EPISODE41 見物
堅い羽をすり合わせると熱が発生するのだ。
その熱を自らの体温としてクリムガンは生息域を広げるため、無風、低音の地中でも横穴を開拓する。
長い事静寂に晒された聴覚が突然に雑多な音を捉えると一時的な麻痺状態に近くなる。それが通常のポケモンと人間の場合である。しかしクリムガンは違う。
堅牢な表皮と、逆立った刺々しい鱗が確約するのは、生息域における圧倒的な排他性である。地面ポケモンや、岩ポケモンの追従を許さないほどの頑強さ。あまりに強いその生存本能は、ホームグラウンドでなくとも発揮される。
その生息の関係上、地面タイプとかち合う事はよくある事であるが、クリムガンは決して退かない。それどころか血の気が多く、戦闘にもつれ込む事もしばしばだ。
地面タイプの代表格であるダグトリオとぶつかった時、クリムガンは逃げも隠れもしなかった。
相手は縦横無尽、地面を知り尽くした生粋の地面タイプ。当然、勝てる要素は薄いのだが、クリムガンは逃げるどころかくいっと顎を引いて挑発した。
ダグトリオが重力を無視した機動で迫る。地面、という密閉空間においてダグトリオの優位性が揺るがぬものだと思われた。しかし、勝ったのはクリムガンであった。
ダグトリオが攻撃するたびに、その表皮に傷がつく。これは特性である鮫肌、が影響していた。接触型の攻撃を仕掛けた場合、相手側にもダメージがある。クリムガンはダグトリオの揺るがす攻撃に耐え忍び、なおかつ反撃に転じた。
青く、内部骨格が煌く。
「げきりん」の輝きを帯びた爪の一閃がダグトリオを一撃で昏倒せしめた。まさか、と誰もが思ったほどだ。
ダグトリオは一進化ポケモン。しかも地面タイプとなれば使い手に恵まれた良質なポケモンである。それをたった一撃で、しかも受けたダメージは最小限で退けてみせた。
クリムガンは恐ろしく自己認識能力が高いのだと判じられる。
トレーナーの指示がなくとも一般トレーナーほどの知識には長け、なおかつ自分のパフォーマンスを引き上げる戦い方を心得ている。爪と牙、もっと言えば肉弾戦だけがクリムガンの武器であるが、それにしてはあまりに強靭であった。
どこでどう育てばそれほどの強さを身につけられるのか。追跡調査が行われたが、クリムガンがどこを目指しているのかは依然不明のままであった。
そのまま半年が過ぎた。
クリムガンは恐ろしく鈍いポケモンだ。一日に数メートルほどしか掘り進めない時もあれば、一日を費やして自分の領域を広める時もある。野性なのだから気紛れは当たり前だが、それにしたところでクリムガンの目指すところは不明瞭であり、フレア団の戦力として扱うのには、慎重を期すべきである。
それらが報告書に纏められた「クリムガンの追跡調査」についての意見レポートであった。
クリムガンは強いが、使うのには気難しい。そう結ばれた追跡レポートにクセロシキは息をついた。
「なるほどネ。これを欲しがっていると。主任の我侭も考えものだヨ。部下の胸中は察する」
報告書を読み終えたクセロシキにアリアは声を投げていた。
「しかし、クリムガン、相当な戦力だと見えますが……何が問題なので?」
「上や下や、意見がバラバラなんだヨ。追跡調査を行っている部下達は、きっと今、市街地にクリムガンを出せと言われて戸惑っているに違いない。なにせ、凶暴性、及び強さに関しては既に報告書の体にしてあるのだから。ミアレに出す事に危険だと判ずるのは分からなくもない。その結果、フレア団の行動が露見するのも」
今までの行いが水泡に帰す、というわけか。アリアはようやく納得してコーヒーメーカーから抽出する。
「下々の苦労を考えず、ただただ結果だけを求められれば、それは反感の的でしょうね」
「主任に欠けているのはそれだネ。あの人は自分の知的好奇心さえ満たせればいいのだと思っている。ワタシからしてみても、あの人は別種だヨ。理解の範疇にない」
「意外ですね。クセロシキ副主任でも、理解の及ばぬ存在だと」
コーヒーをテーブルに置いてやるとクセロシキは仮面を僅かにずらし、喉で嚥下した。最初こそ奇抜だと思ったものだがもう随分と慣れた。
「美味いコーヒーダ。アリア女史、君はあくまでも、再起を願っているのだったネ?」
再起。それはヨハネをいずれ追い込み、エスプリへと復讐を成すために必要なものであった。そのために自分はクセロシキの付き人めいたことまでやっている。
「ええ、わたくしは、出来れば前線に戻れれば」
「しかし今は、その時ではないとワタシも思うヨ」
「……何故」
理解が出来ない。シトロンが出張ってくるからか。それとも今のクセロシキには権限がないからか。勘繰っていると、クセロシキは嘆息を漏らす。
