EPISODE75 老躯
「ぼくはね、あなたの論文を初めて読んだ時からずっと思っていたんですよ。こんな風に、この世界を見る事の出来る人間の視点とは、果たして如何様なものだろうか、と」
シトロンが口火を切ると、オーキドは苦々しい顔をする。メディアの前では決して出さない、悪への抵抗心だ。
「そりゃあ、どうも悪かったようじゃな。ワシはただの研究者であり、大人なんじゃよ。だから間違った事はするし、あの論文に穴だらけだと騒がれても、文句は言わん」
オーキドの対応は想定内である。だからこそ、シトロンは愉悦に口角を吊り上げた。
「あなたは、とても賢しい上に、計算高い。ポケモン図鑑、最初期ロットにはバグが多かったと聞きますが、それも計算上であった。最初のポケモン図鑑には、我々の関知し得ない機構がついていた」
「デマカセじゃよ」
「しかし、近年、そうでもない事が明らかになっているんですよ。これは裏業界では当たり前の事なんですけれどね。どうにも最初のポケモン図鑑はただ単にポケモンの情報を記録する媒体ではなかった、と。ポケモンの能力を含め、全てのポケモンのデータ生命体の部分、つまり0と1に変換出来る部分を取り出し、それを別の機械でトレースするためのものだった。あなたが、ポケモンは百五十匹だと言ったのはそれが理由だ。ジョウト、シンオウ、名だたる地方の伝承を完全に無視し、百五十匹と定めなければ降りなかった研究。しかもただの素人トレーナーに持たせた辺り、あなたは用意周到だった。最初期のポケモン図鑑を埋めさせる事こそが、ポケモンという存在を解剖するのに必要であった」
「夢物語、都市伝説を語るな、とは言わんよ。じゃがな、それに囚われるのは憐れだ、とワシは思うんじゃよ」
「あなたをもうろくした研究者、ただの老人、と断じるのは簡単です。ですが、そうじゃない事が我々にはもう分かっている。オーキド・ユキナリ博士。あなたは、ただの人間ではない」
シトロンの声音には確信があった。しかしオーキドはとぼける。
「ただの人間ではないとしたら、なんじゃ? ワシは研究者であるつもりじゃが、人間までやめた覚えはないぞ」
「……はぐらかすのもお上手だ。何回も、このようなお話をした事なのでしょうね。その度に、あなたは何度も誤魔化してきた。ですが、記憶は誤魔化せても記録はどうにも出来ない。四十年前、あなたは第一回ポケモンリーグに参加していた。その途上で、カントーはセキチクシティを、灰塵に帰した、という記録があるんですよ。あなたの、最初のパートナーポケモンがね」
「嘘八百じゃよ」
「オノノクス」
その名前を紡いだ途端、オーキドの顔色が変わった。それまで隠し通してきた部分を垣間見られた結果だろう。
「どうして、その名を……」
「あなたが名付け親なのは有名です。そのポケモンが、次元の回廊を開き、この世界を一気に終局へと進めた。もう一つの次元で発生した世界をクラックする行為が擬似再現され、オノノクスは全ての意思と人間の魂を得て飛翔し、この次元を破壊して旅立つはずであった」
そこまで克明な記録が残されているはずがない。オーキドは慄きつつも、その事実を否定する事を考えているようだった。
「……言っておくが、第一回ポケモンリーグは四十年前じゃぞ? お主も生まれとらんはず。それに記録媒体も今のように便利じゃない」
「分かっています。それに関しては、イッシュに渡った技術者が残しているんですよ。どうにも、ここ近年で解き明かす事の出来るようになったオーパーツめいた技術がありましてね。マサキ暗号文書、と呼ばれています。我々、研究者、技術者の間では有名な文書でして、二十年ほど前に作成されたにもかかわらず、今の技術でも開封出来ない、パスワードの数はゆうに百を超え、ダミーファイルは千以上、さらに一度でもパスワードミスをすれば、一気に最初に戻される、という鉄壁のセキュリティを持つ秘密文書がありました」
