ANNIHILATOR













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幻想篇
EPISODE59 悪魔

「カウンター……?」

 意味が分からずに繰り返していると少女はこちらを振り返って笑みを浮かべた。

「全てのEアームズの頂点に立つ、人間が纏うタイプのEアームズだ。本来、来るべきその時まで保管され、Eアームズポケモンの実戦投入が議決されてからの開発、と表立ってはいたが……、ルイ、このダミーの工程表から真実だけを抜き取れ。出来るな?」

『お任せください、マスター』

 ルイの力添えか瞬時に工程表から虚偽の部分であった場所が黒塗りされ、上書きされていく。それを目にした少女が悪態をついた。

「くそっ! とんだ食わせ者は内部にもいたか。私にEアームズというちょうどいいおもちゃを握らせている間、こっちを進めていたというわけか。最初から、私のEアームズ研究は、この踏み台であった!」

 心底口惜しそうに少女が歯噛みする。マチエールはこの好機を見逃さなかった。

「ヒトカゲ!」

 跳ね上がったヒトカゲがタレットの根元から切断する。火花が散る中でルイが対応する前に、ヒトカゲの爪がコンソールに埋め込まれている制御チップを射程に入れた。

「ここで火炎放射を撃てば、ルイとやらも消える」

「驚いたな……。自分の命を捨てる気か?」

 両手を上げる少女へとマチエールは言い放つ。

「こんな、悪魔の研究を野に放つワケにはいかない。あたし程度の命でいいのならば、喜んで」

 覚悟を決めたマチエールに少女は手を振った。

「やめておけよ。ここでキミが死に、私が死んで、このホロンがおしゃかになったとしても、本部はまだ生き残っているしトカゲの尻尾きりくらいにしか考えていない。ここで潰えれば全てを見逃す事になるぞ。カロス崩壊を、みすみす見逃す事になる」

「お前の口車には乗らない」

「どうかな。このバックルが本物のEスーツの制御端末であるのは間違いない。私の一命を持って保証しよう。それほどの重要機密。私はここで炎の中に消すよりも有効活用が出来ると言っている」

「……どういう意味?」

 こちらが興味を示したと分かってか、少女が余裕の笑みを浮かべた。

「私とキミが、それを独占する。いや、先ほどここに映っていた男と、でもいい。ホロンは捨て石だった。それが分かった今、私達が争う理由がない。Eアームズも全て些事であった。最初からここを切る腹積もりだったんだ。なら、私だってキミと反逆くらいならばする」

「信用ならない」

「ルイ、全システムを掌握。私のホロキャスターで遠隔操作出来るようにしろ」

 顎をしゃくって命じた声にルイが息を呑んだ。

『で、ですがマスター。それは、組織の裏切りを示すんじゃ』

「Eスーツの存在を知った私を、どうせ組織は疎んじる。全て、Eスーツに繋がるんだ。ならば、この程度の裏切りはやってみせるさ」

「お前、ここで裏切るって言うのか。何で……」

「馬鹿には理解出来なくってもいい。ただ、私にはこれがある。これが壊しちゃいけない重要な物だって事は、使いパシリでも分かるだろう?」

 少女の手にはバックルがあった。失態だ。それを相手に与えた時点で、自分の負けが確定している。

 ハンサムからは詳しくは聞かされていない。だが事を鑑みるに渡してはいけない代物だったのだ。

 マチエールは諦めるしかなかった。

 ここで、目の前の悪魔の言う通りにするしかない。

「この、悪魔め」

 忌々しげに口にすると少女は眉を跳ねさせる。

「どうかな。Eスーツの技術はその悪魔を易々と量産する。私程度の悪魔の手に渡ったのは幸運だ。本部からの逆探知を全部切れ、ルイ。ダミーの情報と映像を流してここに私がいるように錯覚させろ」

