♯11 アンホーリー
漂っている。
どこか分からない場所を。
硝煙の臭いがつんと鼻をつき、彼女は己の立っている場所を自覚した。
草むらを掻き分け、ルージュラによるかく乱戦術で相手の視界を眩惑。さらに凍結によって相手の射程に切り込んだ。
素早く牽制と防御を切り替え、連中の追撃をかわす。
ルージュラは決して取り回しのいいポケモンではないが、エスパー・氷というタイプ構成は相手の戦術を突き崩すのに最適であった。
そもそもルージュラを相手に見せる時点で、敗北は濃厚となる。
飛び出したルージュラが相手トレーナーを拳で射抜き、その隙に彼女が背後を取った。
心臓に照準し、引き金を引く。
トレーナーが倒れ伏したのを確認して、ルージュラと共に次の獲物を探しに戻った。
草むらの臭気がどっとにおい立つ。この世界の中で生きているしかない己を自覚する。
張りぼての世界。どこまで分け入っても草むらと血と、鉛弾の発射音が続く。
無間地獄の中を突っ切るように、ルージュラと駆け抜けた。
陽射しが降り注ぎ、首裏がじっとりと汗ばむ。
自分は何のために生まれてきたのだ。
時折鎌首をもたげるその疑問を脳の中に埋め込まれた何かが排除する。
余分だ、と。
しかし、本当にそうなのであろうか。
本当に、それは余分なのか。
判ずる術もなく、次の標的への距離がコンタクトレンズ型のサーモグラフィーに映し出される。
熱源を関知し、拳銃を構え直した。
ルージュラによる相手のかく乱。その次は――と思案を浮かべてふと立ち止まる。
その次は、何をすればいい?
殺して、殺して、殺し尽くして、ではその果てに待っているのは?
死体の山以外に自分に待っているものは何だ?
栄光か、と考えて違うと判ずる。
この身体に生まれ落ちてから栄光とは無縁だ。自分は平均化された物量兵器の一つ。誰が戦争で一番人を殺した拳銃に栄誉を送るであろう。
兵器に栄光は似合わない。
あるとして戦争博物館に並べられるだけ。
ホルマリン漬けの自分が幻視される。
道行く人々は「このようなおぞましい兵器があったのか」と眉をひそめるのだろう。
そのおぞましい兵器は隣人にもなり得る。
クチバインダストリアルの製造する兵器は隣人を殺戮機械にする発明だ。
少しの投薬と洗脳だけで、完全なる殺人兵器が完成する。
投薬実験には最初こそ痛みは伴ったが慣れると昏倒しているようなものであった。眠りの淵にいるうちに、戦闘技術が叩き込まれるのである。
目が醒めれば訓練に継ぐ訓練。
人殺しを平然と行い、平均化から零れ落ちた同胞達を手にかける。
自分に関する上の評定はAプラスであった。今戦っているのは評定Cの訓練生達だ。
低い者達は強い者達に搾取される。
その糧となって、銃弾に倒れるのだ。
折り重なった死体を踏み越え、その先を目指して設計されるのがこの兵器の行く末である。
失敗作、実験作、評定平均の悪い試験作を殺し、その血を啜った先に完成がある。
――だが、完成したとして自分はどこへ行くのか。
完成のその向こうにあるのは何なのかは教えられていない。
自分は何のために戦っているのか。
戦えば、命を奪われずに済む。奪う側になればいいだけの話なのだから。
――しかしそれは、虚しいとは思わないかね?
