ANNIHILATOR - 蝸角篇
EPISODE29 有用

「逃げ切った、な」

 感じ取った身体を起こし、その男は息をついた。

 フレア団の武装車両に乗り込み、幾つもの配線をゴーグルに繋いでいる。赤スーツを身に纏っており、ゴーグルを外して手持ちと同期した視界を外す。

 通信が繋がれた。車両の通信班が声を出す。

「本部より入電。エスプリを退けた戦い、大義であった、と」

 その言葉に男は自嘲する。

「大義、ねぇ。あんなものと戦って何の意義が? 確かに赤の姿と青の姿には一瞬、驚いたが、脅威に挙げるまでもないだろう」

 男の判断に通信先の相手が返答する。

『ところが、その相手に何度も煮え湯を飲まされているとなれば、こっちも慎重になる。手持ちはどうだい?』

「万全ですよ。シトロン研究主任」

 否、プロフェッサーCと呼んだほうがいいのだろうか。その判断を下しかねているとシトロンは苦笑したようだ。

『実地で使えなければ、何の意味もない技術だ。Eアームズ、今までやってきたのは開発途中のプロトタイプとテストタイプ。君に適応したのが、事実上、フレア団としては初の、プロダクションタイプ、という事になる。正式採用のね』

「では、おれが」

『ああ。八号アナイアレイターだ。それは間違いない。称号は、君に与えよう』

 しかし、シトロンという男、それを少しも面白いとは思ってない口調である。むしろ相手のほうに興味があるような声音であった。

「……エスプリのほうに興味がおありで?」

『分かるかい? 赤のユニゾンと青のユニゾン、ほとんど実戦での経験しかないだろうに、ものにしている。なかなか見込みのある実験体だ。あれを動かせるだけでも相当に意義があるだろう』

 シトロンからしてみれば自分も実験体の一つ。意見を挟むつもりはなかったが、この男が歪んでいるのは何となく分かっていた。

「エスプリ……。あれだけ攻撃しても、ほとんど致命傷にはなっていないんでしょう?」

『青のユニゾンの力だ。水の効力を得たユニゾンはこちらの攻撃をことごとく無力化する。あれを上回りたければ、水を蒸発させるだけの熱量か、あるいは弱点タイプを突くのが一番だな』

「草か、電気、っていう事ですか」

『今回は弱点を突く、というのが目的じゃない。記念すべき八号アナイアレイターの能力が、どれだけエスプリに並んでいるか。その試験だ』

「充分だったでしょう? エスプリは弱い」

 男の慢心にシトロンは忠告を投げる。

『Eスーツを侮らないほうがいい……、というと、クセロシキ副主任と似たような物言いになってしまうんだが、Eスーツにはまだ先がある。それこそ、無限の拡張性を持っていると思ったほうがいいだろう』

「無限の拡張性……、ですか」

 そういえば、もう一つ、何かを試そうとしていたのが動きから伝わった。

『そうさ。まだ使いこなせていないからかもしれないが、ユニゾンを使いつつ、別のポケモンで応戦、という事も出来る。まぁ、相当なトレーナーとしての熟練が必要になる上、一度ミスればそれまでの戦法でもある。加えて、今回、微妙に相性が悪かったのだろうね』

「相性……。おれのポケモンのほうが強かった、とは言わないんですね」

『勝負は時の運。しかし、その運勢を確率論で上げるのが、ぼくの仕事だ。確率の世界では常に変動する。強さも然り。Eアームズが如何に優れていようとも、使い手との同調、というある種の爆弾を抱えている以上、完全な兵器とは言いがたい』

「では、主任の考える完全な兵器の定義とは何です?」

 この男は何を目指してEアームズを開発しているのか。その質問にシトロンは逡巡を挟むまでもなく応じた。

『多様性と拡張性、それを同時に兼ね備えた美しさ。完璧な数式の様式美。ぼくはそれが見たい。ただ、Eアームズでそれを満たしたものは、まだお目にかかった事がない』

 自分の手際を見てもなお、そう言えるのか。ある種の敵愾心さえも抱くが、この男は天才だ。それを否定するだけの材料もない。

「……今回、圧勝でしたが」

『圧勝? いや、まだだ。隠し玉がある。それを引き出してなお勝てれば評価のレートに上げよう』

 まだ評価のレートにさえ上がっていないのか。男は天才に皮肉を投げる。

「現地で戦うのは我々、三級フレア団員です。所詮は、お歴々の好奇心を満たすだけの駒でしょう」

『何だい、卑屈だね。ぼくはそうとも思っていない。現場で戦う、というのは素晴らしいのだと思っている。机上の空論を並べ立てても、それは所詮、数式に過ぎないからね。実際に使うのとでは天と地ほどの差がある』

「では、どうなさいます? おれはこのまま、同じような戦法を取っていればいいんですか?」

『君はプロダクションタイプだと、既に言った。実戦用のアナイアレイターだ。戦いこそ、価値観が集約される。相手が逃げたのならば、まずは待て。どうせ、こちらの横暴を許してくれるほど、相手も不感症じゃあるまい』

 つまり逃げたのならば追うな。こちらの網に入った時にのみ戦え。

 それはあまりに、都合がよ過ぎるのではないか。

「そんな真似をしなくとも、連中の本拠地に攻め込めば……」

『逸るなよ。焦れば仕損じる。今は、待て。それだけだ』

 しかし、それでは犬のようである。自分は勝てる。その自信があった。しかし、シトロンは許さない。

「取って来い、しか許さない、犬みたいですね」

『間違えるなよ。君は猟犬だ。猟犬は、命じられればそれを確実にやってのける。その信頼がある。頼むから、あまり力に呑まれるなよ。Eアームズによる戦闘後の興奮は最高だろうが、それも数分もすれば醒める。今は、興奮に身を任せているだけだ。いつでも勝てるほど、容易い相手ではない』

 シトロンも分が分かっているのか、それともこの男に習い性の慎重さか。どちらにせよ、自分は従うしかない。三級フレア団員なのだから。

「……しかし、約束は守ってもらいますよ」

『ああ。推薦状くらいは書くよ。勝てたら、ね』

 またしても神経を逆撫でされた気分だ。勝てたら、など。もう今の勝負の時点で勝ったではないか。

「主任……。おれは別に焦っているつもりはないんですが、欲しい時に名誉も、栄転もないと、つまらないものなんですよ」

 その言葉にシトロンは失笑したようだ。

『そんなに名誉が欲しいかな?』

「主任には、もうあるから気持ちが分からない」

『それは失礼。だが、まだ初陣だ。焦るな、と言っている。では通信終わり』

 一方的に切断された通信に男は苛立ちをぶつけるように車の壁を殴りつけた。

 車両に収まっている他のフレア団員が懸念の眼を振り向ける。それを一睨みで制した。

 今の自分には力があるのだ。しかし、それを誇示する場が存在しないなど、納得が出来ない。

 シトロンは一時的な興奮作用だと言っていたが、それは違うと男は感じている。

 自分はエスプリに勝てる。その自信が確かに存在するのだ。それを実証出来ずして、何が八号アナイアレイターか。

「必ず、おれの有用性を証明してみせる……!」



オンドゥル大使 ( 2016/11/09(水) 22:17 )