『そ、それは出来ますが……背信行為です』

「お前の親は私だ。従うのは誰なのか、分かっているだろう?」

 ルイは逡巡を浮かべたがすぐに少女の言う通りにダミー情報を流し込んだらしい。

『これで、本部には気取られません』

「よし。行くぞ、名前は……」

「マチエール」

 名乗ると少女は得心したように頷いた。

「分かった。マチエール。私について来い。このホロンを無事に脱出出来るルートを私ならば提示可能だ」

「従えって言うの?」

「他に何がある? 言っておくがタレットならこの部屋だけじゃない、ホロンの廊下にそこいら中仕掛けてある。キミにEスーツのバックルを与えた男を無事に帰したいのならば、私に従え」

 ハンサムの命も握られているというのか。マチエールは首肯するしかなかった。

「……分かった。でも、あくまで、あたしはあたしの意思を貫く」

「別に、そういう細かいところはどうでもいいさ。ただ単に、キミが私について来るか、否かだけの話だからな」

 不承ながらマチエールは少女の護衛としてホロンの研究棟の廊下へと踏み入る。

 先ほど自分を追い込んだカイロスはいなかった。

「気づかれた様子はないが……、用心に越した事はない。ルイ、タレットにダミーの照準情報」

 背後からついて来るルイが妙に気になる。マチエールは尋ねていた。

「この立体映像、目立つんじゃ?」

「いざとなればホロキャスターに入れておいた本体に収納出来る。それに、ルイは出しておいたほうが優位に働くからな。相手方とて、私の造り上げたシステムはこの世に二つとないと思っている。その時、銃身がぶれるくらいは期待出来るだろう」

