EPISODE43 信用
『エスプリ。とりあえず報道ヘリを救ったのは作戦外だ。そいつら、どうせお前の事も同じように扱う。落としたって構わなかった』
「ユリーカ。あたしは、人が死ぬのを、見たくはない」
そう返すとユリーカは舌打ちした
『……まぁいい。連中がどう思おうと、今回は目の前の敵だ』
そう判じられたのは二体のポケモンであった。赤と青の体色を持つ龍のポケモンと、赤い風船のような小型ポケモン。
『クリムガンに、オクタン。見ない組み合わせだな。それに、オクタンのほうが……』
「……Eアームズ」
苦々しく口走る。Eアームズを装備しているという事はつまり、フレア団の一派。だが、何故、このような目立つ行動を行う?
フレア団の理念からしてみれば、Eアームズが露見する事でさえもまずいはずだ。
『何か、私達の予想の範疇にない事が起こっているのかもな。エスプリ、どっちに味方するんだ?』
判断が迫られる中、クリムガンが振り返り、爪を構えた。咄嗟にガードの姿勢を取ったが、それでも減衰し切れなかった。あまりに強靭な爪の一撃にエスプリは壁際に追い込まれる。
クリムガンはその一撃だけで満足しない。跳躍し、刺々しい全身でエスプリを追撃しようとする。エスプリはヒトカゲのボールをバックルに組み込んだ。
『コンプリート。ファイアユニゾン』
赤く染まった両手首と足から炎が迸り、その膂力に任せた拳を放つ。クリムガンの爪は、しかし、触れただけで激痛が走った。
思わず手を引っ込める。装甲に目に見えるほどの傷痕があった。こちらはただ接触しただけのはずなのに。
「こっちの攻撃は……、当たってくれたみたいだけれど」
炎を纏い付かせた拳はクリムガンを打ち据えたものの、決定的な一撃には成り得なかった。クリムガンが手を払い、下水を巻き上げる。
「暴走している、のか? でも、あまりに……」
あまりにその攻撃そのものは洗練されている。トレーナーが別にいるのか、と探る目線を走らせた途端、横合いから砲撃が走った。
エスプリは咄嗟に横っ飛びする。
先ほどまで自分のいた空間を引き裂いたのは墨の砲弾であった。
オクタンがこちらへと照準し、砲撃準備に入っている。
「一石二鳥ってワケか。こっちも狙って、あっちも、って。でも、あたしはそんなんじゃ!」
駆け出したエスプリにオクタンが照準を鈍らせる。その速度ではオクタンに勝てている。
このまま炎を叩き込み、オクタンのEアームズを黙らせる。そう判じた身体が跳ね上がった、その瞬間であった。
クリムガンが吼える。
その咆哮に気が削がれた。クリムガンは爪を振るい上げ、地面へと放つ。掘り上げて逃れようとしているのか。
オクタンが矛先を変える。
『させるか! ここで逃がすわけにはいかない!』
オクタンの放った墨がクリムガンの表皮を打ち据えるも決定打にはならない。クリムガンが地面に逃れようとするのをエスプリもただ見守る事しか出来なかった。
「どうすれば……」
『おい、手が止まっているぞ、エスプリ。どっちを倒すのか、ハッキリしろ!』
フレア団のEアームズは全て破壊するべし。その考えが過ぎり、エスプリはオクタンへと攻撃を絞る事にした。脚部から炎が走り、そのまま蹴りを撃ち込もうとする。しかし、その前にオクタンは空気を砲口から放つ事によって避けた。空気と言ってもそれそのものが砲弾の威力を誇る、空気砲だ。上がった水柱に、こちらの攻撃がぶれる。
浮かび上がったオクタンが戦局を俯瞰した。
『今は、得策じゃないな。エスプリと、クリムガン。どちらを追うべきか、一度、見直そう』
オクタンが出てきた穴に戻ろうとする。エスプリが追おうとして、空気砲に阻まれた。
ただの空気の砲弾であるのに、その威力は通常の技よりも高い。ノーマルユニゾンの装甲を打ち据える攻撃に思わず膝をつく。
先ほどのクリムガンの思わぬ一撃も効いていた。
