♯13 ヘヴンズ・オン・ファイヤー
「展開してるのはキザキの叔父様だけじゃないわね」
その場に赴いたキッスは周辺警護に当たるPMCのスタッフを視野に入れていた。
『やはり、ジョウトPMCは君の正体を分かっていて展開していると思うべきなのだろうか』
「それにしちゃ、色々とずさんなのは完全に足取りを掴んだわけじゃない、って思えばいいのかしら。……ケリィ少尉のような存在は逆に貴重であったと」
霊界の羽衣を入れた収納ボールに手をかけ、キッスは尖塔へと跳躍していた。
取引の相手が現れるはずであったが、警察でもなく、取引相手でもない。
塔の影から出現したのは銀翼の来訪者。
エアームドが翼を翻し、銀の櫛を投擲する。
早速か、とキッスは飛び退りつつ声を張り上げた。
「貴方は何? 何のためにあたしを狙う?」
その返答の代わりに機関銃のように銀の櫛が連射される。
キッスはサクラビスを繰り出し水の皮膜でその勢いを減殺しようとした。
エアームドがその瞬間、体表の殻を砕き、加速度を増す。
「ボディパージ……どうあってもここであたしを仕留めるつもり」
瞬間的に膨れ上がった殺意にサクラビスが反撃の水の砲弾を浴びせかける。
しかし相手は飛行・鋼。堅牢な表皮が水を弾き、凶器になり得る銀の羽根がすぐ脇を掻っ切る。
「貴方達が欲しいのはあたしの命? それとも、霊界の羽衣なの?」
エアームドを操る存在も黙したまま応じようとしない。やはり、この場では勝ったものだけが口を開く事を許されるのだろう。
キッスはルージュラを繰り出し、二点同時攻撃を加えようとする。
「サクラビスのハイドロポンプにルージュラの凍結を混ぜる! ルージュラ! 接触点から貴女の氷を見せてやりなさい!」
サクラビスの砲撃をエアームドが羽根で切り裂く。その瞬間、凍て付いた鋼の翼が不意に傾いだ。
ルージュラの精密凍結が地面とエアームドを射止めたのである。
これでエアームドの空中機動は抑えた、とキッスは質問を振りかける。
「貴方達の真意は何?」
再三の質問にエアームドから発生したのは擬似音声であった。
『怪盗キッス。その力を試す必要があった。それは霊界の羽衣だけではない。我々を脅かす存在かどうかの試金石』
「貴方達の言う我々って言うのはジョウトPMC?」
『もっと大きな存在だ。それ以上は言えない』
このエアームドを操る刺客も恐らくは末端。自分を殺す事しか教えられていないに違いなかった。
「そっ。じゃあ、最後の質問。あたしが霊界の羽衣、渡さない、と言ったら?」
『消えてもらう』
エアームドの全身から棚引いたのは灼熱の煙であった。全身を焼いてエアームドが旋回する。
ルージュラの氷の束縛を破ったエアームドの体表からオーラが放出され、その身体を何倍にも膨れ上がらせた。
キッスは舌打ちをする。
「ゴッドバード……。完全に決めるつもり」
エアームドは既に充填を終えている。残るは自分に放つのみ。
空中で羽根を広げたエアームドが吼えた。
ルージュラとサクラビスの二重の防御でも恐らく対処し切れまい。
だからこそ、ここに連れて来ている彼女に役立ってもらうしかなかった。
「アムゥちゃん。あたしは貴女の依頼をこなすわ。だって盗めと言われて盗めなかったものなんて、今までないもの」
黒衣から躍り出たアムゥがエアームドを視野に入れる。その小さな身体が震えたのが伝わった。
「怖い?」
「こわい……けれど、ここでなにもできないほうが、もっとこわい!」
アムゥの全身から放たれたのは紫色のオーラであった。アムゥの身体が二重像を結び、その姿形が変異する。
紫色の髪が巻き上がり、瞳が黄色く染まった。幽鬼のように佇むその姿は、まさしくポケモンである。
アムゥが姿を変えたそれは――。
「ムウマ。貴女の力、借りるわ」
ムウマが鳴き、エアームドが「ゴッドバード」の照準をキッスに向ける。
金色に輝く身体を矢のように先鋭化し、一筋の光となってエアームドが特攻してくる。
その衝撃波がコガネタワー展望台のガラスを打ち砕いた。粉になって降り注ぐガラス細工の中でキッスは立ち向かう。
エアームドの矛先が完全にキッスを射抜く。
