EPISODE55 審問
『これより、査問会を行う』
黴臭い審議の席に引っ張り出されたシトロンは毎度毎度、と呆れ返る。
監視者のそれぞれの特徴を模したカメラと置物が周囲を囲い、通常の構成員ならば命を絶たれてもおかしくはない、弾劾裁判。
しかし、今回の場合、問われるべきは罪ではない。
「どうも、皆さま。ぼくのために、この席を用意してくださった事、光栄と思うべきなのでしょうかね」
『言葉が過ぎるぞ、プロフェッサーC』
『左様。我々の権限が一般幹部のそれとは全く一線を画している事、理解出来ない頭ではあるまい』
承知している。幹部でも出来ない構成員の罪の追及。さらに言えば、フレア団からの追放もこの裁判の行方次第では容易に可能だ。
「……生憎、辛気臭い研究棟にずっといたもので。人との距離の取り方が分からないんですよ」
シトロンの冗談を無視して審議は進む。
『此度、二つのEアームズが用いられた。プロダクションタイプと名付けられたこの二つ、レパルダスアームズとオクタンアームズ、これによって戦果を挙げるはずが、逆にやられるとは。失態だぞ、シトロン主任研究員』
「現場と机上の数値とでは、やっぱり違うんですよ。それが分かっただけでも御の字です」
『……反省も見られないようだな』
「深く反省していますよ。もっとうまく造っておけばよかった」
『軽んじるのではないぞ、シトロン主任。貴様はクセロシキ副主任よりEアームズ研究を引き継いだのだ。メガシンカ研究を取り止めてでもこちらに来た、という事はその才能、こちらに活かす事がフレア団のためだと、判じたのだろうな?』
「引き継いだ、というよりもオファーが来たんですよ。クセロシキ副主任より直々に。このままではEアームズ研究が断たれる、という、彼独自の考えでしょうね。確かにEアームズにこのままでは予算も割かれなかったでしょう。しかし、ある事が分かった。メガシンカ研究における代名詞であった同調をこっちでも使える事に。だから、ぼくはこちらを今は、使っているだけです。メガシンカが遥かに勝ると判断すれば、即座に切ります」
『そのような考えでEアームズの、ひいてはフレア団の予算を食い潰されたのでは困るのだよ』
『Eアームズに尽力するのならば実力を見せるといい。そうしなければ誰も納得しない』
監視者はこれだから、とシトロンは感じる。この連中はカロスを動かす官僚達だ。彼らからしてみれば政治と金以外に着目すべきところなどないのだろう。
ミアレはその盤面。言うなればカジノで赤が出るか黒が出るかを競っているだけ。その一喜一憂に命が絡んでいるなど彼らは思いもしないだろう。
「しかし、Eアームズ被験者を全て回収しております。レパルダス、オクタンはその通りに」
『しかしオクタンアームズは彼奴らに奪われた』
『そう、憎むべき我らの敵、エスプリに』
エスプリの名前が出てシトロンは、おやと感じる。前回まではエスプリの事をEスーツの使い手、だとして名前までは特定していなかったはず。それがお歴々の言葉に上がるという事は誰かが口を滑らせたか、あるいは自分を陥れるためにこの弾劾裁判を用意したか。
シトロンは口角を吊り上げる。まだ、そういう気概がフレア団にいた事に純粋に喜びを隠し切れない。この好奇心を満たすに値する存在がまだ、この腐り切った組織にもいたか。
エスプリという共通の敵を相手取って、ようやく調和の取れる組織。フレア団は王を戴いてはいるものの、その王の抑止力を肌に感じている人間はごく僅か。
実際に王と謁見した人間は監視者でも少ないだろう。
「Eスーツ、その成果、エスプリ。本来は、我々の持つべき、力、でしたか」
『何故、あれが敵に回っているのか。そこから紐解いてもらう必要がありそうだな』
「ぼくに? 最初に相対したのはぼくじゃないでしょう?」
『それでも、責任者は君なのだろう』
こういう時につけが回ってくるのが責任者という立場。だが、シトロンはさして問題だとも思っていなかった。
エスプリを倒す事に、問題点はさほど多くない。
「あなた方の思うほど、あれは万能ではありませんよ」
『しかし、手元の資料にはある。白ならばいざ知らず、赤、青、緑、紫の四形態。これらを顕現させたカウンターEスーツは相当な戦力のはずだ』
「言外に欲しい、と言っているような口ぶりだ」
『口を慎め。査問会である』
そのような事、改めて言われなくとも分かっている。この場において自分のEアームズの不手際を晒し上げて、どこまでも責任を追及したいはずだ。だからこそ、エスプリの戦力的価値を自分の口から認めさせるように誘導している。
「ぼくが、そのエスプリが脅威だと言えば、脅威に上がるんでしょうか?」
先を読んだシトロンの口調に監視者達がめいめいに声を荒らげれる。
『口を慎めと言っている! 貴様、分かっていないようだな!』
『我々の高次権限を舐めないほうがいい。君程度、すぐにでも更迭出来るのだ。元の穴倉の研究棟に戻るかね?』
