ANNIHILATOR - 深化篇
EPISODE91 鼓動

 ノックすると、既にヨハネは眠っているとルイが飛び出して言いつけた。

「そっか……。なら、いいや」

『待てよ、マチエール』

 ルイの声音にマチエールは足を止める。

「何? あたし、まだやるべき事が」

『違和感があるなら言え。これは主人の命令だ』

 違和感。マチエールは変身してもいないのにバグユニゾンのような効果が現れた事を言うべきか迷った。

 しかし、どこかでその迷いを振り切れない。

「……あたし、おかしくなっちゃったのか?」

『少なくとも人間のはずだがな。今のところは』

「ルイ、お前、どこまで知っている?」

 問うとルイは肩を竦めた。

『万能って言いたいところだが、生憎オレは交換条件として出された以上、百パーセントの性能は出せない。出せないように調整されている』

「あたしの、バックアップくらいは出来るよね?」

『なんだぁ? やっぱりあるんじゃねぇか。違和感』

 ここで隠し通してもいいがいずれは露見するだろう。マチエールは口を開いていた。

「……変身していないのに、バグユニゾンの時みたいに集中力が磨き上げられた。どうしてだか分からない。それと……、いや、これはいい」

 声の事も言うべきか迷ったものの、今は変身時以外の異常を口にした。

『思ったよりも早かったな。もう症状が現れたか』

 飄々と語るルイにマチエールは目を見開く。

「やっぱり、知っていて……」

『と、いうよりもフレアEスーツを着ていれば起こるようになっているんだよ。今のところは大丈夫かも知れねぇが、いずれはヨハネにも言わなきゃいけないだろうぜ』

「フレアEスーツ……、前までのカウンターEスーツと、何が違う?」

『大元が……って言っても分からないだろうが、分かりやすく言ってやると、カウンターEスーツはあくまでもEアームズへの牽制レベルであった。それがフレアEスーツになると完全に、駆逐用の装備だ。Eアームズ、ひいては全てのEスーツを破壊するためのEスーツ。知る事になるだろうな。このまま戦い続ければ、お前は、戦う事しか出来ない、生物兵器に成り下がる』

「生物兵器……」

 そのような大仰な言葉が似つかわしいほどの力だとは思っていなかった。

 しかしルイが嘘を言う理由もない。

『まぁ、今のところはフレアEスーツの、一部分の能力の露出ってところだろうぜ。バックルはあるな?』

 マチエールは懐からバックルを取り出す。ルイが手を触れるとバックルに刻み込まれた黄金の意匠が煌いた。

『力を使えば使うほど、こいつはてめぇに応えてくれるようになる。カウンターEスーツよりもなお濃い、闇へと踏み入る事になるだろうな』

 以前よりも濃い闇。マチエールが唾を飲み下すとルイは浮遊して毒づく。

『それにしたって、てめぇもヨハネも解せねぇぜ。何で他人の心配なんてする? 自分の事で精一杯だろ? マチエール、てめぇは自分が最終的にどうなっちまうのかが不安で仕方ないはずだ。ヨハネは、あいつ自身、そっち側じゃないのは気づき始めているんだと思うがな』

「ヨハネ君は助手としてよくやってくれている。それに、ルイ・オルタナティブ。覚えておけ。人間は必ずしも、合理的な判断だけで動いているワケじゃない」

 こちらの忠告にルイは涼しげだ。

『……肝には命じておくよ。ただな、お前ら同士で心配し合っても仕方ねぇって言ってんだよ。今の大元の敵はフレア団だろうが。それに、爪痕を立てる事さえも出来てねぇ現状を憂う気持ちもないのか?』

「ないワケないだろ。あたしだって、焦っている」

 少しでもフレア団の喉元に辿り着かなければ、ユリーカを取り戻す事も出来ない。相棒を取り返す。それだけは絶対の条件であった。

『じゃあ、どうする? このままじゃどう足掻いたって、タマゲタケの残りを排除する事も出来ねぇぜ?』

 まさしくジリ貧だ。歯噛みするマチエールへと、ルイは悪魔の囁きを紡ぐ。

『やり方を教えてやる事は出来るぜ? ただし、蛇の道だがな』

 ここで首肯すれば、自分は後戻り出来ないだろう。だが、今のまま、どっちつかずでいられるほど、無頓着でもない。

「……あたしの出来る事を、やるだけだ」

 ルイが口角を吊り上げて笑みを浮かべた。

『オーケー、マチエール。なら、教えてやるよ。デルタの鼓動を』














 一つ、二つ、三つ、四つ――。

 剣閃が瞬き、切り裂かれていくのはタマゲタケだった。

 こちらを狙ったタマゲタケの集団攻撃。それを払っているのは水色のバイザーを輝かせた疾駆である。

「ったく、キリがないったら!」

 ユニゾンチップを両手に埋め込む。『コンプリート、スティールユニゾン』の音声と共に暴風を思わせる剣戟が舞い上がった。

 タマゲタケが切り裂かれ、力なく横たわっていく。

 明らかにこちらを意図した戦略にイグニスは消耗を感じていた。タマゲタケ一体を餌にして誘き寄せたのは数十体のタマゲタケである。それも進化前の個体であるため、どれが偶発的に進化をしてもおかしくない。

