EPISODE82 交換
マチエールの死に、ユリーカは目を腫らすまで泣き、遂には泣き疲れて涙も出なくなったようだった。
「ヨハネ君……、私達は、正しい事をしようとしたはずなんだよな」
「ええ、そのはずなんです」
だが、その結果が大切な人の死など、望んでいるはずもなかった。
オーキドは二階でマチエールの死体と向き合っている。ルイも蘇生措置がないか探しているようだが望み薄であろう。
「私は、アイツがいないとダメなんだよ、結局。何も出来やしない。だって、戦うのはいつだってアイツだった。私は蚊帳の外から、見守るだけだ」
涙を浮かべたユリーカにヨハネは言いやった。
「僕も、彼女の光に何度も救われた。マチエールさんは、意思の輝きがあった。何度倒れても立ち向かう、勇姿があったんだ」
それも、もう目にする事は出来ない。無力感だけが押し寄せてくる中、ハンサムハウスの戸を叩いた人影があった。
この状態のユリーカを出すわけにもいかないだろう。ヨハネが代わりに出ると、戸口に立っている影に瞠目した。
赤スーツのフレア団員が、その場に佇んでいたのだ。
警戒すると同時にホルスターに手を伸ばす。
「何のつもりだ……。僕達を、潰しに来たのか」
エスプリがいなければ勝てるとでも思ったのだろうか。しかし、ヨハネの敵意を前にフレア団員は手短に告げるだけだった。
「伝言に参った」
「伝言……」
「プロフェッサーCのお達しである。エスプリを蘇生させる手段は存在する」
その言葉にヨハネは戦慄く。ユリーカも顔を上げて戸惑っていた。
「何で、それを……」
「情報は共有される。モロバレルアームズによる戦闘結果も然り、だ。プロフェッサーはオーキド博士の身柄と交換に、エスプリを蘇らせてもいいと言っている」
「交換条件、というわけか……」
だが、相手が仇敵を蘇らせてもいいなど言ってくるか? その疑念にヨハネはつき返そうとした。
「弱みに付け込んで、何のつもりだ?」
「他意はない。わたしはただの伝言役のフレア団員。しかも、三級フレア団員だ。情報開示権限はない。わたしに出来るのは、ただ決定を待つのみ。プロフェッサーの指示に従うか、否か」
自然とユリーカへと目線をやっていた。彼女にしか、相棒であるユリーカにしか、その決定は出来ないであろう。
すすり上げたユリーカは涙を拭い、声にする。
「それは必ず守る保障はあるのか?」
「守る。そうでなければこのままでは、モロバレルアームズはミアレ全域を覆いつくす。我らの不手際だ。だがそれを阻止する事は恐らく出来まい。エスプリならば、可能性はある」
「エスプリを餌にして、また自分達に不都合な事だけを、揉み消そうと言うのか……。あの時と同じように……」
ユリーカの脳裏にはホロンでの出来事が蘇っているに違いなかった。その怒りは自分も同じだ。
「フレア団、お前らが約束を保証するとは限らない。僕も、信じられない」
「わたしは伝言役だ。それ以上でも以下でもない。決定を。エスプリ側からの決定だけを待つ」
オーキドを突き出せば、全てが解消するのか。今まで通りに、なかった事になるとでも言うのか。
ヨハネはそれでいいのならば、と言いかけた。オーキド博士の身柄だけでどうにかなるのならば、それでいい。自己欺瞞の言葉がついて出ようとした時、ユリーカが肩に手を置いた。
「ユリーカさん?」
「科学者が、出ればいいんだろう? ――私が行く」
その決定にヨハネは震撼した。伝言役のフレア団員も困惑しているようだった。
「ユリーカさん、それは……! だってあなたがいないと誰が……」
「ヨハネ君。オーキド博士の頭脳だけは、絶対に渡してはいけない。それはエスプリが屈した事を意味する。私達は、この程度で折れちゃいけないんだ」
「でも、ユリーカさん。博士を引き渡せば、僕らはこれまで通りに……」
これまで通り、何も知らず、無知蒙昧なまま戦い続けるのか。
