EPISODE50 直感
「Eアームズの回収はさすがに不可能だったか」
クセロシキの声にヘリに収まった構成員が言い返す。
「オクタンを回収出来ただけ儲け物だと思いましょう。今回、エスプリの顕現させた力は本来、我々の手にするはずの力だった」
モニターしていた解析班からデータが出力される。クセロシキは細長い紙媒体を手にして視線を走らせた。
「ドラゴンユニゾン……紫のエスプリ、か。全くの想定外。ワタシとしても一刻も早く対策を講じなければらないネ」
イレギュラーは戦いにはつきものだが、今回ばかりは失態と罵られても仕方がない。しかし、本部より繋がった入電はその想像とは別種であった。
「シトロン主任研究員より入電です」
「恨み言かナ?」
「いえ。回収ご苦労、そのまま帰還せよ、との事です」
シトロンにしては浅慮な事だ。クセロシキは訝しげにしたが、ここで疑念を発しても仕方あるまいと従った。
「オクタン使いの、砲撃部隊長は?」
「現在、意識不明。重態です」
それもそうだろう。Eアームズは過度の同調をもたらす。殊にシトロンの開発した世代からは余計に、であった。自分の開発したEアームズなどまだかわいいほどだ。
シトロンはEアームズで出る人的被害を想定の範囲内としか思っていない。クセロシキからしてみればそれさえも被害の一部、それこそ替えの利かない駒なのだと言いたかったが、自分は所詮、一線を退かされた副主任だ。
「意識戻るまで一応は救命措置を」
無駄だと思うが、と浮かんだ言葉を飲み込む。構成員は通信を繋いでそれを伝えた。
「しかし、やり切れませんね。こうもエスプリ側に優位であったとなると」
「いや、今回の場合、クリムガンの動きは読めていなかった。読み負けだヨ、純粋にネ」
しかし誰と読み負けたのか、クセロシキには浮かぶ人間はいなかった。相手側のバックアップと読み負けたというよりかは今回、前線での戦いにおいて一歩先を行った存在がいたとしか思えない。
「あの少年……」
オクタンを回収間際にエスプリと共にいた少年を思い返す。黒と白の髪を持つ、まだ歳若い彼。あの少年が何かをもたらした。そう考えると辻褄が合うが、どこかで認めたくなかった。
――あんなガキに。
してやられた、という思いが強い。どうしてだろうか。自分は今まで比肩する人間以外には燃えるような嫉妬も、情念も抱いた事がなかったのに。一見しただけの子供など、並ぶどころか考えの間にさえも浮かばないはずなのに。
何故だか、あの少年の顔つきだけは妙に網膜の裏に残る。
「……帰るなり調べる事が増えたネ。エスプリと行動を共にする少年。彼は何者なのか」
答え次第では、とクセロシキは拳を握り締めた。
「そうか。クリムガン捕獲失敗。オクタンアームズ大破」
報告を受け取ったシトロンはさして驚くでもなく、事の次第を眺めていた。部下が恭しく頭を垂れてシトロンのラボに報告に来ている。
「で? それ以外には?」
その言葉に拍子抜けにされたのだろう。はっと疑問符を浮かべたのが分かった。
「それ以外、とは……」
「もっと言う事があるんじゃないかと思ったんだが、それだけなら下がれ」
自分が怒りを募らせていると感じたのだろう。部下は素直にラボを後にした。
しかしシトロンの身体を貫いていたのは、灼熱の怒りではない。身体の芯を震わせる好奇心の波であった。
データを呼び出すなり新たなエスプリの姿と数値を照合させる。
「紫のエスプリ、か。攻防に優れた個体だ。クリムガンの能力値を反映させている。茨に見えるエネルギー凝縮体は鮫肌特性を顕現させているのかな。これが鞭となり、時には剣となる。素早さの値が極端に低いが、それ以外は平均以上だ」
『そんなに悠長に構えている場合か? 主人』
ルイが現れてデータを覗き見る。シトロンは肩を竦めた。
「もちろん、対策は打つべきさ。しかし、今の段階で言えるのはクリムガンの捕獲失敗でぼくがフレア団のお歴々、いわゆる監視者に呼ばれる可能性が高くなった、ってところかな」
『それにしては嬉しそうだな』
「分かるかい?」
『主人の作ったシステムだろ、オレは。それくらい分かるように出来ている』
ルイの軽口にシトロンは笑った。
「違いないね。考えても見るんだ。エスプリが捕まえた、のではなく、報告にはこうあった。同行していた少年の手によるもの、だと」
『主人が目をつけた少年か。彼もかわいそうに』
ルイの憐憫にシトロンは鼻を鳴らした。
「かわいそう? 何を言っているんだい? 彼は認めるに値する。ぼくが、この世で認めたのはフレア団の王と、クセロシキ、それに彼だけだ」
