員。ボクは、決めた。悪を断つ。そのためならば、全てを、と。悪を断つ心を持っているのは、何も人間だけではないらしい」
ケルディオの瞳に闘志が宿る。それだけで恐れを成したようにプラズマ団員が逃げ出した。
ノアは駅を発車しようとする地下鉄へと乗り込んだ。
平時ではバトルフィールドとしても用いられている地下鉄構内は頑丈に出来ている。一人や二人騒ぎ立てて、少し暴れた程度ではどこにも問題は発生しない。
だからこそ、この秘密会合が成立する。
誰にも見られない、プライベートな空間を維持するのにも、この場所は用いられかねないのだ。
ノアはケルディオを連れたまま、地下鉄の中を駆け出した。
この地下鉄の中にいる。
自身をプラズマ団の王に仕立て上げ、そして全てを裏切った父親、ゲーチスが。
その因縁を晴らすのならば今であった。
ケルディオが駆け抜け、水を纏って地下鉄の車両の繋ぎ目を突っ切った。
破砕された地下鉄の車両を駆け込んだノアは瞬間的に肌を刺すプレッシャーを関知する。
それはトレーナーであった頃の習い性だ。
「ケルディオ、一度退け!」
その命令にケルディオは従わない。
ここに来て、か。そうノアは歯噛みする。
ケルディオはまだ完全制御には至っていないのだ。
逸る気持ちを抑え切れないのはケルディオも同じ。
戦いへと赴く本能が勝り、ケルディオは降り注いだ連撃をまともにその身に受ける事になった。
立ち塞がったのは巨大な甲殻の剣――アシガタナを有する海洋ポケモンである。
青い表皮のポケモンが前足で器用に剣を振り翳し、ケルディオへと一閃を見舞った。それだけに留まらず、背後にいつの間にか展開していたのは重戦車を想起させる巨大なポケモンである。
全身から熱気を放出し、そのポケモンの放った掌底がケルディオへと叩き込まれた。
瞬時に水のベールを張ったケルディオは直撃だけは免れたものの、さらに直上から追撃が放たれる。
草の刃が車両の屋根を切り裂き、ケルディオへと幾つもの剣筋が迫る。
ケルディオは角でいくつかはいなしたが、さばき切れない鋭い太刀筋に怯む結果となってしまった。
ノアはその三体の威容を目にする。
ここイッシュでは、始まりの地にて最初にトレーナーが手にするポケモンの最終進化形態が三種、揃い踏みしていた。
「アシガタナの攻撃をいなしたとは……。ただの狼藉者ではないな。ダイケンキ」
ダイケンキと呼ばれたポケモンが両前足で一対の刀を保持する。
「狼藉者、って言うにしちゃ、随分と派手なやり口だ。大方、育てが悪かったんだろうさ。そうだろう? エンブオー」
重量級のポケモンが歩み出ただけで、その身から放出される炎熱で足元が歪んだ。
「しかし、それにしたって不揃いだ。どこの馬の骨とも知れぬ刺客に、見た事もないポケモン。これは、久しぶりに腕が振るえるかな。ジャローダ」
新緑の蛇がケルディオを睨み据える。
ノアも言葉を失っていた。
イッシュ地方で最初に手にするのは、ポカブ、ミジュマル、ツタージャの三体。どれもが初心者向けのポケモンである。
だが、この三体はそれを遥かに超えた、実戦向きのポケモンであった。
育てが違う、と今のノアでも分かるほどだ。
この三体、恐らくは通常のポケモンバトルの仕様ではない。
暗殺、あるいは撲滅向きの決戦仕様。
プラズマ団の兵力はある程度出てくるとは考えていたが、いきなり当たりか、とノアは歯噛みする。
「何者だ」
「何者、だとは、なかなかに言ってくれるな」
「大体、こっちが聞く側だろうが。何でそっちが聞くかねぇ」
「いいではないですか。死に行く者に教えてやるのも一興」
全員が全員、現行のプラズマ団の僧衣服のような井出達ではない。
むしろ、これは……自分の知っている二年後の姿だ。
二年後、プラズマ団はN派とゲーチス派に二分される。
