ANNIHILATOR - 業火篇
EPISODE65 完敗

「名乗るほどの者じゃないけれど、こいつらと関係あんの?」

 顎でしゃくられたのはフレア団員である。ヨハネは苦々しく口にした。

「関係あるも何も、僕らはそいつらと戦っている」

「あれ? そんじゃもしかして、あんたが、あの有名な仮面の怪人、かな?」

 その通り名にヨハネはハッとする。イイヅカが用いていたのと同じだ。この少女の目的はエスプリなのか。

「……僕じゃない。だけれど、近い位置にいる」

「変な答え。アタシに今すぐ四肢をもぎ取られてもおかしくない状況なのに、冷静なんだね、あんた。思っていたよりも食わせ者かも」

 拘束が解かれる。全身の筋肉が軋んだ。この少女は相手のどの点を攻めれば効果的なのか分かって攻撃している。

 マチエールとはある種、正反対だ。

「その、分かってもらえたと思っていいのかな」

「勘違いするんじゃない。アタシは、あんたみたいなのを殺すために、わざわざ都会に来たんじゃないだから。無駄な死体を積み上げる事はない、そうでしょ?」

 迷いのない殺意。この少女の纏っている空気の鋭さはともすればマチエールより上だ。

「……何だって、こんな事を?」

 倒れ伏したフレア団員に頤を突き出す。

「だって、こいつら邪魔だしさ。素直に情報を吐けばいいのに、吐かないからこうなるんだよ」

「一歩間違えれば危なかった。十万ボルトで消し炭になっていた」

「まさか。アタシはこんなんじゃ死なない」

 肩を竦めた少女はフレア団員のモンスターボールを使ってフワライドを戻した。

 ヨハネは今しがた二人組を昏倒させた武器を見やる。

 ローラーシューズにしか見えないが、足首の辺りに奇妙なボタンがあった。そのボタンに先ほど小さな部品を埋め込んだのだ。

 何よりも、発せられた音声。

 ユニゾンの音声はエスプリの――カウンターイクスパンションスーツだけのもののはずだ。

 この少女はどこまで知っている。

 返答次第では、とヨハネはホルスターに留めてあるクリムガンを出すべきか迷った。

 その時、ピッピ人形をやった少女が泣き喚き出した。

 目の前で人殺し紛いの事が行われたのだから当然だろう。ヨハネがあやそうとすると、少女が割って入った。

「ああ、ゴメンね。怖かったよね? もう大丈夫だから。怖い人達は気絶しちゃっただけだよ」

 率先して少女を宥めようとする少女にヨハネは面食らっていた。

 つい先ほどまでの鋭角的な空気が嘘のように、猫なで声を発している。

「もう、こわくない……?」

「そうそう。怖くないよ。だから安心して遊んじゃいな」

「おねえちゃん、こわいひとじゃないの?」

「アタシは怖くないよ。だって、ほら」

 少女が襟元に留めたものを見せる。ヨハネは目を瞠った。その印は、限られた人間にのみ許された特権の証。

「ジムバッジ、だって……」

 拳を模したジムバッジを、少女は付けていた。子供でも分かったのだろう。ジムリーダーならばむしろ悪人を相手取る役職だ。

「ジムリーダーなの?」

 目を輝かせる少女の頭を、ジムリーダーの証を持つ手が撫でる。

「そうだよ。だから安心、安心」

「あんしん、あんしん」

 おうむ返しにする少女に笑みを向ける。

 ヨハネはいよいよわけが分からなくなってきた。ジムリーダーがフレア団を倒して回っているなど聞いた事がない。

「……君は、何者なんだ」