「やぶさかではありませんが、今戻るのは得策ではないでしょう。まだ、ぼくの一手は生きていますので」
その言葉に監視者が口汚く罵る。
『何を馬鹿な……。二手潰された事で頭がイカれたか?』
「イカレちゃあ、いませんよ。イカれれば、ぼくの立場では終わりです。平常な判断をもって、口にしているんですよ。まだ、ぼくの手札は生きている」
『それはどういう事か?』
シトロンはそこで沈黙する。監視者達は否が応でも聞き出したいはずだ。それをこちらから言うのではない、言わせるように仕向けるのだ。
『……急に無口になったな。シトロン主任、やはり手などないのではないのかね?』
『いや、君とて無能ではあるまい。どのような手だ? 主任』
「簡単な事です。あなた方の認識の間違い。ぼくは三つのEアームズの研究、開発した。二手は潰されましたが、まだ一手残っている」
その事実に監視者達がざわめく。
『いい加減な事を言うなよ!』
激怒する監視者に対してシトロンは冷静であった。
「いい加減な事を言ってどうするんです? ぼくは事実しか言っていませんよ。あなた方と違ってね」
返す言葉に口をつぐんだ監視者連中から一つの提言があった。
『シトロン主任研究員。我々はその一手を信頼していいのかね?』
「まだ手札が生きている。それだけご理解いただければ」
この意味のない査問会は少なくとも幕を閉じる。逡巡の間を浮かべた後に監視者が声にした。
『よかろう。シトロン主任研究員、まだ、機会があると思っていいのだな?』
「それはそうでしょう」
『では査問会を閉会する』
『議長、それでは……!』
自分の失脚を狙っていた監視者の声に議長と呼ばれた監視者は厳命を下した。
『今次査問会の意義は、二機のEアームズを失ったシトロン主任への責任の追及である。しかし、まだ手札が生きているとなれば、この査問会は少しばかり逸っていたものとなる』
『ですが……』
『ですが、事は可及的速やかに行われなければ。次のEアームズがあったとして、信用なるのですか? 組織の後ろ盾のないEアームズ運用ですよ?』
『問題ない、と君は言っているのだな、シトロン主任』
「問題など、最初からあり得ません」
監視者達はまだ何か言いたげであったが、次の瞬間、現れた彫像に全員が息を呑んだ。
暗闇からぬっと現れたのは金色のカエンジシを模した彫像である。それが何を意味するのか、監視者達は何よりも理解していた。
『何故、このような場に……』
『あなた様が……』
『わたしがいては不服か』
絶対者の声音に全員が平伏したように言葉をなくす。シトロンでさえも、少しばかり強張っていた。
この声の持ち主。誰も口にしようとはしないが、フレア団の支配者――。
『シトロン主任。わたしが君に任せた。そうするようにクセロシキに命令した。だが、君が不適応ならばわたしの責任だ。無能の謗りを受けるべきは彼ではなく、わたしであろう。監視者諸君』
監視者達は全員が下手に言葉も出せなくなっている。シトロンはこの張り詰めた場でようやく口を開いた。
「ぼくも、まだ結果を出せていないのが問題なのですよ。監視者の方々からの警句、耳に痛い」
『しかし結果を出せると判じたから、わたしはクセロシキに命じた。それは確かなのだ』
この男の命令はいつだって確かだ。自分の下した判断に迷いなどない。迷っている暇があれば、八方手を尽くす。
ただ、この男は圧倒的存在としてフレア団の頂点に佇んでいるだけで、それに意義がある。あまりに物事を求めるのはナンセンスだ。王が存在する、という意味。
それを理解出来ない民草は滅びの道を辿るしかない。
「ぼくの言い方も悪かった。監視者の方々の不信を招いてしまったのも仕方のない事」
『いい。ただし、シトロン主任。勝てるのだろうな?』
その一言に全てが集約されている。シトロンは額に浮かんだ汗を拭う間もなく応じていた。
「勝てなければ、何の意味があるでしょう」
それで了承は取れたようだ。男はこの査問会の閉会を意味する言葉を吐く。
『では、この集まりに意味などあるまい。閉会を宣言する』
『し、しかし王よ……』
『聞こえなかったのか? 閉会を』
突き詰めた声音に監視者達はそれぞれの意見を仕舞う他ないようだ。次々と監視者の像が消えてゆき、最後に残ったのは議長を名乗る監視者と王だけになった。
『ですが、カウンターEスーツ。厄介な戦力に違いない』
議長と名乗った男は王と対等に話せるだけの権限があるらしい。王は重々しく返した。
『そうだな。カウンターEスーツの持ち主を倒す術は、シトロン主任』
「持ち合わせていますが、これは外法。あまりすぐに適応は出来かねます」
一呼吸置いた議長は王に民意を伝える。
『カロスの土地に、あのエスプリを抗いの牙とする派閥もあり得ます。フレア団の支配、その磐石な土地であるミアレを、土足で穢す不遜の輩を』
『事は思うようにならぬ、な。Eスーツに関して、データは』
「システムを呼び出していいのならば、すぐにでも」
『許可する』
「ルイ・オルタナティブ」
呼び出すとホロキャスターからルイが投射された。
