EPISODE145 采配
『宣戦する。エスプリよ。わたしを止められるか?』
勇ましいその声音はミアレの街を行く人々のホロキャスターから放たれたものであった。
ホロキャスターが強制起動し、その音声を拡張する。
ミアレの街頭モニターに映し出されたのはフラダリの姿であった。
それを目にしてフレアエンタープライズの社長である、と認識したものが半数。もう半数は未だ何が起こっているのかを理解していない。
『ミアレの市民よ。アドバンスドの脅威は過ぎ去った。今こそ、一致団結する時だ。ここに、今まで明かしていなかった事実を発表しよう。我らこそが――フレア団だ!』
画面が俯瞰となり、フレア団員が居並ぶ中で、玉座についたフラダリが王の威容を伴わせる。
ミアレの市民は困惑の渦中に落とされた。
「何だ? どうなっているんだ?」、「まさかまたテロか……」、「いや、あれはフレアエンタープライズの社長だろう?」
各々の意見が飛ぶ中、フラダリは深呼吸して宣言する。
『アドバンスドを排斥した、結果としてその判断は正しかったと言えよう。わたしは聡明な君達を敬愛している。美しき人間こそが、この世で存続するべきだ。しかし、世の中には美しくないもの、醜悪なものが多過ぎる。雑多なそれらを一気に排除する方法は一つしかない。それは圧倒的な王者こそが、人々を選び取る事』
映し出されたのは石の町の中央が花開き、花弁の形状をした巨大機械が発動した瞬間であった。
中央へと光が収束される。
『既に時は動き出した。わたしが何もしなくとも、この最終兵器は十二時間後に発射される。もっとも、わたしが起動キーを入力すればもっと早くに実行されるがな』
フラダリが右腕を捲り上げる。機械と一体化したその右腕には複雑な機構が張り巡らされていた。
呆然とするミアレの市民が街頭映像を見やって口にする。
「どうやって……、誰が止めるって言うんだよ」
最終兵器の存在。それはギリギリまで伏せられていた。
それを止められる存在など、ミアレ市民はまったく思い浮かばない。
「さしものエスプリだって、今回ばかりは……」
誰もが最終兵器発射は時間の問題と感じていた。
だがミアレから逃げようとするものは否応なく検問にかけられ、長い時間を消費する事となった。
ミアレからも逃げられない。
かといって立ち向かう勇気もない人々はお互いに目線を交し合う。
どうすればいいのか。
何をすれば、この状況を打開出来るのか全く不明であった。
「遂に動き出したな」
ユリーカの声にヨハネは首肯する。
「フラダリがこれほど早く、最終兵器使用に踏み込むのは想定外でしたが、予測出来たのならば話は違ってきます。この宣言、一般へのものだと思われますし……。通信は?」
ユリーカはルイを顎でしゃくる。
『あいよ。ホロキャスターはジャックされていて使えないんだろ? まったく、システム遣いが荒いこって』
ルイを介してのみ、Eスーツ間での通信が可能になっていた。
ヨハネは声を吹き込む。
「エスプリ。最終兵器はどうあったって止めなきゃならない。幸い、ユリーカさんの持ち帰ってきた地下空間の見取り図が役に立っている」
地下通路が張り巡らされており、それは石の町へとそのまま繋がっていた。
即ち、最終兵器の直下である。
エスプリが何もしないわけがない。
フラダリの宣言が起こる直前に行動を起こしていた。
地下通路へと潜り込み、既に最終兵器破壊に向かっている。
惜しむらくは、この期を乗じて必ず動くと判じたコルニとは別行動になった点だ。
組織のナンバーツー、パキラとの決着はどうしてもつけなければならないらしい。
コルニ曰く、パキラは絶対に安全な場所にいるという。自分の戦いを優先して、彼女はエスプリにもそれを明かさなかった。
パキラを倒す。それは当然だが、何よりもフラダリであろう。
ヨハネはユリーカにも言っていなかった。何よりも、血の決着は自分でつけさせるのが一番だと思っていたからでもある。
マチエールは、自身の血の宿命を拭い去ろうとしている。
フラダリという父親。
その血の因縁だけは、娘であるマチエールでしかどうしても決着がつけられない。
『ヨハネ君。案外、厄介かもしれない。地下通路、当たり前だけれど張られている』
敵は多いと予測していたが、恐らくは全戦力を投入してくる事だろう。ヨハネとユリーカはお互いに頷き合った。