過去形の言葉にオーキドはその帰結する先を予感したらしい。
「まさか……その文書が」
「ええ。ぼくの開発した最新OSが解凍に成功しました。それでも、二、三年かかりましたがね。紹介します」
ホロキャスターを開くと中からルイが投射された。それを目にしてオーキドは歯噛みする。
「自律進化型システムOS……」
「ご存知でしたか。いや、あなたがプロジェクトに立ち会った技術の一つ、だったかもしれませんね」
『どっちにせよ、この爺さん、喋る気ないぜ? 今にも舌を噛んで死にそうだ』
ルイの言葉にオーキドは吐き捨てる。
「システムにワシの行方を察する事が出来るとはな」
「システムじゃありませんよ。最早、ルイは新たなる生命体と言い換えても過言ではありません。電子の妖精、この次元に囚われない、ある種の神秘存在……。神と、言い放っても構わない」
「傲慢な」
「何が傲慢なのですか? アルセウス創世神話に比べれば随分と生易しい理論ですよ」
オーキドは面を伏せる。アルセウス創世神話に関しては、この老人も一杯食わされたクチだ。あまり耳にして気分のいい言葉でもあるまい。
「で? ワシをどうしたい?」
「あなたは、人間であって人間じゃない。繰り返すようで申し訳ありませんが、特異点という、次元の特殊性を持つ人間です」
「にわかには信じられんな」
オーキドがはぐらかすのも計算内。シトロンは次の手を打っておいた。
「お孫さん、とても強く、聡明ですね。一時期、カントーの玉座に輝いた。今は、トキワジムのジムリーダーでしたっけ?」
その言葉にこの老人の目つきが変わった。今の今まで、のらりくらりとかわそうとしていた眼差しは失せ、代わりに現れたのは狩人を想起させる鋭さである。
「孫に手を出すな、小悪党」
「……いい返答です。四十年前の武勇伝、あながち嘘でもないんでしょう? ヘキサという組織に、ロケット団、それに歴史を至上主義とする秘密結社ネメシス。あなたにまつわるお話は全て、事実であった」
「それを認めて何になる? もう四十年も前の話じゃ。是が非でも認めたいのならそうすればいい」
「ぼくのスタンスとしてはあなた自身に認めさせる事が重要だったのですが、まぁいいでしょう。四十年前に世界を滅ぼしかけた稀代の咎人、オーキド・ユキナリ博士。あなたはその罪を、今でも背負っているはずです」
「知らん、と言える立場でもないがな。しかし、誇大妄想を信じ込むほど、今の研究者とは落ちぶれたものか」
無論、全てが嘘。デタラメの可能性はある。しかし、ここまで出来上がったデタラメなど簡単に存在してもらうのは困るのだ。
何よりもマサキの文書がある。こちらの切り札をしかし、オーキドは知らない様子だ。いや、知っていても中身を取り出す術はやはり作った人間にしか分からないか。
「話を戻しますが、あなたは最初期の図鑑に仕掛けを施した。データ生命体である部分を最大限に利用し、その技、特性に至るまで完璧に認証するブラックボックス。これが可能であったのは、図鑑所有者の証言で一致しています。最初期には、ポケモンの技を不当に入れ替える事が可能であった、と」
「セレクトバグの事か」
「そう呼ばれているようですね。図鑑に頼ってポケモンの技構成を知っていたトレーナーの中の誰か、までは分かりませんが、抜け道を思いついたようです。セレクトボタン、なるボタンが図鑑に存在しました。それと同期した図鑑IDを持つ自分のポケモンを選択した際、技の選択を不当に変更する事が出来た、と。今のように、ポケモンの技に関する知識の乏しかった時代です。ポケモンは自身の遺伝子配列から、適した技を覚え習得するものだと今日では有名ですが、その当時、遺伝子さえも冒涜した事象が可能であった。図鑑所有者のみに許された特権。セレクトボタンによってポケモンのデータ配列に異常を来たさせ、技を入れ替える事が出来た」
