EPISODE90 予言
「帰ってきたのか」
こちらを認めたオーキドはコーヒーをちょうど淹れたところだった。ヨハネは首肯する。
「大変でしたよ。まだ、エスプリは継続中です。僕だけ、まず帰れって」
「順当じゃな。お主はちょっと無茶をし過ぎておる」
飲み干すオーキドの声音にヨハネは言い返していた。
「でも、僕だって助手だ」
「助手に無理はさせん主義なんじゃろ。あの子もよく分かっておるわい」
「……でも、必要とされていないみたいじゃないですか」
事実、どこかエスプリは他所他所しい。先ほどの戦闘がそれほど苛烈であったとは思えないのに、どうして自分を遠ざける真似をしたのだろう。
「便りがないのならば、それはいい事なのじゃろう」
「そう思いたいですけれど、そうもいきません。博士、ルイから何か聞き出せましたか?」
オーキドもまた研究者として自分を扱ったフレア団に興味がないはずがないのだ。
「いや、ワシには何も語ってくれんよ」
「そう、ですか……」
拍子抜けには違いなかったが、ヨハネはおくびにも出さないでおく。この老人はあくまでも被害者だ。コルニと共謀してこのハンサムハウスに保護したまではよかった。
しかし、その後の激動を鑑みるに決して安い犠牲でもない。
マチエールは死に、ユリーカは向こう側に連れ去られた。コルニは依然、行方不明。
こんな状態で何を頼りにしろというのだ。
「せめてフレア団の内情が分かれば。そうでなくとも、相手の最終目的さえ割れたのなら、やりようがあるんですけれど」
「最終目的、か」
オーキドは確実に何かを知っているのだろうが言おうとしない。ルイに、と思ったがそれこそ思うつぼだろう。どこか釈然としないまま、ヨハネもコーヒーを飲み干した。
「博士。博士の経験した事を、話してもらえますか?」
「前に、あの嬢ちゃんに言った通りじゃが?」
「確認したいんです」
そう言うと、オーキドは対面の椅子に座って膝を叩いた。
「何でも聞いて来るといい」
「四十年前、第一回ポケモンリーグがありましたよね? あなたは参加者だった」
「ああ。そのポケモンリーグでは失格に終わったがの」
「何で、失格になったんですか?」
「ちょっとミスを犯しての。手持ちが戦闘不能になった。その時、大会事務局から便宜を図ってもらってな。そのせいで失格処分じゃ。まぁ、経歴に傷がつくほどではないが」
「その、戦闘不能になったのは、戦いで、ですか?」
「そうじゃな。強い相手じゃった」
四十年前のポケモンリーグはまだ、技の規制や輸入制限もかかっていない、ほぼルール無用のデスマッチであったと教わった。
その戦いを生き抜いた生き証人の言葉だ。無下には出来ないが、しかし、簡単に信じ込むのもまた、危険。
「何ていう名前の相手だったんです?」
「まるで尋問じゃな」
「失礼。でも気になってしまうもので」
愛想笑いを浮かべるとオーキドは深く考え込んだ。
「……忘れてしまっての。許してもらえるか」
ど忘れだろうか。老練の身ならば仕方ない、と普段ならばここで身を引くが、ヨハネは詰問していた。
「じゃあその戦った相手はどのような順位になったんですか? 最終順位だけ教えてくださいよ」
「だから忘れたんじゃと……」
「でも、その戦いの舞台は一応、最後の難関であるセキエイ高原だったんですよね? スクールでその場所にあなたがいた事は教わっています」
こちらのカードを出してやるとオーキドは言い直した。
「ああ、そうじゃったか。いやはや、歳を取ると自分の経験も怪しくってなぁ」
「セキエイ高原に残っていたのは大会百名以上のうち、たった二十人の精鋭。その二十名の内、関係のない人々ばかりであった、というわけじゃないでしょう?」
「そうじゃな。今でも連絡する仲の友人もおるよ」