オクタンの影が穴の奥へと消えていく。それと同じくして、クリムガンも地面を掘削し、この戦場から逃れていた。
エスプリだけが取り残された形となる。結果、戦場に割って入った自分が一番に掻き乱してしまったようだ。
「くそっ!」
悪態をついて拳を地面に放つ。報道ヘリを含め、あらゆる機関が動き出している。そろそろ離脱しなければ自分の存在も露見するだろう。
『……エスプリ、離脱だ。今のままじゃ芳しくない』
ユリーカの言葉は正しいが、何の戦果もなく逃げ帰るのは性に合わなかった。せめて何か、と探った視界に入ったのは、薄い表皮であった。赤と青のもので、クリムガンの鱗なのだと知れた。
「ドラゴンの、皮膚、か……。何て硬質な」
触れてみてずっしりと重い事に気づく。これほどの表皮の持ち主だ。動きには相当な制限がかかっているはずであったが、クリムガンの戦闘を思い返す限りでは、軽やかに動いていた気がする。
クリムガンは何のために、市街地に現れたのか。それと同期して出現したフレア団の動向も気になる。
「ヤツらは、無駄な動きをしないはず…….何で、テレビに映るなんて目立つ真似を」
思案するエスプリに通信が割って入る。
『聞こえていないのか、エスプリ! 離脱しろと言っている。フレア団だってまずいが、それ以上にお前だって知られちゃまずいだろうに』
ユリーカの声にテレビのヘリや災害に対してあらゆる機関が動き出しているのを察知した。エスプリが姿勢を沈め、一気に脚力に力を注ぐ。
ミアレの高層建築を飛び越えるエスプリを、幾つかのカメラが追っていた。
それらを視野に入れながら、エスプリは手にある鱗の主が何を考えていたのかばかりに思いを巡らせていた。
『ご覧ください! この惨事を。テレビクルーのヘリも撃ち落とされ、この戦闘に、三者三様と言った様子で……。破壊の爪痕を残したのは、今、ミアレで話題になっている仮面の怪人です』
エスプリの姿が映し出され、拡大された。粗い画素だが、それが余計に存在感を醸し出している。
報道がわざとそういう風に仕向けたのは分かっていた。ヨハネはテレビを眺めつつ、ユリーカが貧乏ゆすりをやめないのを視界に入れていた。
『仮面の怪人は味方、なのでしょうか?』
コメンテーターが訳知り顔でそれに応じる。
『いや、そうとも限りません。ここ最近、頻発するようになった仮面の怪人絡みの事件。それら全てが、ある特定の組織に繋がっているのだと、有識者は考えています。この仮面の怪人の行動も、ある一面では、それらの言論を制限するための、ある種パフォーマンスであってですね……』
「バカを言え。あんなの、計算ずくのわけがないだろうが」
ユリーカは苛立ちを抑え切れないようだった。ルイが声をかける。
『マスター。嫌なら観なきゃいいじゃないですか』
「そういうわけにもいかんだろうが。どう言う風に報道されているのかで、フレア団の動きだって分かる。カメラが偶然捉えたものでもいい、Eアームズの概要さえ分かればこっちのものなんだ。だって言うのにさっきから」
ユリーカの怒りの原因は先ほどから映し出されるのはエスプリばかりで、フレア団の使っていたというポケモンに関しては全く、一秒も映されない事であろう。
これほどまでに偏向報道が成されているとは思わなかった。フレア団の動きに関しては一切が不明で通っているのだ。当然の事ながらEアームズなど映るはずがない。
うまい具合にクリムガンとエスプリが交戦した、という風に編集されている。
「何だ! このやり口は! これじゃ、うちのエスプリと、クリムガンがただ、街中でぶつかり合ったみたいなもんじゃないか!」
「実際、そう思われているみたいですからね……。エスプリとクリムガンしか映っていない以上、好意的に観てもクリムガンの暴走をエスプリが制した……。悪意を持って見れば、エスプリが現れたからクリムガンも現れた。エスプリの自作自演だって言う論調もあるみたいですよ」
