♯6 ラヴ・ガン
アムゥの保護を掲げるよりもまずは自分の身の安全を。
キッスの対応は迅速であった。まず自分の身の潔白を証明するために同業者達を頼る必要がある。
先のエアームドが狙ったのは間違いなく己の命。だが、狙われるいわれはあるとは言っても、あれほどまでに迷いなく命を付け狙われるのは腑に落ちない。
「おねえちゃん、ジェットコースター、もう一回アムゥやりたい」
「あたしはもうやりたくないわよ……」
呆れ声を漏らしてから、キッスは一つの建築物の屋上に降り立った。
立方体の建築物の屋上を伝い、煙突に足をかける。
「とりあえず、一服つけない限りはどうにも、ね。あたしも身に起こった出来事を反芻したいし」
アムゥを抱えて煙突の奈落を目にする。
アムゥが手の中で震えた。
「ここ、おりるの?」
「さっきよりかは怖くないでしょ」
一足飛びで煙突の中に飛び降りると、着地したのは暖炉の中であった。しかし炭も何もなく、整備された逃げ穴である。
「おかえり、キッス」
その声音にアムゥが目を振り向ける。
「だれ……」
「怖がらないで。あたしの同業者よ」
暖炉の中から外を窺う。幸いにして今は営業時間外だ。だからか、いたのは一人だけだった。
老紳士がカウンターに佇み、グラスを磨いている。
キッスはその段になって仮面を外した。髪を解き、緊張状態を解く。
「おねえちゃん?」
「ああ、心配せんといて、アムゥちゃん。ここでは、うちはモナカ≠竄ゥら」
口調を変化させるのはリラックスの証であった。老紳士は微笑み、キッスへと再び声をかける。
「おかえり、モナカちゃん」
「ただいま。今回の仕事についての情報、頼めますか?」
老紳士はその言葉に首肯する。
「大変だったみたいだね。警察は右往左往した様子だったから逃げるところまでは予定通りだったみたいだけれど」
「そこから先が、本当に大変やったんよ。まさか獲物に女の子が入っとるなんて思わんかったし」
モナカがアムゥを抱えたまま、カウンター席に移動する。
アムゥは見知らぬ人物に恐れているようであった。
「だれ、なの?」
「ああ、マスター、って呼んであげて。うちの身元引受人、って言えばいいんかな」
「怪盗キッスの同業者……いや、その言い方は卑怯かな。怪盗キッスの、相棒、と言ってもいい」
老紳士の言葉にアムゥは小首を傾げる。
「こわいひと?」
無垢な問いかけにマスターは笑い声を上げた。
「怖い人、か。確かに裏稼業を行っているものと考えれば当てはまるものではある」
「怖い人ちゃうよ。いい人。うちみたいなんを、引き取ってくれてるんやさかい」
「キッスに協力するのはわたしのわがままみたいなものなんだ。まぁ、趣味、と言い換えてもいいかな」
意味が分からないのだろう。アムゥは言葉少なにマスターを見上げるばかりである。
「マスター。とりあえずエネココアもらえる? 喉渇いてもうて……」
「何か大変な事があったのはよく分かる。モナカちゃん、話してもらえるかな」
「それが、話すと長くなる言うか……どう話したらいいものかうちも分からん、言うか……」
言葉を濁していると、マスターはアムゥにミックスオレを差し出した。アムゥがおずおずとそれを口に含む。
「今回の依頼の品、霊界の羽衣は?」
「これ。ブツはいつも通り、流しの連中にかけ合えばええと思うんやけれど……まだ渡しとうないな」
流し、というのは盗品の物流を一任している連中だ。自分達とは分業を敷いており、お陰で盗品からキッスの身柄が割れた事はない。
「掛け合ってはおくが……霊界の羽衣を渡したくない、と言うと、そのリトルレディが何か関係しているのかな」
アムゥは味に慣れたのかミックスオレをごくごくと飲み出す。エネココアが仕上がり、モナカはそれで喉を潤した。
「霊界の羽衣についてきた、って言えばいいんかな。いつの間にかおったんよ。でも、うちは他の宝には手も触れてないから、どこから来たのか皆目……」
「見当もつかない、というわけか。リトルレディ、お名前は?」
アムゥが口元を拭って言いやる。
「アムゥは、おとうさまにアムゥってよばれてたの」
「おとうさま……?」
「そこも調べてほしいんやけれど、多分屋敷の主であるミナミ氏やと思う。でもだとすれば」
「こんなかわいいリトルレディを、宝物庫に置いていた、という事になる」
モナカは疑問が氷解しない心地悪さに眉根を寄せた。
「そもそも、霊界の羽衣に関する情報が乏しい。ノエルは例の如く情報なんて出してきぃひんし、協力者もおったけれど、そいつも多分なしのつぶて。やからマスターしか頼れんやけれど……」
濁した先をマスターが引き受けた。
「情報戦か。わたしの得意分野でもある。警察は分かっている、と思ったほうがいいのかな」
「それも込みで、調べてくれんやろうか? そうやないと、アムゥちゃんの所在も分からんし……」
ミックスオレを飲み終えたアムゥへとマスターはすかさずミアレガレットを添えた。さすがは喫茶店のマスターである。
「これも、たべていいの?」
「どうぞ。カロスの甘いお菓子だ」
微笑みを絶やさないマスターにモナカは言い含める。
「……出来るだけ、アムゥちゃんを巻き込みとうないんやけれども」
「それはわたしも同じ気分だね。こんなリトルレディに、血なまぐさいところは見せたくない」
マスターがカウンターの内側で情報筐体を操作する。
