♯7 デトロイト・ロック・シティ
「何をやったのか、分かっているのか!」
杖で激しくガラスを殴りつけたミナミに、SP達が困惑した。
「ミナミ様、落ち着いてください……」
「これが! 落ち着いていられるか! 警察がわざわざ張っていたのに、この有り様とは!」
糾弾するミナミの杖の先にはキザキが憮然とした態度で佇んでいた。その面持ちが気に入らないのか、ミナミは手を払う。
「警察が介入するのを拒んだのはあなたですよ」
ミナミの顔が引きつる。しかし、すぐさま冷笑を浴びせかけた。
「だが、わたしは言ったな? 警察など端から不要だと。警察が大げさに振る舞うから、キッスなどというコソ泥に入られたのではないのかな?」
水掛け論だ、とキザキはその言葉を切り上げる。
「キッスは挑戦状を叩きつけた場所には絶対に来ます。我々は、それを阻止するために」
「阻止など、出来なかったではないか! これだから口だけの奴らは」
ぶつくさと文句を漏らしながら、ミナミが奥部屋に戻ろうとする。それをキザキは身体で制していた。
「……退け」
「いえ、あなたからはお話を聞かなくてはならない。霊界の羽衣のセキュリティの甘さは指摘しましたよね? どうして、改善しようとしなかったのか」
「時間などなかっただろうに」
「確かに時間不足ではありました。しかし、ご忠告を全く耳に入れる事もなく、キッスなど恐れる対象でさえもないとした、あなたの論拠は何です?」
ミナミは手を払い、SPを呼びつけた。
「この不躾な男を退かせろ」
動き出そうとしたSP達にキザキは声を張る。
「動くな! ワシはこの屋敷の主人と話している!」
その声音にSP達も思わず、と言った様子で立ち止まった。キザキはミナミへと声を振るう。
「いいですか? キッスに入られ、霊界の羽衣を盗まれた。それだけならば、まだいいとしましょう」
「馬鹿にしているのか。いいわけがないだろう!」
「ですから、これからの話をしているのです。霊界の羽衣に関して、情報があまりにも少な過ぎる。我々は情報を共有せねばならない。違いますか?」
ぐっと声を詰まらせたミナミに、キザキはすかさず詰問する。
「あれは何なのです? どうして、キッスが狙ったのです?」
「……君のような凡俗には分からんよ」
「そうかもしれませんね。ですがキッスに関しては、自分が一番よく知っていると断言出来ます。奴は意味のない盗みはしない。劇場型の犯罪者ですが、その手腕は完璧。なおかつ、思想も何もない事はしない、と言っておるのです。前回盗まれた黄金のコイキングの彫像ですがな……あれは元々盗品であったそうです。あくどい手口で手に入れたものを、再び物流の混沌に落としただけで、キッスはただ単にその価値だけを目的にしたわけではありません。今までだってそうです。キッスは! 思想のない盗みはしないのです!」
張り上げた声にミナミはふんと鼻を鳴らした。
「まるでキッスのお仲間のような言い草だ」
「擁護したくはないですがね、キッスはそういう奴なんですよ。八年も追ってくれば嫌でも分かる。だからこそ、問いたいのです。霊界の羽衣の価値は何です?」
SP達が再び取り押さえようとするのを、ミナミが手を掲げて待たせた。ここまで質問を浴びせれば自分も考えなしで動いているわけではないと納得出来たのだろう。
「……最初の印象からは変わったな。ただの無能刑事だと思っていたが」
「教えていただけますか」
ミナミは一室を顎でしゃくった。応接室へとキザキを招く。キザキは後を追ってくるヤマジを制した。
「ワシだけでいい」
「しかし、キッスを追い込むのには一人でも多くの……」
「だが、ワシの責任だ。咎は受ける。今は、ワシが聞くだけに留めておいてくれ」
「……真意は何です?」
「後で話す」
そう言い置いて、キザキは応接室へと入った。ミナミが照明を浴びて照り輝くソファに座り込む。立ち竦んでいるキザキへと、眼前のソファが勧められた。
