EPISODE21 出現
ミアレ出版に改めて持ち込みをしようとした。
最早、自分の記事は扱わない、と決めているのかもしれないが編集長代理はまだどこか迷いがあるように思われた。その迷いを突けないか、とイイヅカは考えたのである。
記事のレイアウトを大幅に変えて、サカグチのアドバイス通り、機械のポケモンのほうに注力した。これで見方が変われば、やはりこちらの読み通りになってくる。
「これで通ったら、逆に怪しいってわけかよ」
原稿を持っていく際、タクシーに乗ろうとして手前で他の客に捕まえられた。
奇妙は取り合わせだった。アベックだろうか。浅く焼けた肌を持つ少女と、ニャスパー。それに黒と白に分かれた髪色を持つ少年が慌ててタクシーに乗り込んだ。
「ほら! マチエールさん、早く!」
「急かすなって、ヨハネ君。ほら、〈もこお〉だって付いて来ていないし」
「頼むから〈もこお〉をまた忘れたとか言わないでくれよ。毎回回収するのにタクシーを壊しているんじゃ世話ないんだから」
「ヨハネ君はお節介焼きだなぁ」
微笑ましい半分、どこかトップ屋としての何かがその二人を離さなかった。タクシーが発進するまでその二人の動向を追い続けていた。すると、ニャスパーが不意に窓から顔を出し、手を薙ぎ払う。
青い思念の風が吹き抜ける。攻撃のものではないが、一瞬であった。辻風に煽られ、後ずさったイイヅカは僅かに視線が少女と交錯したのを感じ取る。
睡蓮のような、透き通った水色の瞳の少女。
射竦められた、かのように時間が止まる。
次の瞬間には別のタクシーが自分の前に停まっていた。
ドアが開いた音でようやく我に帰る。
「今のは……」
「どうなさいましたか?」
「いや……ミアレ出版まで」
タクシーに揺られてイイヅカはミアレ出版に向かう。その道中、どうしてだか先ほどの二人を捜していた。ほぼ無意識であったがまた会えないだろうか、と目で追っていた。
無論、会えるはずもなく、ミアレ出版に到着する。
フロントで名前を書くと、三階の編集部に通された。
編集長代理が難しい顔をして自分を迎えた。
「またか」
「またですよ。でも前回と記事は変えましたんで」
テラスに入り、チェックされた。一読するなり、編集長代理は以前とは違った対応を見せた。
「これ、三面記事でも?」
「ええ、構いません」
こちらの態度が殊勝だったからだろう。編集長代理は怪訝そうにする。
「意外、だな。君は一面じゃないと取らない、と思っていたんだが」
「考え方を改めました。これから先、細く長く行きたいんで」
その言葉で編集長代理は納得したらしい。上に通してくる、と言って原稿を受け取った。
やはりこの編集部で暗黙の了解として流れているのは仮面の怪人の一件だけ。それが明らかになっただけでも儲けものである。
機械のポケモンに関してはゴシップの域を出ない、と思われているのだ。否、ゴシップですらない。
これは所詮、都会への関心を強めるだけのただの噂話。都市伝説なのだと。
しかし、だとすればなおさら思うのはどうして仮面の怪人では駄目なのか、という部分であった。
戻ってきた編集長代理にイイヅカは切り込んでみる。
「どうして、仮面の怪人では駄目なんですか?」
編集長代理は真面目な表情で周囲を窺い、一言添えた。
「ホロキャスターは? 持っているか?」
無論、持っている。編集長代理はそれをテーブルに置いた。
「君もこうしてくれ。そうじゃなければ言えない」
盗聴を警戒しての事だろうか。イイヅカはホロキャスターをテーブルに置き、同じように電源を切った。
「……手短に言おう。仮面の怪人は、どうあっても上が今、民衆に知らしめてくれるな、と言っているんだ。ミアレ出版は、……自分達で言うのもなんだが格調高い出版社で各方面の影響力も強い。そんな場所が仮面の怪人の存在を看過するのはよくない、とのお達しだ」
「誰からです? 直属の上司? それとも他の?」
「誰、という話ではなく、この場合、そういう風に業界全体が動いている、という事を理解してくれ。仮面の怪人に関してはどこへ行っても載せられない。そういう風にカロスではなっている」
「でも他地方の下世話な週刊誌が取り上げないとも限らないんですよね?」
気になった部分に言及すると編集長代理は頭を振った。
「他地方の雑誌など、それこそ信憑性がないよ。ここで重要なのはカロスではそのような確証はない、というスタンスの明瞭化だ。事実ではないのだから他地方がどれだけ喚こうとも関係がない」
