EPISODE77 疑念
ルチャブルの連れて来たのがオーキドのみであった事に、ヨハネはすぐにでも飛び出すべきだと進言した。
しかしユリーカは落ち着き払って自体を俯瞰する。
「今は、出るべきじゃない」
「でも! コルニが危ないかもしれないんですよ! 〈チャコ〉だけ帰ってきたという事は、彼女は……」
「落ち着け、ヨハネ君。マチエールも出るなんて言い出すなよ。コルニに関しては私も追跡調査をする。それよりも、今、追及するべき事は」
オーキドは部屋の中央に座して行く末を眺めている。まさか、本当にいたとは思わなかった。
ポケモン界の第一人者。最初の偉人。
オーキド博士の威光はそれだけでも伝わっているが、本人を前にするとどこか現実感のないものだった。
「御機嫌よう、オーキド博士。コーヒーはブラックでいいかな?」
ユリーカの声音にオーキドはどこか及び腰で応じる。
「……ワシを攫ってきて、どうするつもりだったんじゃ?」
「どうも。我々はあなたを攫ったのとは別働隊です。私達は、あなたを保護するためにこういう荒事に手を染めざるを得なかった」
ユリーカはここ数ヶ月のミアレの事件が全て、オーキドの抹殺、あるいはその身柄の確保にあった事を話した。オーキドはコーヒーに口もつけず、その事実を受け止めた。
「そんな事が……。ワシ一人のために、起こったというのか?」
「半信半疑でしたが、あなたの身柄を引き取ったという一団の証言で確実なものになりました。やはり、連中はあなたを攫う機会を窺っていた」
ユリーカの確信にヨハネは疑問を口にする。
「博士は、その、護衛とかは?」
「いたのじゃが、どうしてだか連中には逆らわなかった」
フレア団の力がそれだけ強大だという事なのか。あるいは金で雇われただけの張りぼてだったか。
「連中に関しての事は、私達も調べていますが、フレア団、という名称と、Eアームズを使い、ポケモンを強化しているという事以外はほとんど不明です。博士、何か連中の、最終目的に関する事は?」
「……いや、ワシにはよく分からん事が多くってな。今の人間の考えにはついて行けんよ」
やはりオーキドというともうろくした研究者のイメージが強いが、その通りなのだろうか。テレビやラジオでの温厚な声と人柄の通りの人物らしい。
「そう、ですか。残念です。博士にならば、何かを喋っていてもおかしくはないと思っていたのですが」
ユリーカの言葉を前にオーキドは何かを言おうとして躊躇っているようだった。
「ユリーカ。コルニが帰ってこないのはあたしも心配」
「すぐ死ぬ輩かね、あれが」
「死ななくとも、行き倒れになっている可能性は高い。この人によると呪いを受けていたんでしょう? だったら、断続ダメージがついて回る」
「落ち着け、と言っている。お前も出ればそれこそミイラ取りがミイラに、だ。ヨハネ君も逸るなよ。ここは座して待て」
しかし、ヨハネは今にも飛び出したい気持ちがあった。コルニが危ないのならば自分一人でも行くべきではないのだろうか。
「その、お主らは何者なんじゃ?」
「探偵、と言っておきましょう。ミアレの街を守る、そういう事もしています」
「探偵、か。若いのはいいのぉ」
「博士、私には少しだけ、二人と話させてください。データベースの閲覧に関してはルイが一任します」
『お任せください、マスター!』
浮かび上がったルイにオーキドが目を見開いた。初見ならば驚くのも無理ない。
「ルイ……というのか?」
『知りたい事は何でもお聞きください。答えられる事は答えますので』
「任せる。ヨハネ君、マチエール。一階に来い」
ユリーカが自分の所有スペースである二階のデスクを離れるのは珍しかった。それだけ事が重要なのだろうか。
そう考えながら二階を窺っているとユリーカが不意に口火を切った。
「妙、だな」
その声音には疑念がある。
「何がです? 確かに思っていたよりもボケが進行している風ではありましたが」
