ANNIHILATOR - 蝸角篇
EPISODE37 毒弾

「連中のアジトを突き止めた?」

 報告に上がった構成員の言葉にレパルダスを操る男は鼻を鳴らしていた。

「そんなもの、必要ないだろうに」

『必要ない? だが、有益な情報だぞ? レパルダスアームズで攻め込めばいい』

「おれは、相手の根城に攻め込むほど無鉄砲じゃない。何よりも、そんなのは面白くないだろう?」

『……どういう意味だ?』

 こちらの意図をはかりかねた相手へと、男は声を投げる。

「おれは所詮、三級フレア団員。今のままじゃ、レパルダスアームズそのものの情報閲覧権限さえもなく、使っている武器の情報も分からないただの兵士。しかし、今回、エスプリを殺せば確実に一級フレア団員に駆け上れる。その確実性を上げるために、おれは相手へと踏み込まない。あくまで待つ、それだけだ」

『しかしこの情報をふいにすれば、思わぬところの躍進を招くような事に』

「お前だって、Eアームズを使用する、アナイアレイターの資格があれば、おれを出し抜いて、アジトに向かっただろうに」

 相手が声を詰まらせたのが伝わった。所詮、蹴落とし合いの世界だ。

『……一応は、情報班としての職務を』

「分かった、分かった。そういう事にしておいてやるよ。おれのレパルダスアームズを、上も嘗め腐っている。エスプリの、Eスーツの性能を見出す道具としてしか思っていない。だが、シトロン主任研究員に圧倒的勝利をもたらせば、おれの地位は確約される。こんな、木っ端団員の仕事なんてオサラバで、上の、それこそ監視者共を操れる地位に上がれるだろう。そのために、おれは待つ。だがただ待つんじゃない」

『どうするんだ?』

「宣告する。おれは、エスプリを招き出すために、ミアレで無差別殺人を行うつもりだ」

 報告係が思わず反論した。声も上ずっている。

『お、お前、それは……! 無差別殺人なんてすればフレア団の崇高な目的が』

「穢れる、とでも? だが、このまま下っ端稼業を続けるだけなら、おれは穢れた組織の上に立つだけだ。何もしないでただ、上の命令を受けているだけならポケモンにだって出来る。おれは、昇り詰めたいんだよ」

 その野心に報告係は忠言した。

『……死期を早めるぞ』

「元々、エスプリに負けてしまえば散る命だ。惜しくはない」

 男はゴーグルをかける。中継用の装甲車の内部で、ゆっくりと腰かけた椅子が降ろされていく。

 ゴーグルに繋がったケーブルから無線報告が響いた。

『ハーモニクス正常。レパルダスアームズに全権を委譲します』

「了解。これからレパルダスのほうに意識を飛ばす。お前は黙ってな」

 報告係は払った声に最後の言葉を投げた。

『聞かなかった事にする。それはフレア団への反抗も意味するからな』

 お優しい事だ。男は意識をEアームズへと飛ばした。

 すぐに接続が成され、レパルダスの視界と同期する。

 レパルダスはミアレシティの高台に陣取っており、いつでも動き出せた。

『さて、血祭りを始めるのなら、まずはどこから、かな』

 声帯を震わせるまでもなく、声が全神経から発せられる。レパルダスが背部にある推進剤から無音走法を可能にする粒子を放出した。

 いつでも無差別殺人に打って出られる。

 レパルダスと男が見つけ出したのは手を繋ぐ親子だ。最初の標的を見据え、レパルダスが跳ね上がる。

 凶器に等しい鉤の尻尾を振り上げて一挙に首を狩ろうとした。

 その時である。

 空気の皮膜が発生し、親子を凶刃から守り切った。

 思わぬ攻撃にレパルダスが飛び退る。その主は宙を舞うゴルバットであった。

『ゴルバット……、という事は、殺し損ねたあのガキか』

 レパルダスが顔を上げるとゴルバットが空気の刃を生成し、反撃に転じる。しかしEアームズの装甲の前には空気の刃など恐れるまでもない。

 装甲を貫通する事はないが、それよりもレパルダスには強みがある。

『――奔れ』

 レパルダスが残像を居残して跳躍する。

 その素早さ、何よりも速さは武器であった。「エアスラッシュ」は何もない場所を掻っ切っただけだ。親子が悲鳴を上げて逃げ出すのをレパルダスの俊足が追った。

『逃がすわけないだろうに』

 レパルダスの速度ならばいつでも追いつける。しかし、ゴルバットが道を阻んだ。手傷を負わせた少年が踏み出し、親子に声を投げる。

「すぐに逃げて!」

 殺し損なった少年は傷だらけであったが、抵抗の意志を携えた瞳をしている。こういった手合いは殺してやらなければ。そうでなければ自分がどれほどに無鉄砲なのかも理解していない。