つまりカロスでその事実が肯定される、という一事にこだわっているわけだ。イイヅカは聞き返す。
「ネットでも話題になっています。ネット上の規制はされないのに、どうして誌面だけ? それもおかしいのでは?」
「ネットの規制なんていたちごっこだよ。それをやっている暇があれば、きっちりとした雑誌はきっちりとした事実のみを追う。そういう姿勢でいい」
つまり事実ではない事を三流ゴシップ誌でも、それがカロスであるのならば書く事を許されない、という事か。だが、そこまでの影響力のある人間をイイヅカは知らなかった。
「誰です?」
「君は優秀な記者だ。だから、わたしが言えるのはここまでだよ。これ以上はジャーナリストとしての寿命を縮めると思ったほうがいい」
「編集長代理……、あなたには個人的に感謝している事もあるし、お世話になった事も数知れない。ですが、これだけは言っておきたい。関わってはいけない、という物事に関して、あなたのやり方では薮蛇になってしまう事もあるという事を。言い忘れていましたが、一人の同志が死にました」
「……彼の事は耳にしているよ。残念だった。崖っぷちと、ギリギリの駆け引きを分かっていた人間だと思っていた」
「ジャーナリストなんて崖っぷちでカメラを振り回すのには慣れています。問題なのは、誰が彼の命綱を切ったか、だ」
突き詰めた言葉に編集長代理は首を横に振る。
「賢明なトップ屋を目指すのならば、これ以上は首を突っ込まないほうがいい。命綱を、誰が切っても構わない、というんならば別だがね」
誰が裏切り者とも知れない業界だというのか。裏切り、裏切られは業界の常だと思っていたが、今回の場合、敵対者のほうが多い。
「誰です?」
「だから、言えないと言っているだろう」
頑として聞く耳を持たない編集長代理に、イイヅカは言葉を投げた。
「あなたの椅子が、代理、の名前が取れないのと、同じ理由ですか?」
「わたしは上司を待っている。信じて待っているから代理を自ら買って出ているんだ。ミアレ出版編集部は復活する」
「それが終末の復活にならない事を願いますよ」
言い捨てて、イイヅカは編集部を抜け出た。取り込んだ空気が幾分か澄んでいる。
編集部は煙草のヤニ臭さがこびりついていていけない。
「誰が敵か分からない、か」
こぼして、イイヅカはホロキャスターの電源を点けた。その途端、メールの着信があった。
空メールかに思われたメールの文面をスクロールしていくと一言だけ書かれている。
「あなたは知り過ぎた」と。
直後、肌が粟立った。
見られている? どこから。覚えずミアレ出版を仰ぐも視線の主は探れない。
イイヅカは足早に出版社を離れていったが、どこまでも付いて来る視線があった。この街のどこからでも見張られているような感覚だ。
出来るだけ、人ごみを避ける。すれ違い様に刺されでもしたら堪ったものではない。
裏通りへと抜けて、錆びた鉄材の並ぶ空間に出てから、イイヅカは思い切って振り返った。
「誰なんだ」
視線の先には今の今まで気づかなかったのが不自然なほど、異様な格好をした人間が佇んでいた。
赤スーツに赤い髪をしたサングラス集団である。
三人組で真ん中の一人が歩み出た。
「悪く思うな。ここまでやると、さすがに我が組織も具合を悪くする」
「誰なんだ……。名を名乗れ!」
発した声にその人物がサングラスをずらす。覗いた眼光にイイヅカは息を呑んだ。
「お前は……」
「さよならだ。我が友よ」
投げられたモンスターボールから光が迸り、出現したポケモンがイイヅカを睨んだ。
茶色の体色に、ばねを思わせる意匠の両腕両脚。黒く縁取られた眼差しには殺意が滲んでいる。
「サワムラー」
格闘タイプのポケモンであった。サワムラーはキックの鬼と言われている。それほどまでに鋭敏化した脚力を持つポケモン。逃げに徹する事はこの状況下では出来そうになかった。元よりポケモンから逃れるなど至難の業。
「俺を、ここで殺すつもりか……」
「組織の流儀は守らせてもらう。請け負った自分に、全ての責任はあるようにしておいた」
「お優しいな。その優しさでここは逃がしちゃくれないかねぇ」
「残念ながら、もう泳がせる期間は過ぎたんだ。お前は背信者として、処刑される。サワムラー」
