FERMATA








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序幕 再演
第5楽章「ナルシスノワール」

「ゲーチス様。明日は会合がございます」

 そう告げたのは七賢人の中でもゲーチスの腹心と名高い、ヴィオであった。ゲーチスは振り返り、重々しく頷く。

「確か、イッシュの重役との取り決めでありましたね。ワタクシに、ここまでの発言権を持たせておきながら手綱だけは握りたいと見える」

 ゲーチスの放った皮肉にヴィオは愛想笑いを返した。

「仕方がないでしょう。誰も、ここまでプラズマ団が大きくなるとは思いもしなかった。全ては、あの方のお陰でもありますが」

「N、か。よくやっていますね。戴冠式は、確か一ヵ月後であったか」

「ええ。あの方を名実共に、王にする儀式です。当然の事ながら、愛の女神、平和の女神の同席も約束されています」

「愛に、平和、か」

 口にしてみてその陳腐さに笑いさえも漏れてくる。

 自分が形作った愛と平和だ。

 全て自分の掌の上での謀である。

 これほどまでに可笑しい事があろうか。

 Nは自らを王であると信じ、愛と平和の女神は二人とも自分の操り人形。主張する事もない、化け物達。

「しかし、解放はうまくいっている。ワタクシ自身が行っている甲斐もありましたよ。ここまで、ポケモンとの関係に歪さを感じている人間が多い事も拍車をかけた」

 プラズマ団が法になる。その日は近い。かつてカントーでロケット団という闇の組織があったように、自分達が闊歩するのだ。

 その待ち焦がれていた時がすぐ近くに迫っていた。

「人間は勝手な生き物ですからね。一方で自然賛歌を謳ったかと思えば、一方でポケモンを乱獲し、その個体を研究しようとする。ポケモンの研究者だけでも、皆、紙一重。それを見ないようにしているのを我々が直視させている。正直、気分もいい。私達のやって来た事が全て、未来に繋がるのですね」

 ヴィオもその時を待ち焦がれているのだろう。だが見ているものは遥かに違う。自分は玉座だ。

 完璧な王の座に君臨する。

 そのために利用出来るものは全て利用してきた。

 己の血でさえも。

 決して拭えぬ忌むべき血縁でさえも、利用した。

「Nは、純粋がゆえに自滅する。それは手に取るように分かりますよ。問題なのは、力を手にして、溺れないかどうか」

「それに関しての心配はございません。N様の所有するポケモン全てに、マーカーを付けております」

 この抜かりない部下も使える。Nの所有するポケモン全てが、有事の際に使える即戦力となるのだ。

 彼はそれを知らずポケモンと触れ合っているつもりでいる。自分はポケモンを解放し、あるべき姿に戻しているのだと錯覚しているのだ。

 その倒錯に、ゲーチスは笑いがこみ上げてきた。

 ここまで立派な操り人形も珍しい。

 Nは、自分こそがイッシュの天に立つのだと思い込んでいる。それはとんだ誤解であった。

 天に立つのは一人だ。

 その時が訪れたならばNには地獄を見せよう。敗北、という二文字が突きつける絶望感を。

「ですが、慎重に慎重を期すように。決して、N本人には悟らせないでくださいよ」

「御意に。ですが、信用なるのでしょうか」

 ゲーチスは視線を振り向ける。

「何がです?」

「ちょろちょろしている新参者ですよ。あなたを掻き回しているようにも見える」

「ダークトリニティですか。彼らには隠密を任せてあります。それに、言葉に気をつけるのですね、ヴィオ。彼らはワタクシに、プラズマ団黎明期から力添えをしてくれている。若輩者達ですが腕は立つ。いざという時、あなたが裏切れば、そちらこそ味わう事になるでしょうね。圧倒的敗北を」

 その言葉にヴィオが震えて首肯した。ダークトリニティに関して自分が言える事は少ないが、腹心であるヴィオよりも彼らは使える。

 何よりも力を持っているのだ。

「この世界は力だけではない。頭脳も必要なのですよ。かつての組織がいくつも倒れ、新鋭のトレーナーに破れてきたのは何故か? 答えは明白、力に頼り過ぎていたのです。力だけでは何も出来やしません。無論、思いだけでも」