『どうして主人はそこまでただの少年にご執心かねぇ』
怪訝そうにするルイにシトロンは立ち上がって応じる。
コンソールに手をつくと立体映像が投射された。それらには細やかな技術が施されており、一つ一つが意味を持つパネルであった。
指先で操作して呼び出したのはこれまでの戦闘履歴だ。エスプリ対Eアームズの戦闘データと、大量に保存されている個人情報データの中で、シトロンが閲覧したのは一人の少年のデータベースであった。
「ヨハネ・シュラウド。十五歳。ミアレトレーナーズスクール出身。今は休学中か。しかし、彼の頭脳はトップクラス」
そう判じたシトロンに対してルイは懐疑的だった。
『おかしくないか? だってどの授業科目も及第点レベルだ。トップクラスだと判断する要因がない』
「ルイ、キミに分からないのは人間がわざと、才能を隠している場合だ。能ある鷹は爪を隠す。データベース上にはないが、彼が今まで関わってきたと思われる案件が幾つか挙がっている。その中で代表的なのは、カロス生態調査のフィールドワークへの参加。つまり、彼はポケモン図鑑を手にするに足るポケモントレーナーであった。しかし、この経歴は抹消され、彼をただのトレーナーとして扱うべきとされている。不可思議じゃないか? 能力のある人間の経歴をわざわざ消し去って、ただの人間だとするのは。何かを隠したいから、そういう事にしているんだよ」
『何か、って何だよ。ヨハネ・シュラウドに関して言えば、オレのデータ上にはさしたる特徴もない。こいつに何かが出来るとは思えない』
「厳しい意見だ」
ルイは漂いつつコンソールに触れた。その指先から出現した大量のデータキャッシュを観測し瞬時に読み取る。
『だが、客観的意見だ。どうして、主人があんな少年にわざわざ布告したのか、オレには分からない』
「知っているかな。世界には同じ顔の人間が三人はいるのだと言う」
突然に話が飛んだからか、ルイが眉根を寄せる。
『何が言いたい?』
「考え方の似ている人間もまた、三人くらいいてもおかしくはないな、と思っているのさ。彼は、ぼくに似ている。こういうのは、直感だ。機械には出来ないもの、人間しか持っていないものだ」
直感。それを信じてシトロンは次なる手を打とうとしていた。コンソールに指を走らせてその発明に触れる。
携行型端末で、ポケモン図鑑の最新版の技術を応用した、カード型のものであった。投影技術が使用されており、持ち主の思考をトレースしてシステムを呼び出すのはルイの雛形をアップグレードしている。
「シトロニックギア。道楽だ、何だと言われてきたがようやく開発、導入にこぎつけられる。それもこれも、実地にぼくを呼び戻してくれたクセロシキのお陰だ。彼がいなければ、ぼくは刺激を受けなかっただろう。ヨハネ・シュラウドという人間にも会えなかった」
『分からんな、主人。シトロニックギアは確かに、主人の発明だけれど、それとヨハネなる少年の関連は?』
「人は出会いで変われる。出会いによって変質するのが人間というものだ。ぼくは彼に会って革新を思い描いた。同時に、彼の存在がぼくを進化せしめる。彼によってシトロニックギアは完成したと言っても過言ではない」
それほどまでの技術だったが、しかし、とシトロンはコンソールの下部にある隠し棚に入れた。
まだ使うべき時ではない。
『分からないなぁ。それを見せれば、お歴々も納得するんじゃないのか? 監視者の査問会で、自分の都合を優先させる事だって出来そうなのに』
「ルイ・オルタナティブ。キミは確率論で動く存在だ。だからそう思うのは正しいし、何一つ間違いなんてない」
『主人が設計したんだろ』
むくれるルイにシトロンは言いやる。
「だが、人間はもっと複雑なんだ。システマティックなキミからしてみれば不都合な動きをする時にこそ、人間の真価が試される。ぼくは、あえて、登壇してもいいと思っているほどさ。監視者の眼に晒されたとしても、ぼくはいずれ会いに行く。ヨハネ・シュラウドの下へ」
そこまで考える事に理解が及ばなかったのだろう。ルイは頭を振った。
『言っておくが、馬鹿だと思う』
「馬鹿と天才は紙一重だ。紙一重の確率論の机上を、ぼくは行くだけさ」
ラボへの扉が開く。査問委員の者達が固まっていた。彼らはゴーグルを付けており、それによってこちらのシステムかく乱を防いでいる様子だ。
「シトロン主任研究員。監視者の方々がお呼びです」
『ほら、な。言っておくがオレは助けられないぜ。そいつらハッキングされないための装備をつけている』
「ぼくも抵抗しないさ。行こうか」
白衣を翻し、シトロンは両脇を固められてラボを後にした。