「……本当に、あくどい」

「何とでも言え。あくどくとも勝てばいいんだ」

 マチエールは妙に静かなのを感じ取っていた。おかしい。来た時に感じていた胸騒ぎが再発する。

 胸を占めていく焦燥。予感にマチエールは声にしていた。

「何かが、来る……」

「第六感か? ルイ、接近する熱源は?」

『今のところありませんが……』

「マチエール。どういう感じだ? 感覚的でもいい。言ってみろ」

 命令口調に納得がいかないもののマチエールは言葉にしていた。

「ざわざわとして……、静かな波が迫ってくる感じ。カイロスだとか、ゴーリキーの時よりもずっと、息を潜めている。こっちを見ている感じがする」

「見ている、か。ルイ、ダミーは?」

『働いています。でも、熱源なんてどこにも』

 その時、マチエールは肌を粟立たせるプレッシャーの波を感じた。これは攻撃の感覚だ。〈もこお〉が足に擦り寄ってくる。

「来る! 窓際に跳んで!」

 しかし動こうとしない少女をマチエールは突き飛ばした。

 窓際に飛ばされた少女が文句を口にする前に、自分と少女の間の空間が捩じ切られる。

 ハッとした少女が目線を振り向けた先には青い思念の光が漂っており、眼を権限させていた。

「Eアームズ、ユンゲラーか。フーディン相当のサイコパワーを得ている。こいつも自律稼動にしてあったな、面倒な事に」

 口走った瞬間には思念の渦がこちらへと接近してきた。マチエールはヒトカゲを前に出す。

「火炎放射!」

 発生した熱線が思念を焼き尽くそうとする。その直後、紫色に発光した空間から引き出されてきたのは頭部に妙な機械をつけられたユンゲラーだった。

「エスパーの能力を十倍に引き出している。遠隔攻撃はお手の物だな」

「感心している場合? 来る!」

 ユンゲラーが手に掴んだスプーンを掲げて振り上げる。思念の刃が生成され、二人へと襲いかかった。

「ヒトカゲ、逆鱗の爪で打ち消せ!」

 青い燐光を棚引かせてヒトカゲが踊り上がり、爪を払う。一撃はそれでいなせたものの、瞬時に形成された思念の鎖には対応出来なかった。ヒトカゲが四肢を押さえ込まれる。

「ヒトカゲ!」

「近距離から中距離のヒトカゲにはユンゲラーは辛い相手だ。しかもこのユンゲラーは私の仕上げた強力な個体。一手二手先は読んでくる」

「ヒトカゲ、逆鱗のパワーで」

「無理だ。もう混乱状態に瀕している」

 酷使したせいでヒトカゲは今にも意識を閉じそうになっていた。そんな、と歯噛みするマチエールに少女がホロキャスターをいじる。

「こんな時にホロキャスターなんて!」

「意味がない、か? しかし、忘れたのか。私はこのホロンの研究棟の、全てのEアームズの所有者だ」

 ホロキャスターのボタンが押された瞬間、ユンゲラーの頭部に据えられていた機械から電流が発せられた。

 青白く瞬いたかと思うとユンゲラーは昏倒していた。

「所有者にはこれくらいの権限はある。さて、ここから先だが、通信端末は?」

 マチエールは呆気に取られつつも自分のポケナビを手渡す。

「旧式のものだな。いや、電波探知を消すためにわざと、か。ルイ、通信チャンネルを同期しろ。こいつであの男と合流する」

「おやっさんと、合流出来るの?」

「……キミは何のためにここに入ったのか、分かってもいないようだが、あの男ならば知っているだろう。Eスーツが如何に強力か。ここに制御端末とそのお仲間のネズミがいる。上手くいけば取り入れるな」

 少女は自分と制御端末を餌にしてハンサムを釣るつもりであった。覚えずマチエールは息を呑む。

「何て事を……」

「利用出来るものは何でも利用させてもらうさ」

 通信が繋がり、ハンサムからの声がする。

『マチエールか? 目的の物は手に入った。ここから出るぞ。……どういう理屈か知らないが、妙な機械をつけたポケモンの殺気で充満している』

「だろうな。私の造ったEアームズはやわじゃない」

 応じたのがマチエールでなかったせいか、ハンサムが通話機越しにハッとしたのが伝わった。

『……誰だ、君は。マチエールはどうした』

「そう警戒するなよ。マチエールは無事だ。そこから先は、あなたの対応次第と行こう。こっちに、Eスーツの制御端末とそのお仲間。そっちにはEスーツ本体。どちらも、片方だけでは意味がないだろう?」