「研究者は、いつからオカルトマニアになったんじゃ?」
オーキドの皮肉にシトロンは肩を竦める。
「無論、証明する術はありません。最初期の図鑑は全て回収済みでしたからね。お孫さんを当たっても、もうそれは望めないでしょう。しかし、あなたのパソコンにはデータがあるはずです」
「調べたければ調べるといい」
「もちろん、最初に疑いました。でも何も出なかった」
そう、何一つとして怪しいデータなどなかったのだ。だが、それこそがこの研究者の暗黒面を如実に物語っていた。
「何一つとして怪しいものはなかったのじゃろう?」
「それが逆に怪しいんですよ。あなたはポケモン研究の第一人者だ。そんな人間のパソコンに、怪しいファイルの一つもない? それはおかしいじゃありませんか。あなたは現行の研究者をもってしても、追いつけない領域にいるはずなのに、その論文を生み出すパソコンに何もない? そんなはずがない」
「疑い深い奴もいたものじゃな」
「残念ですが、疑うのが仕事みたいなものでしてね。ルイを走らせました。その結果、ジャンクファイルが出てきましたよ。ごろごろと」
通常ならば完全に廃棄されたファイルであったがルイには修復が可能であった。ホロキャスター上に呼び出してみせる。オーキドは再生されたファイル名に目を戦慄かせた。
「そんな事が……」
「ぼくのルイには出来るんですよ。その結果として、あなたの最も隠したい研究成果が見つけられた」
シトロンはわざともったいぶって話す。この老練の研究者を打ち負かすのが一番に楽しい。
だが、腐ってもポケモン研究の走りであった人間だ。そう簡単にぼろは出さなかった。
「ワシの研究成果? そんなもの、くれてやるわ。今さらこの立場に頓着はせんからな」
投げ出すくらいは平気でやる人間だ。だからこそ、シトロンは最後の最後まで切り札は温存しておいた。
「言っておきますが、ルイ・オルタナティブは今までの自律進化型のOSとはわけが違う。本当に、このシステムの前には何もかもが丸裸なんです。何なら話し聞かせてあげましょうか? あなたが四十年前、何をしたのかを」
マサキの文書をちらつかせたのもある。オーキドはしかし、頑として譲らない。
「何度も言わせるな。ワシに、晒されて痛い腹などない」
「それにしては、いつものテレビやラジオの口調とは一変している。あなた自身でも気づいていないのですか? 今のあなたの気配は、壮年のボケた人間ではない。戦闘用の鋭さを漂わせた歴戦の猛者だ」
オーキドは口をつぐむ。これ以上はやぶへびだと思ったのだろう。
『なぁ、主人。こいつにさっさと言ってやればいいじゃないか。特異点なんだろ? って』
「急かすなよ、ルイ。特異点、これに関しても詳らかにしましょうか。本来、特異点は二人いた。その一人は、カントーポケモンリーグで玉座を勝ち取ったものの、行方不明となり剥奪された本当の王。サカキ、という名前だけが残っています。経歴は全て抹消済み。何者かが、サカキ、なる人物を擁立したもののその管理には少しばかりずさんであったようです。サカキの経歴も、何もかもが不明、いや、これは偽造されている。マサキ文書はそれにも触れています。サカキとは何者であったのか。ぼくも大変興味がある。当時、玉座を撮影したカメラに確かに映っているんですよ。サカキ、なる少年がね。ですが、その後の参照資料や、あらゆる媒体を漁っても全く出てこないんです。このサカキ、という人間の出生だけが。ルイを使いましたが、サカキだけは別でした。何故だか、ある一点でぷっつりと切れているんですよ。足跡が。彼の存在だけが四十年前のイレギュラーであった。それともこう言い換えたほうがいいでしょうかね。特異点、サカキを擁立していた人間はそれも加味してあなたを用意したと」
オーキドは鋭く睨みつける。
「……何を言いたいのか、さっぱりじゃな」
