EPISODE79 布石
ぴょんぴょんと跳ね回るのだ。
モンスターボールをやたらと振り回したところで追いつけない。
「ゴルバット、エアスラッシュ!」
纏い付かせた空気の刃が相手の行く手を遮った。こちらへと振り返った相手にゴルバットが翼をぶつける。
倒れ伏した相手をヨハネはボールで捕獲した。
「これで、二十体目……。ユリーカさん?」
通信を繋ぐとユリーカが嘆息をついた。
『二十体、か。今しがたマチエールから十三体、という報告を得た。これは以前のカチコールよりも異常だな』
そもそも街中でポケモンの大量発生が二度も続く事がおかしい。ヨハネは言い返していた。
「カチコールの時よりも厄介なのって、このタマゲタケ、擬態するから一般人が騙されて触ってしまいかねない事ですよ」
タマゲタケ、というポケモンのデータは既に頭に入っていたが問題なのはその数と、擬態能力の巧みさだ。
『そこいらにいられたら困る。ヨハネ君、タマゲタケを倒すよりもまずは捕獲だ。一体でも多く相手の手を潰す』
「分かっていますけれど、こんなに多いとなると……」
濁したのは鞄に詰め込んだモンスターボール全てにタマゲタケが入っていたからだ。
ただでさえオーキドの話を聞けてもいないのに、この局面でフレア団の一手が発動したのである。
厄介な事この上ない。
「その、ユリーカさん。博士は、まだ……」
潜めた声にユリーカは心得たように応じる。
『ああ、まだ隠している事がありそうだな。タマゲタケの大量発生について、意見を窺いたいところだが、本人も都市部でのポケモンの発生は考慮に入れていないと言う』
「当てにならない、って事ですか」
『そう言うな。マチエールを寄越す。二人で出来るだけ迅速に事態を収束させよう』
視界の隅でまたしてもぴょんぴょん跳ね回るタマゲタケが映った。ヨハネは通信を切って追いかける。
「こんな事している場合なのか、僕は」
こんな事をしている場合ではない、というのはユリーカも分かっていた。
ただ、突然のタマゲタケの大量発生におっとり刀で応じたこちらは後手に回るしかない。
「タマゲタケは人間の習性に従ってあの形に擬態したと言われておる。だから市街地に現れるのも、ある種あり得ないとも言えない」
オーキドの判断にユリーカは頷いていた。
「分かる部分もありますが、分からない事も多々。どうしてタマゲタケなのでしょう? もっと強力なポケモンを用意出来る、そういう組織のはずです」
「あるいはこれも何らかの布石」
「布石?」
オーキドは顔を伏せて思案する。
「相手は、目標を変えてきたのかも知れんな。ワシが逃げたのを分かって、お主らを追い詰める方向性に」
「追い詰められるほど、弱くはありませんよ」
「タマゲタケは毒も持っておる。ヨハネと言ったか、あの少年。彼に伝えなくてよいのか?」
「ヨハネ君は優秀な助手です。トレーナーズスクールの経験も積んでいる。下手なトレーナーよりも的確な判断を下せます」
「耳に痛いな。ワシが揃えたトレーナー達が、まるで無知であったかのような言い草だ」
「無知、というよりも、無垢、でしょうね。博士、あなたはトレーナーの実地研究における成果を重視してきた。しかし、その一方で分からない事もある。何故です? 図鑑所有者を選定する基準がいい加減なのは」
「いい加減だと、よく言われるがワシは可能性を見ておるのじゃよ」
「可能性?」
「未来における貢献度、と考えてもいい。ワシはそのトレーナーの素質を鑑みて、判断を下しておる」
「考えなしに図鑑を配っているわけじゃない、と」
「そう思っていただけると助かるな」
しかしこの老人、何かを隠しているのは間違いないのだ。自分の役目はマチエールとヨハネでは聞き出せない事をオーキドの口から言わせる事。
「博士、少しばかり雑談をしましょうか。あなたを狙ってフレア団はいくつもの刺客を放った。それをことごとく排除したのは私達ですが、あなたはその間、何をしていたのか」