『逃げて? おかしな事を言う。お前は、おれが殺し損なった獲物だ。あの親子も新しい標的であったが、撃ち損ないを、放っておくフレア団だと思うか?』

 撃ち漏らしはすぐにでも潰さなければ。尻尾を掲げたレパルダスに少年が腕を掲げる。

「前回の、お礼だ! ゴルバット、超音波!」

 ゴルバットの放った超音波がレパルダスの三半規管を狂わせる。通常ならば混乱し、視界が暗転するところだが、通常なら、の話だ。

『嘗めているのか。Eアームズ専用の対策くらい練ってくるのだと思っていたが、まさか超音波だとは。笑わせてくれるなよ!』

 跳ね上がったレパルダスがゴルバットへと肉迫する。超音波による混乱など期待出来るはずもない。混乱ほか、追加効果対策は初歩中の初歩だ。

 レパルダスの機動にゴルバットが逃げようと翼を翻す。僅かに、であるが飛翔性能を持つゴルバットのほうが優位ではあった。

『だが、それは通常の、話だと……言っている!』

 背面の推進剤より焚かれたブースターが跳躍を補助し、レパルダスの姿がゴルバットの眼前に立ち現れた。

 目を見開くゴルバットへと、レパルダスが凶刃を叩き込む。

 翼を畳んで防御したようだが、その脆さは見るも明らかだった。

『もらった!』

 追撃の刃がゴルバットを沈めようとする。

 瞬間、肌を粟立たせたのは攻撃の気配であった。

 本能的に飛び退ろうとしたが、足場がない。空中へと誘い出された。そう判じた時、視界を水が覆う。

「ハイドロポンプ!」

 屋根からこちらへと水の砲弾を発したのはニョロゾと呼ばれるポケモンであった。

 それを伴っているのは少女である。エスプリに変身せず、ポケモンだけで戦うつもりなのか。

『嘗めるなぁ!』

 切り裂いた水から突き上がり、レパルダスが足がかりを得る。水を足場にレパルダスは屋根へと飛び移った。

 肉迫したレパルダスに少女がたじろぐ。その首筋に一閃、浴びせようとしたが、それを押し留めたのはニョロゾの腕であった。

『忠実なポケモンだな。しかし、力負けだ!』

 ニョロゾを押し切り、レパルダスが迫る。少女はモンスターボールを投擲した。

「行け! ヒトカゲ!」

 繰り出された小型の炎ポケモンが眼前に出るなり火炎放射を吐き出した。

 普通ならば、その不意打ちに対応出来まい。しかし、それも普通の話。

『レパルダスは、咄嗟の回避を有効にする!』

 拡張され、極大化した感知野がそのまま、反応速度に直結しレパルダスの反応を最大に引き出した。

 咄嗟に前足で瓦を蹴り、火炎放射を回避する。完全に不意をついたつもりだったのだろう。少女が舌打ちする。

「惜しいなぁ」

『惜しい? 違うな、エスプリ。おれとお前とでは埋めようのない溝がある。それを理解せぬまま、死んでいくがいい』

「失敬だな。溝くらいは分かっている。一目瞭然じゃないか」

『ほう、ではそれを説いてみろ』

 少女は片手を払い、言ってのける。

「お前とあたしの最大の違いは――守る者と壊す者の差だ。あたしは、守る。全てを、傲慢でもいい、守りたい。この街を泣かせるようなヤツを、一秒だって許しはしない」

『許す、許さないだと? それを決めるのは強者だ!』

 駆け抜けたレパルダスの速度を制したのはヒトカゲとニョロゾであった。同時に放射された「ハイドロポンプ」と「かえんほうしゃ」が相乗し、水と炎の壁を構築する。

 少女がバックルを掲げた。中央が円形のシャッターになっている。

「お前は、ただ壊した。それを、あたしは絶対に許さない。だから、覚悟だ。あたしの命を賭けてでも、守り切ってみせる」

 バックルが腰に装着され、ベルトが伸長する。

「Eフレーム、コネクト!」

 その呼び声に黒い鎧が突風を伴って流転し、少女へと吸着していく。一つ、また一つと黒い装甲に身を包み、最後にヘルメットが被さった。

 バイザーが降り、Eを象った文字が浮かび上がる。

「探偵戦士! エスプリ、ここに見参!」

 顕現したエスプリへとレパルダス越しに男が一瞥を投げる。

『ようやく来たか、エスプリ。だが、赤でも、青でもお前は勝てやしない』

「やってみなければ、分からないだろ」

 ニョロゾとヒトカゲをボールに戻し、まずヒトカゲのボールをシャッターに埋め込んだ。

『コンプリート。ファイアユニゾン』

 電子音声と共にエスプリの両腕から炎が迸る。その勢いのままに、エスプリが跳躍した。レパルダスもそれに併せる形で跳ねる。

