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幻想篇
EPISODE60 契約

「それが、あの夜の全てだった」

 語り終えたマチエールはその余韻と、自らの内面を口にした事で少しばかり疲弊しているようだった。

 無理もない。それほどの壮絶な過去、口にするのも憚られるだろう。

〈もこお〉が見せたビジョンがようやく意味を結んだ。地獄のような場所から命からがら彼女達は逃げおおせたのだ。

 恩師の死という、悲痛な現実を抱えたまま。彼女達はミアレに舞い戻ってきた。

「そこから先は、ハンサムハウスでのユリーカとあたしの戦い。ミアレの街に潜む外敵に、まず反応したのはユリーカだった。驚いていたみたい。自分達の組織がこれほどまでに実戦戦力を蓄えており、ホロンの研究棟が所詮、ただの施設に過ぎなかった事を」

 今までの話を統括すれば、ユリーカほどの頭脳でさえも組織は捨て石にしか考えていなかったのだと窺い知れる。

 しかし、それほどの狡猾な事を誰が――ヨハネの脳裏に浮かんだのはあの夜の白衣の青年であった。

 あの男が? だがユリーカが表立っては死んだ事になっているのかもしれない。だからこそ、フレア団はこちら側での戦力を整えた。

「まだ、フレア団はミアレで実験しているだけ。でも、いずれはカロス全域に広まる。そうなる前に、あたし達が叩き潰す。そのために、あたしも、エスプリとして戦い抜くと決めた。ユリーカと共に」

「でも、ユリーカさんは……。彼女はそんな事を言わなかった」

「あいつは言わないよ。言わないけれど、人一倍、そういうのは気にしている。あの時、おやっさんが何を言ったのか、あいつだけが知っている」

「知りたいとは、思わないんですか」

 酷な言葉だったかもしれない。しかし問わずにはいられない。

 マチエールは笑みを振り向けてただ首を横に振った。

「……怖いんだ。それを聞いてしまうと、もしかするとあたしの中の戦いに向かっているものが、闘志が、消えてしまうんじゃないかって。そうなった時、あたしはどうなってしまうのかまるで分からない。あの時の事はお互いに言わないほうがいいだって分かってる。でも時々、どうしても怖くなる。おやっさんはこんな事を望んでいないんじゃないかって。そう思った心の隙間を、あの男にしてやられた」

 マチエールの目に敵意が宿る。ハンサムの姿を愚弄した相手を、彼女は許しはしないだろう。

「僕も……ハンサムさんの、それほどまでの覚悟を持った人の姿を真似たあいつを、許せない」

 拳をぎゅっと握り締める。出来る事は少ないかもしれない。だが、戦う事を選ばせて欲しかった。

「ヨハネ君は、ここで引き返す事も出来るんだよ」

「でも、僕は、もうマチエールさんとユリーカさんの、二人の探偵の助手だ」

 決意の双眸を振り向けるとマチエールは微笑んだ。

「すいやせん……姉御、オレ、オレ……」

 リーゼントはしきりに謝っている。今の話から鑑みるにハンサムとマチエールを死地に送り込んだのは彼の情報だろう。

「謝らないでよ。あたしは、あの場所に行ってよかったと思っている。ユリーカと会えた。もし、あたし達が行かなかったら、今でもホロンの研究は行われていた。そう考えるとぞっとする」