 だが、と懸念するのはどの個体も本気で立ち向かってこない事だ。

「何の目的だ? まるで、何かを、待っているかのような」

 その違和感を拭えないでいると背後から毒の霧を舞い上がらせたタマゲタケ五体が這い登ってくる。

「邪魔だよ!」

『コンプリート。フライングユニゾン』の音声で翼が跳ね上がる。タマゲタケが身体から引き剥がされた隙をついてイグニスはバックルにチップを埋め込んだ。ハンドルを引いて操作する。

『フライングユニゾン、スティールユニゾン、ツインエレメントトラッシュ』

 風と鋼の力が相乗し、タマゲタケを一掃する。

 肩で息をしたイグニスは少しばかりの戦闘から離れただけで体力が落ちている事を自覚する。

「呪いの効果もあるのかもしれないけれど、ちょっとばかし鈍いな」

 イグニスはバックルを外し、変身を解除する。アタッシュケースにEスーツが仕舞われ、コルニはそれを背負った。

「まったく……、ハンサムハウスに行こうと思っただけなのにこれじゃ遠回りだ」

 ぼやいていると不意に気配を感じ取った。今しがた変身解除したばかりなのにまたしても敵か。

 そう判じたコルニがバック宙を決めてローラーブレードの刃を突き出す。

 相手も黒色の鎧を身に纏っており、翳した腕で一撃をいなした。

 ハッとしてコルニは距離を取った。

「なに、あんた」

 赤スーツの恰幅のいい男だ。両手両足だけEスーツを纏っている。だが、カウンターEスーツでもない。ただの強化服、と言ったところだろう。

「ここに来て、ワタシも協力者が欲しくなってネ」

 白い仮面がぼうと浮かび上がる。赤いサングラス越しに嫌な視線がこちらを観察していた。

 それを払うかのようにコルニは拳を握り、戦闘姿勢を取る。

「やるんなら、来い」

「まぁ待て。まったく、どうしてEスーツの持ち主は野蛮人ばかりなのかネ」

 エスプリの事を知っているのか。否、相手は赤スーツに奇妙な風体。恐らくは、フレア団の手の者。

 だが、他の下っ端団員のような雰囲気ではない。

 これはもしや、とコルニは声を詰まらせる。

「……幹部、か?」

「名乗っておこう。クセロシキ研究副主任。それがワタシの名前ダ」

 クセロシキと名乗った男にコルニは訝しげな視線を投げる。

「何だって、幹部が部下も連れずに? いや、このタマゲタケが尖兵だったか?」

「タマゲタケは、ワタシからしてみてもイレギュラーだヨ。狩ってもらっている分際で偉そうな事は言えない」

 鼻を鳴らし、コルニは顎をしゃくった。

「で? その副主任が何の用なんだ?」

「取引をしようと思ってネ」

「取引?」

「プロトエクシードスーツを造ったのはワタシだ」

 思わぬ宣告にコルニは目を瞠った。まさか、このEスーツの元の持ち主だとは。

「……それで、何? 返せって?」

「違う。もうそこまで馴染んでしまえば返してもらっても邪魔なだけダ。ワタシは、君に一戦力としての価値を見出している」

「一戦力? フレア団に手を貸すつもりはない」

「しかし、探しているのだろう? 復讐の矛先を」

 何故それを、と感じたが、自分は下っ端相手にずっと問い続けてきたのだ。それが上に伝わっている事も加味すればあり得ない話でもない。

「まさか、差し出してくれるって?」

 冗談めかして言うとクセロシキは嘆息をついた。

「……正直、ネ。フレア団内でも身内を疑う関係になりつつある。ワタシは副主任だが、その実権がほとんどないに等しい。その状態でどこまでやれるかと言えば、疑問が残るのが実情ダ」

