EPISODE19 必然
ミアレシティは富裕層でひしめき返っている。これだけの人々がゴシップに執心しないわけがないのだ。有名な映画に関する当たり障りのないレビュー、某有名カロス料理店のシェフに尋ねる一問一答……。
反吐が出そうだった。
どれも真のジャーナリズムとはほど遠い。どこか表面を撫でただけのような、当たり障りのない記事ばかり。ニュースは肌の表層を滑り落ちていく。街頭モニターのアナウンサーパキラが今日のニュースを報道している。
『先日の一部過激派によるテロ行為はミアレ警察の公安によって阻止されました。死傷者は幸いにしてゼロ。公安は調べを進めています』
馬鹿馬鹿しい、とイイヅカは感じた。犯人を捜したところでやる気のない公安ではでっち上げの犯人を裁くか、あるいは誰も裁けないまま迷宮入りするか、だ。
自分は一番真実の喉元に近いところにいる。だというのに、誰一人として取り合わないこの状況がもどかしい。
ミアレ出版がここカロスでは最も力のある出版社のはずであった。報道に対するブーイングを恐れない、真の報道があった、はずであった。
だというのに、自分の記事を全く受け付けず、金は払った、という暗黙の了解で握り潰そうとしているのが気に食わない。
金云々の話ではないのだ。このままではカロスの人々は無知蒙昧を通り越して、知らぬ存ぜぬを他地方に馬鹿にされるであろう。
そうなってからでは遅い。判断は民衆が下すべきである。
イイヅカはミアレの片隅に居を構えていた。マンションはオートロック式でセキュリティも完璧。原稿が盗み出されるなんて醜態はあり得ない。
書斎に入り、イイヅカはパソコンを立ち上げた。SNSや報道仲間から得た情報を統合しようとする。
去る二週間前、確かにミアレシティの空を待った謎の空中機械は存在した。多くの証言や写真が証明している。
さらに加えるのならば、それを迎撃せしめたのは警察でも公安でもなく、まことしやかに語られていた仮面の怪人であった。
イイヅカは報道仲間へと送るメールを準備していた。
「ミアレ出版は駄目だ。他の出版社への渡りを頼む。……それと、もう一つ」
これは付け加える必要がないかもしれない。しかし、イイヅカには我慢ならなかった。
ミアレ出版の編集長は依然として行方不明――。
一部の報道仲間の間で交わされている噂があった。ミアレ出版の編集長は半年前に行方をくらまし、さらに言えばその時からミアレ出版にかかる重圧が濃くなった。
前の編集長が義憤に燃える性格であった、というわけではない。どうしてだか記事の質が落ち、明らかに真実を曲解した記事ばかり取り上げられるようになった。
交わされるのは冗談めいた噂話。
――ミアレ出版の編集長はカロスを支配する財団に招き入れられた、という噂であった。
財団。
それは幾度となく交わされたカロスを実効支配していると言われている団体を指す隠語であった。
本当の名前が分からず、なおかつその規模も、どこまで本気なのかも不明。だとするのならば、財団としか言いようがなく、財団の幹部はこの国を根底から動かせるだけの権力の持ち主なのだという。
ともすれば一国を滅ぼせるほどの技術力を有しているとも言われ、その範囲と脅威は未だに不明であった。
しかし、イイヅカは半分ほどが噂の一人歩きだと感じていた。
財団。あるとしても所詮は政府の高官の天下り先、というレベルであろう。そのような話はフィクションで聞き慣れている。仮に財団に相当する団体があったとして、一国を滅ぼすなどまるでナンセンスだ。
闇の組織、と言っても現実味がなければそれはフィクションと変わりない。
しかし機械のポケモンの実在はその財団の存在を濃くさせた。
まさか本当にいるのではないか。このカロスを支配する何者かが。機械のポケモンはその前哨戦なのではないか。
馬鹿馬鹿しい、とは思う。だが、どこかでそのような団体がいるとするのならば、握り潰されたネタもおかしくはないのだと感じさせられる。
仮面の怪人に、機械のポケモン。