手元にあるキーボードと投射画面を持つデスクトップ端末がマスターの武器であった。
ここジョウトでマスターに検索出来ない情報はない。
すぐさま霊界の羽衣に関する情報網に行き着いたらしい。
しかし、そこでマスターが怪訝そうにした。
「……この情報」
「どうしたん?」
「いや……一度整理する時間が欲しい。モナカちゃんもそうだろう? ちょっとばかし疲れているんじゃないか? なにせ、連続の仕事だ」
「休ませてもらうわ。マスター、二階の部屋におるから、情報が集まったら」
「ああ、呼ぶとも」
モナカは衣装を収縮機能のついたボールに収納し、二階の自室で仮面を取った。
化粧台で自分の顔を見ると随分と疲弊した顔色である。
「……こんなんじゃ、ミサには会えんな」
プライベート用のホロキャスターを起動させ、ミサにコールする。数回のコール音でミサは通話先に出た。
『あっ、モナカ! あんた何やってたのよ』
「ゴメンなぁ、ミサ。ちょっとうっかり寝てもうて、今、終点の駅におるのん」
『ホントーに、あんた馬鹿なのね。はい! 自覚して!』
「じ、自覚しましたぁ」
こちらの声色を察したのか、ミサが嘆息をつく。
『……で? それほどまでに疲れてどうしたの?』
「いやぁ、駅の乗換えが分からんようになってもうて。どうしようもないから一晩、この駅の構内で過ごそうかなぁ、って」
『あんた……それでも十代の女子なの? 狙われたらどうすんのよ』
「だ、誰も狙わへんよ……多分」
『多分じゃ駄目なの! 自覚が足りないんだから……』
ミサは心底自分の事を心配してくれているらしい。無二の親友に嘘をつかなくてはいけないのが純粋に辛かった。
「……ゴメンなぁ、ミサ」
『何よ。改まっちゃって。あの人からも連絡がさっき来たところで、あたしはこんがらがってるっての』
「お父さんから?」
『お父さんだなんて思った事はないけれどね。仕事で帰れないだとか、あたしに言うなっての。お金だけ振り込んでおけって啖呵切ったわ』
ミサらしい、とモナカは微笑んだ。
「何や、ミサも仲ええなぁ」
『仲良くない! 自覚して!』
変なところで強情である。キザキも災難だろう。自分の娘がこれほどまでに気が強いとなると。
「でも、そういう連絡あるんやから、ええやん」
そこでしまったと思ったのだろう。ミサの語調が弱々しくなる。
『ゴメン、モナカ。あんたの事、考えずに』
「え、ええって! ミサ、うちの事はええから!」
『よくないよ! ……だって、あんたの両親は』
「やから、ええんやって。ミサにはミサの幸せがあるんやから」
自分には自分の幸福がある。それでいいのだ。しかし、ミサは譲ろうとしなかった。
『いや、よくない。あたしこそ、自覚が足りてなかった。反省する……』
「ええのに……。でもそういうところも、ミサらしいよなぁ」
話していると何もかもを忘れられそうになる。自分の正体も。出自も。こうして嘘をついている事も。
『あのさ、モナカ。あたし、もうちょっとあの人……キザキ・トウジって人に、甘くならなきゃいけないのかな。だってあたしには一応、いるわけじゃん。お父さん、って呼びたくなくっても』
「やから、ミサの気にする事やないって。うちの家の事なんて、どうだってええのに」
『何だかもやもやして……。ゴメンね、本当に。カラオケブッチされたからって、ちょっと苛立っていたかも』
「ミサは優しいなぁ」
てらいのない感情に通話口のミサがうろたえた。
『なっ……! そういうんだからあんたは……いや、いい。今は、自覚するのはあたしのほうだ』
「でも、うちも声聞けて嬉しいよ。もう寝ててもおかしくないかなぁ、って思っとったから」
時計を見やると深夜一時である。この時間帯に電話するのもおこがましい事だろう。
『キッスが現れたって、街じゃ騒ぎみたいになってるよ。あたしは帰ったから見てないけれどさ、見た人もいるんだって。……あんなの、どこがいいんだか』
ミサからしてみれば、怪盗キッスは自分の父親を仕事で雁字搦めにした張本人だ。いい印象を抱いているはずもない。
「せやなぁ。キッスが現れたってなったら、コガネの街もお祭りみたいになるもんなぁ」
『……いい事じゃないでしょ。犯罪者なんだから』
そう、怪盗キッスは犯罪者。それでいい。自分がたとえそのキッス本人であろうとも、世間の評価はそれでいいのだ。
「平和になればええなぁ。コガネも」
『どうだろ。キッスみたいなのがいる限り、同じじゃないかな。どこへ行っても、何をしていてもさ。戻らないものってのがあるんだよ』
戻らないもの。その言葉はモナカの胸中に重く沈殿した。
自分の境遇も、キッスである事も含めて、戻らないものの一つだ。
「うちは、静かなのが一番やと思うけれどなぁ」
『あたしも。うるさいのは嫌かな。ゴメンね、せっかくかけてくれたのに、愚痴みたいになって』
「ええよぉ、うちもかけたくってかけただけやし」
『またね、モナカ』
「うん、また。またカラオケ行こ」
霊界の羽衣の一件が終われば、ただの女子高生の「モナカ」に戻れる。
それを噛み締めながら、モナカは通話を切った。ベッドに寝そべり、考えを巡らせる。
攻撃してきたエアームドを操っているのは何者なのか。霊界の羽衣の本当の意味は何だ?
考えている間に、意識は泥のように眠りについた。