♯14 フォーエバー
「逮捕だ、キッス!」
展望台に現れた影にキッスは瞠目した。
「あら、キザキの叔父様。ここまで来るなんて相当な執念ね」
キザキは手錠を片手にキッスへと駆け込んだ。
「ここで会ったが百年目よ! キッス、お縄につけ!」
投げられた手錠をキッスは軽やかに避けてコガネの街へとダイブする。
「残念ね。キザキの叔父様。あたし、まだ怪盗やっていていいみたいだから、続けさせてもらうわ」
ムウマが思念の翼を閃かせ、地表ギリギリをその身が飛翔する。
新たに得た相棒と共に、キッスはジョウトの空を駆け抜けた。
「また逃がしたな」
追いついてきたヤマジが肩で息をしながら声を発する。
「け、警部……。怪盗キッスは?」
「逃げた」
簡潔な答えにヤマジは呆然とする。
「い、いいんですか? だってここまで苦労して――」
「ヤツはいずれ捕まえる。ただ今夜は、そうではなかっただけの話だ」
キザキは膨大な熱量でひしゃげた展望台から夜空を仰ぐ。
金色の月が、翻弄する猫の眼のように睥睨していた。
オオヤマはデスクワークを終え、タイムカードを押す。
いつも通りの退勤時間を書き止め、会社を後にした。息をついて帰路につく間に、賑わった街を見やる。
そろそろクリスマスシーズンだ。
街は聖夜の到来に浮かれ調子である。
雑踏の中を掻き分け、駅へ向かおうとしたその背筋へと、すっと降り立った何かが照準した。
肌が粟立ち、オオヤマが足を止める。群集は気づいた様子もない。
人だかりの中でオオヤマの背筋に殺気が向けられていた。
「だ、誰だ? 何かした覚えは――」
「つれない事言うもんやないで。ノエル」
その名前を紡いだ少女の声に、オオヤマは嘘を並べるのも無駄か、と嘆息をつく。
「……どうしてここが?」
「エアームドからの逆探知。してへんと思っとったん? 戦いに夢中なのはあんたのほうやったみたいやね」
返す言葉もない。エアームドの遠隔操作を手繰られるとは、自分も焼きが回ったものだ。
「わたしを殺すかね?」
「二三、聞きたい事が」
オオヤマはフッと笑みを浮かべる。
「いいだろう。何だ?」
「霊界の羽衣の奪還依頼自体が罠やったとして、あんたどこまで知っとったん?」
「罠である事と、エアームドをけしかける事は伝えられていたが、それ以外は何も。ケリィという軍人の存在に関しては管轄以上だ。まさか古巣の因縁があったとは」
「……あの場でケリィ少尉を殺したんは?」
「余計な事を話されると面倒だからね。今回、わたしは火消し役に奔走させてもらった。ジョウトPMCも落ち度がある。あまりに軽率な人選だ」
「霊界の羽衣の奪還自体が嘘やったとして、あの財宝に眠っている悪霊に関しては」
「眉唾だったよ。しかし、まさか本当に悪霊が棲んでいるとは。どうするかね? それは足枷になるぞ?」
その質問に相手は答えない。代わりのように詰問される。
「あんたをここで殺せば、仕事なくなるんかな?」
「お好きにどうぞ。ただし、忠告しておくとノエルはわたしだけの称号ではない」
その言葉に殺気が仕舞い込まれた。聞きたい事は聞き出せた、というわけか。
「行きぃや」
オオヤマは再び歩み出しかけて、そうそうと声にする。
「メリークリスマス、怪盗キッス。聖夜の祝福があらん事を」
返答はなかった。
眠りこけるアムゥを見やり、マスターが声にした。
「本当に、これでよかったのだろうか」
「何が? うちは満足しとるよ」
その返事にマスターは苦笑する。
「君は盗みを成し遂げた。だが、その代償は大きいかもしれない。ノエルの弁ではないが、あまり手持ちを増やし過ぎると足枷になる」
モナカはエネココアを口に含んでから、せやね、と応じる。
「でも、枷のない人生なんて、つまらんやん。多分、こうして枷を増やしていく事でしか、うちがモナカという存在でいられる証明って、ないんやと思う」
「人間らしく、か。モナカちゃん、君はもう、充分に……」
そこから先を遮るように、モナカは立ち上がっていた。
「アムゥちゃんは、普段はあの姿で?」
アムゥはあの後、ムウマの姿形から少女形態に戻った。マスターが補足する。
「どうやら行き来出来るみたいだが、その分気紛れだ。あまり戦力だとは思わないほうがいいのかもしれない」
「うちは思っとらんよ。アムゥちゃんも、うちも、行き所をなくしたもん同士。怪盗キッスに盗みをしてもらった縁もあるし」
自分も、あの日師匠に盗んでもらったのだ。
クチバインダストリアル五十五号の因縁を。
自分がアムゥにしてやれる事は、盗みを一生かかって完遂させる事。
「大変な依頼だ。人一人の人生を、盗めと言われたのだから」
「一生かかるやろうね」
アムゥが寝返りを打つ。その様子を微笑ましく見ながら、モナカは踵を返した。
『あんた……まさか今日も野暮用って言うんじゃないでしょうね?』
通話口から胡乱そうなミサの声が響く。こちらはうろたえるしかない。
「えっと、何で分かったん? まだ二秒しか経ってへんよ……?」
『あんたの言い出す事くらい分かるわよ! はい! 自覚して!』
「じ、自覚しましたっ!」
通話口のため息を聞きつつ、コガネの建築物を跳躍し転がるように着地する。
『……ノイズ多いよ? 何やってるの?』
「えっと……副業、かな」
投光機が浴びせかけられ、逃走経路を阻む。仕方なく別の通路へと逃げ出したところで、パトカーがなだれ込んで来た。
サイレンの音が木霊し、赤色光が激しく視野を眩惑する。
飛び退った先には展開していた警官隊が待ち構えていた。
その奥にいるのは因縁の敵役である。
「ちょっと切らなあかんかも」
『はいはい、あんたの身勝手さにはほとほと呆れるわ。でも一応言っとく。モナカ、メリークリスマス』
「うん。ミサ、メリークリスマス」
応じてから、通信を切る。拡声器を持ったキザキが声を張り上げた。
『そこまでだ、怪盗キッス。お縄につけ!』
「しつこいなぁ、ミサのお父さんも」
目元を覆う仮面をかけ直し、キッスとしての声を振り向けた。
「キザキの叔父様。あたし、このようなところで捕まると思う?」
『往生際が悪いぞ。潔く捕まれ!』
「そうは……いかないのよっ! ルージュラ! 悪魔のキッス!」
繰り出したルージュラが警官隊に投げキッスを見舞う。数人の警官隊がその作用で倒れ込んだ。
問答無用で相手を眠らせるルージュの魔力に、キザキが地団駄を踏む。
「逃がすな! 追え!」
残存部隊がキッスを追い詰めようと迫る。
キッスは軽やかに跳躍した。
街の明かりがキラキラと瞬く。
コガネのトワイライトに、目が眩む。
「メリークリスマス、キザキの叔父様。あたし、まだ捕まる気はありませんの」
煌く街を飛翔する黒衣を翻らせ、キッスは闇夜を駆け抜ける。
ルージュの魔術は、まだ始まったばかりであった。
to be continued HEXA9