EPISODE69 閃火
コルニが取り出したものにヨハネは瞠目する。バックルであった。中央に陰陽の文様を刻み込んだ、エスプリとは異なるバックルだ。
それを腰に当てた瞬間、ベルトが伸長する。
『プロトエクシードスーツ。レディ』の待機音声が響く中、コルニは一つ深呼吸して息を詰めた。
「――プロトエクシードフレーム、イグニッション!」
その言葉が紡がれた途端、黒いアタッシュケースが開き、内部から鎧が出現した。虚空を切り、鎧が螺旋を描いてコルニへと吸着しようとする。その瞬間、赤い磁場が発生した。
肌に密着するかに思われた鎧が反発する磁場を発生させてコルニの身体に負荷をかけた。
思わぬ事であったのか、コルニでさえも苦痛に顔を歪ませる。このままでは危うい、と判断したのはエスプリだった。
「無理だ! 変身に足りる要素がないんだよ。このままじゃ、身体が分解するぞ!」
赤い磁場が血の色と入り混じってコルニの表皮を裂いていく。ヨハネは思い切って声を発していた。
「コルニ! 死ぬ事は……!」
「何言っているんだ……。アタシは、こんなところで死なない。死ぬわけにはいかないんだ。だから、従え。アタシに従え! エクシード!」
コルニの雄叫びと共に蒼い光が明滅した。
何が起こったのか、ヨハネとエスプリには分からなかったが、通信の上でユリーカが息を呑んだのが伝わる。
『まさか……そんな事が……』
土煙の向こう側で雷鳴のような蒼い光の点滅が確認された。
何が起こっているのかを窺う前にクレベースが前足を持ち上げる。踏み潰そうというのだ。
エスプリが弾かれたように向かう前に、放たれたのは電磁の一閃である。
電気を纏い付かせた蹴り技がクレベースの足裏を削った。
「あれは……」
「嘘だろ。新たな……Eスーツの使い手なんて」
粉塵を払った蹴り技の向こう側にいたのは関節部から蒼い光を放出するエスプリの似姿であった。
否、僅かに違うのは腕に沿う形で固定された刃と、背筋に付けられたブレード状の羽根であろう。最大の違いは脚部に存在するローラーシューズから派生した踵に至る長い刃であった。
全身これ武器、とでも言うべき存在に、エスプリが息を呑む。
『プロトエクシードスーツ。コンプリート』の電子音声にユリーカの通信が応じた。
『まさか……Eスーツを新たに使う存在など』
あり得ない、とでも言いたげなユリーカの声音にクレベースが吼えた。
前足を払い相手を吹き飛ばそうとする。しかし今度の一撃はコルニによって受け止められた。
パワーが何倍にも増加しているのだ。クレベースの前足を容易に持ち上げたコルニのヘルメットバイザーが降りる。
蒼いバイザーにはIの文字の意匠が浮かび上がった。
「アタシは、変われた……。これで、アタシは遂げられる。復讐を!」
クレベースの前足へとコルニが片手を振るい上げる。腕に沿う形のブレードが展開され、そのままクレベースの表皮を抉り取ろうとした。
しかし、ブレードはその硬度の前に弾かれる。
「普通じゃ、やっぱり徹らないか。だったら、これでどう?」
コルニが腰のケースから取り出したのは小さなチップである。手首にはめ込む部分があり、コルニは両腕にそれを埋め込んだ。
『ファイティングユニゾン』の音声が響き、ブレードが前面に突き出される。コルニの格闘術に従い、ブレードにオレンジの光が纏いついてクレベースの表皮を抉り取った。
その威力にヨハネは言葉を詰まらせる。
「ユニゾンを、使いこなしている?」
「でも、ポケモンの力を借りている風じゃない。何だあれは……」
エスプリでさえも震撼している。コルニは足首にもチップを埋め込み、脚部の膂力を格段に上げた。
踊り上がったコルニはクレベースの頭部へと跳躍し、その顎へと一撃を食い込ませる。格闘の属性を纏う一撃が僅かに顎を切り裂いた。
クレベースが足を踏み鳴らし、コルニへと間断のない連続攻撃を叩き込もうとする。
茶色の波紋が広がり「じしん」の命中を予感させた。
「〈チャコ〉!」
ルチャブルが飛翔し、コルニはその鉤爪に掴まる事で「じしん」を回避する。
その状況判断にユリーカが舌を巻いた。
『飛ぶ事も出来るのか……』
ルチャブルがクレベースの直上へとコルニを運び込む。コルニは跳び蹴りの姿勢を取ってクレベースに艦載されているカチコールの群れへと突っ込んだ。
