EPISODE33 騎士
「ゴルバット!」
瞬間的に発生させた空気の膜でエスプリに至ろうとした刃を防御する。
跳び退ったのはEアームズを装備したポケモンであった。見た事がある。レパルダスというポケモンだ。
「今回のEアームズの、持ち主か……」
声にしたヨハネにレパルダスが首をひねる。
『何者だ』
レパルダスが喋ったわけではない。そのトレーナーだろう。レパルダスの背中には一対の推進剤があり、そこから発生させた紫の粒子が本体を取り囲んでいる。
絶対防御か、とヨハネは身構えた。しかし、そのような事でさえも、今は惜しい。
エスプリが、丸まって痙攣している。その事実にヨハネはハッとした。
「アギルダーと、ユニゾンして……」
慌ててバックルに手を当てる。回転しているボールを止める術を知らないヨハネは必死に外側から押さえた。掌に焼けたような激痛が走る。それでも手を離さなかった。
『エラー』の音声が響き、ようやくアギルダーのボールが排出される。ヨハネはそれを手にしてゴルバットを呼びつけた。エスプリを足で保持させて戦線から離脱させようとする。
それを許さないのはレパルダスの一撃であった。跳ね上がるようにレパルダスの尻尾がエスプリを狩ろうとする。
阻んだのは青い光であった。
〈もこお〉のパワーだ。思念の光が渦を成してエスプリを守っている。彼女の身を案じているのは自分だけではない。〈もこお〉と眼差しを交わし合い、ヨハネは頷いた。
「ここから先は、通さない!」
『通さない、だって? 弱者が何を!』
レパルダスの挙動はほとんど無音だ。無音という事はどこに攻撃が来るのか、その予兆すらないという事。
無音の鋭角的な一撃が肩を引き裂く。血が迸り、ヨハネは失神しそうになった。しかし、ぐっと奥歯を噛み締めて堪える。ここは、エスプリを逃がし切るまで自分が盾になるしかない。
レパルダスが一度跳び退り、トレーナーの哄笑を響かせた。
『ナイト気取りか? 言っておくが、さっきの時点でもうエスプリは手遅れに見えたぞ』
「……気取りじゃないさ。僕の身体でいいのなら、捧げる。それくらいはしないと、僕は……!」
自分に納得出来ない。そう信じて奮い立たせるが、次いで閃いた刃が脛を裂いた。激痛に膝を折りかける。しかし、ヨハネは拳を握り締めて耐えた。
レパルダス使いが興味深そうな声を出す。
『面白いな。ただの人間が、EスーツとEアームズ持ちのポケモン相手の戦闘に介入するなど。だが、ヒーロー気取りは命を縮まらせる』
瞬いた刃がヨハネの肩口を貫いた。レパルダスの尻尾が伸び切り、剣のように突き刺さっている。
灼熱を押し込まれたヨハネはその場に胃の中のものを吐いた。吐く事で、己の精神を保たせる。
『いい根性をしている。しかし、無謀という言葉を知らないようだな。ここでお前のような羽虫が時間を稼いだところで、意味がない事を。エスプリは死んだ。もういないのだ』
絶望的な宣告であった。だが、ヨハネはフッと笑みを浮かべる。それを解せないと感じたのか、相手のトレーナーは疑問を浮かべたようだ。
『何がおかしい?』
「……そんなので、この街を守る正義の味方を、倒せると思っているところが、だよ。エスプリは折れない! 砕けない! そんな簡単に諦めるようなら、僕は魅せられなかったさ! でも、僕は誓える。その精神の輝きはこんなところで終わらないと!」
そのためなら殉じる覚悟がある、と。それを相手も感じ取ったのか、ヨハネの挙動を試すようにレパルダスの尻尾が揺らめいた。
『なるほどな……。だが、馬鹿の所業を、フレア団の花道の前に咲かせても仕方あるまい。ここで潰えろ』
「どっちが……! 〈もこお〉!」
〈もこお〉が口腔を開き、思念の渦を発生させる。青い光がほとんど暴風のようにレパルダスとフレア団を取り囲んだ。
