ANNIHILATOR - 蝸角篇
EPISODE40 野心

「主任! 矢面に立つなど!」

 帰ってくるなり部下の怒声が飛ぶ。シトロンは聞き飽きた、とでも言うように肩を竦めた。

「ぼくの自由だろ? それに、レパルダスを回収しないと、相手に気取られるのが一番にまずいんだ」

「それは承知していますが、団員に任せればいいでしょう!」

「部下を信用出来ない上司なんて、どこにいたって駄目だよ。信用されない。それに、レパルダスアームズはぼくが開発主任を務めた最初のプロダクションタイプ。見届ける義務があった」

 そう告げると部下は言葉を飲み込んだ。なかなか気難しい部下である。

「……クセロシキ副主任もいい顔をしませんよ」

「あの仮面男が、かい? そりゃ傑作だ。どんな顔を見せてくれるんだか」

 冗談交じりの声に部下が叱責する。

「主任! 本気で、我がフレア団の頭脳であるあなたは貴重なのです。それを心に留めておいてください」

「せいぜい、考えの上に置いておくとしよう。さて、レパルダスの具合はどうだ?」

「状態としては、瀕死、の状態ですね。毒も受けています。Eアームズによる速度の引き上げによって能力値にもかなりのブレが……。このまま廃棄しますか?」

「もったいない事を言うなよ。Eアームズがポケモンに与える影響は推し量るべきだろう? 問題なのは、だ。トレーナー側だよ」

 部下はハッとして、面を伏せた。何か言いづらい事情があるのだろう。

「何があった?」

「……トレーナーは、意識不明。恐らく一生、戻る事はないと思われます」

「ダメージフィードバックか。いや、今回のは強制同調に近い。恐らく意識はポケモンと機械の間を行ったり来たり、かな?」

 顎に手を添えて考えていると部下が出し抜けに声を発した。

「その……サルベージ作業は……」

 おかしな事を言う、とシトロンは眉根を寄せた。

「どうして、そんな手間を? 使えない駒は捨てるといい。人間の代わりなんていくらでもいる。所詮は、三級フレア団員だ。レパルダスは労ってあげるといい。回復させ、野性に帰す。これでいいだろう」

 了承した部下の顔には沈痛な表情が浮かんでいる。トレーナーを軽んじている、と思われたのだろう。しかし、シトロンからしてみれば、Eアームズの実戦において要求されるのは品質の高いポケモンであってトレーナーではない。トレーナーの代えは利くが、適合値の高いポケモンにはなかなか出会えないのだ。

「そういえは、適合率の高いと報告書にあったあのポケモンはどうなった? 穴倉の巣を広げているって言う……」

 シトロンの声に部下がやるせなく応じた。

「あれは……状況が停滞しています。何分、相手が穴掘りの上手いポケモンであるので、それを追跡するのに適したポケモンがいません。一日に進む速度はたかが知れているんですが、相手が相手でして」

「報告書。見せてくれ」

 部下はホロキャスターを取り出し、データを共有させる。

「どう見る? ルイ」

 データを転送されたルイはホロキャスターの小型版であった。掌に乗る黒髪の妖精は渋い顔をしている。

『このポケモンを追うのは、少しリスキーだ。こいつにこだわっている暇に、他のポケモンを選別したほうがいい』

「それは分かっているんだが、追跡報告してあるんだろ?」

『……いい趣味とは言えないぞ、主人。こういう、余計な事にばかり気を割くのは。部下の気持ちも考えろよ』

「考えているさ。その上で、解決すべき事柄の優先順位をつけているだけだよ」

 ルイは嘆息をつく真似をして、報告を読み上げる。

『対象ポケモンは追跡した結果、このミアレの地下空間に追い込まれた模様。あと一週間あれば、ミアレ地下に誘導出来る。しかし、このポケモンは何がしたいのか、依然不明。三日に一回、縦穴を掘って日光を浴びている様子が確認される。その時に捕獲を試みるもことごとく失敗。ゆえに、このポケモンをEアームズの適性に据えるのには疑問視である。……こんなところだが?』

