EPISODE93 不明
ファウストの情報通りならば、その場所のはずであった。
コルニはミアレの街並みを抜けて、ターミナルの地下街に存在する抜け道を見つけ出す。
用務員通路はさらなる深部へと続いていた。
「地下、ね。何で悪の組織って地下が好きなんだろ」
ぼやきつつ、コルニはここまでだ、と感じる。
これ以上は、ルチャブルを連れていなければ難しい。ここまで来たからには、何かしら接触があってもおかしくはないが、今のところ、誰にも気取られていない。
わざとか。それとも、こちらを歓迎しているのか。
「ここまでならば、アタシは踏み込める。でも、単騎じゃ厳しいね」
身を翻そうとした、その時であった。
殺気の波が肌を粟立たせる。咄嗟に飛び退いた空間を引き裂いていたのは蜘蛛の放つ糸の散弾であった。
視線を振り向けると、仮面を被った赤スーツの少女が手を振りかざしている。伴っているのは蜘蛛のポケモン、アリアドスだ。
「コルニ、ですわね」
「あれ? アタシの事知ってるんだ?」
「組織ではもう有名ですから」
「……あんた、ここにアタシが来るの、知っていて張ってたね? って事は、クセロシキの回し者か」
少女はアリアドスの糸を使ってゆっくりと降りてくる。実力者か、と一見してはかろうとするも、それほどの強さは見込めない。Eアームズの気配もなし。
――纏うまでもないだろう。
そう判断したコルニに、次の一言は意想外であった。
「プロトエクシードスーツを使ってこない、という事は、それは即ち、こちらに下る意思があると?」
「そりゃ、誤解だね。アタシは、あんた程度に使うまでもないと判じた」
お互いの認識の違いに、暫時、沈黙が降り立ったものの、相手は自分の至らなさを感じたのか、歯噛みしたようだ。
「……確かに、今のわたくしでは、Eアームズも、ましてや、その実力もない」
「分かってるならまだいいじゃん。世の中には、自分の実力を分かっていないのに、戦う無謀者がいるんだから」
「まだ、実力をはかっていない馬鹿者ではないつもりです。わたくしの名はアリア。フレア団、三級構成員」
「三級? じゃあ、本当の下っ端じゃん。何でこんなところに?」
「クセロシキ副主任からの伝言です。ナンバーツーとの戦いを考えているのならば、協力もやぶさかではない、と」
そのポストの欲しいクセロシキからしてみれば、一挙手一投足を連絡しろ、という事か。コルニは肩を竦めた。
「あのさ、お使いのつもりじゃないんだよ。アタシは、アタシの復讐を遂げたいだけ。クセロシキがどういう考えでも関係がない」
「しかし、あなたはクセロシキ副主任の力を得なければ、ナンバーツーには遠く及ばない」
ぴくり、と眉を跳ねさせた。
「誰が、そんな事を……?」
「客観的判断です。ナンバーツーは狡猾であり、なかなか組織内でも尻尾を掴ませません。それを排除するとなれば余計に相手は慎重になる」
「何だかなぁ……。あんたらでさえもはかれていないナンバーツーの実力、ちょっと過大評価しているんじゃない?」
「そうとも言えます。誰も、彼女を相手取った人間はいないのですから」
「女だって事しか分からないわけか。まぁ、アタシと同じだね」
「Eアームズを使用してくるのかも不明。正直なところ、命令系統が違うのです」
それでは何も分かっていないも同義ではないか。落胆を示そうとしたコルニへと、アリアは一枚の紙片を投げる。
受け止めたコルニはそれを目にした。
「カードキー、か」
「それを使えばフレア団のある程度の権限までならば侵入可能」
「いいの? アタシ、フレア団を潰す気なんだけれど?」
そんな人間に不用意にカードキーを渡していいのか。その言葉にアリアは鼻を鳴らす。
「それほどまで無鉄砲ではない、との判断です。それに、たった一人で潰せる組織ならば転覆しているはずです。それが何よりの根拠」
「強い力だけじゃ、覆せない現実、か」
コルニはカードキーを仕舞ってから、アリアに問いかける。
「でもさ、ここでアタシが退くって言う選択肢を取るとも限らないじゃない?」
「と、言うと?」
疑問符を浮かべたアリアに、コルニは一気に踏み込んだ。その動きについて来られなかったのだろう。
驚愕を浮かべたその身体を引き剥がしたのはアリアドスの糸だ。
一気に主人を安全圏に保護し、アリアドスが糸を吐き出す。その糸の弾丸を足で弾きつつ、コルニはアリアドスの頭上を取った。
宙返りを決めて踵を引き上げる。
「必殺! ローリング、踵落としィ!」
踵落としがアリアドスの頭を潰すかに思われた瞬間であった。
「戻りなさい」
アリアの指示にアリアドスが赤い粒子となってボールに戻る。コルニの踵落としは何もない空間を引き裂き、アスファルトを巻き上げた。砂塵の舞い散る中、静寂が落ちる。
