ANNIHILATOR - 幻想篇
EPISODE53 憧憬

 暖炉に火をくべると、それなりに室温が保たれた。

「急に寒くなりましたね」

 ヨハネが震えるとユリーカは鼻を鳴らす。

「何だって冬なんて来るんだろうな。年中秋口でいいのに」

 それには同意であったが、冬ならではの楽しみだってある。

「ウィンターシーズンで街は浮き足立っていますよ」

「それも気に入らない。連中は騒ぎ立てるだけ騒いで、結局残るのは虚しさと所持金の少なさだけだ」

 どうしてユリーカはここまで毛嫌いするのだろう。自分は冬もさほど嫌いではない。

「ミアレの街は、それなりに活性化するじゃないですか。冬って嫌な事ばっかりじゃないですよ」

「いや、足先が凍る。指先だってかじかむ。いい事なんて一つもない」

 頑として認めようとしないユリーカにヨハネは呆れ返っていた。

「何か嫌な思い出でもあったんですか?」

 そう尋ねるとユリーカの指先が硬直した。まさか、と感じていると椅子ごとユリーカが向き直る。

「……ヨハネ君。世の中には詮索しないほうがいい事がたくさんある。それを知ったから、余計にやり難くなる事が、ね。キミは助手だ。助手にあまり過去を話すもんじゃないだろう?」

 ヨハネは慌てて手を振って先の言葉を訂正する。

「わ、分かっていますよ。ユリーカさんやマチエールさんの事。僕が知ったって仕方ないですもん」

「分かればよろしい。同じような事を二度も三度も言わせるなよ」

 どうやら今日は特別に機嫌が悪いようだ。ヨハネはそれを窺って階下に降りた。〈もこお〉がアタッシュケースに座り込んでストーブの前で暖を取っている。

「お前も、サイコパワーであったかく、とか出来ないのか?」

 尋ねると〈もこお〉は小さく頭を振った。出来ない、というよりもやらない、と言ったほうが正しそうだ。

「何ていうか、ポケモンなのに損しているよな、お前」

 マチエールの手持ちでもなく、戦いに参加するでもない。どういう立ち位置なのだろうとたまに気になってしまうが、そのつぶらな瞳は何も答えを返さない。

「……まぁいいけれどさ。エスプリの第一の相棒だもんな」

 Eスーツの入ったアタッシュケースを任されているのだ。それ相応の信頼を得ているのだろう。

 悔しいが自分とは雲泥の差だ。

「僕もいつか、お前みたいに一端の事を任せられるようになるのかな」

 漠然とした不安を口にすると〈もこお〉が向き直り、そっとこちらの頭を撫でた。慰めてくれているらしい。

「このっ。お前だって、今日はご主人がいないじゃないか」

 マチエールはどこへ行ったのだろう。元々、縛られるのが苦手な性質なのだからいつも事務所にいるとは限らないわけだが。

「マチエールさんは?」

〈もこお〉は首を横に振る。〈もこお〉でも分からない事があるのか。

「サイコパワーで一発、じゃないのかよ」

 直後、〈もこお〉が浮かび上がる。何をするのかと思えば掛けてあるコートを纏ってきた。寒かったのだろうか。

「そのコート、マチエールさんが大切そうにしていたな。ハンサム、って人のなんだって?」

 ポケモンに尋ねたところで答えが返ってくるわけでもないが、ヨハネは呟いていた。

「この事務所もハンサムハウス、って名前だし、マチエールさんのよく言っているおやっさん、って人なんだろう? どんな人なのかな。ニョロゾとアギルダーは元々そのおやっさんのポケモンだったって聞くけれど」

 自分の手にあるのは、ゴルバットとクリムガンだけ。いざという時の助けにはなるか、と感じていたがクリムガンはあれ以降出していない。通常時に使うのは少しばかり躊躇われる。