 思想だけで人は動かない。が、同時に力による支配だけでも動きはしない。

 両方が揃った時、人間は初めて道を踏み外す。その瞬間こそが快楽だ。

 ゲーチスは恍惚とした気分に浸る。

 プラズマ団の教えはしっかりと市民の中に広まっている。自らポケモンを明け渡す人間さえも出てきたほどだ。

 これから、である。

 これからの出方次第で、プラズマ団が十年持つ組織になるか、あるいは泡沫と消えるかが分かれるであろう。

「ワタクシがやってのけた事です。全て、ワタクシが。ここまで来た。操り人形であるNも、愛と平和の女神も、全て、ワタクシの道のためにある。道を邪魔する人間は必要ありません。即刻、切り捨てるまでです」

 それがたとえ血縁であろうとも同じだ。

 ゲーチスの思考は全て、プラズマ団という組織存続のために注がれていた。そのためならばイッシュ四天王と矛を交える事も辞さない。

「ポケモンリーグ地下に建設中の、我らが城壁も順調です。まさか彼らも、自分達の足元に我らの城があるなど、思いもしないでしょう」

 もしもの時に発揮されるであろう、プラズマ団の城壁は既に六割の完成を見ている。その時こそ、イッシュ完全支配が達成されるであろう。プラズマ団が公に支配を宣言し、そうしてプラズマ団の時代が始まる。

 黄金期だと、ゲーチスは感じ入った。

 黄金の時代が訪れようとしている。しかもそれは、自身の手の届くすぐ先に。

「黄金なる支配の前に、邪魔立てする勢力は片づけなければなりません。プラズマ団への反抗勢力は?」

「はっ。今のところ、対プラズマ団の思想を掲げているのは、政府の穏健派です。その穏健派に対抗するために、明日の会合が計画されております」

「何も、力に頼るだけが戦いではありませんからね。戦闘は、力押しにのみにあらず。ここですよ、ここ」

 ゲーチスはこめかみを突いた。全てはこの頭脳如何にかかっているのだ。

 ヴィオは薄く笑って言いやる。

「しかし、ゲーチス様、ここまで来ると笑いが漏れてきますなぁ。七賢人の発言力も増し、プラズマ団が法となる日も近い」

「これまでの努力の賜物ですよ」

 それを疎かにしてはならない、という教えのつもりであったが、目の前の部下はそれ以上を要求しているのはありありと窺える。

「しかし、努力だけでは成し得ないものもあるでしょう。例えばそう、地位」

 ヴィオは腹心でありながら、その野心、欲望は人一倍だ。

 欲望太りをしているのだと、ゲーチスはその肥満体を目にして胸中に毒する。

「……分かっていますよ。それなりの地位をあなたには与えましょう。ですが、ゆめゆめその地位に溺れるなかれ、と忠告しておきますよ。七賢人での発言力の増強、ならびにNの監視は続行のままで行きます」

