EPISODE18 孤独
「これ! 何で今月の機関誌に載せていないんですか! しっかり言いましたよね? 俺の記事を載せてくれるって!」
出版社に怒鳴り散らした声は編集部の人々をざわめかせるのには充分だった。
デスクについた編集長代理は咳払いする。
「……言葉を慎みたまえ、イイヅカ君。君の業績を、わたしは買っているのだからね。あまり信用を落とすような真似はしないほうがいい」
「信用? 契約違反の出版社に信用なんてあるんですか」
イイヅカの歯に衣着せぬ物言いに編集長代理の顔色が曇った。編集部に不穏な空気が立ち込める中、イイヅカは進言する。
「俺は、契約料金と前払い金さえもらえれば、はい、さよなら、って記事屋じゃないんですよ。甘く見ないでもらえますか」
「……今時トップ屋気取りか。このご時勢に、情報の選択権は出版社にある。考えてもみるんだ。自主規制、というものがある」
「自主規制で、俺の持ってきたでかいヤマを、封じて、大衆に見えなくする。こんなものが今のジャーナリズムだというんですか」
熱くなったイイヅカに編集長代理が立ち上がった。
「そこのテラスで喋ろう。……ここには人の目があり過ぎる」
編集部から抜け出たテラス部分に移動し、イイヅカは早速口火を切る。
「何で、俺の記事が差し押さえられたんですか。まずその理由から教えてください」
詰め寄ったイイヅカに編集長代理は嘆息を漏らす。胸ポケットから煙草を取り出した。
「煙草、いいかな?」
「どうぞ」
イイヅカは憮然として返す。自分の記事がどうしてだか封殺された。その納得いく理由を聞けるのならば密閉空間の喫煙くらいは許そう。
自分は嫌煙家だったが、他人の煙草をどうこうする権限はない。加えてそれが契約元の編集長の移行とあらば。
否、編集長代理か。
編集長は行方をくらませてもう久しいという。半年間、編集長の業務をこなしてきた男の顔にはそれ相応の気苦労が窺えた。もう編集長を名乗ってもいいのではないか、と思っていたが頑としてそのポストに就かないのはやはり面倒ごとを抱え込む事を恐れているからだろう。自分のようなジャーナリストが押し寄せてきた時、「編集長は留守です」と言い訳が出来る。
一しきり吹かした編集長代理はようやくイイヅカの質問に対する答えを発した。
「上からの指示でね。君の記事は載せられない事になった」
「理由は?」
「……だから、上からの指示だと」
「理由もない指示は、圧力って言うんですよ。そんな事も分からないわけじゃないですよね?」
イイヅカの弁舌に編集長代理は心底参っているようだ。
「原稿料も渡した。契約更新も近い。それに、前払いも。何が不満かね?」
「金を渡せば、俺が下手に出るって思っているのが不満ですね」
嘗めている、とも感じていた。自分のようなフリージャーナリストなど、吐いて捨てるほどいる。ならば、金さえ掴ませれば文句も言わないだろうというその態度が、大手出版社の傲慢を現していた。
「時代錯誤だよ、君のような正義漢はね。何が知りたくってここまでやる。こんな写真まで送りつけて」
編集長代理が手に取っているのは茶封筒であった。そこには自分の撮影した写真のコピーが入っているはずだ。
「それが動かぬ証拠って奴でしょう。俺は、間違いなく、それを見たんだ。だって言うのに、それを報道しちゃいけないってのが理解出来ない」
「だから、自主規制だと、何度言わせれば分かる。今のご時勢にこのセンセーショナルな事件は報道出来ない。一部メディアが報じている過激派のテロ行為、では不満かね?」
一部のメディアが先行して伝えたのは過激派のテロの路線であった。しかし、イイヅカは否と応じる。
「それだけじゃないでしょう。何人も目撃者がいます。SNSで、俺のところに直接写真を送り込んできた情報提供者だって、何人もいたと証言している。今さら、こいつの存在は消せませんよ。この……仮面の怪人に関して言えば」