「かけたまえ。話としては長くなる」
「失礼します。自分の言葉を、聞いてくれる気になってくださいましたか」
「わたしはまだ、キッスという存在に関しては懐疑的だ。だが、盗まれた霊界の羽衣に関してならば話そう。わたしが何故、あの程度のセキュリティで充分だと判じたのかも」
ただ単にキッスを侮っていたからではないのか。そのような目つきになっていたのだろう。ミナミはフッと笑みを浮かべる。
「キッスを侮っていた、それは確かな事実だろう。しかし、それだけではないのだ。霊界の羽衣がどのようなものなのか、君は知っているのか?」
前情報を照らし合わせてキザキは分かる範囲を手探りする。
「確か、霊界の布、と呼ばれる代物を編み込んで、衣服の形状にしたものだと聞きましたが。羽衣、というよりも外套に近い」
「その程度の情報か、警察は」
ミナミの言い草にキザキは怪訝そうにする。
「……どういう意味です」
「霊界の羽衣はただの逸品ではない。あの羽衣には悪霊が棲み付いていてね」
「悪霊……ですと」
胡乱な声を出したキザキにミナミは首肯する。
「納得しろ、というほうが無理なのも分かる。だが、これは真実なのだ。悪霊が棲み付くあの財は所有者を蝕む。何かしら、悪い事が頻発する代わりに、所有者に一生の財産を約束する。そういう、等価交換の代物なのだよ」
聞き及んでいた情報とは随分と違う。キザキは問い返していた。
「では、怪盗キッスの身に何かが?」
「それは分からんが、わたしとしては一生分の財産を手離したも同義。取り戻したい気持ちは分かるね?」
「ですが悪霊とやらが棲んでいるのでしょう? 率先して取り戻したくもないのでは?」
「物事を秤にかけたまえ。一生分の財と、それに反発する悪意。一生分の財が約束されるのならば、少しばかりの悪も許されるであろう。わたしはそれも込みで、あれが財産だと思っている」
「ですが、あの甘いセキュリティの理由は」
「盗んでくれと言っているようなもの、かね? その通りだ。盗んだ者にもそれ相応の悪運が降り注ぐ。それこそチャンスではないかね?」
「……怪盗キッスを捕まえる好機、とでも仰りたいのですか」
ミナミは頷きキザキの目を見据えた。
「君の執念深さならば、キッスの隙はつける。問題は、霊界の羽衣に棲む悪霊の気紛れさだ」
「気紛れ……悪運をもたらすだけなのでは?」
「わたしはその悪霊とやらを見た事がないのだが、霊界の羽衣は曰くつきの代物だ。それだけは間違いない。だからこそ、その真実を問い質したいのだ。悪霊が棲むと本気で考えられているのならば、怪盗キッスは最悪の運勢を引き当てたと」
ミナミの言いたい事は、即ち、霊界の羽衣を持っている以上、その悪運からは逃れられないという事だろう。
その期を逃さず、自分が捕まえろ、と。
だが、キザキには疑問が残った。
「どうして怪盗キッスのような輩に一度でも盗ませたのです? それだけ危ないブツならば、一時だって手離したくはないか、あるいは手離したとして、帰ってくる算段をつけておくか」
「君は怪盗キッスを買い被り過ぎだ。ただのコソ泥だよ」
「いえ、怪盗キッスならば、その悪運を物ともせず、立ち向かってくるでしょう」
毅然と言い放つキザキにミナミは嘆息をついた。
「……分からんな。どうしてそこまで一人の盗っ人相手に、必死になれるのか。君と怪盗キッスの間に、何があった?」
勘繰る声音にキザキは口を開く。
「自分は刑事です。刑事というのは、悪人をしょっ引くためにおるもの。それなのに、目の前の犯罪者一つ捕まえられんでどうするのです」
その言葉を聞き受け、ミナミが口元を綻ばせる。
「なるほど……職業として、君は誇りを持っていると言うのだな」
「刑事という矜持です。それを穢す者を許せんだけなのです」