 クリムガンのボールを透かしてヨハネはぼやいていた。

「臆病者、って言われても仕方ないかもしれないけれどさ。捕まえたのは僕でも、ちょっと怖いんだ」

〈もこお〉が視線を振り向ける。その眼差しに応じるようにヨハネは首肯した。

「持ってしまった力の怖さ、って言うのかな。クリムガンが強力なポケモンであるのは、以前の一件でよく分かったよ。でも、そんなの、僕が持っていていいのかな。マチエールさんが持っていろって言ったから持っているだけで、僕に資格なんてあるのだろうか」

 いざという時、戦えもしないのに。クリムガンを使いこなせる事がマチエールの助けにもなるはずなのだが、どうしても踏ん切りがつかない。

「使いこなせない力って、結局のところ暴走の引き金になるんだと思うんだ。だから……エスプリはやっぱりすごいよ。ドラゴンユニゾンを実戦でいきなり使っちゃうんだもん。僕には見ている事しか出来なかった。渡したのは僕だけれど、そこから先の使い方は、ほとんど保証出来なかったし……」

 不安をこぼすと〈もこお〉がラジオに目をやった。電波局が切り替えられ音楽が流れ始める。

「めざせ、ポケモンマスター」が流れ始めてヨハネは苦笑した。

「慰めてくれてるのか?」

〈もこお〉は明確な答えなど言わない。だが、そういう空気なのは伝わった。

「いつもいつでもうまくいくなんて、保証はどこにもないけど、か。そりゃそうだよ。そんなのがあったら、今頃僕は……」

 もしかしたら選んでいたかもしれない道がある。あのままスクールにいればともすれば、フレア団の悪の道を進んでしまっていたかもしれない。

 その危惧が時折、胸を掠めるのだ。あの時、ヒガサに言われるがままに付いていけば、違う道が待っていたのだろう。

 フレア団の構成員として戦っていたかもしれない。エスプリ――マチエールやユリーカと。

 自分が悪に堕ちなかったのはただ単に運がよかったからだ。

「あのスクールにいたら、知らない間にフレア団に関わっていたかも知れないんだな。それを、悪とも思わずに」

 ヒガサはどうしているのだろう。彼女に会いたい、と時折鎌首をもたげる感情の正体を掴みあぐねていた。

 自分でも分からない。ヒガサを説得したいのか。しかし、彼女は自分の言葉など聞き入れまい。

「あの時、マチエールさんがいなかったら……」

 ミアレは破壊に晒され、Eアームズに蹂躙されていたかもしれない。

 しかし、とヨハネは考える。ミアレが本拠地のはずのフレア団が何故、街の破壊を目論むのか。

 どうして自分達の巣穴を守っていられないのだろう。

 何かが、一筋縄ではいかない気がした。どこかで磨耗がある。その磨耗が大きな亀裂や歪となって、フレア団を一枚岩でなくしているのだ。

 だが、それを解き明かす鍵もなし。

 ヨハネは嘆息をついて天井を仰ぐ。

「結局さ……、僕なんて一介の探偵助手で、やれる事って少ないんだよな」