「に、逃げられません!」
仲間が退去不可能になったところでレパルダス使いも舌打ちする。
『共倒れの覚悟か。しかし、おれもこんな程度では終われないのでね。フレア団の支配の前に、弱き者は邪魔なだけだ!』
「その傲慢が、いつか破滅をもたらす!」
〈もこお〉が切り込み、レパルダスへと攻撃を見舞う。「サイコキネシス」の粉塵はEアームズの表層を叩いたのみで、さしたる効果はない。
『風圧の刃? あまりにやすいな、エスプリの部下よ』
「僕は部下じゃない。助手だ!」
張り上げた声にヨハネは〈もこお〉へと次の策を巡らせる。舞い上がった砂塵がレパルダスの視界を覆ったのである。当然、トレーナーも当惑したはずだ。
『視界を奪う……』
だがその程度、と振るわれた時には、もうヨハネは離脱していた。
〈もこお〉のサイコパワーで身体を透明にし、息を殺している。このまま、相手が見逃したと誤認するのを待つばかりであった。
しかしレパルダスは警戒を注いだまま動こうとしない。まだか、と急いた鼓動が滴る血を意識させる。
このままでは時間が経つごとに自分が不利に陥る。出血を必死に止め、ヨハネは眼をきつく瞑った。
――諦めてくれ。
その思いがようやく伝わったのか、配下のフレア団員が声にする。
「逃げ切ったのでは?」
『いや、少しばかり気になる。完全な逃げ切りを、この状態で出来るものか。手負いなのだぞ。そこいらに血痕くらいは残っているはずなのに、血の一滴もないとなると』
逆に怪しまれている。ヨハネは今さらに後悔していた。もう少し頭をひねっておくべきであった。
しかし浅はかな自分ではこの程度の逃げ切りの真似事しか出来ない。
肉迫されるか、と覚悟したその時である。
「本部より入電……。Eアームズ、レパルダスの帰還を、との事です」
フレア団員の言葉にレパルダスを操っているトレーナーが疑問を呈す。
『何故? 追い込みをかけられる』
「一度、メンテナンスに回したほうがいいとの事で。プロフェッサーCより直接のご命令のようです」
プロフェッサーCとは誰だ? ヨハネの疑問を他所に相手トレーナーはその名前に諦めた様子だった。
『プロフェッサーのご用命ならば無下には出来ないな。帰るとしよう』
レパルダスが跳ね上がり、ビルの断崖を抜けていった。それをフレア団員達は呆然と眺めている。
「すげぇな。あれがEアームズの力かよ」
「レパルダスの隠密性能を極限まで引き出しているらしいからな。素早さもとんでもない数値なんだと。それにしたって、勝手だよな。プロフェッサーCは」
「誰もいないんだから陰口くらい叩こうぜ。シトロン主任研究員は何を考えているんだか」
シトロン? それがプロフェッサーとやらの名前か。ヨハネが聞き耳を立ていると不意に視界がぐらついた。貧血を起こしているのだ。
〈もこお〉のパワーも限界らしい。少しだけ自分の身体が実体化していた。このままでは、と感じていたヨハネへとフレア団が振り返ろうとする。
終わったか、と覚悟した。しかしフレア団員は気づいた様子もない。
「どうした?」
「いや、誰かいたような気がしたんだが」
「気のせいだろ。誰もいないじゃないか」
見えていない? ヨハネが目をしばたたいた時にはフレア団員は立ち去っていた。
しかし、どうして、と自分の姿を目にする。
壁に血の痕がべっとりとこびりついていた。体重を預けつつ呼吸を整える。
一呼吸の度に、ひゅう、と弱々しい呼気が漏れるのが分かった。もう意識を保っているのも限界だ。
「〈もこお〉……」
〈もこお〉が片手を上げる。その時になって、自分を覆っていた何かが剥がれた。〈もこお〉は二重の策を取っていたのだ。
不可視の術と、もう一つ、カモフラージュの壁を。
「ああ、よくやって……」
労う前にヨハネの意識は闇に落ちた。