「でも話を統合するに、あなたはその中の誰かに負けたんですよね? これは、調べれば分かる事です。四十年前の、最後の玉座の戦いに招かれた二十人のデータは出ます。それこそ、簡単に」
ここまで追い詰めれば何かしら不都合な事実がある場合は覆い隠そうとするはず。
ヨハネにはこの老人もどこか信用ならなかった。ユリーカの言い置いた言葉も気になる。
この老人は嘘だらけだと。
オーキドは顎に手を添えて何かを思い返しているようだった。
「そうじゃな……なにせ、四十年も前じゃよ? お主は今、いくつだね?」
「僕は十四です」
「十四、か。ワシもそのくらいの歳じゃった。しかし、そこから四十年経った時の事を想像してみぃ。なかなか思い出すのは難しくないかの?」
言う通りかもしれない。だが、ヨハネはなおも食い下がる。
「ですが、あなたの人生の、その地位を確定させた事柄です。少しくらいは覚えているんじゃないんですか?」
ヨハネが注視していたのは瞬きの回数だ。人は瞬きの回数で嘘が分かる、と二人からの受け売りを試してみる。
オーキドは数回瞬きをした後、言葉を紡いだ。
「いや、結局玉座にはつけんかったし、思い出と言われてもさしたるものはないよ。冒険の思い出はいつだって美化されているものじゃろう?」
またしてもはぐらかされた感覚だ。今日はこれ以上問い詰められないだろうとヨハネは判断した。
「そう、ですか。また何か思い出したら僕に」
「しかし、お主も大変じゃな。ワシのような老人の相手に、この街の守り手、か」
「いえ、僕は選んでこの道を行っているので」
「本当にそうだと思っておるのか? 自分の自由意志で選び取ったものじゃと?」
ルイにも言われた事だ。自分は容易く悪に堕ちると。
しかし信じられなかった。悪に堕ちるなど、いわれのない。
「……僕って変でしょうか?」
だが近いうちに二人にも言われてしまえば疑いも出てくる。ヨハネの疑念に、オーキドは腕を組んだ。
「そうじゃな。お主は、影響を受けやすいタイプだと思うのぉ」
「影響を受けやすい、ですか」
「一緒にいる人間によって、お主は考え方を変える。そういう人間であるというのが分かる」
「やっぱり、ポケモンの権威としてたくさんトレーナーを見てきた経験ですか?」
「それもあるが、何だか不思議な感じがするのぉ。お主とは初めて会った気がせんのじゃ」
「初めて会った気がしない?」
自分は有名人でもない。オーキドほどの大人物と会うのは初めてのはずであるが。
そのような気持ちが顔に出ていたのだろう。オーキドは手を振った。
「変な意味じゃないんじゃよ。ただ、そう……どこか懐かしいんじゃよ。お主の感じは。それこそ四十年前に、出会ったかのような感覚がある」
「……僕の先祖がポケモンリーグに出ていた記録なんてないはずですけれど」
「先祖だとか、血縁の話でもないと思うがの。ただ、お主に似た人間がいたような、そんな不思議な縁があった気がするんじゃ」
半分はオーキドの世迷言と切り捨てて、ヨハネはデータの集約されている部屋に入った。
『おう、帰ってきたか。死んだかと思っていたぜ』
ルイ・オルタナティブの相変わらずの憎まれ口に辟易しながら、ヨハネは座り込む。
「どっこい生きてるよ」
『そいつは不遇だな。ヨハネよぉ。あの爺さんと喋ったんだろ?』
この場所にいれば筒抜けか。秘密などあったものじゃない。
「そうだけれど、何だ?」
『四十年前に何が起こったのか。オレなら答えられるぜ?』
ルイほどのデータベースならばそれにアクセスするのも可能だろう。しかし、ヨハネは頭を振った。
「いや、いいよ」
『何でだよ。あの爺さん、とんだ食わせ者だ。先んじて手を打ったほうが』
「そんな風に、さ。僕は人を疑いたくないんだよ」
先ほどの詰問とて正直胸が痛かったほどだ。こんな老人相手に尋問をしている、と。
ルイが哄笑を上げた。心底、可笑しいとでも言うように。
