EPISODE74 特別
ヨハネはユリーカに従って対応策を練るという。
作戦を作るのならばヨハネとユリーカに任せればいい。自分は戦うだけだ、とマチエールは断じていた。
ただ、胸の中に僅かながらわだかまりがある。どこか、ヨハネだけには任せておけない気持ちだ。
「ユリーカ。あたしにも出来る事ある?」
こちらから声をかけた事が相当不可思議だったのだろう。ユリーカは首を傾げる。
「いや、特にないが……、お前にしては珍しいな。何で、作戦には口を出さないのがいつもの事だろう?」
「何か、ヨハネ君とユリーカだけには任せちゃおけないよ」
「それは、ヨハネ君が取られそうだからか?」
口元を綻ばせたユリーカにマチエールはぼそぼそと呟く。
「……そんなんじゃないと思うけれど」
分からない。自分でも不明な感情であった。目の前でヨハネがコルニとキスをしただけだ。そんな事に心を乱されるわけがないのだが。
「安心しろ。ヨハネ君はお前を見離したりしないよ。彼はとても律儀だ。私達に一度、協力したんだから見離すような真似をするはずがない」
「……何を根拠に」
「お前が、彼を助手にしたんだろ? だったら、一番に信じてやるべきはお前じゃないか」
言われてしまえばにべもなかった。ヨハネを一番に信用出来るのは、自分自身。
「でも、ヨハネ君だって、一人の人間だ」
「だから信用ならない、か? 変なところで嫉妬心を隠せないんだな」
「嫉妬なんてしていない」
むっと言い返すとユリーカは一瞬だけ手を止めてから、顔を伏せた。
「まぁ、そういう事にしておいてやろう」
「嫌な言い方」
「マチエール。お前はユニゾンを完璧にしておけ。そうでなければ読み負けるぞ」
言われるまでもない。自分はイグニスほどユニゾンの性能面では強みはないのだ。
「でも、何か、変だった」
煮え切らない声にユリーカは眉をひそめる。
「変、とは?」
「あたしだって、エスプリのユニゾンには制限がある。いくら強化されたEスーツだって言っても、無限じゃないと思う」
こちらの憶測だったがユリーカは投射画面にイグニスのデータを呼び出した。
「これが、イグニスの弱点だ」
そう示されたのは腰のケースである。どう考えても弱点どころか強みであるのだが、ユリーカはルイに言葉を継がせる。
『イグニス……プロトエクシードスーツはユニゾンチップを使います。ユニゾンチップの性能はこちらのユニゾンの半分程度。だから二枚同時に使えるんですが、このユニゾンチップ、どうやら制限枚数があるようです』
「制限枚数? じゃあ無限にユニゾン出来るわけじゃないって事?」
「悲しいかな、上限があるという事だな。コルニだって分かっているだろう。ユニゾンチップは使うだけならばなくならないが、エレメントトラッシュ時に消滅する。つまり、必殺の一撃を使えば使うほど、イグニスは弱くなっていく」
そのような弱点があるとは思いもしない。マチエールはただただ言葉を彷徨わせていた。
「……ヨハネ君には」
「言わないよ。イグニスの弱点なんて私達だけで知っておくのがいいだろう。余計な心配をかけさせて、彼はどうなると思う? お前がバグユニゾンで戦えなくなった時を思い出せ」
彼は恐らくイグニスのために身体を張る。それくらいはしかねない。
「……あたしも、ヨハネ君には傷ついて欲しくない」
「お互いにそう思っているのならば、これは伏せておく事だな。ヨハネ君はどこか、自分の命を投げ打つ事に、美徳を感じている節がある」
「美徳……? 命を投げるなんて馬鹿な真似を、ヨハネ君は美しいと思っているって言うの?」
信じ難かったが今までの行動がそれを裏付けていた。
「彼は自分を何もないものだと思い込んでいる。だから、他人のために命を張れる。いや、それだけじゃないような気もするんだがね。しかし、彼の過去の経歴を洗い出そうとすると、こうだ」
ヨハネの過去の情報には鍵がかかっていた。それは裏社会のかけ方である。
「誰かが、ヨハネ君の過去を伏せている?」
「その誰か、は分からないが、少なくとも味方ではなさそうだ」
その予感にマチエールは戦慄した。
「そう、か。ルイ、ヨハネ君の情報はそこまで、か」