ヨハネはしかしそれを是とした。何故、知れば後戻り出来ないところまで行かなくてはいけない? 知らないまま戦ってもいいではないか、と。
だが、ユリーカはそれさえも看過して言い放つ。
「知らないまま、無知のまま戦い続ける事も、その道もあるさ。だが、もう責任があるんだ。この街を守る守り手ならば、マチエールはきっとこう言う。知らないままなんて自分が許せないって」
「では、こちらの指示通りに」
フレア団員へとユリーカは約束させる。
「その代わり、蘇生措置を私にも見せろ。それが条件だ。何も知らないまま、爆弾でも括りつけられて送り返されたのでは叶わないからな」
ユリーカの危惧にフレア団員は応じていた。
「プロフェッサーCは紳士的です。それはないと思われますが」
「どうだかな。悪に紳士を求める事がどうかしている」
軽口を返しながらもその胸中は決して穏やかではないはずだった。ヨハネはその背中を呼び止める。
「ユリーカさん! 僕一人で、何をやれば……」
もう分からなくなってしまった。ユリーカもいない。マチエールもいない探偵に意味なんてあるのか。
振り返ったユリーカは穏やかに告げる。
「それはキミが、一番よく知っているだろう?」
ハッとする。
マチエールならばこんな時、決して街の守りを疎かにしない。たった一人きりになってでも、戦い続けるはずだ。
「……僕の、やるべき事は」
「留守を頼むよ、ヨハネ君」
言い置いて、フレア団員と共にユリーカは行ってしまった。マチエールの遺体を袋に詰めて、車載する。
残されたものは、藁ほどの希望のみ。
だが、進むしかない。
オーキドにヨハネは言いやった。
「博士。僕達の目的は、あなたを守り通す事。それだけです」
「しかし、あの子供がいなくなって大丈夫なのか? システムも、一緒に行ってしまったのじゃろう?」
ルイもユリーカについて行ってしまった。この状況では覆せる手などたかが知れている。
「それでも、僕は歩みを止めたくないんです。モロバレルアームズを破壊するために、僕は出ます。もしかすると帰れないかも知れない。そんな時はここに連絡してください」
イイヅカの連絡先をメモしておく。イイヅカならばオーキドの身柄を隠すくらいはやってくれるだろう。そこから先は保証出来ないだろうが。
「構わんが、お主、本当に勝てると思っているのか? タマゲタケを百体も取り込んだ正真正銘の化け物じゃぞ?」
その通りだろう。足が震え出す。掌にびっしょりと汗を掻いていた。
勝てる見込みは薄いだろう。今までだって自分の力だけでEアームズを退けた事などない。
しかし、ユリーカに託されたのだ。
ここの留守を頼む、と。
託された以上は戦い抜かなければならない。それが茨の道であっても。
「あまり話せる時間もありません。本当は、博士にはもっと聞きたい事があったんですが」
「これから死ぬかのような言い草はやめるんじゃ。生きて、帰ってくるんじゃろう? そのために、相手と取引をしたのじゃなかったのか」
「そのはずですが、僕は決して強くはない。勝てない、かもしれない。だから言っておきます。僕が信じているのは、この街の未来を担う、正義の戦士、その姿。だから僕が帰ってこなくとも、エスプリは来る。きっと来る。それだけは、覚えていてください」
「……少年、名前は?」
今際の際のような言い草だったからだろう。覚悟を問いかけるオーキドの声にヨハネは返していた。
「ヨハネ。ヨハネ・シュラウドです」
「そう、か。ヨハネくん。君の生還を、心より祈っている」
ヨハネは踵を返した。
ハンサムハウスから飛び出し、二つのモンスターボールに手を触れる。
ゴルバットもクリムガンも、これから来る緊張に強張っているようだった。
「僕も怖い。だけれど、戦わなきゃいけない時があるんだ」
それが無謀であろうとも。
分かってくれるな、という了承を込めて、ヨハネはゴルバットのボールを握り締めた。