EPISODE16 驟雨
「させるな! ゴルバット!」
踊り上がったゴルバットがミアレの空に突如として出現した巨躯へと噛み付いていく。
銃身を引かせてその巨大な機械蝙蝠が羽ばたいた。あまりの風圧と出力に高層ビルのガラスが揺れて破砕する。
Eアームズ。間違いなく、ココロモリを模したものであったが、あまりに強大であった。
攻撃したゴルバットなど十分の一にも満たない。それでも必死に毒の牙を突き立てる。ポケモンの技ならば精密機械に穴を開ける事も造作もないはずであった。
何よりも〈もこお〉の繋いでくれた勝機である。〈もこお〉のサイコパワーがヨハネの脳裏にEアームズの弱点を伝えていた。
「腹部のモンスターボール。あれさえ外せれば……」
ゴルバットがよろめく。Eアームズの出力を絞った思念の渦が巻き起こった。「サイコキネシス」だがまるで暴風だ。青い思念が空を覆い尽くし、ゴルバットへと間断のない攻撃を叩き込んでいる。
「避けろ、と言える射程じゃないな。でも……!」
次に繋げる。ヨハネの思いにゴルバットは「サイコキネシス」で震える空を舞い上がり、ココロモリアームズの翼へと噛み付き攻撃を続けた。
何度も攻撃すればその部位は脆くなるはずだ。
殊に翼となれば飛行の要である。精密部品が揃っているに違いなかった。
ココロモリアームズがゴルバットを振り落とそうとする。必死に食らいつくゴルバットが翼に力を込めた。
風の刃がその背面を打ち据える。その巨体ゆえにココロモリアームズは全体を把握出来ていない。
ただ闇雲に羽ばたき、ゴルバットを吹き飛ばそうとする。ゴルバットが離れてから、強い酸性の毒を引っかけた。「どくどく」だ。ココロモリアームズの翼の一部が溶解し、その揚力が明らかに落ちた。
「今だ! 腹部のモンスターボールを!」
脚部を閃かせ、腹部に収まっているモンスターボールへと引っかけた。起死回生の鉤爪は、モンスターボールの引き剥がしに成功する。
やった、とヨハネが意識の網を緩めた瞬間であった。
モンスターボールが開き、ココロモリが射出された。
何故、と思う間にココロモリはその翼を広げてぐんぐんと離れていく。
ヨハネはその段になって気づく。
ココロモリ自身の翼にもEアームズが装着されており、翼の皮膜部分には爆弾が搭載されていた。
ハッとする。巨大なEアームズを壊せばどうにかなると思っていた戦況が一変した。
ゴルバットがおっとり刀で追いつこうとするが、その時には既にココロモリの速度には追いつける距離ではなかった。
その行く末をヨハネは見据える。
ココロモリが狙っているのはターミナルだ。それが分かっていたから先んじて張れた。しかし、今は不利な戦況へと転がっている。何故ならば、中核を失ったはずのココロモリアームズが自動展開し、ゴルバットを覆いつくす檻と化したからだ。
「最初から、こっちは囮だった……」
絶望的な響きにヨハネは作戦失敗を予感する。
ココロモリが擁した爆弾が今まさに、ターミナルへと爆撃を加えようとした。
「――させるワケないだろ」
その声にヨハネは振り仰いだ。
ターミナルの鉄塔の頂点に、二つ結びの髪をなびかせながら佇む影がある。腕を組んで憮然とした少女が、凛とした瞳を向けていた。
「マチエール、さん……」
マチエールが片腕を振るい上げる。漆黒の鎧に包まれた右腕の膂力を限界まで引き上げているのが分かった。
投擲された爆弾を、その拳が捉える。鈍い音と共に耳を劈く爆発が膨れ上がった。あまりの強い炎熱と巻き起こった粉塵に誰もが目線をやる。
ヨハネは荒い呼吸をついていた。今の爆発をEスーツではなく、右腕だけで受けた。相当なダメージがあるはずである。
「そんな、そんな……! マチエールさん!」
「取り乱すなよ、ヨハネ君。あたしは、この通り」
マチエールは健在であった。一体何が起こったのか、ヨハネにはまるで分からない。
再度、爆弾が投下される。ヨハネは今度こそ静観出来なかった。