「アタシに、スパイ狩りをやれっての?」

「簡単に言えばそうなる」

 コルニは毅然と言い返した。

「お断りだね。そんな事のためにプロトEスーツを貰い受けたわけじゃない」

「言葉に気をつけてもらおうか、ウスノロの泥棒。ワタシの手にあるこれが、何だと思う?」

 クセロシキの握っているボタンにコルニは首を傾げた。

「さぁ。何?」

「プロトEスーツを造ったのはワタシだ。その解除方を、知らないとでも思ったか?」

 息を詰める。なるほど、勝てると踏んで真正面からの交渉に出たか。

 しかし、ハッタリならばこちらも負けていない。

「いいよ、やれば? ただし、その時にはあんたの首が飛んでいる」

 足を踏み出し、いつでも跳躍出来るようにする。プロトEスーツを纏うまでもない。ローラーシューズだけでクセロシキを倒せる。その自信があった。

 お互いにこう着状態が降り立つ。やがてそれを破ったのはクセロシキのほうだった。

「……交渉は無意味、か」

「物分りが早い」

「これでも一応は副主任なのでネ。判断は速いほうがいい。分かった、こうしよう。ワタシは君を支援する。ある一定のラインまでは、ネ」

「信用出来ない」

「なら、これが信用だ」

 放り投げられたのはホロキャスターである。コルニが身構えながらそれを拾い上げる。

 動画ファイルが入っており、再生すると、映し出されたのは許しを請う団員であった。

『お許しください! ナンバーツー!』

 すっと、何者かが手を掲げる。それだけで下っ端団員が炎に包まれた。もがく中ですぐに人間一人が炭化する。

 その現象に見覚えがあった。

 コンコンブルを殺したのと、同じ手口だ。

「この、炎のポケモンは……! じィちゃんを殺した奴だ。そいつと、同じくらいの強さの……」

「組織のナンバーツー。ワタシ達は畏敬の念を込めて、炎の女と呼んでいる」

「炎の女……、こいつが、ナンバーツー? こいつを……」

 動画は陰になってその人物の姿までは窺えない。だが、確実に言えるのは同じくらいの手だれだという事。

「差し出すわけではないが、情報を売ろう。その情報を下に、ワタシの下についてもらう。君は仇を殺せる。ワタシは強い駒を手に入れられる。お互いの利害は一致したはずだが?」

 確かに、クセロシキに付いて行けば、ともすると一番効率がいいのかもしれない。

 しかし、コルニには迷いがあった。

「……まだ、その気にはなれない。相棒もいないし」

「ルチャブル、か。いいだろう。その相棒を取り戻した後、どうするか決めるといい。そのホロキャスターはくれてやる。それがワタシとの直通通信だ。ワタシの情報を得て戦うという意思がある場合、それからかけてくるといい。ワタシはいつでも歓迎しよう」