切り出したその言葉に編集長代理は眉をひそめた。
「その言葉を、あまり口にしないほうがいい。規制の対象だ」
「仮面の怪人、いるんですよね?」
「私からは何とも」
ぼかされている。イイヅカは机を叩いた。
「仮面の怪人を追って、俺はあんたの出版社に売り込んだ。他の出版社にはわざと、まだ売っていないんだ! だっていうのにそんなんじゃ、俺は他を行きますよ! 他の出版社のほうが高く買い取ってくれそうだ」
「好きにしたまえ。……他でも変わらんよ」
そうこぼした声音にはどこか確信があるようだった。他の出版社――たとえカロス中、どこを当たっても意味がない、とでも言うような。
「とにかく、これはスクープなんですよ、スクープ。ミアレ出版が日和見に転じようって言うのなら、俺はこれを自費出版でもして、一儲け出来る」
その自信はあったが編集長代理は何かを恐れるかのように首を振るばかりだ。
「不可能なんだよ。かつて、君の記事を受け取った最初の編集者として忠告する。……その記事を売り込もうなんて考えるな。死ぬよりも恐ろしい目に遭う」
編集長代理ではなく一人の編集者としての言葉であったがイイヅカには理解し難い。どうして、そこまで恐れるのか。何が怖いというのか。
浮かしかけた腰を戻し、イイヅカは冷静な議論を続けようとした。
「……何がそこまでなんですか? 数年前、ホウエンの、デボンの闇を暴いたあの記事は秀逸だったでしょう? カントーの裏社会を描いたあの記事だってそうだ。ミアレ出版社は権力には屈しない。それがありありと分かった。だから、俺は付いて来たんだ。だって言うのに、自分の地方の闇に関してはノータッチだなんて、そんな虫のいい話はない」
「イイヅカ君。数年前のジャーナリズムは死んだんだ。もう君もおいそれと勝手な事は書けないのだと理解したほうがいい」
ここまで及び腰になられるとイイヅカは逆に気になるのだ。何をそこまで、と。この編集長代理の背負っているものは何だ。
好奇心が疼いてくる。一面を飾る記事を書くジャーナリスト――トップ屋としての意地が。
「その仮面の怪人が駄目なら、もう一個あったでしょう。機械のポケモンです」
数人の市民が目撃している。空を舞う巨大な黒い翼を。機械のポケモンを。しかし、それに関しても編集長代理は首を横に振った。
「あれは集団幻覚だ」
「いいえ、あれは実在の代物です。これを」
差し出したホロキャスターには機械のポケモンを多角度から写し出した写真があった。コピーも取ってある。万全の姿勢で臨んだイイヅカに編集長代理は呻いた。
「……やめておけ。知らないほうがいい事もある」
「ジャーナリズムにおいてその姿勢は、臆病だと、言っているんですよ。ミアレ出版らしくもない。仮面の怪人か、あるいは機械のポケモン。どっちかは記事にしていただかないと、俺が納得出来ない」
ここまで突き詰めると相手も首を縦に振るかに思われたが、結果は逆であった。より慎重に、編集長代理は声を潜める。
「誰にも話すな。そうしなければ君は命を狙われる」
「誰にです? 仮面の怪人ですか? それとも機械のポケモンに?」
「これ以上の議論は君の命を短くするだけだと言っている」
編集長代理は立ち上がって茶封筒を自分に返した。ミアレ出版での記事はない、という意思である。
「……後悔しますよ」
「それはどっちの事なのだか。君は、もう少し噛み付く相手を分かったほうがいい」
舌打ちと共にイイヅカは茶封筒を手にした。触り心地から封筒には写真だけではない。口止め料が入れられているのが分かった。
それを感じ取った瞬間、イイヅカは茶封筒をゴミ箱に捨て去った。
「ジャーナリズムは死んだ! 確かにそうみたいですね。こんな腑抜けだとは、思いもしなかった!」
捨て台詞を吐いて、イイヅカはミアレ出版を立ち去った。