 交渉に入ったのだとマチエールでも分かった。ハンサムは逡巡さえも浮かべずに応じていた。

『言っておくが、わたしはマチエールを決して裏切らない。交渉のレートに上げたくば君自身の命を賭けるといい』

「立派な心がけだが、本当にいいのか? Eスーツがただのゴミクズ同然だぞ? 制御端末の内容は知っているのだからな」

 その言葉にハンサムは迷わなかった。

『それを成立させたければまず約束しろ。マチエールを絶対に、生きてこちらに渡せ』

 ハンサムは決して譲らない声音だった。少女が舌打ちする。

「……了解した。合流地点は二階層だ」

『エントランスホールが近い。そこで落ち合おう』

 通信が途絶えると少女は目に見えて不機嫌そうだった。

「何なんだ、この男は。私相手に対等な言葉で……」

「それがおやっさんだ」

「……不愉快な相手だよ」

 二階層へと向かうマチエールと少女を阻む影はなかった。

 エントランスホールまで人がいない事に疑問さえも感じなかったほどだ。

 広めに取られたエントランスホールは一階層と物理的に繋がっている。

 中央階段の付近でハンサムが呼び止めた。

「動くな。そちらにきっちり、わたしの助手がいるか確認させてもらう」

「……手でも振れ、バカ」

 マチエールが手を振る。するとハンサムが持ち出したのはアタッシュケースだった。

「この中に例のブツが入っている」

「それを目的に泥棒に来たくせに、よくもいけしゃあしゃあと。言っておくが泥棒に紳士はいない」

「どうかな」

 ハンサムと少女は対等なやり取りを行っているようであったがその実、ハンサムのほうが一手上のように思われた。

「三人、か」

 ルイも数に入れたハンサムにマチエールが訂正しようとしたが、少女はあえてそれを肯定する。

「そうだ。三人分だ」

 いざという時に弾を逸らすくらいにはなる。まさか本気でそう考えているのか。

 だとすれば本当に、人でなしだ。

「行こう。連中も勘付き始めている。長居は無用だ」

 ハンサムが駆け出そうとしたその時、床が捲れ上がった。攻撃の気配に気づいたマチエールが習い性の身体で飛び退ろうとする。

 それを阻んだのは青い思念の光であった。

 身体を押し包み、次の瞬間、高重力の虜となる。

 ハンサムも膝を落としていた。少女だけがその中で唯一逃されている。

「まさか、お前!」

 裏切りを予感したマチエールに少女は頭を振る。

「違う……私じゃない。このポケモンは……」

 浮かび上がったのは座しているポケモンであった。髭を漂わせた仙人のようなポケモンが両手を頭上で組み、それを払う。

 スプーンが幾つも展開し、サイコパワーを補助している。

「メガシンカ、メガフーディン……。このポケモンの使い手は……!」

 少女の言葉が紡がれるより先にメガフーディンの手がすっと持ち上げられた。

 瞬間的に熱量が高まり、発火したのは少女の身体であった。

 身を焼く炎に少女が身悶えする。

「そんな……私は、もう要らないの?」

 絶望的な声音に誰かの咆哮が弾けた。

 ハンサムが無理やり立ち上がり、少女に覆い被さったのである。炎をコートで払い落とす。

 メガフーディンが両手を広げた。それだけで火の手がそこいらから上がり、空間が煤けてくる。

 ハンサムは少女に何かを口にしていた。

 それを聞き取る前にハンサムがこちらに振り返る。

「マチエール。後は頼む」

 サムズアップが寄越され、マチエールが声を発しようとした瞬間。

 メガフーディンの放ったスプーンの刃がハンサムの身体を貫いた。

 ハンサムが血反吐を吐いてその場に蹲る。遊泳するようにスプーンが宙を掻き、ハンサムの背筋へと追い討ちをかけた。

「おやっさん!」

 マチエールには何も出来ない。ただ、脳裏に閃くのは今日までのハンサムとの日々であった。

 裏路地で住んでいた頃には考えられなかったほどの大きなものを得た。だというのに、こんなところで。

 こんな場所で、ハンサムと自分は終わるのか。

 スプーンがハンサムを八つ裂きにする。コートだけが、少女の手に残された。

「私……私は……」

 メガフーディンが照準を定めるかのように指差す。その目線の先には自分と少女がいた。

 マチエールは満身より叫ぶ。

 ――動け。身体。

 引き裂けても構わない。今、動けなくて何とする。

「動け……、動けっ!」

 少女はメガフーディンのスプーンによる照準を前に何かを呟いた。

 次いでこちらへと振り向く。

「おい、マチエール! 使え!」

 床に投げ出されたのは先ほどのバックルである。マチエールは指を必死に伸ばし、バックルを手に取った。

 少女がアタッシュケースを開き、こちらへと問いかける。

「マチエール、と言ったな。これから先、何があっても。たとえ全ての理想に爪弾きにされ、何もかもを信じられなくなったとしても。――悪魔になれる?」

 アタッシュケースには黒い鎧が埋め込まれている。

 悪魔になれるか。

 その問いに全てが凝縮されているようだった。

「……分からない。でも、ここで立ち上がらなきゃ! ここで、戦わなければ、あたしは絶対! 死んでも後悔する!」

 その答えに満足したのか、少女は名乗った。