「ゴルバット! エアスラッシュ!」
ゴルバットの放った風の刃が爆弾を切り裂くもその直下にはミアレのターミナルに、マチエールの姿。
無事では済むまい。
「破片を吹き飛ばせ!」
ゴルバットの吹き飛ばし程度ではたかが知れている。しかし、ヨハネは行動した。マチエールだけを戦わせるわけにはいかない。
だが、そんなヨハネを嘲笑うかのようにココロモリは粉塵を引き裂いて突入する。爆弾を投げるのではなく、自分を爆弾とした捨て身であった。
今度こそ、ヨハネは終わりを感じ取る。
ゴルバットはすぐには追いつけない。風の刃を飛ばそうにも、ココロモリがそれだけで倒れてくれる保障はない。
何よりも、倒れたとしてその下は人の密集するターミナル。爆弾の被害は免れないだろう。
しかし、マチエールは吼えた。
「させるかァ!」
右腕を突き出し、マチエールはココロモリを捉える。その指先がEアームズを掴み、ココロモリの挙動が傾いだ。
羽ばたき、マチエールを振り落とそうとするココロモリであったが、彼女は振り落とされまいとさらに強く翼を握り締める。
「離すワケ、……ないじゃん」
しかし、右腕だけのEアームズでは限界だ。ヨハネはゴルバットを急がせようとするが、その至近距離を駆け抜けていった影があった。
その影がマチエールの直下に辿り着く。
アギルダーだ。持っているのはアタッシュケースであった。
「ようやく、か。アギルダー!」
投げられたのはEスーツの中核を成すバックルである。受け取り、マチエールは装着した。
ベルトが伸長し、バックルが待機音声を響かせる。
『カウンターイクスパンションスーツ。レディ』
「さぁて。本気、出しますか。Eフレーム、コネクト!」
アタッシュケースから放たれた黒い鎧のパーツが螺旋を描き、ココロモリを吹き飛ばす。
一つ、また一つとマチエールの身体に装備され、最後のヘルメットが被せられた。バイザーが下がり、Eを象った文字が浮かび上がる。
「探偵戦士、エスプリ。ここに見参!」
白いラインが輝き、漆黒の鎧に命の息吹を通す。
ココロモリが爆弾を投げようとしたが、その前にエスプリが跳ねた。明らかに今までの挙動を超えた速度にヨハネでさえも面食らう。
その拳が爆弾を引っ掴み、中天に放り投げた。
信管を抜かれた爆弾がミアレの上空で炸裂する。
それに呆気に取られた人々を他所にエスプリの空中戦が始まっていた。〈もこお〉のパワーでヨハネだけが彼女の戦いを感じ取る事が出来た。
ココロモリへと蹴りを見舞ったエスプリは直近のビルへと降り立つ。
「ここは、ちょっとばかし荒っぽくなるか。ニョロゾ!」
繰り出されたニョロゾが水の砲弾をココロモリへとぶつける。水に濡れた爆弾がショートの火花を散らせた。
無用の長物と化した爆弾を抱えたココロモリへとエスプリが拳を叩き込む。ココロモリともつれ合いながらエスプリは視界に入った下水道へと爆弾を落下させる。下水道から水飛沫が上がった。まだ完全に爆弾が無力化されたわけではなかったのだ。
それを理解した上で、エスプリはココロモリから爆弾を引き剥がし、相手から武装を奪った。
「これで、もう戦えないでしょ?」
しかし、ココロモリにはポケモンとしての性能は健在だ。Eアームズで一回り大きく拡張された翼による羽ばたきは殺人級であった。放たれた風の刃がビルを引き裂き、粉塵を巻き上げる。
エスプリはしかし、前回のような醜態を晒さない。
全てを避け切り、なおかつ挑発してみせた。
「これで終わりかい?」
ココロモリが接近して思念の渦を叩き込もうとする。青い思念が極大化されて渦巻き、エスプリを重力地獄に落とし込もうとした。
それと同じくして、エスプリはモンスターボールを手にしている。
ヒトカゲの入ったモンスターボールをバックルに添える。
『ユニゾンシステム、レディ』
ハンドルが引かれシャッターが開く。くわえ込んだボールが回転し、エスプリの体躯に炎の属性が通った。