「いえね、これはぼくの憶測に過ぎないんですが、サカキを使った人間と、あなたに旅をするように促進させた人間はともすると、同じ人物なんじゃないかと思ったんですよ。それならば二人の特異点を自分の掌で踊らせる事が出来る。こんな役得な立場なら、誰しも成ってみたい。ですが、そこまで予言出来る人間が四十年も前にいたとは思えない。これはやはり、不明としておきましょう」
今のところは、と言外に付け加える。オーキドは鼻を鳴らした。
「これで仮説は証明出来んな」
「そうでもないんですよ。やはり、と言いますかマサキ文書はこれにも言及しています。第三の特異点。それがこのポケモンリーグを操っていた元凶だと。その固有名詞は不明とされていました。マサキほどの頭脳をもってしても、その証明と実証には至らなかった」
マサキ文書をちらつかせるたび、オーキドの顔色が変化する。やはりこの老人、隠し事をしているのは本当のようだが、どこまで知っていてどこからは知らないのか。それを見極めなければこちらの手札を晒す事になってしまう。
「……ソネザキ・マサキ。預かりボックスを作り出した、稀代の天才じゃな」
「マサキの名は最早伝説のようなものです。百年に一度の天才、と持て囃され、そのマサキのシステムを受け継ぐ人間が次々と現れた。マサキの預かりシステムには誤作動もありましたが、今のところその初期フォーマットからほとんど変わっていない。それほどまでに完成されたシステムを作り出せる人間であった」
「ワシとは比べ物にならん、か」
自嘲気味に発した声にシトロンは問い質す。
「あなたのほうが、とんだ食わせ者だったんじゃないですか? 世間ではもうろく、時代遅れの人間を演じておいて、その実は最も真実にほど近い。ボケたフリをするほうが楽ですからね。全ての真実を抱いて、そのまま溺死するよりかは」
「何の事だか」
「まぁ、いいでしょう。一度、一服をつくとしましょうよ。ぼくはコーヒーを。博士はどうなさいますか?」
ドリップされるブラックコーヒーにオーキドは視線を背ける。
「要らんよ。自白剤でも入っていたらかなわん」
「自白剤で言っては困る事が、あるという事ですか?」
シトロンはコーヒーを口に含み、喉を潤す。この老人は必要最低限の水と食料は与えているとは言え、限界が近いはずだ。
『主人、話す気がないんなら脳波スキャンで見るなり何なりあるだろうが。この老人の繰り言にこだわっているほど、主人も暇じゃないだろ?』
ルイの強攻策にシトロンは紳士的な笑みを浮かべた。
「ご安心を。ぼくの責任をかけて、そんな真似は致しません」
「何故じゃ? ワシの身柄を確保した、という事は相当な組織と見える。このカロスを牛耳っている何者か、か……」
「あまり勘繰らないほうが長生き出来ますよ、博士。あなたは学会に呼ばれてこのカロスに降り立った。そういう事にしておいているんですからね」
「張りぼての学会か。あれも、お主らの策略であったという事か」
「カロスには、一度矛盾する論文を挙げて追放されたプラターヌなる研究者がいました。彼の不在分、カロスの学会が遅れているのは事実なんですよ。だから、博士のような逸材を呼び出したかったのは本当です。ただし、その裏で動いていた我々に勘付けなかったのは、少しまずかったですね」
「お主らは何じゃ? 統率された組織であるのは疑いようがないが、どこか他の地方で見られるような悪の組織とは違うようにも思える。その力、目指すものにせよ、何にせよ、統率者が透けて見えるのが、お主らのような組織の特徴じゃが、まるでお主らは……最終目的が見えん。ワシのような人間に着目した事もそうじゃ。何故、今さら蒸し返す? お主らを操る人間は、何を見ている?」
「残念ながら尋問するのはぼくの役目です。あなたは質問に答えていただきたい」
シトロンは白衣を正して問いを重ねた。