その時。ゲーチスが操っている者達の衣服に近い。黒を基調とし、軍服のように動きを重視した格好となっている。
胸元にはしかし確かに、プラズマ団の意匠であるPとZを組み合わせたエンブレムがあった。
それが余計に苦々しさを感じさせる。
――彼らと合間見えなければならないのか。
それは避けられぬ運命なのだろうか。
ジャローダを操っていたプラズマ団員がまず名乗りを上げた。
「申し遅れました。ワタシの名前はヴァルキュリアワン」
「おれはヴァルキュリアツー」
エンブオーを操る男が胸元を叩いて声にする。最後にダイケンキを操る男が手を払った。
「ぼくはヴァルキュリアスリー」
彼らに個別の名前はないのだ。既に組織の一員として教育を受けたのだろう。
それが洗脳という名の教育であろうとも。
ノアは帽子を傾けつつ、宣誓する。
「ボクの名前は、ノア、だ」
「ノア? 何だこいつ? 何でだか知ってる感じがするぜ」
「ああ、それはぼくも感じていた。彼は何者だ?」
「ワタシは、どこか懐かしさを感じていたよ。そうだな、言ってみればどこか……理想に近い」
その言葉が彼ら全員の感想に近いのだろう。
Nという名は捨てた。今は――。
「今は、ボクはノアだ!」
ケルディオが跳ね上がり、ジャローダへと攻撃を見舞おうとする。
水を纏いつかせて放ったのは「アクアジェット」。先制の攻撃が突き刺さったが、ジャローダはびくともしない。
それどころか、逆に斬り返されてしまった。ジャローダの王族のように逆立った体表から引き出されたのは鋭い新緑の刃である。
「リーフブレード。ノア、か。まぁ、いい。ワタシ達は、三人揃ってヴィオ様の下で使えている存在でね。ダークエコーズ、と呼ばれている」
ダークエコーズ達はそれぞれの殺意を一点に注いだ。エンブオーが地を踏み締め、ダイケンキがアシガタナを構える。
「エコーズ、それは反響音。それは存在しないのと同義」
「存在しない、つまり手で掴む事も出来ないおれ達を捉える事が出来るか? ノアとやらよぉ!」
エンブオーが地を踏み締める足から血脈のように炎を迸らせた。
それだけで耐熱装甲のはずの地下鉄車両が熱で歪んでいく。
「馬鹿な! 地下鉄の中は絶対に安全圏のはず」
「その認識、半分正解だが半分間違っているぜ。そりゃポケモンバトルする分には安全だろうさ。でもよ、殺し合いをするのには、少しばかり安全とは言えねぇなぁ」
エンブオーが跳躍しケルディオを踏み潰そうとする。ケルディオは飛び退ったが、一秒でも遅れていればその空間ごと抉り飛ばされたであろう。
着地点が吹き飛び、炎が螺旋を描いた。
「まさか……ここまでなんて」
「残念だけれど、そうだよ。喧嘩を売る相手を、間違えた」
ダイケンキが舞い上がり、ケルディオへと高速剣を放つ。ケルディオは角でいなそうとするが、あまりにその速度が通常からかけ離れている。
化け物じみた速度と精密さで、ケルディオの剣戟が一つ、また一つと崩れていく。
「見たところ格闘タイプ。水は複合か。だったら、一番にまずいのはジャローダだな」
着地点に回り込んでいたジャローダが身体を一回転させた。それだけで微少な新緑の刃が舞い上がり、ケルディオの体表を削り取っていく。
「リーフストーム。この中に入れ込んでやれば、どうだ?」
見舞われた攻撃の連携にノアは絶句していた。
あまりにも優れた攻撃性能。加えて各々の弱点を補完するだけの技量。
――これが、自分の指揮していたプラズマ団なのか。
プラズマ団はポケモンの解放を訴えかけていた、善良な組織。それが間違っていたと覆されても、それでも出来るだけ他人と争わない道を選んでいる者達ばかりだと思い込んでいた。
だが、この三人は確実に実戦部隊だ。
殺しも、何もかも厭わないだろう。
それだけの精神と覚悟であるのはありありと伝わってくる。
こんなものと、どうやって戦えばいい?
