EPISODE94 横顔
「フレアエクスターミネートスーツ?」
ルイから聞かされた言葉にヨハネは閉口していた。カウンターEスーツではないのか。
『主人が入れ換えたのさ。同時に、このエクスターミネートスーツこそが、マチエール、お前の命を支えている、ある種の蘇生の要だな』
「要……」
マチエールも呆然としている中、ヨハネは問い詰めた。
「じゃあ、このエクスターミネートスーツがなければどうなるって言うんだ? そもそもデルタユニゾンって何だ? 何を隠している?」
『一度にそんなに聞かれたって、オレは答えられないぜ? 一つずつだ』
ヨハネは深呼吸する。質問は一つずつ。的確な質問でなければならない。
「……名前にフレア、とあるが、これはやっぱり、フレア団の造ったものなのか?」
『厳密には、主人の造ったフレア団の情報にはない、全く新しいスーツだ。他のEスーツと互換性があるが、正確な事を言うとカウンターEスーツの発展系だな』
「カウンターEスーツはじゃあ、お前の主人が造ったのか?」
『それは違うんだが、知ってはいた。だから、応用するのは難しくなかったんだろうぜ』
どれほどの頭脳だというのだ。唖然とするヨハネにマチエールは問いかける。
「デルタユニゾン……、つまり擬似的にデルタ種を再現したと思えばいいの?」
『まぁ、そうだが、擬似的じゃねぇ。ヨハネ、クリムガンを出してみな』
ルイの言葉に従うのは癪だったが、ヨハネはマチエールと頷き合い、クリムガンを出す。
『普通ならば、純粋なドラゴンタイプのはずだな? しかし、オレの導き出したデータはこいつだ』
表示されたのはクリムガンの遺伝子データだ。そこに映されているタイプデータに僅かな齟齬があった。
「ドラゴンタイプ八割に、氷タイプ二割、だって……?」
目を疑った。どうしてクリムガンに氷タイプが付与されているというのだろう。
ルイはコンソールに座り込み、投射画面を用いながら説明を始めた。
『元々、単一属性のポケモンでも他の属性を顕現させる事はあり得る。目覚めるパワー、という技を知っているな、ヨハネ』
「……確か、そのポケモンの固有のパワーを使用する、相手の意表を突けるような技だけれど」
そこまで言ってマチエールがハッとした。
「デルタ種は目覚めるパワーで発現するタイプと同様、いや、それそのものだと?」
その結論にヨハネは待ったをかける。
「ちょ、ちょっと! でもだとすれば、どのようなポケモンでもデルタ種の可能性があるはずじゃ」
『そうだぜ? どんなポケモンでもデルタ種に目覚める可能性はある。フレアエクスターミネートスーツは、それを顕著にするだけの話だ。デルタ種もさほど珍しい話でもない。目覚めるパワーによる遺伝子構造に刻み込まれたタイプを表に出しただけ』
「だったら、ヒトカゲや、ニョロゾも?」
『そう、フレアエクスターミネートスーツでユニゾンする以上、他のタイプに目覚める可能性は充分にあり得る』
ヨハネは顎に手を添えて考え込んだ。あり得る、あり得ないの議論ではなく、最早、それがある、という事実から話を進めなければならない。
「Eスーツのユニゾンは危険、という事ではないんだよな?」
『無論。危険どころか、こちらからすれば優位なほどだ。今までとは違う戦術が取れる』
「それを何故、僕らに教える? お前は敵のはずだろう?」
『もう敵対する意味もねぇよ。ここにユリーカとアストラルとの交換条件で送られたんだ。コッチでの仕事はきっちりこなすさ』
「信用ならない」
『じゃあヨハネは信用すんなよ。マチエールはどうだ? オレを信用出来ないと?』
ヨハネもマチエールを窺う。彼女は深く考えた上で、決断したらしい。
「……表の気持ちはヨハネ君と同じだよ。でも、これから戦う上で、新しい力は使いこなさなければならない。あたしは、この黄金の力、使いこなしてみせる」
『そうこなくっちゃな。オレはサポートする。で? ヨハネ、お前はどうするって?』
分かっていて聞いているのだろう。底意地の悪いシステムだ。
「……マチエールさんがそういうスタンスなのに、助手である僕が反論するわけないだろ」
『決まりだな。オレはフレアEスーツのバックアップを行う。これから何が現れてもいいようにしてやるぜ』
ルイの本当の目的は何なのか。ヨハネは問い質したかった。何故、こちらに有益な情報をもたらす必要がある? Eアームズに負けさせてはいけないとでも教えさせられたのか。
それともEスーツに秘密が?