「本当に、あのN様に監視の目をつけるつもりですか? あのお方がそれほどの思想の持ち主とは思えない」

「Nは、良くも悪くも純粋が過ぎた代物です。あれがいつ、牙を剥く事になるのかはワタクシにも分からない。だからこそ、いつでも監視は張り巡らせておくべき」

「ですが、能ある鷹は爪を隠す、とも。ここまで才能を開花させたN様に、これ以上はあるとすれば、それは恐るべき、ですが、最早、これ以上絞り取れるものもないでしょう」

 ヴィオの判断も間違いではない。Nは来るべき支配の時の張りぼての王として君臨してもらうだけ。自分は気軽にその後ろで手ぐすねを引かせてもらうとしよう。

 Nという王を戴いたプラズマ団とイッシュが次のステージに進む時こそ、自分の支配権が生きてくるのだ。

「明日のライモンでの会合、無論の事、情報操作は」

「行き届いておりますが、隠密の事でしょう。仕向けてはございます」

 隠密、と口にしたのはプラズマ団の中でも汚れ仕事を担当する存在の事だ。ダークトリニティと似て非なるのは、その実効権がヴィオに完全に帰属している事である。

 言うなればヴィオの私兵。自分でさえもその連中の動きは見えない。

「隠密……ダークエコーズの人々の存在は、くれぐれもNには勘付かせない事です。あれはあれで賢しい。ダークトリニティでさえ、いいようには思っていない」

「ダークエコーズの存在に勘付ける? それは不可能でしょう。彼らの存在は秘中の秘。七賢人でさえ、自由ではない我が私兵。これを手中に収める事は、如何にN様とは言え不可能」

 そう、不可能のはずだ。だが、Nという存在はポケモンの言葉が分かる「怪物」。それを油断するべきではないと言っている。

「あまり軽く見てはいけません。Nは、ワタクシ達よりもずっと先を見ている。見過ぎている。それが未来なのか過去なのかは分かりませんが」

「ゲーチス様らしからぬお言葉ですね。いつになく弱気だ」

 ゲーチスは懸念事項をヴィオに明かすべきか悩んだが、一人で隠し持っておくべきだと判断した。

「いえ、これは組織を動かす上で念頭に置くべき当然の事。これくらい読めねば、組織は動きませんよ」

「仰るとおり。では私は、明日の会合のチェックを済ませておきますよ」

 ヴィオが去った部屋の中で、ゲーチスは一つのコンソールに取り付き、映像を再生させた。

 観覧車の前に佇むNの前に現れた、もう一人の――N。

 この映像を撮影したのは常にNを監視する勢力だ。既に口封じはしておいたが、それでも侮れない情報であった。

「もう一人の、N。現れたというのですか、異端の存在、この時間軸の抑止力が」

 ゲーチスは背後に気配を感じ取る。

 三つの揃い立った気配に、ゲーチスは振り向きもせずに声を投げた。

「あなた方の言う通りになりましたね。ダークトリニティ」

 ゲーチスの肩越しの視線の先には黒衣に身を纏った痩身の男達が揃っている。全員、青い眼をしており、髪の毛はこの世の残酷な側面を覗き込んだかのようなくすんだ白色であった。

 ダークトリニティ。

 その三人が単純に自分の私兵でないのは、ある出来事が絡んでいるからだ。

「この時間軸において、出現すると目されていた第四存在。まさかこうも立て続けだとは思いもしない」

「ゲーチス様、やはり我らが出撃を」

 ダークトリニティの一人の進言にゲーチスは待ったをかける。

「いいえ、まだあなた方は温存しておく。むしろ、好都合でしょう。ダークエコーズに任せます。そのほうが、我々としても消耗が少なくって済みますからね」

「……ですが、あの第四存在を容認すれば、それこそ」

「予言にはこうあります。第四存在に、かねてより備わっていた能力は一切存在しないと。であるとするならば、あの正体不明のもう一人のNは、もう死んでいるか、あるいは使い物にならない可能性が高い。ですが、Nを相殺出来る、もう一人の時間軸の存在には違いないのです。脅威度は依然として高いままで維持。ダークトリニティ、あなた方に命じます。あのNをまずは見張っておきなさい。そして、不都合と感じたのならば」

「無論、消しましょう」

 ここまで自分の本意を分かっている人間は彼らくらいであろう。

 ――何故ならば、彼らこそが。

 その思考を仕舞い、ゲーチスは再生ボタンを押して映像を停止させる。

 映像の中のもう一人のNが指先を見やっているところであった。

 両者の指から黒い煙のようなものが発生している。

 同位存在は同じ時間軸で遭遇すれば対消滅する。

 やはり、それさえも予言の通り。

「これを利用しない手はありません。この同位存在は必ず、我がプラズマ団の益となる。それだけは間違いないのですからね」

 ゲーチスは口角を吊り上げる。その相貌が映像の光を受けて青く照り輝いた。



オンドゥル大使 ( 2017/06/13(火) 21:09 )