「エスプリ。今は、出来るだけ消耗は避けろ。フラダリを倒す事のみを念頭に置くんだ」
『分かっているけれど……。連中、EアームズやEスーツを全部……』
「エスプリ。無駄な消耗は避けて、今は最終兵器破壊を」
ヨハネの声音からその最後の目的まで判じたのだろう。エスプリの声は鋭かった。
『分かってる。フラダリだけは、あたしが倒さなくっちゃいけない』
ハンサムハウスでヨハネは息をついていた。
今、この瞬間でさえも、フラダリが一歩抜きん出れば、自分達は最終兵器の光に晒され、恐らくは消滅する。
全く気を緩められない戦局。しかしユリーカは落ち着き払っていた。
「ヨハネ君、コーヒーでも飲むといい。久しぶりに焙煎したコーヒー豆がある」
「……冷静なんですね」
マグカップを持ってきたユリーカは頭を振った。
「私達が騒いでも仕方あるまいよ。今は、エスプリに全てを任せるしかない。コルニもそうだ。パキラを追い詰めると言っていたが、この期に乗じてパキラは高飛びくらいは考えているかもな。それも見越しての動きとなると考えが随分と変わってくる」
「それでも、冷静ですよ」
マグカップを受け取ってヨハネは喉を潤す。苦み走ったコーヒーがようやく事態を俯瞰するだけの冷静さを取り戻させてくれた。
「騒いだところで転がり出した石。フラダリを止めるか、止められないか。非常にシンプルだ。この二者択一しかない。最終兵器を破壊出来なければ私達は死ぬだけだからな」
「それも……分からないんですよね。フラダリという人物を分析すればするほどに」
「何か、引っかかりでもあるのかな? ヨハネ君には」
「引っ掛かりといいますか……。だって美しい人類だけを残したいんですよね? 他の、美しくないものは排除して。だっていうのに、この最終兵器は所詮、ミアレという一つの街を排除するだけしかエネルギーがない。それっておかしくないですか? 目に見える範疇でしか、掃除が出来ないなんて」
「なるほどな。君はこう言いたいわけだ。世論に戦争を吹っかけるにしては、最終兵器そのものが弱過ぎる、と」
カロスだけではない。全地域からマークされてもおかしくないのに、このような浅慮な動きに出るのは何か思うところがあるためであろう。
それを予期出来ない限り、自分達は読み負ける。
「もし……もし、フラダリの計画が成功しても、残るのは未チャージの最終兵器というデカブツと、自分達の身柄のみ」
「失うものが少ないからこそ、出来る凶行とも言えるが……」
ユリーカも分析に入っている。フラダリの思考をトレース出来なければ、この最終兵器発射というお題目そのものが分からなくなるだろう。
「最終兵器の威力……って実は明示されていないんですよね。最終兵器、っていう名前だけで、みんな恐れているだけって言うか……」
そもそも最終兵器が本当に、ミアレ全域を消滅出来るほどの兵器なのかも分かっていない。だというのに、フラダリの宣戦を本気にして、馬鹿みたいに騒ぎ立てる事、それそのものが、彼の言う「衆愚」の動きではないのか。
「ここまで大パフォーマンスに打って出たフレア団の虎の子がブラフ、という線か。無きにしも非ずだが、その場合、大きく間違えているのは」
自分達、という事になる。
だがフラダリと最終決戦を迎えなければならないのは自明の理であり、この局面で地下通路に潜り込んだのは何も間違いではない。
「でも、フラダリの最終目的、それだけがぼやかされている。最終兵器なんて本当に恐ろしい代物なのか。そもそも、最終兵器の示すその未来像は何だ? ミアレを崩壊させるだけなら、アドバンスドに協力でもすればよかった。でもそうしなかったのは思想があるから、じゃないですかね」
「思想、か。また読みづらい代物だな」
フラダリの思想は明らかに選民思想である。
だが、イコール今までの独裁者にありがちな思想というわけではない。フラダリは新たな脅威として挙げるべきであって、今までの人物に当て嵌めるべきではない。
「僕は……あの、僕の私見ですけれど」
「いい。話してくれ」
「フラダリもどこか、焦っているように見えるんです。もしかしたら、もっと先の事を見据えてこの計画を練っていたのかもしれない。それが何らかの要因で早められた、とすれば? だったら、このずさんな計画も頷ける」
「それが、アドバンスドであり、ミュウツーでもある、か」