内側から燻る炎が白いラインを消失させ、その手首と足首に「F」を想起させる赤いラインが上書きされる。
バイザーが一瞬赤く輝き、Fの文字が刻み込まれた。
『――コンプリート。ファイアユニゾン』
炎を得たエスプリが構えを取る。ココロモリが「サイコキネシス」を放った。
その瞬間には、エスプリは遥か直上に跳ね上がっていた。炎を得たお陰か、パワーが格段に上がっている。
見据えたエスプリが回し蹴りをココロモリへと叩き込む。足の先端には炎が宿っており、Eアームズを焼いた。
降り立ったエスプリは再度、空中のココロモリを仰ぐ。
片翼を奪われた形のココロモリは空中起動がおぼつかなかった。隙だらけのその姿勢にハンドルが再度引かれる。
『エレメントトラッシュ』
炎の力が右の拳へと集中する。赤く輝いた拳の先にはこちらへと真っ逆さまに落下してくるココロモリがいた。
どうやら悪足掻きの特攻のようである。ヨハネは極大化した意識の中、エスプリへと声を放っていた。
「今だ!」
「――ああ、そうだとも!」
ココロモリが思念を纏い、エスプリの視界に大写しになる。その交錯の瞬間、拳は撃たれていた。
Eアームズの中核を狙い澄ました拳に螺旋を描く炎熱が瞬く。
次の瞬間、Eアームズがココロモリより解除されていた。
反動でココロモリが仰け反る。衝撃波もあったのだろう。ほとんど吹き飛んだ形となった。
ココロモリが地面を滑って転がり落ちる。
拳を振るったままの姿勢のエスプリから赤い光が抜け落ちた。
ボールが解き放たれ、元の白いラインへと戻る。
ココロモリにもう抵抗の意思はないようであった。何度かよろめいてココロモリは倒れ伏す。
終わったのだ、とヨハネはエスプリを見つめていた。
彼女がサムズアップを寄越す。
歩み寄ろうとすると、エスプリがハッとしたのが気配で伝わった。
「危ない! ヨハネ君!」
その叫びの意味が分からなかった。危ないのは自分のほうではないか、と笑おうとしたヨハネは不意に引っ張り込まれて事態が飲み込めなかった。
アリアドスの放った糸による拘束がヨハネを捕らえていた。仮面を被ったアリア――ヒガサがエスプリと対峙する。
「先輩……」
「まさか二度までも……。いえ、今までに感知していないものも含めればもっとでしょうが、醜態ですわね」
「どうする? そっちがその気なら」
まだエスプリには余裕がある。ヒガサを相手取っても勝てるだろう。しかし自分が人質になっているのでは世話はなかった。
「わたくしはEアームズを回収しに来ただけ。ココロモリとそのトレーナーに関しては好きになさい」
アリアドスが糸でEアームズを丸め込み、下水道へと投げ込んだ。恐らく仲間が回収する手はずなのだろう。
「逃がすとでも」
エスプリが構えるがヒガサは忠告する。
「無理はおよしなさい、劣等生。特待生がどうなってもいいのなら、やるといいわ」
その言葉でエスプリの戦意が僅かに揺らいだのが分かった。ヒガサは短く口にする。
「……いずれまた、会いましょう。Eスーツの持ち主。それに特待生、あなたにも」
ヒガサはアリアドスを伴い下水道へと消えていった。ヨハネはアリアドスの拘束を受けたまま、その場に取り残される。
「先輩! あなたはまだ……!」
そこから先の言葉は恐らく届かなかっただろう。顔を伏せるヨハネに、エスプリが駆け寄った。
「大丈夫?」
「僕は……。でも、まだ先輩は、あの連中と一緒に」
「あの金持ちのやる事に、あたしは口を挟むつもりはない。でも、気になる事を言っていた」
「気になる事?」
バイザーを上げたエスプリ――マチエールが頷く。
「ココロモリとトレーナーはどうなってもいいみたいな言い方。嫌な予感がする」
ヨハネは背筋を冷たい汗が伝ったのを感じた。
『ユリーカ。ココロモリのEアームズから逆探知。急いで』
マチエールからの通信にルイが応じる。
『分かりました。マスター』
「Eアームズの波長から逆探知、ね。簡単に言ってくれるよ」