「アタシ? まぁ、ジムリーダーだってばれちゃうと自ずと正体も知れちゃうしね。――名前はコルニ。シャラシティのコルニだ」

「コルニ……」

 その名前を繰り返すと少女が手を引いた。

「ねぇ、おねえちゃん。ローラーシューズ、いいなぁ」

「ああ、これ? いいでしょー」

 見せびらかすコルニにヨハネは声を詰まらせた。先ほどフレア団員を昏倒させた、立派な武器である。

 コルニは普通のローラーシューズのように華麗に走り回って一回転を決めた。

「すごいね! おねえちゃん!」

「サポーターとか、防具とかつけないほうが、スリルがあって面白いよ。アタシはただ単に調子狂っちゃうからってのもあるけれど」

 ヨハネはコルニという少女への判定に困っていた。相手は血も涙もない冷酷な人間なのか。それとも、目の前で展開されているように、子供を愛する人間なのか。

 決定しかねていると、コルニは、おっと、と少女を促した。

「そろそろお父さんや、お母さんが心配するんじゃないかな?」

 少女は頷き、公園を立ち去っていく。その背中に手を振りながら、コルニは呟いた。

「子供はいいね。邪気がないし」

「その、フレア団を、知っていて、攻撃したんだよね?」

「当たり前じゃん。こんな、社会のゴミなんて、知らなきゃ攻撃しないよ」

 一転してコルニは厳しい口調になった。フレア団員を踏みつけふんと鼻を鳴らす。傍らに佇んだ鳥ポケモンが腕を組んで憮然としていた。その立ち振る舞いはやはり鳥、というよりも格闘戦士に近い。少女を守る闘者だ。

 刺々しい空気を纏ったコルニにヨハネは聞いていた。

「この街には?」

「最近、居ついたばかりかな。こんなに、連中が多いとは思わなかったけれどね。まぁ、そのお膝元だって言うのなら当たり前か」

 この少女、まさかフレアエンタープライズの裏の顔を知っていて、その本拠地であるミアレに乗り込んで来たというのか。

 半ば信じられず、ヨハネは問いを重ねる。

「その、フレア団と事を構えようなんて、そんな事は考えちゃいけない。だって奴らは、君が思うよりずっと、極悪人だ」

 これで諦めてくれるならば、と感じていたがコルニはトリプルテールを払って腰に手を当てた。

「あのさ、勝手に忠告払ってくれるのはありがたいっちゃそうだけれど、余計なお世話とも言うんだよね。だって、あんたさ、アタシに何が出来た? 一発だってもらっちゃいないよ。そんなあんたが、アタシに、何で警告出来るのさ? 警告するのなら、一発でも当ててみな。どうせ、〈チャコ〉を超えてアタシに攻撃なんて無理だろうけれど」

 挑発するコルニにヨハネは慌てふためいた。

「そんなつもりは……! だって本当に危ないんだ!」

「危ない危ないって、何、知った風な口を。あんた、もしかしてフレア団の一員だったり?」

 指差された声にヨハネは怒りを覚える。連中と同じだと思われるのはさすがに我慢ならない。

「……怒るよ。僕だって」

「いいよ。怒ってみな。アタシに勝てたら、何でも言う事を聞いてあげるよ。その代わり、あんたが負けたら、有名な仮面の怪人の情報を喋ってもらおうかな」

「……後悔する。ゴルバット!」

 自分だってか弱い育て方をしたつもりはないのだ。格闘タイプ使いだと分かっているのならば、ゴルバットで攻めるのは定石。

 飛行・毒タイプのゴルバットの攻撃は相手にとって致命的だ。

 ――何を繰り出してくる?