「何を、と言われても。ワシは学会に呼ばれてカロスに滞在しておっただけじゃよ」
「学会のテーマは? 何の研究発表だったんです?」
「メガシンカ研究じゃよ。それこそ、カロスの専売特許じゃろうが」
「そうですね、プラターヌなる人物が形態化したメガシンカという事象。その先駆者と言われるのがカロスです。しかし、メガシンカに関して、オーキド博士、あなたはどうなのです? 懐疑的な部分もあるのでは?」
「ジャーナリストのようじゃな」
「ポケモンは全部で150匹だと断じたあなたの判断を聞かせていただきたいのです。それこそ、慧眼であったのかもしれない」
「慧眼、か。ワシをもうろくした研究者、ボケた人間だと評している世間を、お主はどう思う?」
「半分正解、半分は過小評価だと感じています」
「……いい判断じゃな。決め付けてかからないのは」
「世間が思っているほど、あなたはもうろくもしていないはずです」
「どうかな。ワシは老いた。老練と言えば聞こえがいいが、所詮は人間、老いには勝てんよ」
「ナナカマド博士の論文がありますよね。ポケモンの九割は進化する」
「ナナカマド博士は研究分野ではワシの師匠じゃよ。あの人の研究はポケモンの進化分野に注がれていた。メガシンカを見逃した、というよりもその事象の発生が観測されなかったがゆえに、あえて言わなかった、あるいは」
「あるいは、そのような不確定な要素を論文として発表する事に躊躇いがあった」
言葉尻を引き継ぐとオーキドはマグカップに注がれたコーヒーに視線を落とす。
「ポケモンに関して言えば、専攻分野の人間が下手な事を言わないほうがいいんじゃよ。後進がいくつも新しい分野を切り拓いている。ワシの150匹の判断も早計だった。そう思っていただいて構わん」
コーヒーで喉を潤したオーキドにユリーカは言いやる。
「しかし、あなたの考えでは、最初期のポケモン図鑑は完璧だったんですよね? 様々な記述が後の意見と食い違っている事に、波紋はあったものの」
「嫌な事を突くの」
「申し訳ありませんが私に出来るのはこの程度のもので。現場で頑張っている二人の努力を無駄にしたくないのです」
「ワシに話を聞いたところで時間の無駄だとは?」
ユリーカはゆっくりと頭を振った。
「考えませんね。だってあなたはポケモン研究の祖です」
いくらでも聞きたい事はある。ユリーカの態度にオーキドはふむ、と満更でもないようだった。
「教え子を前にしているような感覚じゃな。よろしい、何が聞きたい?」
「基本的な事から。ポケモンの能力はあまりに高く、愛玩用のポケモンですら、まかり間違えれば人を殺せる。何故、ポケモンは増え続けるのか。そもそも、どこから来て、どこへ行こうとしているのか」
「昨今の生徒はそこまで考えるのかな」
皮肉めいたオーキドの口調にユリーカは微笑み返す。
「生憎のところ、私もたまに思うんですよ。例えば頭に乗っているこのデデンネ、電圧も低く、愛玩用のポケモンです」
指差されたデデンネが頭部で蹲った。
博士が笑いかける。
「微笑ましいな」
「私も、そう思っています。ただ、我々は隣人だと思っているポケモン達は、そもそも何なのか。ポケモン達は、どう思っているのか。研究者なら一度や二度は考えるものです」
「どこから来て、どこへ行くのか、か。懐かしい話を一つしようか。とある少年は、育成面においてずば抜けたセンスを持っていた。そのセンスによって当時発見されたばかりだったポケモンは二段階進化を遂げ、最終的にこの次元を破壊する寸前まで成長した」
「……そんなポケモンが?」
「たとえ話じゃよ。その少年は結局、凡才に納まった。ポケモンを二度と育てようとはしなかったがね」
オーキド本人の話だと結びつけるのは早計かもしれない。だが、これは実際にあった事を話しているのだと思えた。
「そのポケモンはどこへ行こうとしたのでしょう?」