「……ここまで野獣だとは思わなかった」
「そう? アタシは言っておいたよ、クセロシキに。どこでどう暴走しても知らないって。復讐のためなら、アタシは何だってやる。例えば、そう。メッセンジャーを殺す、くらいはわけない」
アリアは必死にこちらを睨みつけているが、その眼差しに恐怖が宿ったのを見逃さなかった。
コルニはローラーシューズで後退する。
「……けだものめ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それに、アタシも今はまだ、ここから先に進む気はないし」
「ルチャブルを回収しに行くのですか」
「回収って言い草はないね。相棒を、取り戻しにいく」
アリアの声音には棘が含まれている。それは今しがた殺されかけた畏敬の念があるのだろう。
「相棒、ね。分からないものですね」
「まぁ、これは特別だからね。誰にも理解して欲しいわけでもないし」
ただ、一瞬だけヨハネの顔が過ぎったのはどうしてなのか、自分でも分からなかった。
「……お行きなさい。わたくしの気が変わらぬうちに」
「そうさせてもらうよ。番人気取るのには、あんた、弱過ぎる」
緊張が降り立つ中、コルニはアリアに背中を見せた。しかし、攻撃はしてこないであろうという確信があった。
強者に逆らうほど、相手も無鉄砲ではあるまい。
その認識が同時に感じられていたのだ。
ルイを通して目にした映像に、ユリーカは呆然としていた。
金色の光を纏ったエスプリが、モロバレルを倒した。そこまではいい。問題なのは、使われた属性であった。
「紫のエスプリが、氷を使った……?」
全く理解の範疇を超えていた。次の瞬間には、ルイを使って、全力で情報を掻き集めていた。
フレア団の、少しの情報の断片でもいい。今は、あの不可解な現象を突き詰めなければ。
その意思に従って、寄り集めた情報は一つの答えを示していた。
「フレア、エクスターミネートスーツ、だと……」
規格外のスーツの製造記録だ。その情報があったのは、まさしく灯台下暗し。このラボの極秘ファイルであった。
「辿り着いたみたいだね」
その声にハッと振り返るとシトロンが笑みを浮かべていた。
「これは何だ? Eスーツじゃないのか?」
「Eスーツさ。ほら、エクスターミネートも頭文字はEだろ?」
だが、カタログスペックだけでもカウンターEスーツとは全く違う。
「これが、マチエールを蘇らせた要因か」
「ちょっと違うけれど、まぁ、それでいいよ。カウンターEスーツと違って、ぼくの完全な趣味だからね」
「フレアエクスターミネートスーツ。カウンターEスーツがその役割をEアームズへの牽制に絞っていたのに対して、これは随分と実験的だ。しかも、どうしてだか情報はスペックとその指向性のみ。つまり、フレア団に情報がない」
「ルイに預けておいたんだ。だから、フレアEスーツを最も理解しているのは、今ハンサムハウスにいるはずのルイ・オルタナティブだ」
ユリーカは歯噛みする。最初から、このEスーツの存在はどう足掻いても今いる場所から手に入らないのだ。
「分かっていて、やったな」
「主語が抜けていいる。何の事だか」
「分かっていて、私をここに幽閉し、マチエールを野に放ったな、と言っているんだ。マチエールはこれを使うだろう。私には、理解する手段もない、この力を。使うしかあるまい。だが、これは恐らく毒だ。使えば使うほどに、その身を削るもののはず」
「決め付けはよくないな」
シトロンは飄々とかわす。ユリーカは再びコンソールに向かい合った。どれほど情報を掻き集めても、所詮は表層のものしかない。
「フレアEスーツ。調べを進めているとこれだけじゃないな。もう一個、名前が全く同じものがある」
呼び出した情報にシトロンはフッと笑みを浮かべた。
「オーダーでね。これを造ってくれと言われている。ぼくが今、取り掛からなくてはならない命題だ」
「フレアEスーツ、という名称は同じ。問題なのは、Eが何を示しているのか分からない事。それに、こちらは随分と限定的な能力だ。何のために使う?」
「言っておくけれど、ぼくは言わないよ。口は堅いほうなんだ」
よく言う、とユリーカは舌打ちした。
「では、このEスーツに関してもその口から言うつもりはない、と」
「ぼくはユリーカ、お前にミュウツーの協力をして欲しいとは言った。それ以外の事に関してはノータッチでいい。だって言うのに、余計な事が気になる性質なんだね」
「お陰様でな。こうも断片情報ばかりでは気にもなる」
舌鋒鋭く返すと、シトロンは嘆息をついた。
「エクスターミネートスーツに関して言えば、毒とまではならないはずだよ。ただ、ちょっとばかし特殊なシステムを組み込んでいてね」