「何だよ、そんなに変か?」
『変って言うか、てめぇ、イカレてんのか? あの爺さんが嘘っぽいのなんて分かるもんだろうが。それでも信じたい? 笑わせるねぇ、ヨハネよぉ! 言っておくぜ。あのオーキドのジジィを信じるな。裏切られて傷つくのはてめぇだ』
「何でお前がそこまで僕の事に介入するんだ」
『主人のお気に入りだからな。オレ自身てめぇにちょっとした興味があるんだよ。何ならいつだっててめぇの過去くらいアクセス出来るが、あえてしない。フェアじゃない、だろ?』
冗談めかして放たれた言葉にヨハネは顔をしかめる。
「フェアも何も、お前の情報対応能力に人間が敵うわけがない」
『心外だな。オレだって個人のデータをいちいち漁るほど、野暮じゃないって言ってんだよ』
「だったらその姿勢を貫いてくれよ。僕は疲れた。ちょっと仮眠する」
『じっくり寝ればいいじゃねぇか。宿舎はまだあるんだろ?』
「助手だからな。僕がいないとエスプリだって困る」
『ドラゴンユニゾンが使えないだけだろ? 何で困ると思うんだよ』
言われてしまえばそこまでだが、ヨハネは言い切った。
「何となくだよ。文句あるのか」
『ねぇよ。さっさと寝ろ』
簡易ベッドに潜り込む際、ヨハネは肩越しにルイの挙動を見やった。
「……ずっと、何しているんだ?」
『交換したから、それの仕事だよ。エスプリのEスーツのメンテナンスに、バックアップ。一応忙しいんだぜ?』
「そうかよ。だったら隣の部屋の声を盗聴なんてしている暇あるのか?」
『聞こえてきたんだ。仕方ねぇだろ』
正すつもりもないルイにヨハネは呆れ返った。
「そんなのでよく……。待て。お前って、フレア団のシステムの中枢だったんだよな?」
『そうだが、簡単に組織の事は吐かないぜ』
「そうじゃない。フレア団は、エスプリの他に、もう一つ、Eスーツを奪われたはずだよな?」
コルニのEスーツがどこからもたらされたのか。それは未だに謎であった。
『ああ、プロトエクシードスーツか』
「データにあるのか」
『あるが……、何だよ、寝ろよ、ヨハネ』
「いや、一晩二晩くらい、寝なくても大丈夫だ。聞かせろ。コルニのEスーツ、あれは何なんだ? エスプリのEスーツと何か違う?」
『見たまんまだよ。機能が違う』
「ツインユニゾンシステム、だな? あれはどうやって出来た?」
『そう難しい理論じゃないぜ? カウンターEスーツで可能になった技術を進めて、その上で造られたスーツだ。それに、二属性のポケモンなんて普通にいるだろ』
「ああ、しかし、イグニスは正確には七属性だ」
両足、両手、背中、バックルと、全部合わせれば七つの部位を同時に使う事が出来る。
それを造ったのも、ルイと製造元が同じなのだろうか。
ルイは怪訝そうにしたが、やがて理解したらしい。
『ああ、主人が造ったと思い込んでいるんだろうが、あれだけは違うぜ、ヨハネ。イグニス、だったか。あのデータの詳細は主人の手にはないんだ。違う人間が造ったからな』
「Eスーツは量産出来るのか?」
『元々はそのつもりの代物だが、コストが見合わない。ちょっとしたEアームズを十機造るのと同コストでリスクが高いと言えば分かるか』
ヨハネは詰め寄っていた。最早、寝る事など意識の外である。
「教えろ。どこまで、Eスーツの能力を掴んでいる?」
『……腹ぁ、減らないのか?』
不意打ち気味の言葉にヨハネはたじろぐ。
「何だって? 腹?」
『てめぇもマチエールも、動き続けて腹も減らないのかって言ってんだよ。オレには関係のない感情だが、人間は腹減るんだろ?』
何故そのような事を、と思っているとヨハネの腹の虫が鳴いた。身体は正直である。
仕方なく、カップ麺を取ってきて温める。三分経ってから、ルイは口火を切った。