その瞬間、膨れ上がった熱量が放出され、爆発の余波がタワーを粉砕させていった。
「警部! あれを!」
投光機が投げかけられ、キザキが目にしたのは強力なポケモンによる攻撃の余波であった。
干渉波がタワーの展望台を砕いていく。
既に事は動いていたのか、とキザキは舌打ちする。
「総員に告ぐ! キッスは既にあの場所にいる! 確保、確保ー!」
警官隊が雪崩れ込み、キッス逮捕に向けてキザキがコガネタワーに続く階段を駆け上がろうとした、その時であった。
その進路を阻んだのはジョウトPMCの黒服達だ。
「お静かに」
封鎖する彼らにキザキは真っ向から立ち向かう。
「退け!」
「退けませんね、キザキ警部。我々にも仕事がありますので」
そう率先して口にしたのはジョークマンである。キザキは肩で風を切って詰め寄った。
「退けと、言っておるだろう」
「退けません。既に我々の仲間が展開しています。その作戦においてあなた方は邪魔」
「そう言うくらいなのだから、キッスは捕まえられるのだろうな?」
その言葉にジョークマンは嘆息をついた。
「捕まえる? キッスは特級の犯罪者。殺したほうが早い」
キザキはジョークマンの襟首を掴み上げていた。考えるよりも身体が行動した結果である。
「……何ですか、この手は」
「……特級の犯罪者。それは認めよう。だがな、殺したほうが早いだと? それは諦めとるんじゃないか。ヤツを裁くのを、諦めておるんじゃないのか?」
「裁くのならば同じでしょう。どうせ極刑です」
「どうせ? 裁くのならば同じ? 貴様ら、本気でそう思っておるのか? だとすれば、ワシは、ここで貴様らの敵となる」
その言葉が心底解せないようにジョークマンは頭を振った。
「何故です? 同じ事でしょう。逮捕して、死刑判決を下す。それがあなたの正義じゃないのですか?」
「大きく違うな、ジョークマン。ワシは然るべき罰を与えるべきだとは思っておる。ヤツは犯罪者だ。だが、何の問答もなく殺せだと? そのような思考停止、ワシが許さん!」
「……意味が分からないな。結局同じではないのですか。捕まえても同じ。ならば、殺したほうが手っ取り早い」
「そういう輩を止めるために、ワシら警察はあるのだ。警察は! ただ単に結果を求めているわけじゃない! 犯人を追い詰め、その先にきっちりとした法の裁きを受けさせる。その責任がある! 責任を放棄して結果のみを追い求めるのなら、そいつとて犯罪者と何ら変わりない」
ジョークマンはほとほと理解出来ないとでも言うように呆れ返っていた。
「……ならばどうなさいます? 敵対しますか?」
「ここでワシらが喧嘩をしとっても意味がない、という事にも気づけんのなら、事を構える覚悟はある」
暫し睨み合いが続いたが、やがてジョークマンは指を弾いた。
「……道を譲れ」
「上官! しかしそれは」
「ここまでの信念を持つ男がどう転がるのか、それを目にしてみたいのもある」
ジョウトPMCの黒服達が逡巡を浮かべつつ、退いた。
警官隊と共にキザキが歩み出る。
「一個貸し、か」
「別にそうというわけでもございません。ただ、立ち位置が変われば我々とあなた方はいつでも敵同士になるでしょうね」
その言葉振りに、キザキは得心する。
「敵になった時にはお手柔らかに頼みたいものだ」
「お互い様です」
キザキは腹腔から叫びを飛ばした。
「行くぞ! 進め、警官隊! キッス逮捕だ!」
光の瀑布がタワーを満たしていく。
エアームドの攻撃はそのまま、キッスの胴体を貫通していた。
キッスの身体が熱量に負け、そのまま消滅の道を辿る。
エアームドを操るトレーナーは勝利を確信した。エアームドの視野を借りて伝わっている情報でも、キッスの死は確定である。
だが、直後に響いた声がその現実を捩じ曲げた。
「――背後を取った」
広域攻撃に入っているエアームドにはその声がどの方向から来ているのか関知出来ない。しかしトレーナーは別だ。
熱源を探り、その声の主が確かにエアームドの背後を取っているのを確認する。
『あり得ない……。ゴッドバードの射程をすり抜けるなんて』