「バカバカしい!」
ふんぞり返ったユリーカは腕を組んで憮然とする。
『しかし、全員無事であったのは不幸中の幸いでしたね』
そう言葉を継ぐのは画面上のキャスターだ。パキラ、という名前の人気女子キャスターで、政治や事件、果てはバラエティまで手広くこなす人材であった。
彼女の話す言葉がほとんどカロスの民衆の認識であり、今期も人気キャスター一位の座は譲らないだろう。
「こういう時に、ごまをすっておくと後々役に立つと分かっているのさ。このキャスターは」
「……ユリーカさん、パキラさんに嫌な思い出でも?」
パキラには黒い噂一つ立たない、有能な人間であった。四天王にも推薦されており、一年に四回あるとされるポケモンリーグの査定にもしっかりと面通ししているという。
清廉潔白。一つとして悪意に塗れていない、ある種人望の結集したような人間。
「こういうのが、裏ではあくどい事をやっているのさ」
ユリーカは相当報道に気に入らないところがあるらしい。ヨハネは弱りきって尋ねていた。
「でも、エスプリが街を壊した、なんて言われないだけマシでしょう。クリムガンの暴走、という件で落ち着いているみたいだし」
「何だ? キミはこのいけ好かない三十路のババアの味方なのか?」
いけ好かない三十路ババアとは、散々な言われようである。同性からしてみれば気に入らない部分もあるのかもしれない。完璧過ぎて気に入らない、というのは往々にしてある意見だ。
「別に、僕は……。あっ、ニュース変わりましたよ」
続いて映し出されたのはポケモンの癒し動画であった。ユリーカは舌打ちしてテレビを切る。
「どうしたって、エスプリを敵にしたいらしい、この街は」
「そうつっけんどんになる事もないじゃないですか? だって、クリムガンの暴走である程度民衆は納得していますし」
「そのクリムガンだよ。何で暴走した? ミアレの地下区画を支配しているのは誰だ? キミは、マチエールとそれに立ち向かったのをもう忘れたのか?」
ハッとする。ミアレの地下はフレア団の温床だ。
「まさか、それも込みで動いていたとでも?」
「込みでなければ何が込みなんだ。フレア団はミアレの地下くらいどうとでも出来ると思ったほうがいい。クリムガンは誘導されて、市街地に紛れ込んだ。被害者だ」
「論拠は?」
「ない。ないが分かる。そういうやり口だろう」
決めてかかっているユリーカにヨハネは呆れたため息をつく。
「結局、食ってかかっているのはユリーカさんだって同じじゃないですか」
「フレア団の陰謀を上げ出せばきりがない。大方、そういう事だろうさ」
何か機嫌を損ねる事でも言っただろうか。今日のユリーカはいつもにも増して舌鋒が鋭い。
「あの、何か不都合な事でも……」
「不都合? 大アリだね。ヨハネ君、帰ってきたマチエールのEスーツを見たかい?」
「それは……」
濁す。エスプリの右腕に深々と切り込んだ傷痕があった。幸いにして内部までは至らなかったものの、一撃でEスーツの人工筋肉を切断するなど常軌を逸している。
「相当な威力が叩き込まれた、と思う。私は、しかし、もう一つの可能性を示唆したい」
「もう一つの可能性?」
ユリーカがデータとして投影させたのはマチエールの持ち帰った鱗であった。クリムガンの鱗らしい。赤と青に彩られている。
「クリムガンの……言ってしまえば龍の鱗だが、解析した結果、特性が見えた。鮫肌、だ」
鮫肌、という特性をヨハネはスクールで習った事がある。確か、接触攻撃をした相手にダメージを与えるという特性だ。
「接触攻撃をしたから、Eスーツにあんな深い傷が残されたとでも?」
「マチエールに聞いたが、重い一撃はもらっていないらしい。となれば、データから洗い出しても、あの傷の根源はこれだろうな」