不意に脳裏で男の声が残響し、血に塗れた夢から揺り起こされた。
目を覚ますとマスターが変わり映えなくグラスを磨いていた。
夢の延長線上か、とうっつら首を持ち上げたモナカは、自分の手に拳銃がない事でようやく現実なのだと認識する。
「起きたかい?」
「何分くらい寝とった?」
「ちょうど二十分だ。もっと眠っていても大丈夫だけれど」
「そうはいかんやろ。霊界の羽衣についての話、聞かせてもわなあかんし」
マスターは既に端末上にその情報を呼び出している様子であった。本当にいいのか、と目線で確認が取られる。
「あまりいい報せじゃない」
「いい報せやった事なんて数えるほどしかないやないの」
「それもそうだ。怪盗キッスにとってのいい報せなんてあったためしがない」
「霊界の羽衣ってのは何?」
マスターが投射画面をこちらに向け、霊界の羽衣のデータを参照した。
「霊界の布、というものはポケモンを進化させる。ゴーストタイプのポケモンをね。それを編み込み、羽衣型にしたものが今回の代物だ。ただし、強い霊力を携えた霊界の布を羽衣という形に編み込んだ際、擬似的な人格が出現した。これは格式の高い物体には総じて宿る、一種の霊験だと思えばいい。ゴーストタイプのポケモンの人格を模し、その橋渡しとなる存在を顕現させた。その存在こそが」
「アムゥちゃん、ってワケか」
マスターは首肯し、あまりいい報せではなかった、と継げる。
「リトルレディが人間でもポケモンでもなく、物質に由来する存在だなんて」
「アムゥちゃんも半分くらい気づいとったみたいやけれど。やっぱり、人間やないのか」
「ムウマというポケモンがいる。そのポケモンのスペルを反転させると、彼女の名前になる。霊界の布によって進化するゴーストタイプの、擬似人格だ」
だからついてきたというよりも最初からそこにいたのだ。
霊界の布に宿ったムウマや他のゴーストタイプの残留思念として。
「でも、そう考えるとうちに今回、依頼されたのは奪還やった、ってのが引っかかる。奪還言う事は誰かがアムゥちゃんを取り戻したかった、って結論やし、その辺どうなん?」
「依頼主は依然として不明。ただ、ジョウトPMCが君を狙っている事だけはハッキリしている。ジョウトPMCと、ともすると組織が君を炙り出すための餌として、利用したのかもしれない」
「奪還自体が罠やったって事か」
「無論、罠ではないかもしれない。しかし霊界の羽衣をどうしろ、という指示が未だないのが不自然なんだ」
「依頼主の気持ちになれば、一刻も早く取り戻したいもんなぁ」
やはり今回の依頼は自分の身柄の確保を隠れ蓑にした陽動作戦だったのだろうか。
勘繰っている最中に、マスターの端末にメッセージが届いた。
「これは……依頼主からだね」
「呼ぶより謗れ、言う事かな」
「奪還ご苦労。これより引き渡しの段階に入る。引き渡し場所は……」
マスターの読み上げた場所にモナカは目を瞠った。
「……嘘やん」
「いや、嘘ではないらしい」
「でもそんなところ……行けるん?」
「分からない。分からないが、この場所に到達するのには相当な準備が必要である事。もっと言えば、引き渡せばリトルレディは永遠に……依頼主の物になるだろう」
それを看過出来るのか、と問われていた。モナカは思案を浮かべる。
「分からんよ。女の子の幸せなんて。うちに言う資格ないもん」
「君だってレディだ」
だとすれば随分と血に汚れたレディである。血濡れの手で何を掴もうというのか。
その時、物音にマスターが振り返った。視線の先にいたアムゥが硬直している。
ずっと聞いていたのだろう。モナカは単刀直入に尋ねていた。
「どうする? アムゥちゃん。このまま依頼主の言う通りにするか、それとも……他の道を選ぶか」
他の道などあるのか?
自問しても答えは出ない。
アムゥは大きな目を戦慄かせて頭を振った。
「わからない……わからないよ、おねえちゃん。アムゥは、人間じゃないの? ポケモンでもないの?」
「そうみたいやね。でも、今ここにおって、考えとる自分がどうしたいのかを決め。うちに言えるアドバイスはそれだけやし」
あえて優しい言葉はかけなかった。ここで自分がアムゥの未来を捩じ曲げたところで仕方がない。
未来は、自分の手でのみ掴めるものだ。
アムゥは逡巡しつつも、こちらに聞き返した。
「おねえちゃんは……? どうして怪盗キッスになったの?」
一拍だけ沈黙を挟んだが、答えに迷いはない。
「奪われんためやろうね」
「うばわれないため……」
「師匠が言っとったんは、自由な生き方なんてこの世には一つもないって事やった。どこにいても、誰といても、自由なんてないって。この世界にそれを求めるんやったら、自由に生きられているように装う事の出来るよう、自分で選択を重ねていくしかないって。その選択は、決して後戻り出来ない、とも」
選択肢が無限にあるなんて嘘だ。この世の虚飾だ。
選択肢は限られている。生まれた時から取れる選択肢なんて有限だ。
その有限の中で、どれだけ自分に恵まれた選択肢を取れるかどうか。それだけの違いなのだ。
他人から見た自分ではない。自分から見た己だけで、選択肢を選んでいく。
その時、責任が取れるのは自分だけなのだから。
アムゥのような少女に突きつけるのは酷だったのかもしれない。だが、残酷な運命の中を漂うのが人間なのだ。
アムゥがどうしたいのか。それは彼女だけが決められる。
自分がどうにか出来るのは怪盗キッスとしてだけ。与えられた仕事の範囲だけ。
人生をどうにか出来るのは畢竟、自分ただ一人なのだ。
アムゥは自分の掌に視線を落としていた。
どうするのか、それを待っていると、アムゥが言葉を紡ぎ出す。
「じゃあ、おねがい、っていうのはきいてもらえるの?」
「物による」
「おねえちゃんは、怪盗、なんだよね……? ぬすんでくれるんだよね?」
「盗めるものなら何でも」
じゃあ、とアムゥが口を開く。
その言葉にマスターが驚愕した。
「いいのかい? だってそんなの」
「いいの。だってもう、アムゥが生きていくのには、それしかない気がするから」
モナカは口元を綻ばせた。
「分かった。依頼は受ける。怪盗キッスとして」