「アムゥちゃん……ムウマの技、トリックルームと身代わりを使わせてもらった。この場で素早さの低いあたしとムウマ、それに身代わりで形成したあたしの分身。貫通した手応えはあったでしょう? だからこそ、この攻撃は防げない」
ルージュラが凍て付いた拳を振るい上げる。制止の声をかける前に、拳の応酬がエアームドを叩きのめした。
離脱しろ、と命令したその時には、エアームドの翼に既に触媒がつけられていた。
その氷の種を苗床にして、ルージュラが広域を支配する。
連鎖する凍結攻撃に晒され、エアームドの体温が急速に奪われていった。通常ならば鋼が氷を通さぬ鉄壁。しかし「ボディパージ」を使った軽量化と、生身の部分には確実に攻撃が徹る。
最早、ここまで、と撤退命令を下そうとしたトレーナーの予想を裏切るように、エアームドの体躯にサクラビスが攻撃を加える。
遠距離ながら吸い付いたその口先がエアームドの体力を奪った。
「ドレインキッス。この射程でも撃てるほど、そちらの動きは鈍っている」
ルージュラの攻撃範囲に入っている以上、逃げおおせられるわけでもない。「トリックルーム」を離れるのには、相手が諦める必要があった。
「ここで、交渉と行かない?」
だからか、不意打ち気味の声音にトレーナーはついていけなかった。
『交渉、だと?』
「あたしの今回の盗みは霊界の羽衣の奪還。つまりこの先、取引先に渡さなければいけない。でも、貴方達は最初から、霊界の羽衣を持っているあたしを攻撃するべく向かってきた。これって前後が変なのよね」
『何がおかしいと言うのだ。キッス抹殺を我々が企てているのならば何も変では……』
「だったら、何故。霊界の羽衣を所持している時を狙わなかったのか。霊界の羽衣に枝をつけているのだとすれば、狙える時はいくらでもあった。だというのに、正面衝突に近い形でしか、貴方達が来なかったのは、霊界の羽衣はそのきっかけに過ぎなかったから。最初から、あたしの抹殺……という名の実力試しが目的であった。違う?」
『怪盗キッスの実力を試して何の得があるというのだ?』
「そうね……分かりやすいところで言えば、ジョウトPMCのお膳立てのため。この一件に介入する理由が欲しかった。さすがに、いきなり民間軍事会社が警察勢力と拮抗するなんて事は無理。でも、タイミングが合致した。カントーにおけるプラズマ団の蜂起。それによる危機管理の是正。あたしが盗むのは、霊界の羽衣でなければならなかったのか、という問いかけには、こう言えばいい。霊界の羽衣は枷になる。動きの鈍ったキッスならば仕留めやすいだろう、と。事実、悪霊の存在を信じる信じないに関わらず、ジョウトPMCと警察の協定を結ぶための一件であった。つまるところあたしの盗みそのものが大きなうねりのための前準備。ジョウトPMCと警察が何を共謀しているのかまでは分からないけれど、あたしという共通の敵を用意する事で、その動きを円滑にした」
『憶測だな』
「でも、当たらずとも遠からずのはずよ」
エアームドを操るトレーナーは暫しの沈黙を挟んだ後、フッと笑みを浮かべた。
『これ以上の問答は意味がなさそうだ』
「霊界の羽衣の奪還。あたしが拒否すればどうするつもりだったの?」
『同じ事だ。キッスは使い物にならなくなった、として粛清する運びであった』
どちらにせよ、この試練は必要であった。キッスの存在意義を今一度問い質すために。
今の状態ではエアームドを撃墜されかねない。しかし、キッスの敵意は凪いでいった。
「あたし、霊界の羽衣を手離すのが惜しくなっちゃった。だってせっかく仲間が増えたんですもの」
『ムウマ……厄介な手持ちを増やしたな』
「悪霊と言うのには、この子は可愛いしね」
エアームドが「トリックルーム」の射程からゆっくりと逃れていく。それをキッスはコガネタワーの頂上から見据えていた。
『その判断を後悔する時が来るかもしれない』
「その時には、また戦えばいいだけ」
シンプルな答えだ。エアームド使いは通信機に声を吹き込む。
『キッスの抹殺は失敗。ジョウトPMC、ならびに警察組織に通達する。最早、意味はない』