ANNIHILATOR - 獄都篇
EPISODE83 獄都

 状況は圧倒的不利。

 それは依然として変わらない。

 彼が吼えたところで、それは所詮、羽虫の些事である。

 ヨハネのゴルバットは空気の層を作っているものの、それは一時的な逃げの手段であって、攻撃には至らない。

 モロバレルを完全に倒すのには圧倒的パワーが必要だ。

 クリムガンならば、とも思ったが、この毒霧の中、クリムガンほどの頑強なポケモンといえど内部器官の破壊は必至。

 迂闊に強力なポケモンを出せないのは自分の失敗から学んでいるだろう。ヨハネはゴルバットに空気の層を作らせつつ、風の刃で応戦を続けている。

 消耗戦だ、とクセロシキは断じるしかない。

 Eスーツを持っている自分でさえも、モロバレルに近づこうなどとは思わない。近づけばエスプリの二の舞である。

 超人的脚力で一気に接近し、フーディンで仕留めるか。

 そのイメージが一瞬だけ脳裏に結びかけたが、すぐに霧散する。

 無理だ。どれだけ費やそうとも、フーディンでは勝てない。

 奥の手を使う事も辞さなかったが、如何にして敵の懐に潜り込むのか。

 ゴルバットが一閃ごとに、翼の回転数を速め、間断のない攻撃を浴びせかけている。

 応戦方法としては間違っていない。ただ、対象が強靭である事を除いては。

 風の刃で潰すのならば、もっと切り札となる攻撃を残しておくべきなのだ。

 しかし、今のヨハネにはそれが精一杯と見える。

 クセロシキは通信を繋いでいた。

「……アリア女史。アリアドスならば、毒霧の中を進めるかネ?」

『……残念ですが計測した戦闘区域の濃度は毒ポケモンで耐え切れる数値を遥かに超えています。これでは近づく事さえも……』

 濁した語尾にクセロシキは次の手を打とうとする。

「航空部隊は? 上空からナパーム弾で仕留める」

『区域の映像です。ご覧の通り、宙域から的確に狙うのには、やはり霧の阻害が……』

 ホロキャスターに映し出された自分達のいる場所はまさしく爆心地。

 誰一人として近付けまい。紫色の濃霧で覆われたこの場所から逃げる事も叶わず、このまま朽ちていくというのか。

 クセロシキは離脱手段がある。Eアームズの脚力を最大に設定すれば、霧を抜ける事は不可能ではない。

 だがヨハネには無理だ。

 この霧の中、抜ける方法などありはしない。

「ヨハネ・シュラウド……。逃げるのならば今ダ。空気の層が生きているうちに、後退しろ」

 自分でもどうして助言など投げているのか分からなかった。ただ、ヨハネは死ぬべきではないと感じたのだ。

 だが、彼は退かない。退くくらいならば最初からこの勝負に乗っていないだろう。

「僕は、もう逃げない」

 ゴルバットの放つ間断のない空気の刃が有効なのは毒タイプだからだ。毒に耐性がなければこの状況、いつ転んでもおかしくはない。

 クセロシキは再三、呼びかけた。

「聞くんダ! ワタシは後始末という目的がある。君は、しかし、復讐だけで死ぬつもりかネ? こんなところで」

 どうしてヨハネに肩入れするのかは依然として分からなかったが、彼はその言葉を聞き入れなかった。

 それどころかさらに一歩、前に進む。

「進むしかないんだ。もう、僕は……」

 ゴルバットに光が纏いつく。光速を超えた翼が紫色の紫雲を棚引かせて、次の瞬間、強く輝いた。

「帰る場所を守るために! 何よりも、こんな奴らのために、もう何も失いたくない!」

 ゴルバットが翼を翻した瞬間、その翼が二対に分かれた。

 分裂した翼の生み出す刃の威力は今までの倍以上である。タマゲタケ数体が切り裂かれて戦闘不能になる。

 モロバレルの表皮を確実に削るその姿は、もうゴルバットではない。

「クロバットに、変わった……」

 進化したのだ。だが、その喜びを噛み締める前に、彼は決断する。

「クロバット! モロバレルに突っ込め! コアを破壊する!」

 クロバットが翼を折り畳み、一気に降下してモロバレルの薄くなった表皮を突き破った。

 まさしく、弾丸のようにその身をもって、コアを破壊した――かに思われたが。

「駄目ダ……。それでも足りないとは……」

 クロバットの捨て身の攻撃でさえもモロバレルを構築する百体以上のタマゲタケの群体が邪魔をする。

 そのまま跳ね返されてクロバットが空中で振り返る前に、モロバレルが跳躍する。叩き込まれたのはその腕部による背面への攻撃であった。

 通常のクロバットの性能ならば避けられただろうが、クロバットは疲弊していた。

 よろめいたクロバットに追撃が叩き込まれる。