「私の名前は、ユリーカ。マチエール。そのバックルを腰につけて叫べ! イクスパンションフレーム、コネクト!」

 マチエールは重力に押しつぶされそうになりながらも腰にバックルを据えさせた。その瞬間、ベルトが伸長し固定される。

『ユーザー認証を行います。遺伝子データ、入力。適合率、六十パーセント。音声認証を。繰り返す、音声認証を』

 バックルから放たれる声にマチエールは狼狽しつつも身体の奥から叫びを発した。

「イクスパンションフレーム、コネクト!」

 一本のスプーンが空を裂き、ユリーカの頭蓋を貫かんと迫る。それを阻んだのは浮かび上がった黒い鎧であった。

 アタッシュケースから放たれた鎧が暴風のように周囲を取り囲み、ユリーカと自分を保護している。

 重力の軋みが消え、マチエールは立ち上がっていた。

 既に周囲は火の海だ。その中でマチエールは一つ、また一つと黒い鎧が自分へと接合されていくのを感じ取る。

 全身の細胞が湧き立ち、戦闘本能を研ぎ澄ました。

 最後にヘルメットが頭部を覆い、バイザーが降りる。

 あらゆるデータが羅列され、その一番下にある文字をマチエールは読み取った。

「ESPRIT……」

 戸惑うマチエールを他所にメガフーディンが攻撃の姿勢に入る。ユリーカの声が弾けた。

「ノーマルユニゾンでも突破口にはなる! お前の力を見せてやれ!」

 白い輝きがラインとなって全身に走り、マチエールはその力の促すがまま、メガフーディンへと駆け抜けていた。

 通常、ポケモン相手に、しかもメガシンカポケモンに人間が立ち向かうなど無謀もいいところである。

 だが、この時、マチエールの放った跳び蹴りは予想以上の効果をもたらした。

 堅牢であるはずのメガフーディンのサイコパワーを撃ち破り、その蹴りが頭部に届いたのである。

「当たった……」

 メガフーディンが手を振り翳し、紅蓮の赤に周囲を染めつつ、後退する。

 徐々にその身体が薄らいでいるのが分かった。逃げるつもりだ。

 倒さなければ、とマチエールが前進をし掛けてユリーカの声がかかる。

「追うな! 今は、まだ……」

 倒せない、であったのか。それとも他の理由であったのかは定かではない。

 マチエールがその言葉に躊躇っている間にメガフーディンはホロンの研究棟から消え失せていた。

 崩落する研究棟の中、マチエールはハンサムに駆け寄った。

「おやっさん!」

 ハンサムは僅かに瞼を上げる。映っていたのは黒い鎧に身を包んだ自分の姿であった。

「ああ、マチエール。わたしは、君を……」

 その言葉から先を聞く事は出来なかった。完全に虚脱した身体からは命が消失していた。

「……おやっさん? 嘘だって言ってよ。こんなところで。何やってんのさ! おやっさん!」

 叫んでも喚いても帰ってこないものがある。それを実感した時、ユリーカが声をかけてきた。

「マチエール。行くぞ」

 どこに行くというのか。失意のマチエールには最早選択肢などない。

「あたしも、ここで死ぬ」

「バカ!」

 その言葉にユリーカが罵声を浴びせる。振り返った時には張り手がヘルメットを叩いた。

 痛みはない。しかし、ユリーカの目には涙が浮かんでいた。

「大バカだ! こんなところで終わって堪るか。私も! お前も! ここで終わらせるために、その人は死んだのか? 違うだろ!」

 ハッとする。腕の中にいるハンサムは安らかな表情のまま事切れていた。

 彼の望んだ自分は、ここで終わる人間じゃない。

「……おやっさん。でもあたしは、おやっさんのいない世界なんて……。ミアレに戻ったって、あたしなんかがどうしろって言うのさ」

「遺志を継げ」

 ユリーカの言葉にマチエールは瞠目する。バイザーが上がり、涙を散らせた。

「何を言っているのか、分かって……!」

「私は、お前を支持出来る。お前も、あのメガフーディンの相手には復讐したいはずだ。そのために、借りを返すために、私と取引しろ」

「取引って……」

 ユリーカが手を差し出す。マチエールは紅葉のように小さな手を眺める事しか出来ない。

「この手を取れ。それで契約は完了する」

 マチエールは迷えなかった。迷う前に新たな敵の到来が肌を粟立たせた。

 その手を取る。今にも折れてしまいそうなほど華奢な腕だ。

「あたしは……」

 その次の言葉はナパームの爆発に遮られた。ユリーカが煤けた風の中、声を張り上げる。

「行け! カウンターイクスパンションスーツはお前の手にある! この世の果てまで、全てを敵に回してでも、戦うんだ!」

 ホロンの研究棟が飴細工のように崩れ落ちた。剥き出しになった二階層を取り囲むのは赤と白の羽毛を持つ勇猛果敢な鳥ポケモン達。

 そのうち一体が飛びかかってきた。マチエールはポケモンの攻撃をいなし、打ち返す。

 身に馴染むスーツの感触に、マチエールは決意した。

 もう戦い続けるしかない。それしか、この呪縛を払う事は出来ない。

 ハンサムの死体を回収する事も出来なかった。マチエールはユリーカと〈もこお〉と共に、ホロンの研究棟から逃げ出した。荒れくれた波と、爆発の余韻が嘘のように静かな――流星雨の夜であった。



オンドゥル大使 ( 2016/12/19(月) 21:33 )