EPISODE63 予兆
「逃がすな、追え!」
声が弾けると共に機動したのは小型のポケモン達であった。
通路を駆け巡り、追跡を行うがある一点で全部隊が動きを止めた。けしかけていた赤スーツの構成員がインカムに声を吹き込む。
「……どうやら、見失ったそうです」
『失態だゾ。あれを奪われるとなれば、我々の次の一手が大きく変わりかねない』
クセロシキの張り詰めた声に赤スーツの構成員は汗を拭った。
「それほどまでに、重大な代物なのですか」
『……主任の推し進めるプロダクションタイプEアームズに唯一拮抗する可能性がある力だったのダ。失うのは惜しい』
プロダクションタイプ。それがフレア団内で使われているEアームズの完成個体の総称であった。
シトロン主任研究員によってようやく日の目を見たEアームズ技術であるが、それを御せなければ意味のない事。
首輪、とも呼ばれていた今回の産物に警備を務めていた構成員は焦燥の滲んだ声を発していた。
「ですが、鼻の利くポケモンを数体引き連れても、追えないという事は……」
もう逃げおおせているか。あるいは、こちらの感覚を遮断する何かを行っているかだ。
通話の向こうにいるクセロシキは厳しく声にする。
『いいか? これは重大な事ダ。我々がシトロン主任に届く牙を画策していたとばれれば、それこそ組織での立場が危うい。そうでなくともシトロン主任は気紛れだ。何かの拍子に我々を切らないとも限らないのだからナ』
「し、承知しています」
どうやら追跡部隊を退ける事は不可能らしい。構成員は再び、自分の引き連れているヘルガー部隊に命令した。
「いいか? 絶対に強奪者を焼き尽くせ。殺すのを第一に考えろ。奪還は二の次でいい。問題なのは、敵がどれほどプロトEスーツに関して知っているかどうか、だ。我々の研究を盗むだけのつもりでやったのか、あるいはプロトEスーツの内容に着目したのか……」
不明だが、明らかなのは開発途上のEスーツが奪われたという事実のみ。
赤スーツはヘルガーをけしかけて追跡を続行する。
その耳にクセロシキの声が響き渡った。
『いいかネ? あれだけは、決して主任に露見してはならない。ともすれば、我々の唯一の切り札でもあるのだからね』
「……心得ています」
自分の寿命も長くはなさそうだ。このままではクセロシキに処分されてしまう。
「しかし、どうやって認証システムをクリアしたんだ……。だって、主任の持っているルイくらいじゃないと、フレア団のシステムをダウンさせるなんて」
不可能だ、と言葉を継ぎかけて人影を目にした。
隠れているつもりなのだろうか。影が伸びており、微動だにしないのが分かる。
「……そこの。どうやら頭隠して尻隠さず、という奴らしいな」
ヘルガーが寄り集まっていく。吼えた感触に見つけた、と舌なめずりする。
「逃がすわけにはいかんのだよ。我々フレア団の、怒りを知れ!」
ヘルガーが一斉に火炎放射の準備陣形に入る。
その瞬間、ことり、とそれが転がってきた。
影に見えたのは、マネキンに括りつけられた――爆弾であった。
まさか、とヘルガーに攻撃中止命令を出す前に、火炎放射が発射され、次の瞬間、爆弾の業火がフレア団員を焼き払った。
「おい、おい! まさか、やられたのか?」
クセロシキは嫌な汗が首筋を伝うのを感じていた。
別の場所で組み立てていたプロジェクト。それが露見しただけならばいざ知らず、その重要物資が奪われたとなれば急がなくてはならない。
しかし、自分の下にはシトロンが投げたせいで適性者のリストと新たに造り上げなければならないEアームズの案件で手一杯だ。
だからこそ、その計画が支持された。
Eアームズだけではいたちごっこになりかねない事から致命的になるであろう一打を。
全てのEアームズを統べ、超える存在を。
だが、内通者でもいたのか、極秘計画はものの見事に崩れ去った。
残ったのはそのデータのみ。
クセロシキは投射画面に映ったデータを見やる。
人型のスーツの横にはシステム関連の履歴と、そのデータ収集。そして開発コード「プロトEスーツ」の文字がある。
「カウンターEスーツへの対抗策として、Eスーツの量産化を進めていた矢先にこれか。まさかエスプリの一派か? いや、それにしては内部に精通し過ぎている。我々の手の者か?」
思案を浮かべるクセロシキはラボに招いた腹心の部下を思い返した。
――まさか彼女が?