自分はポケモンバトルでさえも嫌悪していた。だというのに、これはバトルの域を超えた、殺し合いだ。
ケルディオが水の砲弾を撃ち出した。新緑の渦が剥がれ、ケルディオが脱出するが満身創痍なのが窺える。
まさか自分とケルディオの即席の戦いがすぐに瓦解するとは思っていなかった。
「どうした? 刃が止まっているぞ、ノアとやら」
ジャローダが肉迫し、赤い眼をぎらつかせた。瞬間、ノアを縛りつけたのは生物としての根源的な部分であった。
本能が、戦えない事を訴えかけているかのように両腕から力が萎えていく。
「へびにらみ」だ。そう分かっていても対処が出来ない。
「こんなのが反逆者か。随分とヴィオ様もつまらん仕事を押し付けてくるようになったじゃねぇの」
「つまらんとは言わないほうがいい。戦いはいつも、ぼくらに生きる活力をくれる」
「そうだとも。戦場こそが、我らの求める安住の地」
ノアは目を伏せていた。
このような存在、容認出来ない。
自分という王がいた時代でありながら、間違いは既に犯されていた。
「一つ、聞く……。キミ達の王は、キミ達の事を知っているのか?」
王、という単語が出て全員が僅かに反応したのが伝わった。
「王っていうと、N様か。あの人は知りもしねぇな。だって、おれらみたいなの、絶対嫌がるだろうし」
「そもそもあのお方と我々とは這っている次元が違うのだ。羽虫と人間が同じ視界を有しないように、王と凡百では違うと知れ」
「……でも王は。キミ達の王は! そうであって欲しいと願うはずだ! キミ達に救いがあって欲しいと!」
その言葉にヴァルキュリアスリーが眉をはねさせる。
「知った風な口を利く……。貴様に王の何が分かるというのだ!」
分かるさ。だってボクは……。
そう言いかけて、ノアは口を噤んだ。
この場で言ってどうなるというのだ。殺されるのを早めるだけである。
何よりも、どれだけ主張しようと、一介のプラズマ団員にあれほどまでに偽物と嫌悪された自分が、今さら本物のNである証明など一つもない。
Nである証明は、一つもないのだ。
「……ボクがボクである証明はないのかもしれない。でも、勝てば」
ノアは面を上げる。ここで退いてはならないと自分の本能が告げていた。心の奥底に封じたと思っていた戦闘神経が、彼らを見据える。
「勝てば、ボクが正義となる」
「勝てると思うな。エンブオー、その身の程知らずを焼け」
エンブオーが腕を炎に包み、そのまま吹き飛ばさんと突進してくる。
灼熱の腕が約束する必殺のタックル。ノアはその紅蓮の炎を見据えて言い放った。
「ボクは、ボクだ!」
その言葉とケルディオの光が弾けたのは同時であった。ケルディオが全身を水に包み、エンブオーへと猪突する。
考えなしかに思われた一撃であったが、激突の直前、ケルディオは水のベールを使ってエンブオーの背後に回り込んでいた。滑るようにケルディオの攻撃網がエンブオーの体表を狙い澄ます。
「ハイドロポンプ!」
発射された水の砲弾が背後からエンブオーを叩きのめした。その一撃だけでエンブオーが撃沈しかけるほどの猛烈な一撃である。
あまりの水流の激しさにヴァルキュリアスリーが命令の声を弾けさせた。
「ダイケンキ! 水流の利用ならばお手の物だろう、ハイドロポンプを吸収しろ!」
ダイケンキが踊り上がり、水流を吸収する。あまりの軽やかさ。まさに流麗。
だが、その本懐はダイケンキの突破ではない。
ノアが見ていたのはその向こう側であった。
車両同士を繋ぐ扉へと水滴が引っかかる。それだけで、扉が腐食した。
ハッとしたヴァルキュリアスリーが声を弾けさせる。
「真の目的は!」
「ここではボクの勝利はないだろう。だからこそ、相打つ」