 マチエールは、彼女ならば指針を示してくれるだろうか。だが、自分は彼女らに甘えっぱなしである。

 このままではいけない。いつまでもおんぶに抱っこのままで、いいはずがない。

「ちょっと出てくるよ。〈もこお〉、留守をお願い」

 ミアレの市街地に出てヨハネは裏路地を目指した。裏路地にはならず者や、野良のポケモントレーナーがいる。

 自分の実力を試すのには、戦うしかない。クリムガンを制御する手立てが見つかるかもしれないのだ。

「よぉ、兄ちゃん」

 早速、ならず者達が現れてきた。巨躯の男達がそれぞれポケモンを繰り出す。

 見た目通りのパワータイプのポケモン達であった。それら相手にどこまで渡り合えるか、ヨハネはクリムガンのボールを繰り出した。

 繰り出されたクリムガンがダストダスや、マルノームの攻撃網を潜り抜けて爪の一撃を食い込ませる。

「ドラゴンクロー!」

 叩き込んだ爪の一閃が青く滲み出てその威力を発揮した。「ドラゴンクロー」の前にダストダスが仰け反る。

「このパワー……! あのニュースに出ていたクリムガンか?」

 それなりに有名らしい。クリムガンが相手を蹴飛ばして距離を取る。後部からはマルノームが飲み込もうと口腔を大きく広げて迫った。

「飲み込まれちまえ!」

 マルノームの口腔内にクリムガンが入った瞬間、その口元に傷が走った。

 特性、鮫肌。接触攻撃をしてきた相手に容赦なくその鋭さを見せ付ける。

 クリムガンが翻り、龍の尻尾の一撃を打ち込んだ。マルノームが大きく後退する。そのままとどめに入ろうとしたヨハネに声が投げられた。

「待て! 待つんだ!」

 割って入った声の主はまだ歳若い青年であった。リーゼントにした髪型がどこか威圧的で、眼光も鋭い。

 連中のボスか、とヨハネが感じているとリーゼントは問い詰めてきた。

「てめぇ……もしかしてマチエールの知り合いか?」

 まさか、エスプリの正体を知られているのか。相手の本懐が分からずヨハネは濁した。

「だったら……?」

 その言葉に相手の暴力が飛んでくるかに思われたが、リーゼントは突然に頭を下げた。

 その行動にヨハネが目を瞠る番である。

「すまねぇ! 出来の悪い部下が、失礼をした!」

 謝罪など相手の口から出るとは思っていなかった。どうせならず者だとこちらから勝負を仕掛けたようなものなのに。

「いや、その……謝られると僕も困るんだけれど……」

「しかし、マチエールの姉御のお知り合いとなっちゃ、無下には出来ねぇ!」

 違和感を覚えた。姉御、とは誰の事を言っているのか。

「姉御、って、誰?」

「誰って、マチエールの姉御に決まっているじゃないですか! 自分、姉御に随分と世話になった、ミアレギャングの元締めの一人です!」

 名乗ったリーゼントにヨハネは仰天する。マチエールは確かに正体不明の強さを示す時があった。しかし、ミアレの裏舞台であるミアレギャングを仕切っているなど誰が思うだろうか。 