こちらからしてみれば何という無謀な策。否、策ですらない。ただの特攻に見えた。
「無茶だ! カチコールだって数が集まれば……」
カチコールが予想通り、凍結攻撃を仕掛けようとしたのが伝わる。
空気が震え、分子が弾かれてコルニへと襲いかかった。凍結によって空間そのものさえも歪む。
だが、コルニは全身から蒼い光を棚引かせて凍結の重力を振り切る。
燐光がまるで蒼い炎のようだ。
「一気に決める!」
コルニはチップをバックルにはめ込む。陰陽の文様を模したバックルはパーツごとに外れるようになっており、二つのドライブがあった。
コルニは二種類のチップを埋め込み、ハンドルを引く。
『スティールユニゾン、ファイティングユニゾン、ツインエレメントトラッシュ』の電子音声と共にコルニの身体にオレンジ色のオーラと灰色のオーラが浮かび上がった。
片方のオーラを拡張させ、コルニが周囲に回し蹴りを叩き込む。
回し蹴りの波紋が押し広がり、カチコール達を殲滅していく。灰色とオレンジのオーラの混じったその属性は見間違いようもない。
「格闘の属性と、鋼を混ぜた?」
信じられない光景にヨハネは瞠目する。エスプリもすっかり割って入るタイミングを逃した様子だった。
「……あいつは、何なんだ?」
残存するカチコールが一斉に凍結を放とうとする。クレベースの土台から放射された氷の大気にコルニは新たなチップをバックルに埋め込んだ。
『コンプリート。フライングユニゾン』の音声に導かれてコルニの背筋に固定されていた羽根が展開される。次の瞬間、コルニは飛翔した。
その飛翔距離は通常ではあり得ない高度であった。ルチャブルと並び、コルニは滑空する。
「飛べるのはいいもんだね。さて、どうやってとどめをさしてやろうか」
コルニがチップを再び埋め込もうとした時、クレベースが全身から冷気を棚引かせた。
盛り上がった冷気の波にコルニがうろたえる。その隙にクレベースは赤い粒子となって消えていった。
「誰かが、クレベースを戻した?」
エスプリがそれを察知しようと周囲に視線を配る。しかしそれらしい気配はない。
「エスプリ。バグユニゾンを」
ヨハネの言葉にエスプリはアギルダーのボールをセットしていた。
『コンプリート。バグユニゾン』の音声でヘルメットの両側に「B」の文様が刻み込まれる。
ハンドルを引き『エレメントトラッシュ』の音声がエスプリに極限の集中をもたらした。
エスプリのバイザー上で照準のマークが浮かび上がりサーチする。
「見つけた! そこだ!」
右手首からアシッドボムを発射しようとしたところ、突然に空間を引き裂く攻撃に遮られた。
目の前に肉迫してきたのはコルニである。
コルニのブレードがアシッドボムの軌道を鈍らせた。
「何を……!」
「あいつらを追い詰めるのはアタシの役割だ。邪魔をするな」
エスプリのサーチしたフレア団員が逃げおおせる。ヨハネは慌ててゴルバットを呼び出して追おうとしたが無駄だろう。
エスプリはコルニの襟元を掴み上げる。
しかしコルニは飄々としていた。
「何をしたのか……分かっているのか?」
「分かっているともさ。あえて泳がせたんだよ。それに、あいつじゃない。アタシの仇はね」
「仇、だと?」
「クレベースじゃない。アタシは、アタシの唯一の家族であるおじいちゃん、コンコンブルを殺した犯人を捜している。そして、そいつに復讐を遂げるのがアタシの目的だ」
「復讐、だって……」
「そのために力が必要だった。何なら、今、示してやろうか?」
ブレードの切っ先がエスプリに突きつけられる。エスプリは真正面から睨み返した。
「後悔する」
「どっちが、かな」
エスプリとコルニはお互いに弾かれたかのように後退した。
エスプリはヒトカゲのボールを。コルニは両腕にチップを埋め込む。
『コンプリート。ファイアユニゾン』
『コンプリート。ファイティングユニゾン』
両方の音声が鳴り響いた瞬間、炎を滾らせたエスプリが殴りかかった。炎熱の拳に、迸る脚力。
必殺の一撃の予感はしかし、相手の格闘術を前に折り曲げられた。
ブレードを腕に沿わせた状態のまま、コルニはパワーの上がった両腕で炎の拳をいなす。通常ならば目で追うのも不可能な連続攻撃をコルニは難なく弾き返す。
エスプリの蹴りがヘルメットに突き刺さりかけたが、コルニはブレードの表面で防御した。