「つまり、向いていないと?」

「……そうですね。このポケモンの適性値は、確かに理想です。ですが、このポケモンより強い個体はごろごろいますよ」

 部下の声にシトロンの天邪鬼な面が顔を出した。このポケモンを捕まえてやりたくなる。

「……現在移行中の作業を全部中断。ぼくはこいつを、どうしてでも捕まえたくなった」

「主任! 何を仰います! そんな暇に」

「そんな暇があればEアームズを造れ、か? 生憎と一朝一夕で出来るものじゃない。キミらとて理解していると思っていたけれど?」

 言い返すとぐうの音も出ないようだ。しかしルイだけは別だった。

『主人。お得意の天邪鬼で部下を振り回すなよ』

 いさめるルイにシトロンは笑いかける。

「まぁ、いいじゃないか。こんな機会くらいしか、ぼくはわがままを言わせてもらえないんでね」

『充分に研究スペースをもらっていただろ』

「それとこれとは別さ。今回、あの穴倉から出たお陰で面白い人材にも出会えたし……。そうだな、ミアレの地下に出るのならちょうどいい。エスプリ達と競い合わないか?」

「競い合う……とは?」

 考えを汲めていない部下へとシトロンは諭すように口にする。

「つまり、この情報をオープンソースにして食いつくかどうか、って話さ」

 部下が目を見開く。ルイは呆れ返ったようだ。

『主人……、やりたい事は分かるが、公私混同もいいところだって』

「そうですよ! 大体、我がフレア団が緻密に計算して追い込んだ獲物を、どうして……」

「では、先ほどの諦めるという発言は撤回だな。このポケモンを本格的にEアームズの試験用に使う事にする、という方向で?」

 しまった、と部下は思ったのだろう。思わず口を噤む。

『どうするんだ? オープンソースにしたとして、誰が得をする?』

「エスプリ側の動きを見たい。出来れば、切羽詰ったものが。追撃部隊にEアームズを使う。穴倉を追うのに適したポケモンがいた。その部隊に声をかけよう。ぼくの一存で通るはず」

「しかし、このポケモン、そこまで旨みがあるんでしょうか?」

 疑問視する対象のポケモンは赤い頭蓋を持つドラゴンタイプであった。飛ぶのには適さない甲殻を思わせる翼を有しており、赤と青に明瞭に彩られたその姿はいやでも目を引く。

「クリムガン、旨みがないわけじゃない。こうしてエスプリ側の動きも見たいし、このポケモンをとことん追い詰めようじゃないか。そうなった場合、ミアレがどのように彩られるのか、そちらにも興味がある」

『悪趣味だぞ』

「分かっているよ。しかし、見たくはないか。混乱と狂騒に塗れる市民を。いつだって超越者が目にしたいのは、混乱、つまりはカオスだ。それを支配する者にこそ、特権が与えられる。支配、と言う名の特権が」

 シトロンは口角を吊り上げた。












 シトロンの研究室を後にした部下へと声が投げられる。

「どうであったか、とクセロシキ副主任からの言葉です」

 アリアが柱に寄りかかって尋ねていた。シトロン直属の部下は嘆息をつく。

「何も……あのお方の考えは常軌を逸している」

「次の作戦、打診がありました。クリムガンを追い込め、と。主導するのは、砲撃部隊……。あの部隊にEアームズを持たせるのですか?」

 こちらの不安を部下は汲み取る。

「分かってはいるはずなんだが……。主任は遊びが過ぎる。戯れで造ったEアームズを、ならず者に与えるとどうなるのか、分かっているはずなのに」

 砲撃部隊。フレア団の中でも荒くれ者が多いと評判だ。

「シトロン主任はどこまで考えて……」

「副主任がそこまで警戒するほど、あのお方は高尚ではないと思われるが」

 クセロシキより命じられたのはシトロン周りの情報を固めよ、との事だ。部下も既にこちらに懐柔済みなのだが、それを分かっていて放置している可能性も高い。油断ならなかった。