 ヨハネは一応、確認する。

「その、君らの言っている姉御って、こう、髪の毛を二つ結びにしていて、ちょっと肌が浅黒くって、背は低い、女の子だよね?」

「当たり前じゃないですか! マチエールの姉御の事、忘れた事なんていっぺんもないですよ!」

 これはより難しい状況になってきた。リーゼントは二人の大男を威圧する。

「てめぇら! 姉御のお知り合いに喧嘩ァ、売ったのか! 何考えてやがる!」

 放たれた怒声にヨハネのほうが参ってしまいそうだったが、二人の大男は素直に一礼した。

「すいやせんでした! ついつい、出来心で」

「頭ァ、下げて済むモンじゃねぇ! 姉御のご友人に怪我なんてさせてねぇだろうな……?」

 胡乱な声にヨハネは慌てて分け入った。

「だ、大丈夫ですって! 僕は無事だし、ただのポケモンバトルだから!」

 そう言いやるとリーゼントも納得しようとしているようだが、二人の大男を制する瞳の鋭さは本物だった。ナイフのような切れ味だ。

「ただのポケモンバトル……。本当だろうな? てめぇら」

「決して! ご友人をハメようなんざ思っちゃいません!」

「誓って言えるのかァ? マチエールの姉御がもし! ここに居てもてめぇら同じ事が言えんのか? ああん?」

 凄味を利かせるリーゼントにヨハネのほうが謝りたいところだった。出来心とは言え、クリムガンの強さを試すために利用したも同然だ。

「いや、その……! 僕のほうが不手際で」

「謝らないでくだせぇ。姉御のダチなんでしょう?」

「ダチ、って言われると保証はないけれど……一応、今の仕事の助手をやっていて……」

「助手……。それってもしかして、ハンサム、っていうオヤジの助手ですかい?」

 思わぬところでハンサムの名前が出てヨハネはうろたえる。彼らも知っているのだろうか。

「ハンサムさんの事、君らも知って……?」

「いや、あのオヤジはオレらからマチエールの姉御を奪った、ちょっとばかしインネンのある奴でさぁ。あのオヤジ、今ものさばっ……ご健在で?」

 慌てて言い直したリーゼントにヨハネは言葉を詰まらせた。マチエールの弁と〈もこお〉からもたらされたビジョンから鑑みて、もうハンサムはこの世にいないだろう。

 その沈黙から察したのか、リーゼントは残念そうに声を弱らせた。

「そう、っすか……。ハンサムのオヤジ、死んだんすね」

「ゴメンなさい。僕もよく知らないんです。最近、雇ってもらったばかりで」

 申し訳ない、と詫びるとリーゼントは手を振った。

「いや、オレらもまだチンピラやってんのだって姉御にも、ましてやハンサムのオヤジにばれたら、どやされちまいますから……。よろしければ、今の姉御の仕事、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 彼らは知らないのだろうか。マチエールがエスプリとして仮面を被り、日夜戦って居る事を。しかし、余計な事は言わないほうがいいだろう。

 ヨハネは探偵業の表向きの仕事だけを述べていた。

 その一つ一つを聞き取る度に、彼らは感嘆の声を漏らす。

「すげぇ……! おい、マチエールの姉御、すげぇよな!」

 全員がまるで子供のように目を輝かせるのでヨハネはどこか後ろめたい事をやっている気分になっていた。彼らのためとはいえ偽っている。

「その、実はマチエールさんは……」

 だからか、彼らに真実を聞くのは躊躇われた。自分だけ都合よくマチエールの過去を知ろうなど虫が良すぎる。しかし、彼らは誇らしげに口にする。

「ああ、オレらならず者達の纏め役になってくれたんだ! 姉御はすげぇよ! 強いし、負け知らずだ! 何よりも度胸が据わっている。オレも含めて、みんなの憧れさ」

「憧れ……」

「そう、憧れだよ。だから、姉御があんなオヤジにたぶらかされたんじゃないかって心配だったんだが、杞憂だったみたいだな。……ただ、ハンサムのオヤジが死んだってのは、その、あんた……」

「ヨハネ、って名前」

「ヨハネ、か。いや、ヨハネのアニキ」

 アニキと呼ばれるのはどうにも肌に合わない。こちらの感覚を無視してリーゼントは続ける。

「その……ハンサムは、やっぱり、あの人工島のヤマで死んだのか? あのヤマで、死んだんじゃないって、それならいいんだけれどよ」

 何を言っているのだろう。ハンサムが何を原因に死んだのか、それは自分とて知りたい。しかし、どこか、それだけは聞かないでくれと懇願しているように思われた。リーゼントは目を伏せて再三口にする。

「そうじゃないんなら、いいんだ。ただ、あれでオヤジが死んだって聞かされたら、オレ……」

 言葉を呑み込んだリーゼントには何か秘密があるように思われた。ヨハネはその顔を窺う。

「その、僕で言える事なら力になるけれど」

「あ、あの、ヨハネのアニキ!」

「だから、アニキってのは……」

「オレらを、ハンサムハウスに招いてくれないか? あの事務所、どうしてだかいつも開いてなくってよ。その、礼を言いに行きたいのに行けず仕舞いで……」

 今ならば開いているだろう。ヨハネはその程度でいいのならば、と引き受けた。

「あっ、でも、気難しい大家がいるからなぁ」

 ユリーカの事を思い返したのだがリーゼントは何を勘違いしたのか、ハッとした様子だった。

「その……ハンサムのオヤジの、知り合いが経営でもしているのか?」

 ヨハネは再び、その眼差しを窺う。どこかやましい事があるかのようにこちらに目を合わせない。何かある。そう確信したが、ヨハネにはそれを解き明かす術もない。

「まぁ、知り合い、かな。僕も会ってみないと分からないんだけれど……」

「ハンサムのオヤジの知り合いなら、オレ、ちょっと言いたい事があるんだ。アニキ、連れて行ってくれないか?」


オンドゥル大使 ( 2016/12/09(金) 22:39 )