あり得ないと思いつつもクセロシキは通話を繋ぐ。
数回のコール音の後、相手が出た。
「アリア女史かネ?」
『ええ。こちらの回線を使ってくるのは特務の時だけのはずじゃ……』
「その特務なんだよ。プロトEスーツが盗まれた」
発した声にアリアは通話越しに声を潜める。
『……知っているのは?』
「ワタシと、警護に当たらせていた部下数名。それとお前だ。まさか、とは思ったが、ワタシも信じられない心地でネ」
誰も彼も疑いたくなってしまう。こちらの心情を慮ったのかアリアは先回りして声にしていた。
『敵の目論みは?』
「不明だ。要求もない、ところから見ると、他の地方の組織の可能性は低いネ。一個人で扱うにしては少しばかり度の過ぎる代物だが……。警護に当たらせていた連中からの通信が先ほど途切れた。もう、排除された可能性が高い」
『その、プロトEスーツを、使ったというのですか』
「使われた可能性は極めて低いだろう。使用した場合、こちらにEスーツの登録者のDNAデータが送信される仕組みになっているのだが、まだ来ていない。強奪した人間はまだ使う気がないのか、それとも誰かに使わせるつもりなのか……」
『まさか、劣等生の?』
やはり彼女も思い至ったらしい。クセロシキは一呼吸置いて応じる。
「そうだとすれば、連中の動きは随分と早くなった、というべきだろうネ。ワタシがEスーツの量産体制に入る前に一手を打ち込んできたのだから」
『……前回、Eスーツの一部が完成している事を連中に明かしましたよね?』
それもある。自分の不手際、という事になりかねない。
「ワタシが軽率だった、と言われてしまえばそこまでだが、しかし、奴らが、フレア団の研究棟に潜り込んでわざわざ新規のEスーツを奪う、というのが解せない。既に持っているカウンターEスーツを使えば可能ではあるが」
『動機がない』
こちらの言葉を予測したアリアにクセロシキは厳命する。
「アリア女史。何としてでも、プロトEスーツの流入は防がなければならない。そのためには計画を一段階繰り上げてもいい」
それの意味するところをアリアは読み取ったようだった。
『十六号アナイアレイターの実戦投入……』
「それも視野に入れている。いや、既に動き出しているナ。放っておいた弾数が作用するかどうかも、連中次第だヨ」
クセロシキは腕時計を見やる。
既に開始時刻であった。
十六号アナイアレイターがミアレの街に投入される。
別の通信チャンネルが開き、クセロシキが繋いだ。
「ワタシだが」
『クセロシキ副主任。今回の、分散型のEアームズは機能していますが、気取られる可能性もあります。いかがいたしましょう』
Eスーツが盗まれた事を現場の人間は知るまい。いや、知らないほうがいい。
「順次、報告を厳とする。今回のEアームズは少しばかり特殊だからネ。作戦に支障が出ないように気をつけるんダ」
『そういえば、つい一週間ほど前からミアレ市内に点在させておいたフレア団員が消息を絶つ、という事件が多発しております。どういたしますか?』
その報告は受けていたが後回しにしていた。クセロシキはここでの動きが過ぎれば相手に気取られる可能性もあると考える。
「あまり顕著に動くと余裕がないと思われる。出来るだけ静観ダナ」
『了解しました』
チャンネルが閉じてクセロシキは息をつく。シトロンから作戦指揮を預かっている手前、プロダクションタイプのEアームズをうまく動かせなければ沽券に関わる。
『副主任……、やはりプロトEスーツの事は』
やり取りを聞いていたアリアの声にクセロシキは首肯した。
「ああ。機密事項だ。出来るだけ漏らさぬように」
『心得ております。しかし、このような事……。敵は身内にいる可能性も?』
「無きにしも非ずだが、考えたくないネ。出来れば」
『同感です』
通話が切られる。クセロシキは仮面を外し、新鮮な空気を顔に入れた。
深呼吸して汗の浮かんだ額を拭う。
「嫌な予感ばかりするヨ、まったく。こういうのは当たるのだから困る」