呼びつけたサワムラーが姿勢を沈めて右足を引いた。ばねのような脚部に力が充填されていく。咄嗟に周囲を見渡すも背の高いビルの谷間だ。サワムラーの脚力から逃げられる場所も、ましてやサワムラーの一撃をいなせる自信もない。
ここまでか、とイイヅカは諦めかけた。その時である。
ビルの谷間へと何かが降ってくる。
発見したそれは見る見る間に大写しになり、サワムラーとイイヅカの間へと水鳥のように軽やかに降り立った。
サワムラーのキックを、その人物は片腕で受け止める。
黒い装甲板がエネルギーを吸収し、蒸気を棚引かせた。
イイヅカは絶句する。相手もそうであった。
サワムラーの蹴りを受け止めたのは、見間違いようもない――。
「仮面の、怪人……」
自分の探していた人物が、突然に自分を助けた。その事実に歴然としている間に黒い痩躯はサワムラーのキックを弾き返す。
「あんまり力入れていないみたいだね。このオジサン殺すのに、ちょっとばかし慈悲があったみたいだ」
その声にイイヅカは聞き覚えがあった。どこだ、と記憶を手繰っているとサワムラーが身を引いてトレーナーである赤スーツの命令を待つ。
「現れたとは。網を張っていたな、カウンターEスーツの持ち主」
「エスプリだ。覚えておきなよ」
エスプリと名乗った仮面の人物は戦闘体勢を取る。全身に白く輝くラインが走っており、イイヅカは本物だと今さらの感慨を新たにする。
「サワムラー、メガトンキック」
命じられたサワムラーが弾かれたように動き出し、エスプリへと跳躍した。その際、足を引いていた。引かれた足が伸長し、あり得ない長さになる。そのばねから放たれる脚力は遥かに強大であるのは疑うまでもない。
「逃げろ!」
「逃げない。正義の味方は、背中を見せないんだ」
エスプリが放ったのは同じようにキックである。蹴り同士が交差し、衝撃波を生み出した。砂塵が上がり、鍔迫り合いに勝利したのはサワムラーのほうであったのを告げる。
エスプリは蹴り飛ばされてビルの壁面に背を打ち付けていた。当然の事ながらダメージも相当であろう。
「……イタタ。結構、効くなぁ」
「余裕をかましていられるのも今のうちだ。聞いているぞ。白の姿では何かと不便なそうだな」
白の姿。その言葉の意味するところを解読する前にエスプリは起き上がる。ダメージは、と覚えず窺った。
「その、攻撃は……」
「効いているよ。Eスーツの人工筋肉がいくつか破けた。またあいつに叱られるな」
エスプリはホルスターからモンスターボールを取り出す。どうするのかと凝視していると、何とモンスターボールをバックル部にあるシャッターに押し込んだのであった。
開いたシャッター部は半球状になっており、モンスターボールを埋め込ませると回転した。
『コンプリート。ファイアユニゾン』
機械音声が鳴り響き、エスプリの両手両足首に「F」の文字を象ったラインが走る。
「さて、ここからが勝負だ」
勢いが変わったのを目にした相手はサワムラーを顎でしゃくる。
「サワムラー。赤の姿でも勝てない事を教えてやれ」
「言っておくけれど、ファイアユニゾンでの勝率は百パーセント!」
エスプリが跳ね上がる。先ほどまでよりも力強い。さらに言えば、両手両足より発生した炎がその膂力を上昇させていた。噴き出た炎の勢いにイイヅカは気圧されたほどだ。
「火を操る……」
「それこそが赤のEスーツの真骨頂だからな。身体能力強化、及び炎の属性の付与。ここまでは資料通り、だな」
「悠長に高みの見物決め込める? 食らえ!」
上段回し蹴りがサワムラーへと叩き込まれたかに見えた。しかし、サワムラーは同じように蹴りを交錯させる。驚いたのはサワムラーの脚部からも同じように炎を帯びていた事であった。
「ブレイズキック。足技ならば、サワムラーに遠く及ぶまい」
放たれた炎の足技に、エスプリは瞬く間に防戦一方になった。手足から炎が出るのだか、それで抗戦に回ろうとすると、サワムラーは巧みに距離を取るのだ。
格闘タイプの手慣れた戦法であった。一撃離脱の戦法はちまちましているようで、その実エスプリに確実にダメージを与えている。
炎の勢いが削がれてきた。エスプリがその調子を取り戻すかのように手を払う。
「誤魔化しは利かないぞ。限界だな?」
「誰が!」
脚部に点火し、必殺の勢いを伴わせてエスプリがサワムラーへと駆け抜ける。拳が赤く煮え滾り、炎を纏わせた。
しかし、その拳は空を切る。赤スーツの主人とサワムラーは遥か直上に跳ね上がっていた。
非常階段を足がかりにして次々と上に昇っていく。