「でも……姉御、取り返しのつかない事を……」

 しゃくり上げるリーゼントの肩をマチエールはそっと叩いた。

「もういいんだ。君が謝る事じゃない」

 うっ、と嗚咽を漏らすリーゼントにマチエールは身を翻した。

「どこへ?」

「ちょっと、風に当たってくる。雨も止んだしちょうどいい」

 話が終わった頃には雨は降り止んでいた。今にして思えば、街は彼女の代わりに泣いていたのかもしれない。

 涙すら流せない、マチエールという少女。抱えたものはあまりに重い。それ以上に、これから背負う使命は過酷だ。

 自らの復讐心とのせめぎ合い。敵と思っていた相手と、一つ屋根の下で過ごしている。

 マチエールの気配が消えてから声が発せられた。

『その……ヨハネさん』

 ルイが現れていた。彼女もホロンの犠牲者だ。何も知らぬまま、ユリーカに造られその責務を全うしていた。

「ルイさんも、そうだったんですね」

『ごめんなさい。固く、口止めされていたんです』

 しゅんと項垂れる彼女は本物の人間のようだ。恐らくその戦いから先で大事なものを学んだのだろう。

「今、あれが過ちだったと認められるなら、いいと思います。一番に怖いのは、過ちと過ちと思えない、人の心の闇」

「知った風な口を、利くじゃないか、ヨハネ君」

 階段を降りてきたのはユリーカだった。傷口には包帯が巻かれている。付き添う医師を阻んでユリーカは言葉を継いだ。

「聞いての通りだ。マチエールと私は、出会うべくして出会ったわけではない。あの時、ハンサムという一人の紳士に、お互いに救われたんだ」

 ユリーカの口調にも僅かながら思うところはあるらしい。ヨハネは尋ねていた。

「その、ハンサムさんが、最後に、言った言葉は」

「言えない、と普通なら断じるのだが、ここは。……すまないが下がっていてもらえないか。ルイも、だ」

 医師とリーゼント、それにルイが部屋から立ち去る。ユリーカとヨハネはほとんど初めて、一対一になった。

「僕が、ユリーカさんと一人で話すのは、初めてですよね」

「ああ。一方的なのはあったが、人払いしたのは初めてだ」

 柱にもたれかかったユリーカが腕を組む。その不遜な態度からヨハネは言葉を選びあぐねた。

 どう聞けばいいのだろう。自分の命の恩人が何と言ったのか。その最期の言葉を聞き出そうとしている。

 よくよく考えてみればおごがましい。それはユリーカの胸のうちに留めおくべき思い出である。

 やはり取り下げようとした、その時であった。

「ハンサム、という紳士は私にただ、こう言った。マチエールを支えてくれ、と」

 不意に放たれた言葉にヨハネが反応を遅らせる。ユリーカは大事な事を言ったのだ。それを二度も言わせるべきではない。

「支えてくれ、ですか……」

「最初に見た時から、あまり好きな人種じゃなかったんだが、最後の最後に、私に重責を負わせた。アイツを、マチエールを支える。言うには容易いが、アイツがどれほど無鉄砲なのかは、キミも知っているだろう?」

 ヨハネは短い間だったがマチエールと二人でこの街を駆けずり回った日々を思い出した。ほとんど暴れ馬だ。そんなマチエールの手綱を握っていたのが、今の今までユリーカであった。

 相当な辛苦があったのだろうと予想されたが、やはり余人が口を挟む事ではなかった。

「ユリーカさんは……マチエールさんと出会った事、後悔しているんですか?」

 だから、こんな事も聞くべきじゃない。聞くべきじゃないのだが、ヨハネは今しか問い質せないと感じていた。

 この二人を繋ぐものはハンサムという共通の恩人。

 しかし今回、それが今にも解けそうなほど脆い代物だと思い知られた。

「……私は、ホロンで、何も知らずに研究していた頃のほうがよかったとは思っていない。外の世界を知り、何よりもマチエールと組んで探偵業をやっている事、悔いた事など一つもない。ましてや、それを恥と思うなど。……だが、時折思うんだ。私は、悪魔の研究者。こんな、今さらの慈善活動に意味があるのか、ともな。あの時、マチエールは私の手を取った。悪魔と共に行く事でしか、彼女は救われなかった」

 ――悪魔になれるか。

 どれほどまで残酷な問いかけだったのか、推し量るヨハネでも分かる。恩師の死を踏み台にして、さらなる闇へと踏み込む覚悟が要ったはずだ。その覚悟を容易く言ってのけるマチエールの心の強さ。

 何よりも、この二人を繋ぐ絆。

 たとえ緩んだり、ぶつかり合ったりする事があったとしても、彼女らは折れない。千切れない。

 結ばれた契りは永遠だ。

「僕なんかが、押し入ってよかったんでしょうか。だって、二人でもう、完成されている」

「私も、最初はキミの事、よくは思っていなかった。でも、何度か死地を潜り抜けるうち、分かった。キミはハンサムに近い。だから、マチエールが心を許し、〈もこお〉がその力を貸した。私も、キミに報いる時がいつか来るだろう。いつ、なのかは分からないが」

「そんな! 僕のほうこそ、まだ何も出来ていない。助手らしい事なんて、何も……」

 自分はここまで無力だった。だが、ユリーカはその論調を否定する。

「やっているさ。充分に。ただ、キミ自身もそれに気づけていないだけだ。マチエールのバカは、さらに度し難い」

 ユリーカが扉を開ける。どこへ、と振り向けかけた声に彼女は応じた。

「半日ばかり留守にする。留守中の事は既に、イイヅカ氏に頼んでおいた。もし、連中が現れた時の対処も」

 ユリーカと入れ替わりにイイヅカが現れる。彼も怪我を負っていた。

「今回、敵は強大なのか?」

「いや、大した事じゃない。今まで通りさ」

 手を振ったユリーカの背中を見送っている間に、イイヅカは歩み寄ってきた。

「……相当、参っているようだな。マチエール嬢も見かけないが、どうした?」

「マチエールさんも? 風に当たってくるって……」

 そこでハッとしてハンサムハウスから駆け出す。

 彼女らの姿は雨上がりの空の下にはなかった。



オンドゥル大使 ( 2016/12/19(月) 21:34 )