しかしただの鱗だ。Eスーツの人工筋肉を破るなど出来るのか。
浮かべた疑問にユリーカは教鞭を振るうように手を払った。
「君の言いたい事は分かる。鮫肌特性はそんなに強力なのか、だろう? ここに統計がある。鮫肌、の特性を持つポケモンのダメージ倍率だ。鮫肌の名前通り、サメハダーや他にも水棲ポケモンに数多い特性だが、陸地に棲んでいるポケモンで希少な鮫肌特性を持つのがクリムガンだ。では、何故、クリムガンの表皮はそんなに荒れているのか?」
命題にヨハネは首を傾げる。
「砂地、とかに棲息しているとかですかね。ほら、砂嵐の中とかで育った場合、表皮は頑強になる」
「スクール知識レベルだな。だが、ハズレとは言わない。しかしその回答には三角しか与えられないな」
にべもない。ヨハネは次の可能性に思い至った。
「このポケモンの、能力値に依存している、とかですかね。つまり、素早く動けないから、自分の表皮を堅くするしか身を守る方法がない」
「当たらずとも遠からずだな。その通り、クリムガンは素早さの値が極端に低い。同じ数値のポケモンで言うと、未進化のキバゴレベルだ」
キバゴ、というのはドラゴンタイプのポケモンである。しかしあまりに未発達な四肢と、小さな牙しか持たない、攻撃的ではないポケモンである。進化すればその攻撃力は目ざましく上がり、最終的に恐ろしく攻撃の高いポケモンになるのだが、最初のキバゴの時にはその兆候はない。
「キバゴレベルって……、避ける事を前提に考えちゃいけない数値じゃないですか」
「スクールでの教えはそれなりに活きているようだな。そうだ、だからクリムガンは避ける事を前提にしていない」
眉根を寄せる。ドラゴンタイプは確かに強力だ。しかし避ける事を度外視したポケモンなど存在し得るのか。
「でも、エスプリの戦闘データによると」
「そうだな、結構軽快に避けていたらしい」
矛盾するではないか。ヨハネの視線にユリーカは手を払う。
「まぁ、そう結論を急ぐな、ヨハネ君。軽快にステップを踏むからと言って、数値上でも高いとは限らない」
「でも、低くはないでしょう? 低かったら、そもそもそれほど速くは動けないはず」
「そこが考えどころだな。エスプリはファイアユニゾンであったはず。ファイアは知っての通り、戦闘本能を研ぎ澄ます。だから反射神経も高く、素早く対応しやすいはずなんだ。それと同程度のレベルで相手が動いたというころは、考えられるのは二つ。このクリムガンが特別個体で、素早さが高い。もう一つは」
「このクリムガンのレベルが、ファイアユニゾン状態のエスプリを軽く凌駕している……」
考えたくない可能性だったがそうとしか思えない。ユリーカはこちらを指差し首肯する。
「考えたくはないがね。こちらで用意した最も安定率の高いエスプリを軽く野生個体が凌駕する、なんて事は」
「エスプリは、対Eアームズ特化なんでしょう? 野性ポケモン特化じゃない」
「しかし、クリムガンのレアリティを見ろ。このレベルだ」
野性個体はその出現率に応じて、レア度が振られる。ポケモン研究者がフィールドワークと部下やポケモン図鑑を渡したトレーナーを介して作り上げた群生学だ。その統計の正確さはトレーナーがそれを頼りにしてポケモンを捕獲する事で支えられている。
クリムガンの野生個体でのレアリティは五段階評価の三、つまり普通かそれ以下である。
「出現しても、さほど嬉しくないポケモンですか」
数値上は、であったが、そう判断せざる得ない。
「まぁ、そうなるな。だとして、だ。何でそんな嬉しくもないポケモンを、フレア団が追う?」
振り出しに戻った。ヨハネは腕を組んで考えを巡らせる。ユリーカは難しそうに眉根を寄せていた。
「どう考えたって不自然だと思うがね。フレア団は何を考えているのか?」