 張り詰めたヨハネにコルニは指を鳴らした。〈チャコ〉、と呼ばれているポケモンが前に歩み出る。

 コキリ、と拳を鳴らすその姿、立ち振る舞いは完全に格闘タイプだ。

 やはり見た目だけ鳥ポケモンの疑似餌なのか。ヨハネは先制攻撃を放つ。

「エアスラッシュ!」

 ゴルバットが空気を纏いつかせて疾風を放とうとする。しかし、〈チャコ〉なるポケモンは慌てる様子もない。

 それどころか、両腕を掲げてゴルバットの発生させた空気の刃に、肘打ちをかました。

 さすがに目を見開く。

 飛行タイプの技は格闘に効果抜群のはず。

 だというのに、相手はその肘打ちだけで「エアスラッシュ」を完全に受け止めていた。

 空気の刃が微粒子を震わせて空間に縫い止められる様子は滑稽を通り越して不気味ですらある。

 相手は空気を握り締めたのだ。

「まさか……、風の刃だぞ」

「今のが? 笑わせないでよ、少年。空気の刃ってのは、こういうのだ!」

〈チャコ〉が片腕を払い、その翼をはためかせる。瞬く間に空気が逆巻き、生まれ出でたのは超振動で生み出された空気の刃であった。

「そんな……、格闘タイプだろう?」

「言い忘れていたけれど、〈チャコ〉……つまりルチャブルは飛行・格闘の複合タイプ。このタイプ編成から繰り出される攻撃を、食らうがいい!」

〈チャコ〉ルチャブルが甲高く鳴いて攻撃する。ゴルバットを打ち据えたのはまさしく先ほど撃った攻撃そのもののように思われた。

「……やるな。エアスラッシュか」

「エアスラッシュ? 勘違いしていないか? 今のは、攻撃技ですらない、――ただの空気圧だ」

 瞠目するヨハネを他所に、ルチャブルが全身の筋肉を膨れ上がらせる。発生した衝撃波だけで路面が捲れ上がった。

「そして、これが、本当のエアスラッシュだ」

 ルチャブルが振り上げた片腕を打ち下ろす。それだけで、発生した空気の皮膜がゴルバットを包囲する。

 何が起こったのか、まるで分からなかった。

 気が付くとゴルバットは戦闘不能の手前まで追い込まれていた。

 ヨハネははらり、と髪の毛が落ちたのを掌で確認する。 

 遥かにこちらのものを凌駕する「エアスラッシュ」の一撃に髪の毛すら切断されたのだ。

「何て言う、威力……」

 無茶苦茶だ。本来、飛行タイプの持っている細やかさ、テクニカルの部分を格闘タイプの豪腕がカバー、否、強化している。

 それも並大抵のものではない。

 十倍は下らないほどの大出力だ。

 ――本気にならなくては。

 ヨハネはゴルバットを先鋒で出した事を決して後悔はしていなかったが、嘗めていた事だけは事実だと痛感する。

 相手はこちらの小手先が通用するほど、やわではない。

「戻れ、ゴルバット」

「少年は、もう一つ、ポケモンを持っているね? そっちで来るといい。〈チャコ〉を破れなければ同じ事だけれどね」

 ヨハネはホルスターからボールを引き抜いた。このような形で場に繰り出す事になるのは初めてである。

「行け、クリムガン!」

 出現した赤と青に彩られた龍が、威圧を漂わせて咆哮した。その凄味にコルニが口元を綻ばせる。

「さっきのゴルバットに比べると随分と……荒っぽい。まだ捕まえて日が経っていないと見える。しかし秘めた能力ははかり知れない」

「そこまで分かっているのならば、僕も、クリムガンも、一切容赦はしない!」

 本気で立ち向かわなければ。自分の持ちうる全ての手を投げ打つ。そのつもりでなければ、ここは引き負ける。

 吼えたクリムガンが青い燐光を棚引かせた。

「げきりん」の内部骨格の煌きに、コルニは笑みを浮かべる。

「そそるね。本気の奴ってのは。〈チャコ〉、マジにやるよ」

「来い! 逆鱗!」

 光を放出しながらクリムガンが爪を振るい上げる。放たれた一閃だけで、通常の物質ならば細切れになるであろう。

 だが、ルチャブルは果敢にも立ち向かってきた。恐れを知らぬ戦士、というよりも愚者のそれだ。

 攻撃射程に入れば、クリムガンの攻撃を受ける。そうでなくとも、接触するだけでダメージを与える特性、鮫肌。

