♯3 ロックンロール・オールナイト
怪盗キッスが動き出すとなればコガネ警察も重い腰を上げる。
宣言されたその場所を警察署の職員達が固めていた。
コガネシティの雑多な街並みに隠れてはいるが、きっちりと存在するのはエンジニアや名のある名家の土地である。
その大富豪の一つの庭はスプリンクラーが自動的に撒かれていた。
庭を望めるテラスで豪邸の主人がキザキ達の話を聞き終えていたところである。
「それで、わたしに怪盗キッスなどという凡俗の相手をしろ、とでも?」
話を総括した大富豪へとキザキは忠告を投げていた。
「あなたが思っているほど、キッスはそこいらの泥棒とは違います。マキシマムセキュリティの網ですら、奴にとってしてみれば児戯」
その言葉に大富豪は笑い声を上げていた。恰幅のある肩が揺れる。
「面白いジョークですな。マキシマムセキュリティすら意味がない、とは。いいでしょう、ご覧にあげます。霊界の羽衣の、そのセキュリティシステムを」
大富豪は下階へと階段を歩み降りていく。キザキは耳に埋め込んだ通信機越しに周辺警戒の報告を聞いていた。
『こちら第三班、異常なし』
『こちら屋敷裏の第五班、異常なし。キッスの姿は見られない』
しかし、奴は絶対に来る。その確信があった。
コイキングの彫像を盗んだ直後だから出てこないのではない。盗んだ直後だからこそ、警察が緩んでいるのだと思い込み、積極的な攻めに打って出る。
「ミナミさん、あなたは怪盗キッスの事を、どう思われていますか?」
名前を呼んだ大富豪はフッと一瞥を投げる。
「どうも何も、巷を騒がせているようですな。ちょっとしたコソ泥程度が」
「しかし、そのコソ泥は八年にも渡り、我ら警察の目を掻い潜っている事実があるのです」
「八年。随分とまぁ、警察もお暇なようで」
その言葉を捉えたヤマジが気色ばんだのが伝わった。自分からしてみれば八年もの間、煮え湯を飲まされた相手。その言葉が面白いはずもない、と勘繰ったのだろう。
しかし、キザキは冷静にその言葉を受け止める。
「お気持ちは分かります。そう、単純に思われている事も。ですが、これだけは事実なのです。キッスは神出鬼没、そして今まで出会ったどのような犯罪者よりもその手際にこだわる」
「劇場型の犯罪者でしょう? まさか、そんなものにうつつを抜かしているとは思いもしませんでしたよ」
「ですが事実、キッスはいるのです。このジョウトに」
キザキの反論にミナミは哄笑を浴びせるのみであった。
「ならば、盗めるのならば盗んでみろ、としか言いようがない。これが霊界の羽衣に続くセキュリティの一つです」
地下深くへと続くエレベーターにキザキは同乗した。コガネシティの地下には迷路のように途中廃棄された区画が存在する。ミナミはその一区画を買い取って宝物庫としたようであった。
キザキからしてみれば、あまりに軽率な警備だ。これでは抜け道ばかりである。
辿り着いた地下区画の最奥に、霊界の羽衣が安置されていた。
辺り一面からスポットライトを浴びせかけられており、まるで盗んでくれと言わんばかりである。
「……お言葉ですが、これでは」
「盗まれる、ですかな? しかしこれを見なされ」
霊界の羽衣の前に存在したのは生態認証のスイッチであった。ミナミが掌の静脈を認証させ、何の警戒もなく霊界の羽衣へと歩み寄る。
「もし、わたしが生態認証を怠った場合、すかさずシャッターが閉まります。霊界の羽衣を盗む事すら敵わないでしょう」
霊界の羽衣に触れずにミナミが踵を返す。ヤマジが歩み出るとその鼻先でシャッターが閉まった。
シャッターの強度をキザキは確認する。
「破壊光線くらいには耐えられる構造ですよ」
胡乱そうにしたこちらを見透かしたようにミナミは言いやった。だが、これでも安心材料にはなり得ない。
「言っておきます。怪盗キッスに対してこの程度では、盗んでくれと言っているようなもの」
その言葉にミナミは肩を竦めた。
「しかし、これ以上にどうしろと? そこいらのコソ泥を相手取るのに、これ以上金を積めというのは馬鹿馬鹿しいと言うほかない。カントー、ヤマブキの殺し屋集団や闇組織ホテルミーシャほどの戦力ならば考えますが、所詮はそこいらを騒がせているだけの犯罪者。何も出来やしません」
しかし、キザキは何一つ納得出来ていなかった。これではあまりに容易い、という評価を覆せない。
「今一度、言わせてもらいます。怪盗キッスに、これでは通用しない」
「……キザキさん、でしたっけ。八年も追ってきた執念は買います。その珍しい井出達もね」