恐ろしく現実から遊離したように思えるその二つの事実だが、事実なのだから始末が悪い。
写真も、証言も、何もかもがその二つの実在を示しているのに、報道する事だけが妙に忌避されている。
「今さら何を恐れるって言うんだ? ミアレ出版はまさか民衆のパニックでも予想しているって言うのか」
あるいは蜂起した財団による報復。
馬鹿らしくなってそれ以上の推理は働かせなかった。財団など、存在していたとしてもカロスを滅ぼす技術なんてあるはずがない。
イイヅカはSNSのアプリを起動させた。自動で情報を掻き集める自分特注のアプリがSNSからキーワードを収集し、それを解析している。
留守の間に集まった情報は微少だが、塵も積もれば何とやら、という話でここ数日の間に集めた情報は確かに形を成そうとしていた。
仮面の怪人に関しての証言。
ミアレシティでは一年ほど前から頻繁に目にされるようになったのだという。ここ数日の動きが特に顕著だ。それまでは所詮、都市伝説程度であったのが、ここ数日だけで確信めいた情報が動いている。
「誰なんだ……ってのは野暮だが、そっちから接触してくれればやりやすい事この上ないんだがな」
強い顎鬚を撫でてイイヅカは考えを巡らせる。仮面の怪人は確かに機械のポケモンと対決している。それは目撃証言の多さからして間違いない。問題なのは仮面の怪人は何故、機械のポケモンと戦っているのか。
公安でも警察でもない何者かが闇の組織と戦うメリットなどあるのか。
「正義の味方、か……」
何度も繰り返される単語であった。仮面の怪人は正義の味方であり、警察や公安に代わってミアレを守ってくれているのだという、浮かれたような話。
イイヅカはSNSに書き込んでいた。チャットルームには何人かが在沖しており、イイヅカは「アイズ」というハンドルネームで入室する。
軽い挨拶が交わされた後、イイヅカは本題を切り出した。
――仮面の怪人に関する情報は集まりましたか?
それに対して複数の回答があった。
――いえ、特には。でもそれらしい写真はありますよ。
貼り付けられたファイルを開くと、明らかに既存の写真に合成されたものであった。それを目にした他の住民達が囃し立てる。
――偽物じゃないの?
――嘘くさい。
同意であった。明らかに背景と仮面の怪人が浮いている。
当の発言者はばれたか、とおどけている。イイヅカは少しでも情報が欲しくてこちらのカードをある程度オープンにする。
――仮面の怪人と共に、絶対存在しているのは機械のポケモンです。
機械仕掛けか、あるいは機械の鎧を纏ったポケモン。前回の黒い翼の機械ポケモンが話題となった。しかし今のところそれを実証するのはその一回のみ。
慎重にならなければならない。記録の開示には不特定多数のコメントがつく。その中に有益な情報が紛れている事もあるが、中には自分から情報を吸い出そうという輩もいるかもしれない。イイヅカは僅かな逡巡を浮かべた後に、それを提示する。
――これは?
早速返答があった。
イイヅカはキーを打つ。
――私が手に入れた仮面の怪人の写真です。
ピンボケた写真だったが、真実を知るものならばそれがある一点を克明に写し出した写真である事が分かるはずだ。
だが多くの反応は期待以下である。
――ピンボケじゃあね。
――嘘くせ。
そのような反応にいちいち返しているのも馬鹿馬鹿しかったが、一人だけ、個別のメッセージで反応を返した人間がいた。
――これはあまり他人に見せないほうがいい。
そのメッセージにイイヅカは拳を握り締める。
「来た。こいつは、この写真の意味を知っている」
個別メッセージを返す。あえて、自分は気づいていない素振りを装った。
――何がですか? ただの仮面の怪人の、一枚の写真じゃないですか。
これで相手が何に反応したのかを試す。しかし、相手は慎重であった。
――気づいているにせよ、いないにせよ、これを所持しているだけであなたは危うい。
それが何なのか、明かす気はないらしい。イイヅカはしかし、食いかかった。
――何がですか? この写真に不都合なものでも?