「エスプリは紫の状態で別の属性を顕現させた。それがそのシステムの正体か」
「ぼくはデルタユニゾンシステムと名付けた。デルタ種、に関しての知識はあるかな」
「通常のポケモンと異なる属性を顕現させたポケモンの総称。一部地域でのみ観測される事象のため知れ渡ってはいない」
「正解。百点だ」
乾いた拍手を送るシトロンにユリーカは反抗的な声を出す。
「そのデルタ種を、まさか人為的に作り出したんじゃあるまいな? 悪魔の研究だぞ」
「今さら何を。悪魔どころか神さえも恐れないのが研究者だ。デルタ種、とは言っても、これは少しばかり違っていてね。戦闘時、つまりユニゾンシステム使用時にエクスターミネートスーツの能力が働き、ポケモンに特殊な磁場を生成させ、その遺伝子の内側に眠りし属性の記憶を呼び覚ます。いわばポケモンの潜在能力を引き上げる措置だ。そういう点ではEアームズの考え方に近い」
「EスーツとEアームズの利点を、一つにしたわけか」
「物分りがいい。そうだね、Eアームズには問題点が付き纏う。それはハーモニクスを行う被験者の精神面の脆さが直結し、暴走の危険性がある事だ。一方、Eスーツだが、こちらの問題点はポケモンそのものの能力を引き上げるのではなく、あくまでもポケモンの属性能力を人間が、借り受ける、という一面。つまり、通常のポケモンで戦う能力の高いトレーナーに比すれば、Eスーツでさえも弱々しい発明品に他ならない。だが、ぼくはこう考えた。その二つの弱点を補完するのには、やはり人間に変わってもらうほかないと。ポケモンにも変化は及ぼす。だがそれは、遺伝的な変化であり、むしろ先祖返りの意味が強い。ポケモンへのフィードバックは最低限にし、人間を純粋強化する。フレア団ではポケモンを強化するのに、進化の石を融かした代物を使おう、なんて話も持ち上がっているんだ。ぼくから言わせれば、とんだ愚策だ。ポケモンを強化したところで、操るトレーナーの未熟さは隠せない。ならば、人間にこちら側に来てもらうほうが早いだろう?」
「人間を解体し、強化し、ポケモン側に引っ張り込む。……充分に、イカレている」
その言葉にシトロンは涼しげな様子だった。
「褒め言葉だと、受け取っておこう。ルイ・アストラルの能力だけでここまで情報を掻き集めたお前だって、それ相応のものだよ。正直なところ、ルイ・アストラルはオルタナティブほどの能力がないと思っていたからね」
「こちら側のルイを嘗めないでもらおうか」
ルイもシトロンを睨みつける。二人分の敵意に、シトロンは気圧されるでもない。それどころか、微笑んでみせた。
「いいね。ルイ・アストラル。ぼくの造ったオルタナティブよりも随分と、人間らしくって。でも、完成度はまだ乏しいな。もう少し、と言ったところだ」
『マスター。ボクもやっぱり、マスターのお兄さんであっても好きになれません』
ルイの反感にシトロンは手を払う。
「いいよ。キミに好いてもらうとは考えていない。システムの好意など、プログラム如何で変わる」
「私のルイはそんなのじゃない」
「どうとでも思っているといいよ。それと、ミュウツー完成に精を出してくれれば、なおよしなんだが」
「何度も言わせるな。私はミュウツーを完成させる事など、あり得ない」
「そうかな。今回、お前は知ったはずだ。エスプリがやがて、危険な存在になるかもしれない事を。その時、清算出来るのは強大な力の持ち主のみ。それを造るのは、同じ悪魔の手でなければならない」
「……エスプリへの牽制に、ミュウツーを造れと?」
「その必要に駆られるはずだと言っているんだ。もし、エスプリが制御不能の怪物と化した場合、だけれどね」
「あいつはそんなので負けるほど、弱くはない」
「だといいがね」
ラボから出て行くシトロンの背中をしばらく睨んでいたユリーカだったが、やがて椅子に座り込んだ。
『……マスター。マチエールさんが、そんな、これじゃあ、フレア団の思うつぼなんじゃ……』
「分かっている。分かっているが、少しばかり、な」
息をつく。まさかマチエールに既に仕掛けが成されているとは思っていなかった。
人質に取ったマチエールの身柄を餌に自分にミュウツーを完成させるつもりか。だが、ここで静観しているわけにもいかない。
ユリーカはルイを呼びつけた。
「フレアエクスターミネートスーツの情報を探るぞ。ログの一つくらいは残っているかもしれない」
『でも、持ち主はオルタナティブだって……』
「全面的に信用出来る言葉でもない。私は出来得る限り、エクスターミネートスーツの情報を漁る。手伝え、ルイ」
『分かりました。でも、もし本当に、フレア団内にその情報がなかったら……』
その時はどうするべきなのか、自分でも分からなかった。