「さて、マサキ文書ですが、彼は晩年とある考えに傾倒していました。この次元以外にも、同じような歴史を進んだ次元があり、宇宙は無数に存在する。その多元宇宙が干渉し合って、不均衡とも思えるバランスを保っている。俗に言う、多元宇宙論ですが、マサキはこれに一つの答えを掲げていました。今、我々のいる次元は、以前の次元の失敗を下にして改築された、新たなる次元なのではないか、と」
「そう思う論拠が分からない」
「それこそが、特異点に集約されるのですよ。前回の次元には特異点などなかった。そのせいで、矛盾と矯正が蔓延り、瓦解しかねない状態にあった。事実、瓦解したのかもしれません。マサキの記述には、そちら側の次元の世界の人間が切り拓いたのが、今の次元の世界だとするものもあります」
「荒唐無稽だ」
「そうですね。ぼくも最初、これを読んだ時にはマサキという天才にも終わりが来るのだと思いましたよ。ですが、読み進めていくにつれて、この疑念はぼくに新たな命題を与えた。この次元が別の宇宙の犠牲の上に成り立っていないと証明する方法もない、と。では別の宇宙の存在を肯定する条件ですが、これこそが特異点であると書かれています。特異点は、以前の次元にも存在した、歴史の修正ポイント。言うなればその場所を基点として歴史が変わると最初から記されているもの。オーキド博士、あなたとサカキはそうであった。最初から、あなた方の生存はこの宇宙にとって不可欠な事象であった」
「残念ながら、もうワシのような歳になってSFは信じんのでな」
やはりこの老人、特異点云々を認める気はないか。それを認めたところで、オーキドの行く末は変わらないのだが、シトロンには純粋な興味があった。
特異点と定められた人間が、その末路まで、全て計算ずくだったなど、納得するであろうか、と。
若かりし頃だけ、発現した若気の至りなどでは決してない。特異点、オーキド・ユキナリのこの次元への干渉力は依然として存在しているのだと。
それを憶測するのは自分を始めとするフレア団上層部のみ。研究職では自分以外は知るまい。
オーキド・ユキナリの重要性など。
「また、話を変えてみましょうか。オノノクス、というポケモンに関してです」
ぴくり、とオーキドの眉が跳ね上がった。
「……ワシの最初のパートナーじゃ。それ以外にない」
「そうですね。採集したオノノクスのサンプルも似たり寄ったりで、どれが特別というわけでもありませんでした。イッシュで数多く見られる、洞窟に棲む傾向のあるポケモンです。岩場で牙を削り、その攻撃力ははかり知れない、と。そう記述したのは他ならぬ、あなた、ですよね? 博士」
「ワシの記述に誤りがあったのならば、ここで謝罪するが」
「誤りどころか、これに関してもマサキ文書では言及されています。特異点の持つポケモンには次元の特異性が適応されていたとしか思えない、と。オーキド博士、あなたのオノノクスの技構成はハサミギロチン、逆鱗、ドラゴンクロー、ダブルチョップの四つでしたね?」
「もう四十年も前の事じゃ。覚えとらんわ」
「そう記録されているんですよ。しかし、マサキ文書はこれにも疑問を呈している。あのオーキド・ユキナリの持つオノノクスのドラゴンクローは追跡調査の結果、特別個体であった。ドラゴンクロー一射だけで、まるで光線のように攻撃が発射されたのだと」
オーキドは視線を逸らす。シトロンはその顔を覗き込んだ。
「ドラゴンクローは、ドラゴンポケモンが爪なり牙なりで放つ、物理攻撃です。特殊攻撃ではない。では何故、マサキはこう記述したのか。それはあなたのオノノクスがそう攻撃したからですよ、博士。あなたのオノノクスは事象を曲げて、本来の威力のたがを外れたポケモンであった。しかも黒色であったとあります。黒色のオノノクスは、今でも個体数が限られている」
「……知らんな」