イイヅカでさえも魅せられたようにその姿に釘付けになっていた。サワムラーの流れるような動きに見とれるなというほうが無理な話であった。
「……遠い」
エスプリが呻く。
サワムラーは地上三階建て相当のビルに昇っている。エスプリが地面を蹴りつけて火を熾し、跳ね上がろうとするもそれを予期したようにサワムラーと主人はさらに直上へと昇っていく。
「お前が自分のサワムラーに攻撃する事は出来ない」
「やってみなくっちゃ!」
「いいや、分かるさ。赤のEスーツがどこまでやるのかと期待していたが。これではEアームズを出すまでもなさそうだ」
Eアームズ。その単語にイイヅカが疑問を抱いている間にも戦局は移り変わる。エスプリが決死に追いかけようとしてもサワムラーはするりとその射程から逃れていく。
「卑怯だぞ! 正々堂々と!」
「卑怯? 追いつけないお前がよく言う。これはただ単に、同じ土俵に立てない負け惜しみだな」
エスプリが片手を薙ぎ払った。巻き起こった炎が渦を成し、サワムラーへと襲いかかる。炎のブーメランだ。
その攻撃を、サワムラーは特別な事を行うでもない。ただの蹴りで霧散させた。
「お前の攻撃は、自分とサワムラーには届かない」
再三突きつけられた敗北宣言にエスプリが業を煮やす。赤スーツの主人とサワムラーはそのまま、ビルの谷間を抜けて踊り上がった。
視線を投じると同行していた人々も退散していた。
エスプリはあまりにもサワムラーとの戦いに夢中に成り過ぎたのだろう。結果、全員を逃してしまった。
「何だかなぁ。これじゃ勝ち負け以前に……」
ぼやくエスプリへとイイヅカは歩み寄ろうとする。
目に入るのは黒く輝く外部骨格だ。赤く輝いていた両手足からは輝きが失せ、その代わりに全身に白いラインが眩しく走る。
写真でしか見た事のなかったこの街の怪人。まさか目の前にいるなんて。
感動に、イイヅカは覚えず簡易カメラのシャッターを切った。そのシャッター音にエスプリが怪訝そうに振り返る。
黄色いバイザーが上がり、素顔が露になった。
「何やってんの? オジサン」
呆然とする。黒い鎧に身を纏っていたのは、朝方見かけた少女であったからだ。
「あの時の、女の子……?」
「あっ、タクシー待ちしていたオジサンじゃん。どっかで見た事あるなぁ、って思っていたら」
お互いに得心がいったが、では何故? と同時に考えてしまう。
相手が怪人である理由。
向こうはこちらが狙われている理由、と言ったところだろう。
首をひねっていると声が弾けた。
「マチエー……、じゃなかった。エスプリ! こんなところまで来たら逆に危ないんじゃ……」
そう声を発したのはまたしても朝方に子供であった。黒と白の髪色をした少年が息を切らしている。
その後ろから付いて来たのはアタッシュケースを頭に担いだニャスパーであった。
「ヨハネ君、遅すぎ。もう終わっちゃったよ?」
「ま、マチエールさんが、速いんじゃ……」
息を切らせた少年はようやく自分の存在に気が付いたのか、大仰に驚いた。
「み、見られてるよ?」
「えーっ、だって襲われていたし。それにさ、あいつらに狙われるって事は何か知っているかもじゃん」
「いや、そうだけれど……。失礼ながらあなたは?」
少年は呼吸を整えて尋ねる。イイヅカは及び腰になりつつも応対していた。
「……イイヅカだ。新聞記者をやっている」
「新聞記者? まずいよ、マチエールさん! こんなのに見つかっちゃ……」
指差す少年に対してエスプリは冷静であった。
「このまま帰すわけないじゃん。一応、事務所に連れ帰ろう。もしかしたら、連中の目的が分かるかも知れないし」
振り返った少女はヘルメットを脱いで頭を振る。二つに結った黒髪が揺れた。睡蓮のような透き通った水色の瞳に射竦められる。
「だからって……。ユリーカさんが許さないよ?」
「ユリーカのご機嫌なんて窺ったってしょうがないって。あいつ、機嫌のいい時はとことん機嫌がいいけれど、悪い時もとことんだからさ」
「だったら余計に……。この人、どうにか出来ないの?」
「おかしな事を言うね、ヨハネ君。あたしを誰だと思っているのさ。この街を守る、探偵戦士エスプリだよ? 探偵だったら、聞き込みは十八番だ」
少女は腰の抜けたイイヅカを引っ張った。そのあまりの力強さにイイヅカは辟易する。
「お前達は……、何なんだ」
その質問に少女と少年が顔を見合わせる。
「この街を守るヒーローだけれど?」