分からぬ事だらけであった。ヨハネが別室に移動しようとすると、オーキドがコーヒーをすすってその背中に声を投げる。
「分からぬ事、納得出来ぬ事も、時には呑み込まなければならない」
「それは、経験則ですか? そういう意味での忠告で?」
「まぁ、老人の戯れ言だと、思ってくれても構わんわい」
しかしただの老人というわけではない。オーキドとて秘密を抱えている。自分達ばかりの問題ではない事をヨハネは感じ取った。
「どうすればいい……。僕は、何を信じればいいんだ」
今までのようにマチエールの戦いこそが自分の信じる道だと言い切れればよかった。
しかし、そうもいかない。マチエールも蘇った身ではまだ自分に出来る事、出来ない事さえも理解していない。
ルイに弄ばれるのが面白くないだけなのか。
それほど子供ではないつもりだったが案外自分では分からないものだ。
ハンサムハウスを出て夜風に当たっていると、不意に風向きが変わった。
そちらへと視線を振り向ける。
ルチャブルが腕を組んで佇んでいた。
「〈チャコ〉……お前の主人も、どうしたんだろうな」
コルニは現れてくれない。彼女もどうなったのか分からないのに、自分はこのような態度でいいのか。
叱咤したくなった瞬間、ルチャブルが天上を仰いで翼を広げた。
疾風が吹き抜ける。
どこか甘い香りと共に現れたのは、苛烈の少女であった。
蒼い光を棚引かせてミアレの高層建築を蹴りつける。
「コルニ……」
ヨハネの声にコルニは気づいて降り立った。今までと同じく、その双眸に湛えた光は眩しい。
「コルニ参上!」
水鳥を思わせる軽やかさである。その動きから、ヨハネは覚えず尋ねていた。
「どうして……。怪我でも」
「まぁ、していたんだけれどさ。〈チャコ〉をいつまでも待たせるのも悪いし、こうして立ち寄ったわけだ。お邪魔だったかな?」
ヨハネは頭を振る。ここに来て、自分を理解してくれる人間が現れてくれた事には素直に喜びがあった。
「コルニ、どうしたんだよ。ずっと心配してたんだぞ」
「悪い、悪い。でもさ、〈チャコ〉がずっといてくれたから、何の心配も要らなかったでしょ」
「コルニがいないと、張り合いがないよ」
「そう言ってくれると、アタシも立ち寄ってよかったって思える」
コルニは壁に背中を預けてヨハネへと顎をしゃくった。
「そっちは? 何かあったの?」
その質問に、ヨハネは沈痛に顔を伏せた。マチエールの事、言うべきだろうか。否、ここで彼女に気を遣わせてどうする。
「いや、僕らは何も……」
「嘘は、余計に気を遣わせるものだと思うけれど?」
ぐうの音も出ない。ヨハネは素直に口にする事にした。
とはいっても、簡素なものだ。マチエールのEスーツに細工がされている事。何よりも、彼女は一度死んで蘇った身である事。
コルニは神妙な顔つきをして話を聞いていた。
「一度死んで、戻ってきた結果、ユリーカとルイを向こうに明け渡した……」
「情けない話だと思っている。僕も、何も出来なかった」
「そんな事はないんじゃない? ヨハネも戦って、その結果でしょ? クロバットは」
「ああ、これは偶発的に」
「でも、信頼がおけるようになったって事じゃん。クロバットは何よりもトレーナーの信頼の証」
そう言ってもらえると誉れであったが、ヨハネには懸念事項のほうがついて回った。
「でも、マチエールさん、それにルイも、僕の手の届かないところへと行ってしまう。怖いんだ。みんな、僕の傍から離れていってしまうみたいで」
「ヨハネ……」
「コルニは……、こんな事いうのはずるいかもしれないけれど、こうしてまた出会えたんだ。どこかに行ったり、しないよね?」
コルニは顔を伏せて頭を振る。
それが全てだった。
「どうして……」
「アタシ、ようやく仇を見つけ出したんだ。じィちゃんを殺した奴を、アタシは殺さなくっちゃいけない」
「でも、復讐なんて」
「何も生まないなんて言わないでね。少なくともアタシは、そのお陰でここまで来られた。命も、意志も何もかも、そのためにあるのだと信じている」
綺麗事は許さない声音にヨハネは自然と黙り込むしかなかった。コルニは手を振る。
「大丈夫だって。いつでも会える」
「でも、コルニに何かあったら、僕は……」
弱音を吐きそうになったヨハネの額を、コルニはぴんと弾いた。
「男の子だろ。アタシは負けないし、何よりも居なくなったりしないよ。それこそ、あんたに約束して欲しいところなんだけれどな。だってこれから戦いに赴くんだよ?」
ヨハネは心底恥ずかしくなってしまう。こういう時。男がどっしりと構えなくてどうするのか。
しかし、ヨハネには、彼女の帰還を願って待つ事は耐えられそうになかった。コルニは復讐の先に行こうとしている。その向こう側に何があるのか、彼女自身も知らない。
ともすれば、その先に死さえも生ぬるい、苛烈な戦いの連鎖が待っているかもしれないのに。
「僕は……」
「いいよ。そういうのがあんたらしい。笑って見送る、が出来なくってもいいよ。その代わり、さ」
コルニがすっと歩み寄る。口づけ、に思われたその一刹那に、コルニはヨハネの頬に小さくキスをした。
「帰ってこられたら、ね。帰ってこられたら、アタシはようやく、人並みになれる」
ヨハネは頬を撫でつつ、無理やり笑おうとする。しかし駄目であった。涙が止め処ない。
「コルニ……せっかく、分かり合えたのに……」
「そんなもんだって。分かり合えた間柄なんて、一瞬のものなんだ」
ルチャブルが飛翔形態を取る。もうお別れなのだ。そんなの、とヨハネは手を伸ばそうとする。
馬鹿でもいい。
情けなくてもいい。
彼女に行かれてしまったら、僕は――。
その指先をコルニはするりとすり抜ける。
「じゃあね、ヨハネ。また会えるよ、きっと」
ヨハネは涙を拭った。次に会う時には、彼女に相応しい男にならなければ。
「ゴメン……、こんな顔で」
「いいよ。今生の別れでもあるまいし。アタシは笑って行く。ヨハネは……ちょっと涙ぐみ過ぎだけれど、あんたらしいよ」
ルチャブルが羽ばたいた。
その音だけを居残して、コルニはそこに居た証明さえも消し去っていた。
全ては幻であったかのよう。
だが、自分は覚えている。覚え続けている。
コルニという少女の、戦いの間際の横顔を。
せめて再会出来る日を信じるしかなかった。その時がたとえ幾星霜の向こう側だとしても。
ミアレの夜風が涙に沁みた。
今宵だけは、一人で泣きたかった。