ミナミが顎をしゃくりキザキの姿に冷笑を浴びせる。キザキはしかし、一瞬も恥じ入らなかった。
「これが正装ですので」
「正装、ね。他人の家に入るのにそんなお召し物が正装だとすれば、そこのドレスコードを問い質したいほどです。キザキさん、いいですか? あなたが思っているほど怪盗キッスなんてものは大層なものじゃございません。そういうのを、取り越し苦労というのですよ」
キザキはしかし、譲らなかった。
「何度でも言わせていただきますよ。これでは勝負にもならないと」
「警部……あまり言葉が過ぎると」
「そこにいるお若い方のほうが随分と分かっていらっしゃる。わたしは権力を笠に着た発言は嫌いですがね。言う時は言わせてもらいますよ。キッスなど、赤子の如し、と」
「駄目だ、まるで話にならん」
文句を漏らしつつ、キザキは庭園に出ていた。
地下区画の守りに自分は配されなかった。それだけコガネ警察も、ミナミも自分が身勝手な妄執に駆られているのだと思い込んでいる。
このキッスの挑戦状も自作自演だと思い込んでいるに違いない。
手の中にあるキッスの挑戦状のコピーに、キザキは恨みをぶつけた。
くしゃくしゃに丸めて庭園へと捨て去る。
すると掃除ロボットが起動し、ダストシュートへと吸引した。
その一動作に、キザキは注目する。
「どうなさいました? 警部」
追いついてきたヤマジを一顧だにせず、キザキは庭園へと踏み込んでいた。ヤマジが慌てふためく。
「け、警部? 富豪が怒りますって!」
「喧しい! あのロボットを見ろ」
「ロボット? ああ、今時珍しくもない、お掃除ロボットじゃないですか」
庭園にはいくつも点在しておりそれらがどこに繋がっているのかをキザキは問い質そうとした。
「本部、本部に達す。庭園のゴミ処理ロボットはどこに通じている?」
『ゴミ処理ロボット? ああ、それならば地下区画の一部に通じているはず……』
そこまで言って気づいたのだろう。何と迂闊な、とキザキは踵を返していた。その進路をヤマジが遮る。
「何なんです! 警部、あまりに軽率が過ぎると……」
「退け、ヤマジ。もう奴は入っている可能性が高い」
その言葉に白いタキシードの部下はきょとんと小首を傾げる。
「入っているって、どこに、どうやって?」
埒が明かない、と感じたキザキは通信班の車両に乗り込み、広域通信のチャンネルを開いた。
「総員に達す! 怪盗キッスは既に潜入している! 警戒網を張れ!」
その言葉に混乱した通信班が独断を制した。
「困ります! 確定情報でもないものを広域チャンネルで……」
「確定だ、馬鹿者! 庭園の監視は? カメラはどうした?」
「庭園、ですか……? カメラは定点が一つだけ」
「参照している時間も惜しいが、お歴々を納得させるためだ。カメラの映像をくれ」
映し出されたのはここ一時間ほどの庭園の映像であった。スプリンクラーが撒き散らかされる数秒の間だけカメラのモードが切り替わる。
「今のは何だ?」
「スプリンクラーの水流が強いのでそれに電気部品がやられないよう、セーフモードになるんです。あの……いい加減にどうにかして」
舌打ちを漏らす。既にやられていたのだ。
「もういい。今の数秒、セーフモードの間に、既にキッスは潜入を果たした。総員、配置につけ」
「ちょっ、警部? 困るんですよ、勝手な人員配置なんて!」
悲鳴を漏らす通信班を尻目にキザキは屋敷に押し入ろうとした。それを阻んだのはミナミのSP達である。
「通せ。キッスが入っている!」
「何人も通すなと、そちらの警察が依頼したのでしょう?」
やられた、とキザキは拳を握り締める。このタイミングを狙っていたに違いなかった。
「もう入っておるのだ! 臨機応変に……」
『旦那様、警察の人間が一人……どうなさいます?』
「お伺いを立てている場合ではないのだ。怪盗キッスはもう……」
『お帰り願え。どこにも証拠はない』
その言葉が漏れ聞こえた瞬間、SP達がキザキを突き飛ばした。
正門からはどうあっても入れそうにない。追いついてきたヤマジが事の重大さに目を見開く。
「キザキ警部? もう無理です! せめて、キッスの脱出時を狙うしか……」
「いいや、ならん。脱出など、入るより容易いだろう。この屋敷のセキュリティの穴を突くしかないか……」
思い詰めたキザキへとヤマジは声を振り向ける。
「警部? 何をお考えで」
「喧しいっ! もうしてやられておるのだ、自覚しろ! こうなれば……」
キザキが庭園へと駆け抜ける。その背中を呼び止めるヤマジの言葉を退け、キザキは庭園の掃除ロボットの大口へと飛び込んでいた。