 ミアレの中空で、二つの影が交差した。

 鉤の尻尾を突き出し、鎌のように首を狩ろうとする。エスプリが腕を掲げ、炎の膂力を持ってそれを弾けさせた。

「まだ、まだァ!」

 エスプリの攻撃は前回よりも決死だ。命がけというのは伊達ではないらしい。

『しかし、戦闘に騎士道精神を持ち込むとは、何と脆弱か!』

 真正面から攻撃するとは限らない。推進剤を焚いてレパルダスが背後に回り、尻尾を鞭のようにしならせた。

 放たれた一撃がエスプリの装甲を叩きつけ、屋根へとその身体が煽られる。

 転がっていくエスプリへとレパルダスが追撃した。

『まだだ! まだ!』

 殺すまで、攻撃をやめるつもりはない。

 レパルダスの無音走法に、相手はリズムを掴みかねている。何度も攻防を逆転させようとして、それを失敗し、無様に拳が空を切った。

『そうれ! そんな大振りで!』

 レパルダスの横合いから放った切っ先にエスプリがよろめいた。その身体へと突き上げる一撃を打ち込む。

 仰いだエスプリにさらに突き刺そうとする。

 装甲の継ぎ目を狙い、必殺の一撃を。

 それが成立しようとした時、エスプリがハンドルを引いた。

『エレメントトラッシュ』の音声と共に業火がレパルダスの装甲を焼こうとする。瞬間的に膨れ上がったエスプリの炎熱の拳がすぐ脇を通り過ぎた。

 だが、回避出来ない速度ではない。レパルダスは離脱し、その一撃も虚しく空を切る。

 両腕をだらりと下げたエスプリのバックルからボールが排出された。赤の姿が消え、白の姿に逆戻りする。

『どうやら、希望も潰えたようだな』

「どうかな。希望は……見出すものだ。自分から掴みに行かなきゃ、いつまでだって訪れない。あたしは、それを掴み取る。自分のものにしてみせる!」

『口先だけは一人前だが、そんな遅さで!』

 レパルダスが飛びかかろうとした時、エスプリがボールを掲げた。ハッとして近場の屋根に足をつけて制動をかける。あれは前回、エスプリが暴走したボールであった。

『新たなユニゾンか……。だが制御不可能な代物をまた使って、ものの見事に玉砕するか!』

「……アギルダー。あたしはお前の力を信じている。……ユリーカも、ルイも、ヨハネ君も。だから、全て身を任せる」

 シャッターを開き、ボールをバックルに埋め込んだ。

 瞬間、緑色の磁場が走り、白いラインを上塗りしようとする。エスプリはその第一波に膝を折りかけるが、拳を握り締めて持ち直そうとしているようだ。

「耐えろ、あたし……! こんなの、ヨハネ君の痛みに比べたら……!」

『制御不能の今を、狙わないわけがない!』

 跳躍したレパルダスが鉤の尻尾を突き出した。このまま無抵抗な首を掻っ切る。

 振り上げられた尻尾が下ろされる瞬間、エスプリが面を上げた。

「あたしは痛みを、超越する!」

 全身に走っていた緑色の磁場が一極集中した。その行く先はヘルメットである。頭頂部に発生したのは緑色をした光のリングだ。それがヘルメットへと降り立ち、次の瞬間、ヘルメットの両側部に文様が走った。

「B」の文様が鋭く刻み込まれ、緑色に発光する。バイザーが同じ色に染まり、「B」の文字を浮かび上がらせた。

『――コンプリート。バグユニゾン』

 電子音声と共にエスプリから風が発生する。その風圧に攻撃の予感を察知した。エスプリの拳が迫る。

 避け切れない。

 だが、表皮を叩いたのはあまりに非力な、軽い拳であった。

 必殺の一撃でさえも予感していたのに、これでは拍子抜けである。

 レパルダスが推進剤を焚いて後退する。

『愚かしいほど……弱小だな! そのバグユニゾンとやら、パワーはないらしい』

 余裕を滲ませた声にエスプリは早くもバックルのハンドルに手をかけた。まさか、このまま勝負をかける気か。

 だがこちらは万全であり、ダメージもない。比して向こうは手傷を負っており、何よりも不慣れなユニゾンだ。攻め入る隙である。

『その状態で必殺を……? 解せないな』

「悪いけれど、お喋りしている時間もないらしいんだ。さっさと決める」

『エレメントトラッシュ』の音声が響き渡り、両耳の位置にある「B」の文様が輝いた。

 エスプリが片腕を持ち上げる。手首の側から弾き出されたのは小さな銃口であった。青のように水の砲弾を操るのにはあまりに小さく、赤のように豪快に炎を操るにしてはその砲門は脆そうである。

