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蝸角篇
EPISODE31 情報

 ハンサムハウスを出ると、マチエールの姿をすぐに見つけた。イイヅカが壁に体重を預けて何やら喋っている。袖の下が渡されたのを目にしてヨハネは歩み寄った。

 気配に気づいたのはマチエールのほうが早かった。

「ヨハネ君……?」

「マチエールさん。何を」

「情報をね、買っていたんだ」

 イイヅカはこの街の情報屋として収まった。彼の仕事と言えば、後ろ暗い情報から街の表舞台の情報まで手広く、であった。元々新聞記者であった事が幸いしてか、情報屋稼業に事欠いている様子はない。

「俺も仕事なんでね。金をもらえれば情報は売る」

 ヨハネの眼差しが自然ときつくなっていたせいだろう。イイヅカは肩を竦めた。

「何の情報を買ったんだ?」

「それ、君に言う必要あるの?」

 いつになく冷たいマチエールの反応にヨハネは見透かした。

「……敵の情報だね?」

 確信めいた声にマチエールは一瞥を振り向けてから、口を開く。

「あのさ、君は助手なワケ。あたしに口出しするだとか、あたしの行動を縛るためにいるんじゃないでしょ? あたしは、あたしの意思に従うのみだし」

「でも、ユリーカさんが必死に解析してくれている。今は、待つ時だと僕も思う」

「待つ? そんな事をしている間に、街にどれだけの涙が流れるのか、君は想像出来るの? あたしは、それを思うだけで胸が張り裂けそうになる。もう、街を泣かせない。この街は、あたしが守るんだから」

 意固地になっているようにも見えた。ユリーカに頼らず、自分の力だけでEアームズの使い手とやり合うつもりだろう。

 ヨハネは自然とマチエールの進路を遮っていた。

「……マチエールさん」

「退いてよ。ヨハネ君だってあたしの邪魔するなら、手加減しないよ」

「邪魔はしない。ただ、落ち着いてって言っているんだ。今の君は……らしくないよ」

「らしくない? あたしらしいなんて、ヨハネ君に何が分かるのさ!」

 手首をひねり上げられてヨハネは呻く。激痛にヨハネは一瞬で進路を明け渡した結果となった。

 その誰の声も受けない背中に呼びかける。

「マチエールさん! みんな、心配しているんだ!」

 必死の言葉であったが、マチエールは冷たく返す。

「あのさ、そういう、押し付けって要らないんだよね。あたし、全てのEアームズを破壊する事しか考えていないし。フレア団、だっけ? そいつらがどれほど強大でも、ぶっ潰す事しか、頭にはないよ」

 本当に、それしか考えていない横顔であった。ヨハネはしかし、ここで引き止めなければ、と声を振り絞る。

「ユリーカさんだって、心配してる」

「ユリーカはあたしの事なんてどうだっていいんだ。いつだって考えているのは、エスプリとしての意義であってあたしじゃないし。アギルダーを使わせないのだって戦略的、とか言うんでしょ? あたしは、ユニゾンの負荷になんて負けない」

 強気な言葉であったが、それがどこか無理をしているのは分かった。ヨハネは必死に声を張り上げる。

「僕だって……、君に傷ついて欲しくない!」

 その言葉にマチエールの足が止まった。話を聞いてくれるか、と期待したヨハネに、マチエールは冷たく言い放つ。

「傷ついて欲しくない? だったら、君に何が出来る? あたしの代わりに、エスプリになんてなれないでしょ?」

 決定的な断絶の言葉であった。自分は彼女の痛みの肩代わりなんて出来ない。それほど強くなんてない。

 マチエールも言ってはならない事だと感じたのか、どこかばつが悪そうに顔を伏せた。

「……ゴメン」

 踵を返してマチエールが駆けていく。その背中を呼び止めるだけの言葉を、今の自分は持っていなかった。 

 何よりも、自分の代わりに戦えるのか、と問われてヨハネは惑っていた。

 助手として彼女の傍にいる事は出来る。だが、戦う事は出来ない。彼女の痛みの肩代わりなんて自分には務まらないのだ。

 歯噛みする。

 どうして自分は強くない? どうして、こんなにも無力なのだ。

「シュラウド君、マチエール嬢を止めたい気持ちは分かる。だが、彼女の言葉には重みがある。それに比して、君では……彼女を止められない。その言葉に宿るものが違い過ぎるんだ」

 イイヅカの慰めにヨハネは苦渋を噛み締めた。

「だって……僕には何も出来やしない……」

「出来る事がある。それを、まだ見つけていないだけだ。俺だって、迷いの胸中さ。この情報屋稼業だっていつまでも続けられる保障はない。ただ、昨日よりいい今日を見出した言ってのだけは本当だ」

 昨日よりいい今日。前向きな言葉であったが、今のヨハネには戸惑いの材料でしかない。

 昨日よりいい今日なんてあるのか? そもそも、自分は何がしたい? マチエールの傍にいたいだけの、勘違いではないのか。

 ――お前に何が出来る。

 そう問われればすぐに瓦解してしまう足場しか持っていない。ポケモントレーナーとしての力量も、ましてやエスプリになど変身出来ない、半端者を持て余す。

 イイヅカは言葉を継いだ。

「適材適所、という言葉がある。俺は君の姿勢が間違っているとは思わない。彼女らに全力で付いて行っている。よくやっているほうだと思うさ」

「でも、付いていったって、同じものを見ているわけじゃないんですよ。マチエールさんやユリーカさんの見ているものと、僕の見ているものは違う」

 戦う覚悟を持った彼女らと自分は、見ているものが違うのだ。

 せめて、同じ痛みを分かち合いたいと感じていても、自分にはその資格さえもないような気がしていた。

 イイヅカは下手な慰めは逆効果だと判じたのか、そっと呟く。

「マチエール嬢に売った情報は、フレア団の行動記録だ。恐らく、次の出現場所まで絞り込みをしている」

 それはつまり、マチエールが単体でEアームズの敵に立ち向かう事を示唆している。ヨハネは振り返ってすがりついた。

「買わせてください。その情報を」

「言っておくが、高いぞ」

 ハッとして、ヨハネは財布を見やる。金なんてちょっと前まで学生であった自分にはそれほどあるわけもない。蓄えもなく、このような時に使い潰せるほど、金があるはずもなかった。

 イイヅカはしかし、首を横に振る。

「いいよ。タダで売ろう」

「……本当ですか?」

「しかし、君はまだ若いから分からないだろうが、タダほど怖いものはない。これはマジの話だ。昔の人は上手い事言ったものだね。タダで売ってあげるが、それで君が不利益を被ったところで、俺は感知しない。君を、ある一点では見捨てると言っている」

 情報をどう使おうがその人物次第というわけか。しかしヨハネは迷わなかった。タダでマチエールと同じ景色に立てるのならば、それがどれほどの危険に塗れていても構わない。

「教えてください」

 ヨハネの懇願にイイヅカは口を開いた。


オンドゥル大使 ( 2016/11/09(水) 22:19 )