「こんなもん?」
挑発するコルニにエスプリが攻撃速度を上げる。少しでも隙がある部位を攻めたエスプリであったが、それを予期したかのように全てガードされた。
「ワンパターンって言うのかな。いくら炎のユニゾンの助けがあっても、そんなんじゃ」
「だったら!」
大きく回し蹴りを叩き込もうとしたエスプリにコルニが跳び退る。『エレメントチェンジ』の音声でボールが新たにセットされた。
『コンプリート。ウォーターユニゾン』の音声によってエスプリの胸部装甲に「W」の青い文字が宿る。
コルニが攻撃を叩き込もうとするが水のユニゾンの前では格闘術は空を掻くばかりだ。
打ち込んだ拳やブレードによる切り上げも青のエスプリは無効化する。
「こっちからいかせてもらう」
水の砲弾を掌に溜めたエスプリの攻撃がコルニに打ち込まれるかに思われた。しかし、コルニは右腕の手首にチップを埋め込む。
『コンプリート。エレクトリックユニゾン』の音声と共に電撃の刃が走った。
全てを受け流すはずの青のユニゾンに皹が浮かぶ。水属性にとって電気は致命的だ。
「さすがに属性間の優位は覆せないか」
コルニの余裕にエスプリは舌打ちして距離を取ろうとするも、脚部に電気のチップを埋め込んだコルニが遥かに素早い。
肉迫したコルニとエスプリは再度打ち合いの結果となったが、次々に交わされていくコルニの一撃にエスプリは傷つくばかりであった。
「このままじゃ……」
危惧するヨハネにユリーカが通信を繋ぐ。
『ヨハネ君。エスプリも随分と頭に血が上っている。ゴルバットで割って入れるか?』
「ユリーカさん? でもそんな事したら、彼女らは……」
『今は、味方同士で争い合っている場合じゃない事くらい、アイツらだって分かっているはずだ。冷水を浴びせかけろ』
ヨハネはゴルバットを呼びつけて二人の間に割って入らせた。
「エアスラッシュ!」
それを受け止めたのはルチャブルであった。筋肉を膨れ上がらせて空気の刃を打ち返す。
主人の邪魔はさせないとでも言うように。
「今は! そんな場合じゃないでしょうに!」
ヨハネの怒声にエスプリの動きが僅かに鈍った。その肩口へと格闘の属性を帯びたブレードが食い込む。
「おや、少年。彼女の味方をしないのか?」
「今は、そんな場合じゃないって言っているんですよ」
『ヨハネ君の言う通りだ。マチエール、落ち着け』
「そんな事、言ったって……」
息も絶え絶えのエスプリは肩に走った一撃によろめいていた。好機であったが、コルニは攻撃しようとしない。
「分かっているよ。やり合っている場合じゃないって事はね。ただ、アタシもどれくらい強いのか知りたかったからさ。仮面の怪人、エスプリが随分と弱い事だけが明らかになったけれど」
立ち上がろうとするエスプリにゴルバットが羽ばたいて制止する。コルニはバックルを取って変身を解除した。
「これが、アタシの変身……。面白くなってきた」
口角を吊り上げるコルニに対してエスプリは慎重な声を投げた。
「力に呑まれれば、何の意味もない」
「そうかな? アタシはそんな予定はないけれど」
お互いに舌鋒鋭く譲るところがない。ヨハネは身を挺してエスプリへのこれ以上の攻撃を止めさせた。
「これ以上は僕も看過出来ない」
その動きにコルニは白けたように言いやる。
「冗談だよ。こんなに弱り切ったエスプリを倒したって面白くないし」
コルニは高層建築から飛び降りる。ローラーシューズはまだ有効なのか、着地時の衝撃波を減衰させた。
「コルニ! あなたは、間違っている!」
ヨハネの声にコルニは一瞥を投げた。
「アタシが間違っている? そう言いたいのならアタシを止めてみな。クレベースは敵じゃないが、フレア団は皆殺しだ。次にクレベースが現れるまでにアタシを止めるか、その時まであんたらの流儀、ってものを見せてみるといい。そうしたらアタシはこの街の流儀に従おう。でも、そんな力ないよね? だって弱いもん」
コルニはルチャブルと共に闇の中に消えていった。Eスーツの入った黒いアタッシュケースはルチャブルが回収する。
エスプリの変身を解いたマチエールが傍にあった壁を殴りつけた。悔恨と苦渋に歪んだ顔は、敗北の辛酸を舐めていた。
「コルニ……あいつは何で……」
ヨハネにも明確な答えはなかった。