理解している。不都合どころではない。これが明るみになれば、カロス全体が引っくり返るだろう。ミアレ出版にも持ち込んだ写真に一枚だけ忍ばせていたが発見した現場の人間はいなさそうだった。いたとすればそれは上層部か、あるいは他の部署の人間であろう。
――駆け引きのつもりかもしれないが相手はそれを待っているほど生易しくない。あなたは、これの意味を知っていて、わざとここにアップした。後で削除依頼を出しておく。しかし、人の口に戸は立てられないように、この写真もコピーされ、相手の目に留まっていると見たほうがいい。
相手、と判ずる存在が何者なのか。イイヅカは聞き出そうとした。
――あなたがそれほどまでに留意する相手、とは? 何者なんです。
――これは忠告だ。アイズ氏。あなたがもし、そこの、ミアレターミナルにほど近いマンションを追い出され、行く当てをなくし、誰も頼れなくなった時、これを思い出せ。
その次に書かれたメッセージを最後にその人物とのやり取りは打ち切られた。
イイヅカは震撼する。相手は自分の住居を特定した。ミアレターミナルが書斎の窓から窺えるこの場所を。
偶然かもしれない。しかし、出来すぎた偶然を疑う癖が備わっている。
出来すぎた偶然は、誰かによって歪められた必然なのだ。
イイヅカはログを辿りその人物の名前に行き当たった。
「エウレカ……」
エウレカ、と名乗るその人物は滅多に顔を出さないが一部で事情通だと噂に聞く。
この掲示板もその人物の発言を中心に回っていた。
「エウレカ、か。そいつが何者なのか、俺が明かしてやると面白いかもしれない」
作業机から立ち上がり、イイヅカはカーテンを開けた。窓の外にはターミナルに停車する最新鋭の電車の姿がある。
流線型のその姿は近未来的だと持て囃される一方で、一部の保守層の弾圧を受けた功罪両面を持つ機体でもある。
その駅が数日前にテロに晒された事など、民衆はもう忘れてしまっているかのように人ごみでごった返していた。
イイヅカは冷蔵庫に入れてあった酒をコップ一杯分、呷ってからもう一度ログを精査する。
エウレカなる人物の言った通り、自分のアップした写真は削除されていた。
検索エンジンのその人物の名前を入れるがもちろん、たくさんの検索候補が出てくる。探すのはその人物の貼った写真などから辿れるURLだ。記録は残る。この情報化社会で全く足跡を残さない事は不可能なはずであった。
しかし、ある一点を超えるとエウレカの足取りはぱったりと途絶えた。それ以上はどれほど巧みに動いても無理なのである。
情報が掻き消されている。あるいは一方的に削除されていた。足跡を残さない手法は存在するがこれほどまでに鮮やかなのは初めてであった。
「実在しない名前か……? しかし、掲示板には出てくる」
ここは報道仲間を頼ってみるのが吉になりそうだ。イイヅカは早速手の空いていそうな報道仲間に電話した。
すぐに掴まったのは以前、業界のタブーであるとある人物を追いつめたせいで追放の憂き目にあったジャーナリストである。優秀だが、踏み込み過ぎればまずい部分を心得ていなかった不運な人物だ。
アクセルとブレーキの間合いを間違えれば、この業界ではすぐに永久追放される。
人間としての尊厳など欠片も残らないのだ。
『何だ……』
酒やけした、濁った声音であった。今日も酒を飲んでいるのだろうか、と感じて机の上のスコッチのボトルを見やる。お互い様であった。
「俺だ、イイヅカだ。今、いいか?」
『どうせこちとら一生暇さ。生前の頃の版権で食い繋ぐしかない』
ジャーナリストであった頃を、この人物は生前と揶揄する。もう自分はこの世界に存在していないも同義だと感じているのだ。
「ある人物を調べて欲しい。出来るか?」
『誰だよ。お前からの頼みなんて珍しい』
「金は弾むよ」
ちょうどよく汚れた金があった。自分でも清算したい。ミアレ出版の原稿料は打ってつけだ。
『金があるんなら話は早い。誰だ、教えろよ』
「エウレカ、なる人物を炙り出して欲しい」
当然、引き受けると思われた。しかし、その名前を聞いた瞬間、相手の声から酔いが消え去った。
震える声音が電話口から伝わる。
『お、お前……。それが何を意味するのか、分かっていて言っているのか?』
こいつは知っているな、とイイヅカは判断する。電話に紛れ込ませた録音アプリを起動させた。
「知っているんだな?」
『し、知るもんかよぉ』
「教えてくれ。こいつは何だ? どうして足跡が消せる? それにこいつは、何を知っていてこれほどまでに情報の上層部分に存在している? 俺の掴んだネタを一瞬で特定するなんてタダ者じゃないのは分かるが」
