EPISODE39 愚痴
マチエールの状態は集中力を過度に使った過労、と判断された。闇医者を送り届ける際、ヨハネが何やら尋ねているのを知っていたが、ユリーカはあえて追及しなかった。
マチエールが無事に帰ってきただけでも御の字なのだ。それに、ヨハネは何かを隠している。それが分かっていても、今は問い質す場合ではない。
「エスプリが、どれだけ抑止力になるか……。どれだけ、Eアームズを倒しても、諦める気はないんでしょう。……お兄ちゃんは」
苦々しく口にしてユリーカは執務机に戻る。ルイが高速演算に費やされており、ぼうっと突っ立っている。
「高速演算中止。自律回線モードに」
そう口にするとルイがハッとして、こちらに声をかけた。
『ま、マスター! 帰ってきていたんですか』
「今さらの事だ。ヨハネ君も無事、バカもバカらしく、過労以外は大した怪我もない。全員、安泰だ」
『それは、よかった……』
システムが安堵する真似をしたのは滑稽極まるものであったが、ルイはそう設計されているので仕方あるまい。
「ルイ。前回の、サワムラー使いの端末にあったキャッシュに、心当たりは?」
『やはり、無理やり焼かれているみたいで。今回のレパルダスアームズからも割れるかと思われたんですが、アシッドボムの弾丸が思いのほか強力で、持ち帰れたものはほとんど腐食していまして……』
「つまり、一向に変化なし、か」
呟くとルイが肩を縮こまらせる。
『すいません……。ボク、居るのに役立たずで』
「いいや、お前がいないともっと困る。Eスーツの修復だって毎回世話になっている。ルイはよくやってくれているよ」
『……マスター』
「ただ、相手が悪い。フレア団という組織があまりに強大なんだ。今回、ヨハネ君はレパルダスを捕獲する事も出来たんだが、それさえ許してくれない。こっちに尻尾すら掴ませない組織だ。勝てるかどうかでいえば分が悪い」
『で、でもでも! マスター達は諦めないんでしょう?』
「そりゃそうだが……。諦めないにしても限度はある。エスプリが戦えなくなれば、私達の抵抗はそこまでだ」
全て、無意味とは言わないが、こちらとて資本の限界がある。フレア団がカロス全域を張っている組織ならば、それと相手取るにしてはこちらの戦力は心許ない。
「いくつか、組織をピックアップしておいたな。そいつらに動きは?」
ルイを使って怪しい動きをする企業を張らせておいたのだ。ルイはシステムからそのデータを呼び出す。
『殊更、怪しい動きをする企業はあまり……。ただフレアエンタープライズ……、このカロスの資本の三割を独占している企業は、きな臭いですね』
「フレアエンタープライズ……。結局、振り出しに戻る、か」
マチエールを潜入させたあの学校には何かがあった。しかし、それ以上はぼろも出さない。
『ヨハネさんなら、もしかしたら何か分かっているのかもしれませんけれど』
「ヨハネ君か。しかし、彼とて全てを洗いざらい話してくれるかと言えば、そうじゃないだろう」
彼にも秘密がある。恐らく自分達には言えない秘密が。
ルイが項垂れて人間のように後頭部を掻く。
『結局、どん詰まりですね……』
「まぁ、Eアームズに対する、牽制になっているのは充分に評価出来ると思っている。ただ、相手が悪いのだけは……」
ミアレの街を守っていても、これでは形無しだ。悲劇はミアレ以外の場所でも起こっているに違いないのだから。
『マスター。ここは無理をせず、目に見える範囲だけは確実に守っていくようにしませんか? そうしたほうが、我々としても』
「そりゃ、それで充分だろう。ただ、マチエールとヨハネ君が納得するかどうか」
マチエールはこの街の涙を見たくない、で納得させられる。問題なのはヨハネのほうだ。
彼は妙なところで賢しい。だから、何かを感じ取っている。自分達にも不都合な、何かを。
『……監視、とか言い出しませんよね?』
こちらの心境を読んだようなルイの声音にユリーカは頭を振った。
「現実的じゃないな。それに、最悪ヨハネ君が敵になる」
マチエールが操られてもこちらには手があったが、ヨハネの離反は全く打つ手がない。不思議な事に主戦力であるマチエールよりもヨハネのほうが敵に回すと厄介に思えてしまう。
『やっぱり、そうですよね。ボクも、馬鹿な事を言いました』
「いや、リアルに物事を見れば、お互いに腹を探り合うくらい、当然だろう。問題なのは、ヨハネ君が気づいてしまう事だ」
彼ならば気づく。その確信があった。
気づかれた時、もう自分達と戦うとは言ってくれないだろう
「ヨハネ君には出来るだけ自然に。情報もクリアにしておこう。そのほうがお互いにいいはずだ」
『了解しました。ですけれど、マチエールさん、起きますかね?』
「バカは放っておいても起きるさ。起きなければ叩き起こせばいい。バグユニゾン……データ上の試算は?」
『やはりマスターの言った通り、三十秒が限界ですね。すぐにエレメントトラッシュをしないと使い物になりません』
「となると、これまで以上に慎重な戦いが続く、な」
それだけではない。相手はさらに苛烈な手を打ってくる事だろう。
その時、勝てるのか。まだ自信はない。
ただ、負けないように抗うだけだ。運命に。何よりも、自分達の因縁に。
「勝つ、そのために、私達はここにいる。ハンサムハウスの所長を名乗っているんだ。それなりに、おやっさんとやらの思想は受け継がなければならない」
たとえ自分にはその全てが理解出来ないとしても。
ルイは再び作業に戻った。複数のタブを用いて企業をマークさせているのだ。しかも秘密裏なので、一発でもばれればお終いの精密作業である。
「悪いな、こっちの愚痴に付き合せて」
『いえ……、マスター、たまに無理しているみたいなところあるから、ボクに話してくれるくらいでちょうどいいんですよ』
「ちょうどいい、か」
自分達の仲立ちとして、ヨハネがいるのも、ちょうどいい、という事なのだろうか。
まだ判じる術を、持っていなかった。