「真っ当な人間に思える。だが、その実は歪んでもいるか」
「貴重なお話をどうも。自分はキッスを追わなければならないので」
霊界の羽衣に関する事実は上と相談して開示するべきか考えておこう。ソファから立ち上がりかけたキザキに、ミナミが呼びかける。
「キザキ警部。だが、その正義が、もし間違っていた場合、君はどうする? 自分の信じていたものが張りぼてであった時、君はどう考える?」
その質問にキザキは逡巡すら挟まず応じていた。
「何を今さら。信じられぬ場所で戦い続ける事も、自分の使命です。いっつも信じられる場所が理想ですがね。それも込みで、自分は裁く側におるのですよ」
「己の立っている場所でさえも裁く対象か」
「それくらいの気概がなくては、キッスを八年も追えません。失礼します」
応接室から立ち去るキザキに、ミナミはふんと鼻を鳴らしていた。
「今時、生粋の刑事か。流行らないぞ」
夢と現実の境目を行ったり来たりしている。
燻った景色の中を彼女は這い進んでいた。片手にはモンスターボール。相棒のルージュラが広域を見張って展開している。
草むらを使って実践された戦闘訓練は緊張に晒された神経に汗を滲ませた。
どこから敵が来るのか分からない地獄。
鬱蒼とした草むらの臭気が肺の中に取り込まれ、彼女は敵を見据える目を巡らせた。
草むらを揺さぶった影を視界に据え、ルージュラに即座に命令する。
「吹雪!」
一帯を巻き込んだ凍結術式が相手を拘束する。手枷を施された相手を見下ろし、彼女はルージュラの代わりに拳銃を取り出した。
引き金を引くと相手は完全に沈黙する。
これで五人はやったか。
周囲を見渡し、ルージュラの範囲攻撃から逃れた敵影を追いすがる。
「ふぶき」の攻撃網は目立つはずだ。相手が狙撃位置についているのならば、自分の居場所は割れたも同然。
息を詰めて狙撃可能な位置取りを脳裏に浮かび上がらせる。一拍だけ呼吸を殺し、ルージュラへと命令を継いだ。
「三十メートル先の相手へと催眠術」
ルージュラが催眠の術式を練り上げて狙撃手を狙う。こちらの狙い通り、視線の先にいた狙撃手がよろめいた。
すかさずその首筋へと冷凍された刃を沿える。
殺さないでくれ、と懇願に震える瞳を見返し、彼女は命じていた。
「払え」
ルージュラが冷凍剣を薙ぎ払い、首筋を掻っ切った。
スプリンクラーのように血飛沫が舞う。
すかさず次の相手が自分達を捉えた。「サイコキネシス」の思念の渦がルージュラを圧迫しようとする。
反射する形でこちらも「サイコキネシス」を放った。相殺された思念の瀑布の先にいたのはスリーパーである。
こちらを見据え、その拳にエネルギーを集約させようとしていた。ルージュラが返す刀で凍結した拳を放つ。
頭部を打ち砕いたその一撃にスリーパーが昏倒した。
予見した場所に彼女は銃弾を放つ。スリーパーのトレーナーはルージュラを相手している間にトレーナー本体を狙う腹積もりであったのだろう。
肉迫した相手を逃すつもりは毛頭ない。振り向きもせずに放った反撃の銃声は相手の眉間に吸い込まれた。
音もなく倒れる標的に彼女は淡々と数を数えていた。
「これで七人」
戦闘訓練の終わりは見えない。
霧で煙る草むらを、いつまでも彼女は歩み続けていた。
ハッと目を覚ますと、アムゥが自分の胸元に乗っていた。
天井で回転する換気扇を目にし、夢か、と頭を振る。
「あむぅ……おねえちゃん、くるしそうだったよ?」
苦しい? そうであったのだろうか、と自問する。
「そう、かもね。うちも、あれが苦しかった、なんて思う時間すらなかったから」
アムゥが首を傾げる間に、モナカは服を着替えようとした。その時、アムゥが気づく。
「おねえちゃん、首にけがしてる」
「ああ、これ? 怪我ちゃうよ」
「Ki55」の刻印の事を言ったのだろう。心配しないで、と手を振るがアムゥは気になるらしい。