 総じて――どちらにも向いていない、ただの銃弾が弾き出されるのだと踏んだ。

 レパルダスと同期した男が一気に肉迫する。それでも、翻弄するための手段を忘れない。

 屋根を蹴り、常に残像を刻みながら一瞬とて同じ位置に居ない。このような自分とレパルダスを捉える手段などない。

 勝った、と感じ取った、その時である。

『サーチロック、オン』

 エスプリのバイザーに赤い照準器が出現し、それが明滅した瞬間、エスプリがこちらを――正確に見据えた。

 今までそのような兆候もなかったのにいきなり、相手の照準がこちらを捉える。

 片手に装備された銃口が向けられた。

 ――まさか、まさか。

 今の一瞬にしてこちらの動きを読んだと言うのか。それを確かめる前に、発射されたのは黒い球体状の銃弾であった。

 回避、と思考を働かせる前に、銃弾が装甲に命中する。

 レパルダスがその余韻に思わず動きを止めた。

『当たった……』

 だが、何も起こらない。装甲を貫通したわけでもなく、銃弾はただ、命中した。それだけだ。何の異常もない。

 最初こそ狼狽していた男であったが、直後には哄笑を上げていた。

『何ともない……何ともないぞ! こけおどしか!』

 レパルダスが鉤の尻尾を振り上げる。相手は今の一撃で力尽きたのか、ボールが輩出され、緑色の光が失せた。

 元の白に戻ったエスプリなど恐れるまでもない。

『ままごとに付き合っている暇はないのでね。お前を倒し、おれは昇る! 栄光への道を!』

 加速に身を浸そうとした。その瞬間である。

 がくり、とレパルダスが膝を落とした。完全に虚を突かれた形の男の意識はそれを感知出来なかったほどだ。

 何が起こったのか。機動させようとしても、全身のEアームズが軋んだような音を立てて言う事を聞かない。たちまちブロックノイズが走った。

 男の意識とレパルダスの意識が分離しようとする。背面に装備された推進剤が根元から折れた。

 装甲が弾け飛び、火花を散らす。

 何が起こっているのか、男は必死にレパルダスにすがり付こうとするが、その意識の遊離は止められなかった。

『何が……、何をしたんだ!』

「バグユニゾンは、パワーもスピードもない」

 エスプリは静かな語り口調で声にする。もう全てが決したとでも言うように。

「力押しでも、あるいは防御によるカウンターでもなく、バグユニゾンの確約するのは、最高精度の集中力。五感に留まらず、第六感、通常は感じられないほどの微細な粒子の流れでさえも感じ取り、その流れを我が物とする。バグユニゾンの真骨頂はその集中力から導き出される、急所の特定。今、あたしはアギルダーとのバグユニゾンで感知したのは、Eアームズに必ず存在するはずの、システムの急所。それを撃ち破った。用いたのは、その着弾点のみに作用する球状の毒榴弾――アシッドボム。瞬時に染み渡った毒はEアームズの性能を凌駕して広がり、全身の機能を麻痺させる」

 装甲が剥離し、レパルダスが痙攣し始める。尻尾を持ち上げる事すら不可能なほど、今のレパルダスは追い込まれていた。スピードでもパワーでもなく、そのような小手先で、無類の素早さを誇るレパルダスアームズが、無力化された。

 怒りを覚えるより先に、可能なのか? と問いが浮かぶ。

 しかし、今のレパルダスの状態がそれを示していた。ほとんど全ての攻撃を跳ね返すと言われた装甲が自壊し、意識の同調を指揮していたシステムが全てレッドゾーンに入る。

 男の意識はレパルダスと機械の間を彷徨った。

 まさか、こんな事で終わるのか? こんな、パワー負けしたわけでも、ましてや速度負けしたわけでもない。このような、何でもない終わりが、自分の決着だと言うのか。

 ふざけるな、と昂った神経がレパルダスに最後の機動を促した。

 最早、表皮にこびりつくだけになった装甲が男の思惟を伝え、鎌の尻尾を跳ねさせる。

 エスプリが拳を握り締め、レパルダスを殴りつけた。それだけで、男の残留思念は消え去った。

 レパルダスと機器の間を彷徨う男の意識は何もない虚空を掻く。

 ここは寒い。何もない、虚無だ。

 必死に助けを求めようとするがその声すら何も震わせなかった。無辺の闇の中を、男の意識はいつまでも漂い続けた。



オンドゥル大使 ( 2016/11/19(土) 21:51 )