『身内の恥を晒すようなものだけれどな。Eスーツって言ったって、エスプリのそれと、本来想定していたそれと、イグニスのは全く違うんだ』
「元々は、イクスパンションスーツなんだってのは聞いた。拡張させる、って意味合いだって」
麺をすすりながらヨハネは考えを巡らせる。元々は医療用も視野に入れていた研究であった。しかし研究とはどの時代もやはり逸脱するものだ。
『ユリーカから聞いたか。そのイクスパンションスーツな、本来の量産品はもっと分かりやすいんだよ』
「分かりやすい?」
ルイはコンソールに座り込み、パネルを撫でる。するとイクスパンションスーツのデータが投射された。
『人工筋肉によるパワーの向上、スニーキング機能による潜入要素、さらに洗脳とボールジャック機能でポケモンと人間そのものを強化する。訓練の要らない兵士を作る事が、想定されている目的だった』
「だった、ってのが気になるな。カウンターEスーツの在り方はそれじゃないって事か?」
ルイは髪をかき上げる。ルイ・アストラルとは違い黒髪だが、粒子のようなものが棚引いた。妖精、とヨハネは胸中に呟く。
『生憎のところ、な。上層部で意見の対立。どこにでもある話さ。下々と、上の意見は違うってのが。そのせいで研究部門は切り捨てられ、お上の研究はミアレで行われ、Eスーツのような変化の可能性がある研究は切り分けられた。それがホロンっていう場所だ。ホロンに追いやられたユリーカに同情はしないぜ。だってよ、あいつもまた、一員ではあったんだからな』
フレア団の一員であった自覚はあったはずだ。
それを今は悔いている。ユリーカには贖罪の道がある。
「何で、Eスーツを量産しようって話にならないのか、ってのは、Eアームズの効率のよさからなのか」
『そんな認識でもまぁ大丈夫だ。現に、言っちまえばEスーツに対する適性とEアームズの適性基準じゃ話が違うって感じだからな。Eスーツはたった一人の着こなす奴を作るためのもの。だがEアームズはもっと手広く展開出来る。なら、Eアームズに流れるだろ?』
「……Eスーツの適性基準を満たないと、ただのガラクタになってしまう」
ルイがこちらを指差し首肯する。
『誰でも着れるんなら、Eスーツを量産してるよ。適性がある、っていうと聞こえがいいが、結局のところ、兵器になっても問題のない人間の選定だ。組織の中からならば反発もあり得る』
「そう容易く人体実験に踏み込めない、か」
『物分りがよくなってきたじゃねぇか』
ヨハネは麺をすすり、スープを飲み干した。どうやら空腹なのは本当だったらしい。
「でも……マチエールさんはじゃあ、適性があってEスーツを?」
『そこがちょっと分からないんだよな』
「分からない?」
面を上げるとルイはふわりと浮かび上がった。浮遊し、コンソールを操作する。
『元々、極秘であったEスーツには生態認証が必要だった。最初にユーザー登録した人間の言う事を聞くように出来ているんだが、それにしたって一発で着こなしたのは何かしら特別な要因があった気がする。有り体にいうと、上手く行き過ぎている』
まさか、とヨハネは予感してしまう。
――ハンサムが、最初からマチエールにEスーツを着させるつもりだった?
考えに浮かべてあり得ないと否定する。
だとすれば、マチエールはホロンに行った時点で、敬愛する人間に裏切られていた事になるではないか。
それだけは絶対に避けなければらない。
その可能性に至ってはいけなかった。
「……やめよう。僕はもう寝る」
『んだよ、てめぇから話を振っておいて無責任だな。言っとくが、起こしてやんねぇからな』
「心配しなくても自分で起きる。オマエには頼らないよ」
「どうだか。案外、てめぇが一番、オレの事を必要とするかもな」
その予言めいた声音を振り払い、ヨハネは簡易ベッドに潜った。
波のように眠気が押し寄せてきたのを感じた。