「けがじゃないなら、なに?」
「そうやね……昔の名残、かな」
この刻印の意味を容易に話す事は出来なかった。モナカは首筋を隠すようにマフラーを巻いて下階に降りる。
マスターが一睡もせずに霊界の羽衣の情報を集めてくれていたはずであった。
自分に気づくなり、マスターがエネココアの準備をしようとする。それを制してモナカは言いやる。
「ええよ、マスターも疲れとるやろうし」
「すまないね。どうにも……探れば探るほど深みにはまっていくようだ」
モナカは天然水をグラスに注いで喉を潤した。
「そんなにヤバイのん?」
「調べたところ……リトルレディ、ちょっとモナカちゃんの部屋に戻っていてくれないか?」
その言葉にアムゥが疑問符を浮かべる。
「どうして?」
「とり忘れてきたもんがあるんよ。黒い帽子を取ってきてくれる?」
「うん、いいよ」
アムゥが二階に上がっていくのを見やりながら、モナカは問い質した。
「聞かせたくない話、ってわけ?」
「そういう事だね。霊界の羽衣自体は、霊界の布、と呼ばれる素材を編み込んだ代物だ。霊界の布にはポケモンを進化させる作用がある。ゴーストタイプを、ね」
ゴーストタイプ、と聞いてモナカはまさか、と感じ取る。
「アムゥちゃんは、ポケモンなん?」
「人間かポケモンかで言えば、そうなるのかな。霊界の羽衣には噂話が付き纏う。悪霊が棲み付いている、という噂が」
悪霊。アムゥがそうだと言うのだろうか。
「そうは思えんけれど」
「悪運を呼び込む代わりに、一生分の財産は保証する、という宝らしい。その悪運の塊が」
「悪霊、ってわけ。でも、分からんのは、それ持っていたミナミっていう富豪はそれらしい悪運に晒された事なんてないよね?」
「それで情報は止まっている感じかな。ミナミ氏は何らかのあくどい商法でこれを手に入れた。しかし、彼の身に悪運が降り注いだ形跡はない。むしろ、悪運とは無縁の場所にいる人間に思える」
「……悪運を消せた?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。あるいは、リトルレディの言う、おとうさまってのが関係しているのかもしれない」
「おとうさまってのは、ミナミやない、って事かな?」
「短絡的に結びつけるのならば、ミナミ氏かもしれないが、あまりにも……噂話と合致しないんだ。アムゥちゃんは、確かについてきたんだね?」
「知らない間に、ね」
全くその気配に気づけなかった。アムゥが悪霊だと言われても納得は出来る。
「キッスの警戒網を潜り抜けられるのは限られている。だから、アムゥちゃんが悪霊説、は説得力があるんだ。だけれど、そうだろすればわたし達は」
「悪運を呼び込むお宝を掴まされた、って事。……誰かの陰謀ではなく?」
「それを判ずる術はなくってね。陰謀だとして、じゃあ最初からキッスにこのお宝を掴ませたのは誰なのか、という話になる」
それこそ、同業者か、あるいは協力者の誰かの裏切りを視野に入れなければならないだろう。
だが、裏切りを考えに浮かべるのは難しい。キッスの関係者は政府高官を含めて二百人以上はいる。
その中から害のある人間をいちいちピックアップしていたのでは話にならない。
「野心のある人間なんていくらでもおるし……、裏切りなんて考えるだけ無駄かもしれんよ?」
「それはわたしも同意見だ。キッスを陥れたい人間は多いと考えるべきだろう。問題なのは、それを直接的手段に訴えかけるのではなく、間接的に、というのが気になる。自分は手を汚さず、と言ったスタンスか」
襲いかかって来たエアームドを思い返す。あの手際のよさは訓練されたものだ。
「マスター。エアームドを含む航空部隊を有する相手ってのは絞り込める?」
モナカの質問にマスターは渋い顔をした。