『何だよ、主人。呼び出したかと思えばまだ裁判中じゃないか。オレ、こういう場に呼ばれる筋合いはないぜ?』
「エスプリのデータを閲覧許可に入れて送信。出来るな?」
『いつになく余裕がないじゃないか。ああ、まだ裁判の途中だったかな?』
ルイの言葉繰りにシトロンは笑みを浮かべていた。このフレア団においてルイだけが唯一自由な身である。
「いいから、やってくれ。ぼくとて身が持たない」
『分かったよ。エスプリに関する何個目のレポートでいい?』
「最新版を頼む」
ルイからデータが転送され、議長が声を詰まらせた。
『先にもありましたが、四形態への変身。これは他の追随を許さない。破れなければ相当な敵となるでしょう』
議長の忠言に王は冷静であった。
『だが、破れればどうという事もあるまい。シトロン主任、それにそのシステムのルイ、であったか。考えは』
「あります。ですが、纏めるのに時間がかかるのと、人材を補給しなければさすがにきつい」
『補給要員は一任する。クセロシキは』
仮面の研究者は自分を蹴落とす事も考えの内に入れているに違いなかったが、ここで糾弾すべきではない。
「では、彼に」
『よかろう。クセロシキ副主任に人材は任せ、お前はこれまで通りEアームズに尽力せよ。一つ、メガシンカよりこちらのほうに意義があるか』
「面白くはなってきましたよ。少なくとも、メガシンカ研究で篭り切っている時よりかは、ね」
不敵な笑みを浮かべるシトロンはそれだけで断罪されかねなかったが、王は寛大であった。
『いいだろう。この査問会も、意味のないものではなかった。その言葉が聞けただけでも充分だ』
カエンジシの彫像が奥へと消えていく。
王のプレッシャーがようやく失せてシトロンは大きく呼吸した。議長と呼ばれた監視者も同じのようだ。
王の圧倒的存在感に意識を取られていたらしい。暫し、弾劾の席は無言が支配した。
『……シトロン主任研究員。王もああ言っておられる。機会はあるが、無駄にすれば命は短いと思え』
「心得ておりますよ。しかし、王もぼくの遊びには寛大だ。Eアームズなど道楽、と言っていればどうなっていたか」
『少なくとも、監視者の中には面白く思わない輩もいるであろう』
「議長、でしたか。あなたは何か、知っていてこの査問会を実施しましたね?」
『確証はなかったが、君が打ち損じるとも思えなくってね。何か手を打っている事を、鈍い監視者連中にも知らせてやらなければ、一生無知のままの人間もいただろう』
「無知は罪、ですか」
口元を綻ばせると議長は声に重みを持たせた。
『それは何も監視者だけではない。フレア団全体でもある。王の存在を軽んじ、勝手な事を行うフレア団員を断罪する術が、思いのほか少ない』
議長は分かっていて言っているのだろう。シトロンは言いやった。
「ぼくの一手が不満ですか?」
『不満、というよりも解せぬ、というほうが正しい。何故、フレア団構成員以外に、Eアームズを持たせた?』
先ほどの査問会では出なかった議論である。やはりこの議長とやら、他の監視者とはん別の命令系統を持っているようだ。
「首輪をつけた者だけが、真価を発揮出来るとは限りません」
『フレア団への不信か』
「不信、というよりも一つでもデータが欲しいんですよ。そのために、フレア団内部だけではやり飽きた、というのが正しい。適正のある構成員を弾き出すのにも時間がかかりましてね。それならば、根無し草でも適性のある人間を算出したほうがいい」
『しかし、あれはやり過ぎではないのか?』
やはり知っている。それを分かっていてシトロンも返す。
「いいえ。あれくらいがちょうどいいんですよ。自分の利益のためだけに力を振るう。そのような人間のほうがEアームズには合っている」
暫しの間が空いた後に、議長は声にした。
『……よかろう。任せる、と王が言ったのだからな。しかし、それなりの結果は求められるぞ、シトロン主任。今までのように道楽では済まされなくなってくる』
「そうなった場合、ぼくのクビを切るのはあなた方ですか」
『いいや、君の利用してきた全ての存在であろう。もしくは、君が今注目しているその少年かもしれないぞ』
ぴくり、とシトロンがここに来て初めて眉を跳ねさせた。この議長とやら、知り過ぎている。どうして、そこまで分かっているのか。
内通者の存在を疑い始めたシトロンに議長は声を振り向けた。
『これにて、査問会を閉会する。その首の皮、一枚で繋がっている事を忘れるでないぞ』
ぼうっ、と像が消え行く。シトロンはようやく息をついた。黒い仮面に顔を覆ったフレア団員が自分を迎えに来る。
「シトロン主任、お迎えいたします」
「いい。ぼくは自分の足で帰る」
二人のフレア団員の間を通ってシトロンは手を振った。
『主人。あまりにも、あの議長っての、おかしくないか。何だって主人の個人的な興味も見透かして』
「ブラフかもしれないが、用心するに越した事はないな。狸親父め」
口走ったシトロンは苦々しい表情を浮かべていた。