「出来ると思ってんのか! エンブオー!」
エンブオーが炎を迸らせながら直下のケルディオを踏み潰そうとする。
ダイケンキとエンブオーの攻撃が相乗しようとしてジャローダが割って入った。
「やめろ! 奴の目的は!」
どうやら二人は気づいたらしいが、その真意を悟っていなかったヴァルキュリアツーが攻撃を遂行する。
それによって、賽は投げられた。
高熱がケルディオを焼き尽くそうとしたが、その姿は射線上にない。
ヴァルキュリアツーがようやく違和感に気づく。
「何を……」
「光の屈折角」
ノアは言い放っていた。これだけの密閉空間。当然の事ながら高熱とそれを冷ますだけの水流が組み合わされば距離間に違いが出てくる。
つまり、僅かでも相手の踏み込みとこちらの射程に狂いが出れば、その分、こちらの真意は発揮されやすくなるのだ。
エンブオーの放った灼熱の拳はノアの目論み通り、ケルディオの姿を捉えられず、その近くにある車両の扉を焼き尽くした。
融解した扉へとノアが突っ込む。
ポケモンの攻撃すら視野に入れた特攻にヴァルキュリア達が瞠目した。
どのポケモンかが首を刈ろうとすれば、それだけで自分は命を落とすだろう。
だが、あまりに突拍子もない行動であったからか、あるいは判断のロスか、刃は振り下ろされず、ケルディオの水のベールを得て、ノアは前を行く車両へと飛び込んだ。
人一人分が通ればいい程度の穴を通過したノアに追いすがる方法はない。
ダークエコーズは全員、この場での追撃不可能を突きつけられる。
「クソが! だったら先頭車両を纏めて焼き払っちまえば――」
エンブオーが全身から赤い血脈を滾らせると、ヴァルキュリアスリーが制した。
「やめろ! 先頭車両では会合が開かれている! その邪魔をするのは我らの使命に反する!」
その通りだ。連中は絶対に秘密会合に接触出来ない。それは組織の特性から鑑みても明らかであった。
ダークエコーズは闇の存在。
だからこそ、出来得る隙があった。
ノアは振り向きもせず、ケルディオと共に会合が行われているはずの車両を目指す。
ゲーチスが取り仕切っているプラズマ団を瓦解させるのには今しかない。今だけが、プラズマ団が悪の汚名を被らずに済む時代なのだ。誰も傷つかないようにするのには、今、行動するしかない。
「行こう、ケルディオ」
ケルディオにはいきなり酷な戦闘を強いてしまった。トレーナー失格かもしれない。
それでも鋭い双眸を湛えたケルディオは先行し、扉を次々に突き破っていく。
迷いなどない。ならば、自分も迷いは捨てよう。
プラズマ団を止め、戦いが始まる前に終わらせる。
それがこの時間軸の自分の、生きる目的。
最後の扉を突き破る。
計算上、ここで会合が執り行われている――はずであった。
しかし、そこには人っ子一人いなかった。
何もない車両の中央に陣取っているのは、黒い機械である。
そのランプがノアの存在を関知し、赤く点滅した。
直後、襲い掛かってきたのは爆発であった。
聴覚を奪い去るほどの爆発が至近で巻き起こり、ノアは爆風に煽られる。
眩い輝きの向こう側にノアは身体が吹き飛ばされたのを感じ取った。
ケルディオが踊り上がり、水のベールを張って爆発を封じようとしている。だが、あまりに遅い。
ケルディオの判断と、自分の判断は手遅れであった。
先頭車両を失った地下鉄が甲高いブレーキ音を立てて停車する。
もうもうと湧き上がる黒煙が、ノアの最後の視界に映え渡った。
――失敗。
その二文字が脳裏に浮かび上がる。
どうして、というよりもノアは全身に走る激痛に意識を保っていられなかった。
レールの上でノアは昏倒した。