EPISODE151 決意
エイセツシティは氷に閉ざされた街であった。
吹雪の中を闊歩するのは、灰色の鎧に身を固めた異形である。
ミュウツーは己にかかる全ての圧力、重力、何もかもを減殺し、エイセツの吹雪を行き交う。
どこか夢遊病者のようなその足取りに、取れる、と判断した人間は少なくなかった。
「行け! ウォーグル!」
勇猛果敢に吼えた鳥ポケモンが永久凍土の大地を睥睨し、フレア団員達を背中に乗せる。旋回する十数体のウォーグルはいずれも爆撃装備を持っており、街一つならば容易に粉砕出来た。
『達す! ミュウツー、と言ったな。シトロン主任研究員の研究成果は全て、我らフレア団のものである。即刻投降し、こちらに自由を投げ出すのならば、まだ生命は尊重しよう』
その勧告にミュウツーは首をひねった。
(奴らは何を言っている?)
「これは……?」
「テレパシーだ。ミュウツーは史上最高のエスパータイプらしいからな」
雑多な思念と声を拾い上げたミュウツーは繋がっている通信先に質問する。
(潰してもいいのか?)
『構うものか。フレア団など既に瓦解したも同義。存分にその力を振るうといい』
ミュウツーがウォーグル一体に向けて片手を振り上げる。
それだけでウォーグルの羽ばたきが静止した。全員がそれを感じ取る前に、ミュウツーが片手を薙ぎ払う。
(死ね)
引火したナパーム弾の炎がエイセツシティの空中に咲いた。
幾つもの噴煙を棚引かせてウォーグルが撃墜される。
一瞬であった。
一瞬で、ウォーグルも、その装備するナパーム弾も全て、ミュウツーの支配の下になった。
『さすがだ。やはり最強だよ、ミュウツー』
感じ入ったようなシトロンの声音にミュウツーは吹雪の空を眺める。
(しかし解せんな。カロスの国防は手薄か)
『仕方ない。もう手は打ってしまったんだから。一人の女のエゴで、四天王はほぼ全滅。それに加えて、フラダリを支持していた派閥との内部分裂。今のカロス政府はお前と戦うように出来ていないよ』
(だとすれば、私を阻むものは誰だ? お前は言ったな? 敵がいるから、私を解き放ったと)
『期が熟したとも言えるがね。データは送ってあるだろう?』
ミュウツーはルイ・アストラルのデータからその姿を呼び起こす。
(エスプリ……こんな、人の造った紛い物など)
『紛い物だからと言って馬鹿には出来ない。言っておくが、キミもEアームズポケモンと同じ特性を持っている。そのスーツが生命線だ。スーツの無効化にかかるはず。その場合、ぼくがリアルタイムに妨害するか、あるいは』
(その前に、エスプリを叩く)
『簡単そうに言うが、手強いはずだ。我が妹が手塩にかけて作り上げた存在だからね』
(どちらでも構わない。お前の野望がカロスの喉笛に届くのが先か。愚か者達が私に立ち向かってくるのが先か)
『遅いか早いかだけの違いだ。人が死ぬのと、何ら変わりのない事象だよ』
自嘲するシトロンの声音には、ミュウツーは同調出来なかった。
「この、大馬鹿者め! 戦いの前に喧嘩する奴がいるか!」
ハンサムハウスに戻るなり、ユリーカから大目玉を食らった。コルニは微笑んでいるが、自分からしてみれば全く笑い事ではない。
「ユリーカ。ヨハネ君は?」
「ケリをつけに出て行った。エイセツでの決戦には間に合うだろうが……。そのケリがつくのかどうかも分からないがな」
「エスプリマグナだっけ? 使えるの?」
コルニの疑問にユリーカはコンソールに向かい合う。
「ルイ・オルタナティブを同期し、フレアエクスターミネートスーツのシステムの根幹と組み合わせているが……」
濁した語尾によくない報せなのかと窺った。
「あまり、よくないの?」
「いや、逆だ。相性がよ過ぎる。最初から、こうするように設計されていたとしか思えない。オーキド博士は偶発的に見つけたと言っていたが、どう考えてもこれは、シトロンの目論見通りだ」
「じゃあ、まずいんじゃないの?」
その通りだ。シトロンの目論見通りならばミュウツーに勝てるように出来ているはずがない。
「そのはずでもあるのだが……。おかしな事に、エスプリマグナはきっちりと性能を引き出せるように出来てもいる。これは、破壊の遺伝子がもたらされた恩恵でもあるのだろうが……、それにしたって異常な数値だ。エスプリマグナは今までのどのユニゾンよりも強力に出来ている。こんなの、最初から、対Eスーツ戦を想定していない限り不可能だ」
つまりシトロンは自らの駒と合い争う事でさえも想定の内であった。だが、それは翻れば……。
「シトロンは、ミュウツーを壊したいっての?」
その疑問に突き当たる。ユリーカは判断を彷徨わせた。
「どうとも言えないが、酔狂が過ぎる。それは確かだな。こんな、不均衡の塊のような確率論とシステムを構築したとなると、奴は何を考え、何のためにミュウツーを造ろうとしたのか」
ユリーカの命題にマチエールはふとこぼしていた。
「試したかった、とかは?」
「試す? 何を?」
シトロンと直接にあった事はないに等しい。だがこれも憶測でしかないのだが。
「多分――、人間って言うヤツを」
ユリーカが金髪を掻いて座り込む。コルニも困り顔であった。
「人間を試す、ねぇ。だが、試すといってもこれはどちらに賭けたと思えばいいんだ? 人間か、ポケモンか? それとも、他の何かなのか?」
シトロンの見た景色は誰にも窺い知れない。
ただ一人を除いては。
「ヨハネ君の、決着って言うのは……?」
「私も詳しくは。ただ、フーディンとクロバットと、クリムガン、全部持っていったところから見ると、本気なのだろうね」
ヨハネは何を見ているのだろう。
自分にも分からない。助手として彼を預かったが。彼の行動や言動は時に自分でさえも理解出来なかった。
「結局、ヨハネ君の戦っていたものって、何だったんだろう」
「この期に及んでそれか。だがまぁ、私にも分からない。コルニ、そちらは?」
コルニから有益な答えが聞けるかに思われたが、彼女も頭を振る。
「アタシも。それって結局、最後の一線なんだと思う」
「最後の一線?」
コルニは面を上げて言い放つ。
「誰もが持っている心の壁。そういう、最後の一線で、ヨハネは他人の介入を拒んできた。前回の、アドバンスドとの戦いで僅かに垣間見えたような気がしたけれど、それもアタシ達の気のせいだったのかもしれない」
ヨハネが何を見ているのか。彼が何を目指しているのか。
それが分かれば、きっと自分達は違った選択肢を取っていただろう。
ヨハネは結局、誰にも心を見せてくれなかった。
「その決着も、一人なんだろう?」
「ああ。だが、一人であって独りじゃない。彼には頼れる相棒がいる。クロバットもそうだし、クリムガンも、フーディンも、だ。我々が心配するほどでもなのかもしれない」
暗に、ヨハネの後を追うな、という警告でもあった。
マチエールもそれは了承していた。
ヨハネしか見えない領域がある。それに自分達は口を挟む事さえも出来ない。
「待ってはいられない。ユリーカ。フレアエクスターミネートスーツ、出来るだけ速く欲しい」
今までならばヨハネの帰りを待っていただろう。だが、その必要は最早なかった。
自分達には自分達の戦いを。ヨハネにはヨハネの戦いがあるように。
心得たようにユリーカは首肯する。
「ああ。一晩で仕上げる」