「ボケている? そう見たのか、ヨハネ君。あの老人はボケてなどいないよ。計算で、私達の前ではああ振る舞っているんだ」
その確信の理由が分からずヨハネは聞き返す。
「でも、そんな感じには見えないですけれど」
「キミは人が良すぎる。まず疑問点が三つ。護衛に関して。オーキド博士ほどの人間を護衛するとなれば国家レベルにはずだ。それが簡単にフレア団に屈した。妙だ」
「それは、金でも積まれて……」
「金を積まれても祖国に帰れば処罰を受ける。厳罰だよ。そんなリスクを冒してまで連中に与するのが分からん。つまりカントーの人間で構成されたはずの護衛が易々とオーキド博士の身柄を引き渡した事がまず一点。二つ目は、会話に嘘をいくつも混じらせている事だ」
「嘘? いつ嘘なんてついたって言うんです?」
その言葉にユリーカはため息をついた。
「人がいい、のレベルを超えてバカの範疇だぞ、ヨハネ君。マチエール、お前の感じた事をまず教えてやれ」
「あの老人はいくつも嘘をついている。嘘のサインなんて教えたって仕方ないんだけれど、あたしには白々しいまでの嘘に思えた。一つ、Eアームズに関して知らないと言っていたけれど、それも嘘」
「何で言い切れるの?」
「瞬きの回数だとか、視線の逸らし方だとかですぐ分かるよ。それにEアームズに関して知っていると仮定すれば、相手の何者かと話したと推測される。だっていうのに、知らないで通した。それが疑わしい」
「本当に、何も知らなかったんじゃ?」
「何も知らないにしては、おかしな事がいくつか。だったら相手の何者かと喋ったと言えばいいのにそれも隠す。きっと不都合な何かをあの老人は知っている。だから、わざとその部分をぼやかした」
「ぼやかしたって……じゃあ誰と喋ったっていうのさ」
「恐らくはフレア団の最高幹部に近い何者か、だろうな」
ユリーカの見立てにヨハネは自然とあの青年を思い返していた。白衣を翻した研究者。彼ならばオーキドほどの頭脳と真正面から突き合えるかもしれない
「……最高幹部って、じゃあ喋ってくれればいいのに何で?」
「信用してないんだと、思う」
マチエールの評にヨハネは納得いかなかった。こちらはオーキドを助けたのだ。だというのに信じられないわけがない。
「何で、信じてもらえていないって言うの?」
「こちらよりもあちらの情報のほうが旨みのある、という可能性だな。私達を見限って、フレア団側に寝返ったほうが得をするかもしれないと、どこかで思っているのかもしれない」
「自分を拉致した連中のほうが得だって? そんなのってないんじゃ……だって、コルニはその身をかけて戦ったわけで……」
「そんなこちらの苦労は、あの人間には関係がない、というだけの話だよ。ヨハネ君、相手がこちらの苦労を慮って、では全てを開示してくれるなどという幻想は捨てる事だ。そんな生易しい人間ばかりならば苦労しない」
にべもないが、ユリーカの断じる事柄くらいは可能性として挙げておくべきなのだろう。
「でも、だったらオーキド博士は、何を隠しているんです? Eアームズに関して隠し立てしたって、あまり意味がないように思えるんですけれど」
「そこだな……。私もよく分からない。ただ、嘘をついている、というのは間違いないだろう。ルイの事も、知っているようだったからな」
「あれは驚いていたんじゃ?」
「似たようなものを目にしたんだろうさ。その驚きだろう。まったくもって食えない爺さんだ」
ユリーカの言葉にヨハネは絶句していた。マチエールへと視線を振り向ける。
「マチエールさんも、博士が嘘をついていると?」
「残念だけれど、そのサインがたくさんあった。だから嘘はついていると思う。こちらにとって都合不都合は置いておくとしても」
「でもさ、僕達は博士を救った」
「相手がそう考えているとは限らないよ。あたし達のやった事が、もしかすると、余計なお節介だったのかもしれない」
そんな、とヨハネは返す言葉もなかった。自分達の行いが報われないなど。