「特別に、そのクリムガンが強い、ってわけじゃないんですよね?」
「持ち帰った数値上は、な。ルイ」
ユリーカが顎でしゃくるとルイが投影画面を持ってきた。予測数値が割り振られており、それを見る限りでは特別なポケモンというわけではない。
『でも、戦闘上、優位になる点はあるんですよ』
ルイの言葉にヨハネは疑問符を浮かべる。
「戦闘上?」
『クリムガンにしか出来ない戦い方があります。蛇睨み、という技とステルスロック、それにドラゴンテールを全て覚えるのはこのポケモンだけなんですよ』
有名なコンボである。麻痺させた相手にステルスロックと呼ばれる不可視の領域を敷き、その上でドラゴンテールにより交代させ、断続的ダメージを与える。対人戦の、それも結構えげつない領域に達しているコンボだ。
「あまり戦いで使いたくないコンボではあるけれど、それを狙ってフレア団が?」
『可能性はあるかと』
「だが、人造的にポケモンを強化する連中が、純粋個体欲しさに、そんな危険な真似を冒すか? それならEアームズで可能にしてしまえばいい」
今までのフレア団の行いから鑑みれば自然と出る言葉であった。クリムガンの自然捕獲にこだわる必要はないのだ。どうして連中は市街地までクリムガンを誘導したのか。
その疑問がついて回ったがユリーカはそれ以上を切り上げる。
「まぁ、さしたる問題じゃないだろう。問題なのは、今回、この傷」
指差したのは拡大された鮫肌によるEアームズの裂傷だ。ヨハネはそっと窺う。
「やっぱり……結構まずい?」
「結構? ヨハネ君、結構とは! キミも言うようになったじゃないか!」
ユリーカに無理やり頭を揺すられる。どうやら相当まずいらしい事は理解出来た。
「わ、分かった、分かりましたから……」
「何で鮫肌程度なのにこんな傷を受けるのか。さっきも言ったが、クリムガンの表皮の特性以上に! エスプリが無謀に切り込み過ぎっていう証拠なんだよ! つまりそれだけ無駄な力で戦っているという事だ!」
ユリーカからしてみれば我慢ならないのだろう。今までの怪我も、重傷も全てはエスプリが力を出し過ぎた結果など。
「で、でも全力で戦わないとさ。負けちゃいますし……」
「勝ち負け以前に、毎度の事、Eスーツを壊してくるのはそういう確信犯的なものがあるのだと疑わざる得ないだろう、これは! そんなに力を入れなくともEスーツは自動で調節してくれるはずなんだ。それを、あのバカは!」
椅子を蹴り飛ばすユリーカの苛立ちは最高点に達していた。ヨハネはルイと共にいさめようとする。
「その、ユリーカさん? 怖いんですけれど……」
『そうですよ、マスター。まずは落ち着いて……』
「落ち着いていられるか! Eスーツの修復がバカにならないのはお前が一番よく分かっているだろう、ルイ!」
『ええ、まぁ……』
指されてルイはうろたえる。
その間、ヨハネは別の事を考えていた。
前回、自分に語りかけてきた白衣の青年。彼が遣わしていたのも「ルイ」という名前のシステムであった。声も全く同じ。
ともすれば、ルイはフレア団の二重スパイなのではないか。あるいは斥候? 考えてみてもルイはシステムだ。嘘を言っている保証もないし、本当の事だけを言っているかの証拠も出せない。機械に判定を下す事は出来ないのだ。
それもあらゆる機械を上回る性能を持つルイの嘘を見破るなど絶対に不可能だろう。
問題なのは自分という一個人だけが、唐突にあるかもしれないルイの裏切りを予期する事。それしかない。自分しか、ルイが裏切った時、行動する事は出来ないのだ。
ユリーカはルイに頼り切っている。マチエールだって他人を疑うなど慣れていまい。自分だけだ。この強大なシステムの裏切りに自分しか対応出来ない。
その予感にヨハネは背筋が震えた。そのような時が訪れた場合、どうすればいい? どうやってルイを止める事が出来る?