ユリーカの言うミュウツーの脅威に関してはまだ不明な部分が多い。そもそも、データ上存在しないブラックボックスのポケモンである。
「アマクサ・テトラにシトロン、さらに言えばパキラ、自分の下で蠢く彼らを制御する方法が、もう思いつかなかった、とすれば?」
「最終兵器はフラダリにとっても鬼札……。しかし、ヨハネ君。課題として残っているのは、何故、制御出来なくなったか、だ。今まで出来ていた事が出来なくなった理由というのは往々にしてイレギュラーなのだが、それにしたってあまりに突然だ。誰も異論を挟まなかったのか?」
フレア団という組織そのものが瓦解しつつあるから、というのがヨハネの見立てであったが、エスプリによるとEアームズ、Eスーツは存在しているのだという。
フラダリの人望はある程度はある。だが、それでも計画を早めなければならなかった理由があるとするのならば――。
「イレギュラーの排除……。ユリーカさん、ともすると、この計画、それそのものがブラフである可能性があります」
「どういう事だ? イレギュラーというのは、私達じゃないのか?」
「いえ、そうじゃなく……。恐らくイレギュラーというのはユリーカさんの言うミュウツーですよ。あれを、フラダリは排除したかった。だからこそ、最終兵器発動という禁じ手を使って見せた」
「待て、待ってくれ、ヨハネ君。ミュウツーの危険性は私も、フラダリに説いてきた。シトロンが信用出来ないとも聞いた。だが、ミュウツー一体を破壊するためだけに、そんな事で、ミアレを消滅させるというのか?」
「フラダリはシトロンの計画の行き着く先を知っていた。だからこそ、放置出来なかったとすれば」
「待ってくれよ……。そうなってくるとアレだ。フラダリは本当ならば破壊行為など行いたくないという事になってしまう。今の今まで、フラダリはミュウツーの存在を知らずして最終兵器の運用を考えていたが、ここに来て破綻としてのミュウツーが存在した。ミュウツーをシトロンの眼を欺いて破壊するのは不可能。ならば、自分の行き過ぎたパフォーマンスとして、ミアレ消滅を名目にしてミュウツーを破壊する……つまりこれこそが、想定されたシナリオだと?」
ヨハネは強く頷いた。そう考えれば筋も通る。
「フラダリは歪んでいたとは言え、正義感の持ち主です。その正義感の持ち主が、何の目的も、思想もなく、ただ美しいものだけを残すための最終兵器を使用するとは考え辛い。付随する事象があると考えるべきです」
「おいおい、待ってくれよ。つまり、ミュウツー一体とシトロンという天才を出し抜くために、私とエスプリは、利用されたと?」
「いえ、今最終兵器の直下に向かっているエスプリの行動自体は間違っていないはずです。ブラフとは言え、フラダリが動かなければ最終兵器は起動しない。つまり、最終兵器を起動させるフリを行うにしても、フラダリは動きます」
『つまり、ヨハネの言う通りなら、フラダリは最終兵器の光をミアレに落とすが、それは民を守るため、って言いたいわけか』
ルイの言葉は極端だがその通りだ。フレア団の後々の暴走を止めるために、自らが暴走を受け持った。
「しかし、そうなってくるとフラダリを裁くべきなのか、それともシトロンを追い詰めるべきなのか微妙になってくるな。別行動しているコルニに頼もうにも……」
『完全に通信は途絶えている』
ルイが肩をすくめる。
こうなってしまえば、最早祈る事しか出来ない。
「エスプリがフラダリと正面を切って戦い、最終兵器発動を止める。それか……」
「フラダリがミュウツー破壊に本懐があると明かし、協力を申し出る、か。だがこちらは」
「ええ、万に一つもないでしょうね」
フラダリにもそれなりに矜持があるはずだ。今さらなかった事に、など自分で許せないだろう。
彼は己の正当性を通すためならば、それが間違っていようがいまいが関係がないのだ。
フラダリを止めるとすれば、やはりたった一つしかない。
「エスプリに賭けるしか、もう方法はありません」
その結論にユリーカは虚脱した。
「まさか……あのバカに賭けることにあろうとは。どうするって言うんだ? フラダリを殺してしまえばそれもまたシトロンの思惑通り。かといってここでフラダリえを止めなければ最終兵器が起動し、何万人もの死者が出る」
どちらに天秤を置くのかは全て、エスプリに賭けられた。
彼女がどう判断するのか。
――血筋の上では父親を、どう裁くのか。
それだけであった。