「そう焦る事でもないと、ワタシは言っているんダ。エスプリとの戦いは長丁場になる。上層部は認めたくないようだが、ワタシにはもう分かっている。主任もそうだろう。そう容易くエスプリを倒す事など出来ない、と。だから、少しでも見込みのあるポケモンを揃えようとしている。何も知的好奇心だけでクリムガンを駒に据えようというのではない」
シトロンはそこまで読んでいて、クリムガン捕獲を命じたのか。しかし、アリアからしてみればそれも身勝手な話だ。
「半年分、追ってきた追跡要員からしてみれば、掻っ攫われたようなものなのでは?」
「砲撃部隊……通称は……、まぁよしておこう。彼らの悪評はよく耳にしているヨ。獲物を執拗に追い詰める姿勢。なるほど、今回のような場合、適任ではある」
「しかし、わたくしとしてみれば、そんな無頼の輩にEアームズを持たせるなど……」
それならば自分のEアームズを早く揃えて欲しい。言葉にしなくとも伝わったのか、クセロシキは笑う。
「そう焦るものでもないだろう。Eアームズは着実に進化を見せている。あのメガシンカ部門からなかなか動こうとしなかったシトロン主任が、自ら開発に打って出ているんダ。いずれは君の物となる力だヨ。耐える時ダ、今は、ネ」
耐える時。そう言われても、クリムガン捕獲にさえ繰り出されなかった心境は穏やかではない。すぐにでも、ヨハネとエスプリの前に現れて戦いたい。戦って、今度こそ勝つのだ。
だが、その時ではない、という言葉の意味も分かる。まだ、浅い。踏み込むのには、Eアームズも、相手のカウンターEスーツに関するデータも、全て。
――待つのだ、アリア。
何度も自分に言い聞かせる。待っていれば必ず再起の時は訪れる。
「しかし、解せないネ」
「解せない、ですか……」
「クリムガンは確かに、強力なポケモンダ。ただし、それは未進化ポケモンの場合の話。確かにドラゴンタイプは大器晩成型が多く、育成には時間がかかりすぎてしまう。だからと言って、クリムガンの能力値は尖り過ぎている。特化している部分があまりにも……バランスが悪い。こんなポケモンを使うのならばカイリューでも育てたほうが確実というもの。何故、クリムガンなのか」
「それは……偶然にフレア団の追跡網にかかったからなのでは?」
「偶然に? フレア団は、カロス全域を既に支配下に置いているのだヨ? 当然、使えるドラゴンタイプなど他にも知っているはずなのダ。それなのに、どうして、このようなポケモンをわざわざ追跡し、悪名高い部隊さえも動員して、必死になるのか? 正直、理解に苦しむヨ。魅力的なのと言えば、特性、鮫肌、と後は攻撃値の高さくらいか。報告書にあった自律活動能力の高さ、というのも頷けなくはないが、元々ドラゴンは能力値も高く、さらに言えば知能も高い。クリムガンにこだわる必要性が見えないのだヨ」
他のドラゴンを探せばいいのではないか。クセロシキの疑問はそのままアリアの疑問でもあった。どうして、このポケモンを? 推測を並べ立てる。
「適性が高い」
「それも考慮に入れたが、適性値はある程度調整出来る。進化前と進化後、でネ。それこそ、能力の低いドラゴンを一から育てて能力値のふり幅を調整すればいい。なのに、クリムガンはもう出来上がっているポケモンダ。このポケモンを捕まえて、わざわざそれに合わせる。その考えが、ワタシには不明だヨ」
クリムガンのようなポケモンに合わせてEアームズを造るよりも遥かに効率的な方法がある。しかし、それを取らないのはただ単にクリムガンが優れているわけではない、と言いたいのだろう。
「では……クセロシキ副主任は、この捕獲作戦に懐疑的で?」
「最初からそうダ。どうして、このポケモンにこだわるのか? 読めないのはそれだヨ。シトロン主任を馬鹿にしているわけではない。あの人は、ワタシよりも成功を収めている。全く侮れない人間ダ。そんな人間が何故、今回に限って計算式のような美しい動きをしないのか? はかれないヨ」
「主任も人間であった、という事なのでは?」
「……そうであるとまだマシだがネ。ワタシは、それこそおぞましい結果が待っているのではないかと感じている。何かおぞましい事を、シトロン主任は考えているのではないか。その過程に、クリムガンがいる、と考慮に入れれば……」
考え過ぎではないのだろうか、とアリアは感じるがそれでもまだまだなのだろう。天才の思考をトレースするのに、考え過ぎ、という言葉は適応されない。
「いずれにせよ、我々の動くところは」
「今回はない、ネ。まぁ、高みの見物と行こうじゃないか。何の目的で、主任はクリムガンを追うのか。その最終目的を」