『タダ者じゃないなんて、そんななまっちょろいもんじゃ断じてねぇよ……。情報の上のほうに行くと必ず現れる存在だ。その機転の速さと、あまりの情報速度にこう呼ばれている。電子の妖精、と』
電子の妖精。この男の口から出たとは思えないほどメルヘンチックな名称であった。
「その妖精を追い詰める術は?」
『やめておけ。これ以上はもう、行き着くと戻れない、っていう警告なんだ。妖精を追えば死に至る。散っていった奴らの警告さ。だからお前は、ここで引き返せ。エウレカを追うな』
「今どこにいる? すぐに会いたい」
『手遅れなんだよ。こっちに会おうなんて思うな。妖精を追うな、だ。いいな?』
含めるような言い草と早口にこいつは電話を切ろうとしているのが分かった。戻れなくしてやる、とイイヅカは通話の録音をにおわせる。
「いいのか? お前も、もう道連れだぞ。この通話は録音されている」
相手が息を呑んだのが伝わった。これで味方についてくれるか、と感じる。だが、応じた声は生易しくなかった。
『――だったら、死を選ぶさ』
ハッとしてイイヅカは声を吹き込む。
通話口で何かが迸った音が聞こえた。次いで電話が手から離れ地面に落ちる音。待機音声が鳴り響く中、いつまでもその生々しい音が聞こえるばかりであった。
電話を切って、イイヅカは他の報道仲間を呼び寄せる。
その人物は開口一番に告げた。
『おい、今、サヤマが死んだって連絡来たぞ……』
先ほどの人物の名前であった。やはり自害したか。その確信にこのネタの揺るぎなさが証明された。
これはでかいヤマだ。それも、自分一人の裁量で人が死ぬほどの、巨大な陰謀の陰であった。
『おい聞いているのか! お前が殺したって、匿名のメールが……』
「匿名のメール?」
メールボックスを確認するとアドレスの配列が無茶苦茶の暗号メールが届いていた。解凍ソフトに入れて暗号を入力し、解読した結果、黒塗りばかりの文字列の中に唯一読める文字を発見する。
――あなたは知り過ぎている。
心臓を鷲掴みにされた気分であった。今までも危うい綱渡りをした事ならばある。だが、今回ばかりは自分の命がかかっている。
自然とこぼれ出したのは、笑みであった。
絶望の淵に立たされると人間は笑う。それを発見したのはここ数年のやばいヤマを渡ってきた経験だ。
「今回は飛び切りにでかいヤマだ。しかも、命がかかっている」
恐怖よりも感じたのはスリルであった。極限の感覚がいやに思考を明瞭にさせている。
『大丈夫なのか……。ミアレ出版を蹴ったんだってのも聞いたが』
「耳が早いな。誰からだ?」
『編集長代理だよ。あの人、お前の事を買っているんだぜ? わざわざ危険な道を選ぶ事はなかったんじゃないか?』
「いいや、俺は所詮、トップ屋さ。だから、今回も、マジに一面記事を狙う。その方針は曲げない」
『じゃあ……』
「とある人物を追いたい。もっと言えば、今回の根幹に関わるヤマについて、話をしたいんだ」
相手が通話越しに声を潜めたのが分かった。
『……こっちには家族もいる。お前の道楽に付き合えるような身分でもない』
「もう遅い。お前に重要な一件のメールを送った。こいつを追尾して相手がやってくるだろう」
『お前……、どこまでも人でなしに……』
なってやろう。ここまで来たのならば、人でなし程度には。自分には協力者が必要だ。それなりの能力を持つ協力者が。それに関して言えば、通話口の相手は打ってつけである。
「娘さん、が出来たんだよな、確か。これからの養育費、困っているんじゃないのか」
イイヅカの脅迫に、通話先の相手は嘆息をついた。
『……お前がそこまで執着する案件の時点で、こっちは諦めがついているよ。で? 何をすればいい』
「情報集めのブラフになって欲しい」
囮役を買って出ろといっているのだ。断られるかに思われたが相手は快諾する。
『無下には出来ない』
「もう一つ、この情報集めのやり方じゃ、どうしたって足がつく。新しいシステムに誘導して欲しい」
『自分は情報の危ない基点に行くのに、囮が欲しくて、なおかつ基点への案内役も欲しい、と』
「不満か?」
『お前にしちゃ、求め過ぎなくらいだ。この案件、そこまでヤバイのか?』
正直なところ、これでも足りていない。万全を期すといのならば、もう少し盾が欲しいところだが、この男にそれ以上を課すと切られる恐れがある。ここでは、この程度で構わない。
「ああ、そうだよ」
『素直なのはいい事だが、慇懃無礼だと思われないように行動するってのは念頭にないわけか。まぁ、いいけれどな。どうせ、お前がどう出向こうと、こっちはそれなりのリスクがついて回るんだと覚悟済みだし』
「助かる。それで、聞きたい事なんだが」
こう切り出すともう戻れないのが自分でも感覚された。