「だとすれば、博士は何を知っているというんです? フレア団の秘密を握ってでもいない限り、ここで嘘をつくなんて冗談でもしませんよ」
「だから、その秘密とやらに肉迫しているんだろう。私達にはそれこそ、容易く言えないほどの秘密を、博士は握らされている可能性が高い。探偵と言って、相手に信用してくれというのも間違いな話だ。少しずつ、解き明かすしかない」
ユリーカの結論にはマチエールも同意のようだった。
「そうだね。今は、嘘をついているという事と、あたし達に話す気は全くないという二つの事実だけしか……」
口惜しそうにマチエールが呟く。ヨハネは納得出来なかった。コルニが帰ってこないだけでも焦燥に駆られているのに、オーキドの嘘を暴く事までしなければいけないのか。
そんな時間があるとは思えない。
「だったら、僕は要らないでしょう? コルニの捜索に」
「駄目だ。ヨハネ君、絶対に外には出るな。今夜は特に危険だ。フレア団がいきり立っている。もし、キミを人質にでも取られれば、私達は否が応でも取引に応じざるを得ない。キミだってもう当事者なのだから、取引材料にはなる」
自分の身柄など軽視していたが、よく考えれば自分はエスプリの弱点を知っている。Eアームズを駆る相手からしてみれば充分な人質の対象だ。
「それに、ヨハネ君がEアームズに汚染されればそれこそ危うい。あたし達が最も危惧しているのは君をフレア団側に渡す事でもあるんだ。Eアームズに関して知っている上に、こちらの事情にも、もう知り過ぎていると言ってもいい」
「最悪、エスプリでも倒せない相手の出来上がりだ。私はそんな事、容認しないぞ」
ヨハネは自分がそれほど大それたものではないと言い返したかったが、考えを巡らせれば巡らせるほど、エスプリ側にしてみれば不利にしか転がらない。
畢竟、ここで自分は立ち止まるしかなかった。
「でも、だったら余計に。何で、今、僕に教えたんです? 博士が嘘をついているなんて」
「監視する目は多いほうがいいからな。それに、ヨハネ君、キミは博士に丸め込まれる可能性だってあった。そうなればフレア団に味方するのが二人になってしまう。それだけは避けなければならない」
オーキドがフレア団に味方する? それは考えづらかったが、隠されている秘密がある以上、自分達が信用されているという幻想は捨てるべきだろう。
「でも、コルニはじゃあ、何のために戦ったって言うんだ……」
苦々しく発した声にユリーカが応じた。
「まだ彼女がどうなったのかを憶測するのには早い。ヨハネ君、それこそ早計だよ」
今は落ち着く事か。ユリーカの言葉に諭されながらヨハネは深く呼吸する。少しでも頭の中を明瞭にしなければ。
「……分かりました。僕はじゃあどうすれば?」
「余計な事はせずに、今まで通り、博士の話を聞くんだ。キミが丸め込まれたらお終いだと思って今話しただけだが、知らぬ存ぜぬを通せばいい。博士の言葉を信じ込んでいる一員を演じるんだ」
「でも、ユリーカさんとマチエールさんは、疑って見るんですよね……」
「当然だよ。あんなに嘘くさい人間、疑わないほうがどうかしている」
「ただ、全員が全員、敵意を持てば博士は警戒する。ヨハネ君、キミには頭の中に留めておくだけでいい。博士の言葉を全て疑う必要はないし、むしろ信じるつもりで聞いてやってくれ。そうしたほうがぼろが出るかもしれない」
「ぼろが、ですか」
オーキドは何を隠しているのか。こちらの疑念を他所にユリーカ達は二階へと戻った。
ルイと話していたらしいオーキドは自分達を見るなり微笑んだ。
「このシステム、すごいものじゃな。こんなものを一人で?」
「ええ、まぁ。私の数少ない自慢出来る発明です」
「発明家、なのですかな?」
「みたいなものですね。ルイ以外に発明らしいものはしていませんが」
「立派なものじゃ」
それら全てが疑わしく思えてくるが自分の役目はあくまでもオーキドを信じ込む事。ここでは騙し騙され合いだ。
ヨハネは固唾を呑んでそれを見守った。