既に前のEアームズから枝はつけてあった。探知範囲を目にしてユリーカがこぼす。
「……もう、人の形を成しているかどうかも分からないけれどね」
『それでも……、全力は尽くす』
相変わらずの相棒の声にユリーカはため息をついた。
「マチエール。それにヨハネ君も。聞こえているだろうから言っておく。これが、Eアームズに関わるって事だ。決して綺麗事じゃないし、これから先、こういうのをいくつも見る事になるだろう。キミ達は地獄を知る。屍と、人を人とも思わない成れの果て達の所業を。こんな事がいつまで続くのか、私でさえも分からない。それでも、キミ達は……」
そこから先を継ごうとして、ユリーカは躊躇った。
地獄を知るのは目に見えている。だが、それは彼らが判断するべき事だ。自分の意見を一方的に通す事ではない。
通信を切って、ユリーカは呻いた。
「いつまで、こんな事をするつもりなの。……お兄ちゃん」
雨が降り出していた。
重く垂れ込めた曇天は急いた空気を色濃くさせ、ヨハネとマチエールは雨脚に気を取られる間もなく現場に向かっていた。
コンテナの集積場であった。色とりどりのコンテナが居並ぶ中、一つのコンテナの前でマチエールが立ち止まる。
「……ここだ」
雷が鳴り始めていた。雨脚は強くなっている。それでも、二人はそのコンテナの扉を開いた。
キィ、と音を立てて扉が開き、中が露となる。
青い落雷が内部空間を照らし出した。
中にはケーブルに繋がれた状態の少年が一人、椅子に座ったまま絶命していた。
開かれたままの口からよだれが滴っている。ゴーグルを被せられており、マチエールはそれを外してやった。
見開かれたままの眼が、マチエールを見据える。しかし、その瞳孔に最早光は存在しない。
白濁した眼だけが、妙に主張している。マチエールは沈痛に顔を歪ませた。
「……死んでいる。いや、さっき死んだ」
どこかで予感はしていた。ポケモンをあれほど高精度で操るのには、尋常ではないシステムが使われているのではないかと。
それが目の前の結果だ。セキグチなる少年はココロモリに意識を持っていかれたまま、つい先ほどエスプリが――殺したのだ。
雨が激しくなり、景色が灰色に満たされていく。ヨハネは拳をぎゅっと握り締めた。
きっと自分以上に、彼女は悔しいに違いない。救えたかもしれない命をむざむざ死なせてしまった。それに関係しているとなればなおさら。
だからか、ヨハネは慰めの言葉を口にしていた。
「君が殺したわけじゃない」
そのような事、言わないほうがいいに決まっていた。彼女のせいだなんて。自分は、何も言わず、ただ見届ければいいのに。マチエールに責を負わせたくなかった。いや、それよりも……。
マチエールが殺してしまったかもしれないセキグチの死を、自分自身、背負いたくなかった。
咎人だ。死んでも仕方がない。そう考えるどこか合理的な自分に嫌気が差す。
彼がどのような気持ちで、どのように死んでいったかなど、自分にも、ましてや誰にだって推し量れないだろう。
「分かっている。でもさ、あたしはこの街の涙が見たくないんだ」
振り仰いだマチエールの頬に水滴が流れる。涙なのか、雨なのか分からないのがお互いに救いだった。
「……街が泣いている。こんなに、音を立てて」
この街には涙なんて似合わない。そう言いたいのだろう。だが、何よりも現実は非情であり、マチエールははからずして街の涙を生む側の人間になってしまった。
「マチエールさん。僕も、背負う。だから、街の涙を」
ハンカチを取り出す。街を救うなんて言えない。自分は彼女のような超人ではない。だが、目の前の女の子の涙を拭う事は出来る。
マチエールは弱々しく微笑んだ。
「こんなになっているのに、ハンカチ? 君のほうが」
ヨハネの頬にも滴っていた。
だがそれが涙なのか、はたまた雨のせいなのかは自分でも追及しなかった。
ヨハネのハンカチを受け取り、マチエールが頬を拭う。
悲しみを上塗りするように、雨はいつまでも降り続いていた。