「この宇宙は、常に膨張を続けており、最初の宇宙よりも随分と広くなっている、という学説を信じるかな?」
「それくらいは信じますけれど」
「よろしい。ならば、そのポケモンはこの宇宙の最果て。誰も辿り着く事の出来ない次元の向こう側へと行こうとしたのじゃろうな。次元の果てに、何があるのかまではワシにも分からん。分からんほうがいい」
コーヒーをすすったオーキドにユリーカは問い詰めていた。
「次元を破壊するほどの力を持つポケモン達は、どこへ行こうとしているのでしょうか。それほどの力を携えて、何に立ち向かうために……」
「集団無意識というものを信じるのならば、ポケモンの強化もまた、次元の必然性があるのかもしれん。メガシンカ、あるいはお主らの追うEアームズ。ポケモンの際限のない強化は、どこから来るのか分からない、多次元からの侵略者へのけん制」
それこそ眉唾だ。ユリーカはコーヒーを口に含んだ。
「SFですか」
「SFはワシも詳しくはないが、言われてみれば考える余地はある。何らかのためにポケモンは進化し、人間もまた進化し続けている」
「何らか……。それが侵略者とでも?」
「そう思えば、色々と腑に落ちる、という話じゃよ」
沈黙が降り立った。この老人の語ったのは可能性だ。しかし、可能性を語るのに、この老人ほど適した存在はいまい。ポケモンの分野の先駆者の語るおぞましき未来。
ともすると本当に、と思わせられる。
「興味深いお話でした」
「なに、ワシもここ最近刺激を受ける事が多くっての。フレア団にも、そういう人間がいた。ちょうどお主のように、金髪で、眼鏡をかけておったな」
その言葉にユリーカは震撼する。同時に、この考えがどこかで耳馴染みがよかった理由も、電撃的に脳裏に瞬いた。
「まさか……! 博士、あなたは会ったのですか? あの人と!」
突然にユリーカが平静を失ったものだからオーキドも戸惑ったようだ。
「あの人……と形容されるのが同一人物か分からんが、フレア団の幹部に近い研究者とは話させてもらった」
「その人物の、名前は……」
唾を飲み下す。たしか、とオーキドが言葉を継ごうとした時、通信が震わされた。
『ユリーカ! タマゲタケが一点に集まっている!』
その報告にユリーカは慌ててシステムの状態を見やる。ミアレシティの地図を呼び出しルイのシステム補助を受けた。
「どこだ? 今はどこにいる?」
『ミアレの南のほう! でも、こいつら、プリズムタワーに……』
「プリズムタワー? あんな場所に行ってどうする気だ?」
ルイを併用して高速演算システムを立ち上げる。プリズムタワーを監視するカメラに映ったのは一人の赤スーツであった。
「フレア団……! 何故、あんな場所にいる?」
その疑問を氷解する前に、カメラに映ったのは路面を覆いつくすタマゲタケの群れだ。
まさかこれほどまでとはユリーカも思っていなかった。
「なんて、数……」
圧倒されているとヨハネの声が飛ぶ。
『ユリーカさん! タマゲタケの様子が変だ。ボールから飛び出して全部、逃げ出してしまった!』
「逃げた? ボールの開閉システムを解除してまで? そんな事が出来るわけがない。出来るとすれば、システムを全部掌握して、高速演算システムにアクセスするしか――」
その段になって思い至る。今回のポケモンの大量発生は前回とは違う。
前回はオーキドの身柄を保護する事にあった。今回の目的は何なのか。自ずと見えてくるのは、相手の思惑であった。
「まさか……今回の目的はエスプリを誘き出す事?」
だとすれば、事態の収束のためにマチエールが立ち向かっているこの状況は極めてまずい。
慌てて呼び戻そうとするとルイが叫んだ。
『電波障害を及ぼすスモッグです! マスター! これでは二人を呼び戻せません!』
全て、計算ずくのものだった。
ユリーカはコンソールに拳を叩きつけた。
「くそっ! やられた! 奴らの目論見は、エスプリの抹殺だ。このままでは――殺されるぞ」