 コルニは戸惑っていた。突然に現れた、怨敵。それが手の届く範囲にいる。この男に従えば、自分は復讐を果たせる。

 しかし、脳裏に過ぎったのはヨハネとマチエール、それにユリーカ達の存在であった。

 どうしてだか、自分は彼らに一言の許しもなくここで決断するのは躊躇われた。

「……アタシにもケジメ、がある。そのケジメをつけてから、判断しても」

「ああ、構わない。ただし、その時ハッキリとする事ダ。ハッキリと決断しなければ、君はいつまで経っても半端者だヨ」

 クセロシキが姿勢を沈め、跳躍した。Eスーツの人工筋肉が作用して一瞬で高層建築の中に消えていく。

 コルニは握り締めたホロキャスターに視線を落とした。

「復讐が果たせる……。じィちゃん、アタシは……」

 そこから先は言葉にならなかった。














「なるほど。よく出来ている」

 シトロンが賞賛したのは次のEアームズの試験データであった。研究員が声を振り向ける。

「これまでのデータを基にした第二世代ですからね。プロダクションタイプのさらに上を行くEアームズ」

「完成品、と言ってもいいだろう。それと並行して進めているプロジェクトの進捗状況は?」

「現在、六十パーセントです。しかし、どうしてこの研究を? 主任はEスーツ分野には手を出さないんじゃ?」

「まぁ、気紛れだよ」

 手を払ってシトロンはその場を後にする。ラボに戻ろうとしたところで視線を感じた。監視カメラに一瞥をくれてから、シトロンは言葉を紡ぐ。

「ルイ・アストラル。盗み見は趣味が悪いぞ」

 そう告げると、監視カメラから気配が失せた。

 ユリーカはこちらの動向を探っている。しかしまだ許容範囲だ。この程度ならば自分の掌の上で踊っているに等しい。

「さて、問題のお姫様だが、キミ達はぼくに何をもたらすのか、そろそろ明確にして欲しいね」

 ラボの扉を開くとユリーカの睨みが飛んできた。

「私は協力しない」

「それは変だな。このフレア団の施設にアクセスして、何も感じないはずがない。ルイの使い方も様になってきたじゃないか」

「新しいEアームズ、あれをどうする気だ」

 やはり見ていたか。シトロンは何でもない事のように告げる。

「実戦投入。それだけだ」

「ミアレの街を、どこまで危険に晒す?」

「可笑しな事を言うな。ミアレは実験都市だ。そこで行われる事は性能試験以外にあり得ない」

 ユリーカが歯噛みして抗弁を発する。

「それでも……! ここまで人でなしが闊歩する街にするのは、おかしいって言っているんだ」

「エスプリに感化されてどうやら心根まで変わったみたいだね、ユリーカ。ぼくは最初から、お前の頭脳に期待している。エスプリにフレアEスーツを渡したのもそのためだ。もう戻れやしないよ。次に会う時、お前とエスプリは敵同士になる」

「お前は……! どこまで人の人生を弄べば、気が済むんだ!」

 いきり立ったユリーカにシトロンはあくまでも冷静に対処した。

「落ち着けよ。ぼくの妹らしくもない。ルイ・アストラル、それに我が妹の頭脳、それにぼく、フレア団、これらの要素が集まれば可能なんだ。世紀の大発明が。ミュウツーを完成させる充分条件は満たしている」

「ミュウツーなんて夢想だ。そんなものは出来ない」

「しかし、出来るだけの条件に達している、と言っているんだ。お前がやらなくとも、誰かがこの禁忌には気づく。その時、正しく物事を対処する方法を知らなければきっと後悔するのはお前だよ」

 ユリーカは口を噤み、椅子に座り込んだ。

「……ミュウツー細胞も、何もかも机上の空論だ。それでも、フレア団の頭脳はやると言うのか?」

「いつだって、研究を前に進める原動力はロマンという、不確かな存在だ。ぼくはロマンを感じているよ。ミュウツーにね」

「バカバカしい。ミュウツーを造って何になる。確かに強力な生態兵器だ。分かった事を統合すれば、如何にフレア団の戦力増強に繋がるのかは見えてくる。だが、こんな……ただ単に研究者の虚栄心を満たすだけのものなんて、造ったって誰も幸福にならない!」

 ペンを放り投げたユリーカに、シトロンは落ち着き払ってそのペンを拾った。

「幸福のために研究はあるのか。否、そのはずがない。研究とは、いつの時代においても実証と好奇心が導き出す最高の嗜好品だ。その嗜好品をたしなむ権利を持つのは、一部の特権層であり、それこそが人間という存在でもある」

「傲慢だ。ミュウツーを造ったって誰が幸福になんて」

「造った時に、明らかとなる。ペンを返すよ」

 ペンケースにシトロンが置くと、ユリーカは面を伏せた。

「何でだ……。なんで、私をここに連れて来た。私なんていないほうが、もっと早くにミュウツーを造れるはずだ。反発する人間もないのに」

「かもしれない。しかし、反発のない研究というものは……総じてつまらない」

 肩を竦めたシトロンにユリーカは何も言えないようであった。

 ルイが浮かび上がり、ユリーカの肩を抱く真似をする。

 その眼差しには敵意があった。

「面白いね。全く同じアーキタイプから派生した二人のルイ。ぼくの造ったオルタナティブとはまさしく正反対。しかし、電脳世界を飛び回る妖精であるのには違いない」

『ボクも、マスターと同じ気持ち。絶対にミュウツーなんて造らない!』

「どうだかな。システムのほうが合理的かもしれない。それと、もう一つ。ぼくは時限爆弾を仕込んでいるのをお忘れなく」

 ハッとしたユリーカが顔を上げる。

「フレアEスーツ……。しかしどこまで探っても情報なんて出てこない。これは、何なんだ」

「当然さ。ぼくは全ての情報をオルタナティブに詰め込んだ。今、フレアEスーツを正しく理解している存在がいるとすれば、それはエスプリの傍にいるルイ・オルタナティブただ一人」

 この状態からユリーカが止める事は不可能だ。

 しかし、強情な妹は意見を曲げなかった。

「ミュウツーは造らない。それに、エスプリに仕込んだ時限爆弾も止めてみせる」

「いいね。強情な人間ほど、その希望が潰えた時、堕ちるのは目に見えている」

 シトロンが手を振ってラボを後にする。ユリーカが背を向けた。



オンドゥル大使 ( 2017/02/02(木) 23:11 )