「難しいだろうね。エアームドは国際基準で使われているポケモンだ。ジョウトだけのものじゃないし、どこの、っていう当てがあれば別なんだけれど」
モナカは懐から銀の櫛を一本取り出した。あの戦闘の最中、一本だけ回収出来たのである。
それを目にしたマスターが息をつく。
「……さすがは怪盗キッス、と褒めるべきなのかな?」
「これで個体は絞れるんちゃう?」
マスターは銀の櫛を受け取り、個体識別の検索にかけた。どれだけ多数のエアームドがいようとも、その個体ごとにばらつきは存在する。それを国際基準で纏めたのがポケモンのIDであり、預かりシステムの本懐だ。
すぐに検索上にヒットしたポケモンを、マスターは処理する。
「出た。だがこれは……ジョウトPMC所属のポケモンだって?」
民間軍事会社。モナカはどうしてそんな部署が自分を狙ったのか考えに浮かべる。
「依頼主がおる、って事やんね?」
「その依頼主が誰か、まで探れって?」
「お願い」
マスターは愚痴一つこぼさず、情報を掻き集め始めた。ジョウトPMCのポケモンだと分かれば後は早い。
持ち主であるトレーナーと識別番号を認証すればすぐに個体が判明する。
「出たが……ジョウトPMC所属のこれは……クチバインダストリアルの子会社だって?」
クチバインダストリアル。その因縁の名前にモナカは首筋の刻印が疼くのを感じ取った。
どこまででも追ってくるのか。自分が剥がしたはずの因縁は、どこへ行ったとしても。
「マスター。続けて」
「しかし、これ以上やればこちらの動きが読まれる可能性も……。何よりもモナカちゃん、君が勘付かれれば――」
「ええから、続けて」
言葉を遮ってモナカは強行させる。戻れないのかもしれない。だが、相手がその気ならばこちらもそれ相応の動きを見せなければ。
マスターはクチバインダストリアルの情報網に潜った。襲ってきたエアームドの所属と、その作戦が表示される。
「怪盗キッスの抹殺……、前回から胡乱だった警察上層部の命令、というわけか。発砲命令が出たのは意外だったが、警察は君を逮捕するのではなく、殺したいらしい」
薄々勘付いてはいた。だが、キザキにその気がない事は明白である。自分を殺したい一派は、恐らく――。
「警察上層部が怪盗キッス抹殺を画策した、となればそれなりのスキャンダルにはなる。でもそれ以上に、この作戦を先導するのが誰か、という話やね」
「待って、これは……」
端末にアラートの赤い表示が出る。緊急回避回線に逃がした途端、疑似端末が焼かれた。
「……勘付かれた。場所を偽装したが、近くまで来るぞ」
「ええよ。偽装した場所は? うちが出向く」
歩み出ようとしたその時、アムゥが下階に降りてきた。
「おねえちゃん、ぼうし!」
帽子を持ってきたアムゥの頭を撫でてやり、モナカは怪盗キッスの仮面を被る。
「危ない綱渡りだ。霊界の羽衣自体が、君をはめる罠であった可能性もある」
「そうであっても。うちは止まったらいかんのよ。それに――怪盗キッスは一度だって、依頼を投げる事はないわ」
既にキッスの口調になったモナカに、マスターは首肯していた。
「気をつけて」
「言われるまでもない。アムゥちゃん、ちょっと待っていてね」
「どこへいくの?」
「ちょっとばかし、戦場へ」
キッスの衣装を身に纏い、屋上に繋がる梯子を上って、キッスは周囲に視線を配った。
「どこから来る?」
『北区画の廃工場にマーカーをつけておいた。来るとすればそこだ』
キッスは二体のポケモンを繰り出し、それぞれに命じる。
「サクラビス、あたしに道を作って。ルージュラは凍結を持続。どこから敵のスナイパーが来ても対応出来るように」
サクラビスの水の道標をルージュラが凍らせ、空中回廊を作り出す。
キッスが駆け抜け、摩天楼を跳び越えた。
その姿を数人の通行客が目にしたが、瞬時の幻と感じたのだろう。
それほどまでに流麗に、キッスはコガネの街を抜けていく。