 これをまだ、トレーナーであるヨハネでさえもはかり切れていないのだ。

 クリムガンの爪の一閃を、ルチャブルは跳躍して回避する。だが、クリムガンが反応しないはずがない。

 背筋から生えた翼がそそり立ち、一斉に、青い燐光の放射攻撃を注いだ。

 いわば「げきりん」の中距離攻撃。刃の応酬に中空の敵は切り刻まれる他ない。

 しかし、ルチャブルは迷いなく、蹴りの姿勢を取った。

 跳び蹴り程度では、こちらの龍の猛攻をさばき切れるはずもない。

「負けない!」

「いいね。そそるよ! 勝ち負けにこだわる、男の顔になってきた!」

 ルチャブルがその瞬間、両腕に生えた翼の皮膜を広げて、交差させる。防御姿勢だ。跳び蹴りはブラフ。

 そう判じた瞬間には、くるりと姿勢を翻したルチャブルが腕を交差させたまま突っ込んできた。

 特攻か、とヨハネがにわかに総毛立つ。

「勝負を、捨てた?」

「いや、これがアタシの見出した、勝機だ!」

 なんと「げきりん」の刃を満身に受けつつ、ルチャブルはそれでも猛攻してくるのである。

 その勢いにたじろいだヨハネの逡巡を、クリムガンが感知したのか、僅かに、その刃の応酬がやわらいだ。

 その弛緩の瞬間を、相手は見逃さない。

 突っ込んできたルチャブルが交差した腕を開き、翼の皮膜で姿勢を制御する。

 腹ばいになったルチャブルが胸襟を見せ付けてクリムガンに――落下した。

 粉塵の舞う中、ヨハネは咳き込む。

「クリムガン?」

 相棒の声がしない。まさか、とヨハネが感じた時、クリムガンの青い燐光が土煙の膜を引き裂いた。

 恐ろしく純度の高い青い光が目に焼きつく。

 クリムガンは最早、トレーナーとポケモンのたがを捨てて勝負に挑んでいた。そうしなければ勝てないのだと、長年の野性を続けていたクリムガン自身が判断したのだろう。

 両腕、両足、翼、全てを用いてクリムガンが全身を武器にルチャブルを切り裂こうとする。

 ルチャブルは全てを紙一重で避けてクリムガンの胸部へと拳を叩き込んだ。

 しかし、その拳には血が滴る。

「攻撃を受けると、ダメージが跳ね返る特性?」

 そう、至近距離であればあるほどに、クリムガンは真価を発揮する。

 爪を振るい上げたクリムガンの威容に勝利を確信した。

 そうでなくとも、ルチャブルは戦えまい、と。

 ヨハネはこの時――慢心したのだ。

 クリムガンは負け知らず。だからこそ生じた隙に気づけなかった。

 ルチャブルが横合いから頬を殴りつける。

 それも無駄だ。全て、特性、鮫肌が相手へのダメージに変換する。

 ルチャブルの拳が今度は鳩尾に食い込んだ。それでも……と余裕の浮かんでいたヨハネの目に映ったのは膝を折るクリムガンであった。

 そんなはずがない。クリムガンにダメージを与える事など出来ないはずであった。

「詰めが甘いね。打ち込めばこっちに跳ね返ってくるっての、全部が全部じゃない。そのささくれ立った皮膚の薄い部分がある。例えば、頬、例えば、鳩尾。そういう部分って大体弱点なんだよね」

 まさか、とクリムガンが弱々しく鳴く。

 その顔面にルチャブルの拳が放たれた。

 ノックアウトを示すかのように、クリムガンの全身から上がっていた煌きが、消失した。

「クリムガン! 戻れ!」

 覚えずヨハネはクリムガンをボールに戻していた。

 負けるなど露ほども思っていなかった。

「あれ? 負けちゃったねぇ、少年」

 コルニにもルチャブルにもまだ余裕のある様子だった。

 完敗だ。

 これほどまでの敗北を喫したのは久方振りであった。

 目の前が真っ暗になる、とはまさにこの事。打つ手がことごとく無駄と徒労に終わった時、人間の視界は暗黒に没する。

 そんなヨハネの余韻などまるで気にしないコルニは憮然と言い放った。

「さぁ、教えてもらおうか。この街の、仮面の怪人について」 

 最早、それを拒む術もなかった。


オンドゥル大使 ( 2016/12/24(土) 21:52 )