「特異点は、ポケモンにも影響を及ぼす。サカキの手持ちは記録されなかったので不明のままですが、相当強かったのは四十年前の出場者一覧を見るに明らかです。あるいはこう言い換えましょうか? あなたの持っているポケモンは全て、特別になるように次元が設計している」
「そんな都合のいい話、信じるとでも?」
「常人には理解の外でしょうね。ですが、ぼくには興味がありますよ。育てたポケモンを必ず高個体にする存在なんて。それは例えば、悪の組織なんかにとってしてみればとても欲しい人材でしょうね」
その段になって自分が誘拐された意味を悟り始めたらしい。オーキドは吐き捨てる。
「ワシを、ポケモンの飼育係にでもするつもりか?」
「飼育係とは人聞きが悪い。あなたには立派なブリーダーになってもらおうと、そういう考えでいるんです。特異点の育てたポケモンは必ず異変を引き起こす。だからでしょう? あなたが、自分では決してポケモンを育てないのは」
四十年前のポケモンリーグ以降、オーキド博士が育成に尽力した記録はない。どのポケモンも低レベルのうちに手離している。それは何もトレーナーとして現役引退したからだけではないだろう。
「ホラ吹きじゃよ。どれだけ言葉を弄しても、ワシはもうジジィ」
「ただの老人ではありませんよ。思っていたよりも、あなたは強かだ。低レベルのうちに後進を育ているため、という詭弁を作りつつ、あなた自身、絶対に育成しない、という方針があった。それはオノノクスの例を見ているから。あなたが本気で育てればそうなるのか、よく分かっているからだ。もう一つ、昔話をしましょうか? 四十年前のポケモンリーグ。グレンタウンが一夜にして崩壊した事件がありました。現象の理由、その解明は遅れ、全てが不明のまま火山の噴火、と情報操作されていましたが、これも誤り。あの場所には眠っていた。ロケット団という組織の遺した鬼札が。それをオーキド博士、あなたは操り、戦った」
その言葉にオーキドは思わず、と言った様子で声にしていた。
「まさか、あの場所を荒らしたのか……!」
「荒らした、と言っても、ほとんど新しい街並みに占有されて影も形も残っていませんでしたよ。だから、偶然に見つかったといったほうが正しい。とあるポケモンの遺伝子カプセルが、つい二年ほど前に出土しました。関係していた企業がこれを買い取り、その後の行方は不明。ですが、このカプセルの中身を調べたところ、興味深い事が分かりましてね。このカプセルの中身に保管されていたのは、冷凍されたミュウの遺伝子だった」
オーキドが目を見開く。どうやらここがアキレス腱のようだな、とシトロンは慎重に話した。
「あなたの口から、話していただけるとありがたいんですがね」
「誰が……! お主ら、何をやったのか、分かっているのか」
責め立てるオーキドの語調にシトロンは笑みを浮かべた。
「ええ、とても貴重なものです。純正ならば、学会にお呼ばれしてもよかった。なにせ、最古のポケモンであり、全てのポケモンの祖と言えるミュウの遺伝子。ですが、それを解析した結果、ただのミュウの遺伝子ではない事が分かりました。その遺伝子はモデルが既に確定されており、その設計図以外で模倣しようとすると自壊するように出来ていたのです。その三次元モデルが、ルイ、投射してくれ」
ホロキャスターが投射したのは極めてヒトに近い存在であった。二足で佇み、再現されたその挙動も人間のようであったが、発達した尻尾と、丸みを帯びたフォルムは人間では実現出来ないものであった。
自然物ではない。その存在は人工物としての美しさを備えていた。
「マサキ文書と照らし合わせた結果、我々はこの存在をミュウツーと名付けました。ミュウツーの数値を明らかにして、驚愕しましたよ。今のポケモンを遥かに上回る強さと凶暴性を秘めている。しかし、同時にとても理知的に再現されたのが窺えました。ミュウツーの脳は未発達ながら、人間にほど近いのだと分かりましたからね」