カロスのシステムを駆けずり回ったとしても、ルイ以上のシステムがあり得ないのは今まで見てきた事が何よりも証明しているではないか。
人間の分際でシステムを上回る事は出来ないのか。
――否、きっと出来る。しなければもしもの時、どうやって止めると言うのだ。
ヨハネが胸に抱いた感覚を他所にユリーカは怒鳴り散らしていた。
「クリムガンのデータは後で参照する! もうルイもヨハネ君も下がれ! 迷惑だ!」
それっきり所長室にユリーカは篭ってしまった。
『ま、マスターぁ』
弱気な声を出すルイも、裏があると考えればフォローも出来ない。そんなヨハネにルイは疑問を呈する。
『どうしたんですか、ヨハネさん。らしくないですよ?』
システムにも見切られてしまうのか。ヨハネは出来るだけ平静を装った。
「いや、僕はその……」
『さては、マスターに弱みでも握られていますね? マスターってばいつもそうなんですから』
保護者のようにルイが言ってのける。ヨハネからしてみれば裏切っているかもしれないシステムを前にして不可思議さが勝った。
こうも他人行儀を騙れるのか? ヨハネは幾つか質問を浴びせる事にした。ここで自分がルイの裏切りを看破出来れば、ユリーカもマチエールも傷つかずに済む。
「その、ルイ……。フレア団の情報だけれどさ、本当に何も知らないの?」
『おかしな事を訊くんですねぇ。知っていたらマスターに言いますよ。だっていうのに、マスター、あんまり最近はネットの海を出歩くなって言うんだから』
「ネットを出歩くな?」
それは初耳である。ヨハネは尋ねていた。
「何でそんな事を?」
『分かりませんよ。でも、ボクなら足跡なんて残さずにシステムに割り込めるのに、それもするなって。わけわかんないですよね、マスターも』
足跡を消せる。それは入り込んだ事さえもなかった事に出来るという事。
今さらに末恐ろしくなる。ルイはどこまで万能なのだ。
ともすれば、自分が裏切った形跡さえも消せると言ってのけた。しかしルイには自覚がないらしく首をひねっている。
『どうしました? ヨハネさん』
「いや、何でも……。クリムガンに関する事は? ユリーカさん、ああ言ってはいたけれどルイの情報を当てにしているとは思う」
『基本情報だけですね。あの個体に関しては、データベースだけじゃはかれないものもあるみたいですし。そもそも、ボクがあの場にいれば解析も出来るのに、マスターってば意固地になって、ボクをEスーツには入れてくれないんですよ』
Eスーツにルイを入れない?
そういえば、とヨハネは思い返す。ルイをEスーツに導入すれば全てがスムーズに行ったはずだ。マチエールの独断専行も制する事が出来たし、何よりもユニゾンシステムをこれほどまでに実戦頼みにはしなかったはず。
どうしてルイをEスーツに入れないのか。新たな疑問が屹立する中、渦中の人間は気楽なものである。
『戦いに向いていないからかなぁ。でも、それなりに戦闘をアシスト出来るとは思うんですよ』
拳を振るうルイであるがホログラムなので空気さえも切れない。しかし、本当は空気を切るまでもなく、もっと大きな事が出来るのではないか。だとすればユリーカがわざと、それを隠している、という事になる。
何のために? それにこちらに分が悪いではないか。
前回とて、ルイが入っていれば疑いなど挟む余地がなかった。ルイとユリーカから隔絶された戦場での邂逅であったから、ルイを結果的に疑わざるを得ないのだ。
「……何で、ユリーカさんはルイを入れないんだと思う?」
その質問にルイはぷいっと顔を背けた。
『そんなの、マスターの身勝手に決まっていますよ。今に始まった事じゃないですけれど、もっと信用してくれればいいのに!』
「信用、か……」
――だがそれは、一番に難しくなりそうだぞ、ルイ。
ヨハネは胸の中でそう呟いた。