シトロンの声にルイは応じていた。
『正直、異常なほどだぜ? 一般人の情報閲覧レベルじゃねぇ』
「分かっていた事だが、ヨハネ・シュラウド。彼もまた、特別であるという事だな」
シトロンはギアを改良し、通信環境と作業能率を上げていた。ルイは黒い身体を翻し、宙を舞う。
『こちらの目的がそろそろ、オーキドの爺さんである事がばれているんじゃないのか?』
「だろうね。そろそろ至ってもおかしくはない」
『どうすんだよ。消すのか?』
「急くなよ、ルイ。オーキド博士の事は表に任せる。ぼくらは、ヨハネ君を引き入れる方法でもゆっくりと考えよう」
『あれがこっちに寝返るなんて思わないほうがいいぜ? だってエスプリ連中にどっぷりだ』
「正義に酔っているだけさ。彼も自分自身の歪みに気がついていない。正義というのはどこまでも、流動的であると言う事を」
『事実かもしれないけれどよ、突きつけたってどうせ答えは決まっているだろ?』
「今の彼には、ね。だが、こちらには特別な手札がある」
シトロンの視線の先にはヨハネの過去にまつわる人物の顔写真があった。いくつもの黒塗りで抹消された経歴の上に、文字化けした名前が映されている。
「カレン・シュラウド。ヨハネ・シュラウドの、実の姉だ。彼女の存在が、彼を歪めた。だが、これを知っているのは彼自身と、残された親族のみ。さて、会いにいくべきかな。カレン、というヨハネ君の原点に」
シトロンは白衣を翻す。ラボが自動的に閉じて主人の動きに連動する。ラボは発明したギアの性能によってシトロンがいなくとも八割の稼働率を誇っている。
『シトロニックギアの性能だけで、主人はフレア団の中でも高次存在に干渉出来るのに、何でしないんだ? 王を暴くのなんて簡単だろ?』
「王は、今はそっとしておくべきだよ。今は、ね」
『いずれはその地位を追うかのような言い草だ』
ルイが空中でケッと毒づく。シトロンは蓄えた情報をホロキャスターに送り込んだ。
「王は、我々凡人には気の遠くなるような秘密を握っているからね。ぼくが本当に彼を追い込もうと思うのならば、それは本当に準備が整ってからだ」
準備さえ整えば、倒す事は容易である。
こちらにはルイ・オルタナティブとシトロニックギアがある。加えて自分の頭脳に比肩する人間などいまい。
まさか反逆を企てているなど、王は予見もしないだろう。問題なのは、王ではない。
『主人、組織のナンバーツーは、依然として正体不明だ。掴ませもしない』
フレア団ナンバーツー。その正体は全く探れない。ルイをもってしても判明しない相手など相当のはずだ。
性別さえも分からない相手に、自分達は恐れを抱かなければならない。だが……。
「なに、いずれ闇から引きずり出す。今は、この情報だ」
端末に表示したのは、こちらの餌にかかったクセロシキを含む実戦部隊。
わざと残しておいた情報を基に、彼らは再生計画を練ろうとしている。
ヒトが触れた最大の冒涜。生命への背信行為を、彼らは再現するであろう。
『ミュウツー、か。確かにクセロシキからしてみれば、主人を倒すのに好条件だろうな』
「だからこそ、ぼくはわざと、これを彼らの目に置けるようにしておいた。彼らは知るだろう。――ヒトの出来る事などたかが知れていると言う事を」
『主人が言うと皮肉めいているな』
ルイの嘲笑を受けつつ、シトロンは約束の場所へと向かう。
取り次いだのは黒服であった。
『合言葉は?』
「ヤドンの尻尾」
その言葉を受けて扉が開かれる。奥には面を伏せた老人がじっと佇んでいた。
「ここにワシを呼んだという事は、つまり協力しろと言いたいのじゃな?」
相手の声音にシトロンは言いやる。
「既にフレア団の手にある事は極秘ですよ。オーキド博士」
オーキドが眼光をシトロンに向ける。世間ではもうろくした研究者として扱われているが、この老人の真の力は侮るべきものではない。
なにせ第一回ポケモンリーグ。この老人は世界を滅ぼす一歩手前まで行ったのだから。
『特異点、オーキド・ユキナリ博士。我々の調査に協力していただく』
その言葉にこの世界でも特別な存在である老人は、フッと自嘲した。
第七章了