「副主任の命令です。絶対に、シトロン主任の考えを超えろ、と。わたくしに、そこまで賭けてくださっているのですから」

 雪辱は晴らす。どうせ救われた命だ。使命に殉じる事こそが高潔なのだと感じている。

 それ以上に――エスプリ側に寝返ったヨハネを、まだ許せていない自分がいた。

「クセロシキ副主任は警戒し過ぎだ。そちらの研究はどうなっている?」

「機密のはずですが」

「二重スパイをやれといわれているんだ。それなりに成果は欲しいものだな。三級フレア団員ならば断る事も出来まい?」

 歯噛みする。所詮、自分は三級であるのは未だ拭えない事実。上級の命令には抗えない。

「……クセロシキ副主任は別系統のEアームズの開発に尽力しておられます。シトロン主任のカウンターとなるものを」

「天才を超えるために凡才は狂気に染まる、か。まぁ、あの人らしいな」

 こいつはクセロシキの何を分かっているというのだ。反抗したい気持ちに駆られたがぐっと我慢する。

「せいぜい、仕事を全うする事だ。三級フレア団員、アリア」

 侮られた事を口にされてもこちらは何も言えない。ただ、了承の声を返すばかりであった。

 部下が立ち去ってから、アリアは柱へと拳を放つ。殴りつけた拳がじんと痛んだ。

「……覚えていなさい。全ては、あなたのためなのですからね。特待生。それに劣等生も。わたくしの前に、全て跪くのよ」

 静かに燃える野心を誰も知らなかった。















「監視体制が解かれた。明日から部隊編制が変わる」

 その命令に前線を行っているフレア団員達は納得出来なかった。

「半年も穴倉に篭って追っているんですよ! それを今さら掻っ攫われるなんて!」

「命令だ。……従え」

 上官も納得していないが命令なのだから、という名目を保っている。フレア団員達は暗視スコープを手に目標を捉えた。

 穴を掘る堅牢な爪と表皮。数日の飢えや渇きに耐える身体。元々、それがEアームズに欲しいと言ったのは上役だ。だというのに、勝手な理屈で監視体制を解くなど。

「こっちがどれほど苦労してこの半年追ってきたのか、理解していないんですよ!」

「現場の苦労は汲んでいる、との事だ。君らには有給が確約される」

「給与が上がるだとか、今さら期待しちゃいませんって! ただ、この役目を解かれるのも、我々としちゃ面白くないって話です」

「ちょっと待て! 静かに……」

 暗視スコープ越しの対象が動いた。その予感に全員が息を詰める。

「この方向は市街地だ。ミアレに出るぞ……」

「ミアレには下水がある。そこからあの爪と牙なら容易に出られるだろう」

「市街地に出すなって命令ですか?」

 尋ね返した団員に上官は苦い顔をする。

「いや、その逆だ。市街地に追い込め、と」

「何で! そんなの、命令でも何でもないじゃないですか!」

 逆上した団員に一人の監視に当たっていた団員が声を飛ばす。

「うるさいぞ! 対象が気づく」

 そう言うと水を打ったような静けさが漂った。全員が暗視スコープを手に、この半年で汚れた作業衣とヘルメットを常備する。

「対象、クリムガン、出る可能性は……?」

「八割くらいだな。今までの算出データから見て、進行方向を変えるタイプだとも思えない」

「本当に出ますよ! いいんですか!」

 再三に繰り返されるやり取りに上官は一言だけ返す。

「決まった事だ」

「知りませんから!」

「しっ! 奴め、地上を目指す気だ……」

 暗視スコープに映るクリムガンが頭上の土を払い除けた。その爪による一撃で数メートルの穴が拓く。今までもそうであったがその膂力は相当の代物だ。上が欲しいと言ったのも頷ける。

「クリムガンが、出る……」

 そこから先に何が待っているのか。

 全員、固唾を呑んで見守るしか出来なかった。




 第四章了


オンドゥル大使 ( 2016/11/19(土) 21:52 )