 地に落ちたクロバットが飛び上がる前に、モロバレルがその背筋に王手をかけた。

 飛翔するポケモンでは背筋を押さえられればもう飛び立つのは不可能。

 ヨハネを押し包む空気の層も薄れていく。

 このままではお互いに自滅は必定。

 クセロシキは脚部筋肉を全開にしようとする。どうしてだか、ヨハネを殺させてはならない気がしていた。

「ヨハネ・シュラウド! 離脱するゾ! クロバットを戻せ!」

 有無を聞く前にクセロシキは脚力を上げてヨハネを抱え、濃霧から離脱する。

 ヨハネはモンスターボールにクロバットを反射的に戻したようだったが、振り返ったその時、戦闘継続は不可能だと判じた。

 ドーム状に濃霧が発生し、その霧の中は完全なる死の牢獄である。

 ヨハネがようやく呼吸するなりクセロシキを責め立てた。

「何で! 僕は戦わなきゃいけないんだ!」

「あれは自滅の道だろう! そんな事のために、エスプリは死んだのかネ!」

 自分でも何故、ヨハネを救ったのか理解出来ない。ただ殺させてはいけないという信念だけはあった。

「そんなの……、僕はここならば死んでもいいと思えたのに……」

 死地を見出したのか。その覚悟に水を差した形となったが、クセロシキはガスマスクを外してヨハネに声を投げる。

「……最早、フレア団でも対処不能ダ。ここら一体を爆撃する。それしか方法はない」

「そんな野蛮な事……!」

「野蛮でも、卑怯でも甘んじて受けるヨ。それが後始末を仰せつかった責任だからネ」

 責任という言葉にヨハネは何も言えなくなったようだった。

 彼にそこまで背負わせるつもりはない。

 その時、駆け抜ける疾風の音を聞いた。

 クセロシキは振り向く。ヨハネもその足音に目を向けたようだった。

 光の中、何かが走り抜けてくる。

 視認する前に、その人影は濃霧へと突っ込んだ。

「馬鹿な! あれは……!」

 信じられない心地のクセロシキを他所に、ヨハネは呆然と口にする。

「嘘だろう……」

 濃霧の網が縮小し、対象を捉えようとした。

 毒の霧を凝縮した散弾だ。モロバレルが撃ち出すそれを体術でいなしているのは、黒い鎧に身を包んだ疾駆であった。

 白いラインが身体に走り、眩しく輝く。

 回し蹴りがモロバレルに叩き込まれた。いくつかのタマゲタケが潰れるが、それでもモロバレルは応戦する。

 返す刀の突き上げ攻撃が鳩尾に食い込んだ。しかし、仮面の影はうろたえもしない。

 拳が再び放たれ、モロバレルが後退する。

 仮面の影が足を擦った。内側に一瞬だけねじり込み、走り込んでいく。一歩、一歩に力を乗せて、跳躍した。

 飛び蹴りの姿勢を取った仮面の影がモロバレルへと流星のように吸い込まれる。

 一撃ではしかし、モロバレルはびくともしない。

 しかし、一撃で終わらせるつもりはなかったのだろう。

 宙返りを決めた仮面の疾駆は再び、足を擦って追撃に入った。

 二度目の蹴りで表皮が抉れ、コアが露出した。

 コアの機械部分には取り込まれたトレーナーの身体がある。覚悟を決めたように仮面の影は両手を広げる。

 一歩、一歩と力を充填し、その飛び蹴りがコアへと突き刺さった。

 モロバレルが呻き声を上げる。それに同期して仮面の影が吼えた。

 瞬間、コアに亀裂が走る。

 もう一方の足で蹴り上げた仮面の影が着地したその時、モロバレルを構築していたタマゲタケが分散した。

 コアが完全に破砕されている。

 毒霧が失せ、ヨハネとクセロシキは絶句していた。

 まさか、という思いにクセロシキが歩み寄る前に、ヨハネが声にしていた

「帰ってきたのか、――エスプリ」

 信じられなかった。一度死んだはずだ。

 ヘルメットが排除され、その相貌が露になる。

 見間違えようのなく、エスプリの少女であった。

 彼女は死んでいたなどまるで思わせない笑顔で、ヨハネへとサムズアップを寄越した。

「どういう事ダ……。一度死んだ人間を蘇らせるなど……」

 よろめいたクセロシキに通信が繋がった。

『副主任。主任命令です。一度、撤退してください』

「だが、今目の前に、エスプリが」

『戦闘続行は不可能です。何よりも、それは取引に抵触します』

 取引、という言葉にクセロシキは察する。

 フレア団が何かを施した。そうでなければ、エスプリ復活などあり得ない。

「……ヨハネ・シュラウド。それにエスプリ。君らは、蛇の道を行く、か」

 ――だがそこは地獄だぞ。

 言い置いてクセロシキはEスーツの機能を使い、その場から跳び上がった。



オンドゥル大使 ( 2017/01/23(月) 21:09 )