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運命篇
EPISODE140 逆転


「しつこい!」

 回し蹴りを叩き込んでEスーツを退けようとするが、何度叩いても羽虫のように湧いてくる。

 それも当然と言えば当然かもしれない。

 相手は自警団、ディルファンスを取り込んだのだ。

「〈もこお〉! サイコユニゾンで一気にやる!」

 再び薄紫色のラインが全身を包み込み、エスプリは片手を薙ぎ払った。

 念動力でEスーツが吹き飛ばされる中、全員がナイフに手を翳す。

『エレメントトラッシュ』の音声が連鎖する中、エスプリが息を詰めた。

 直後、壁が粉砕され、躍り出てきた影があった。

 Eスーツ部隊の技が中断され、全員の視線が一点に注がれる。

 筋骨隆々の男がバックルを装着して佇んでいた。

「よう、エスプリ。戻ってきたのか。だが、ここから先には行かせないぜ。テトラのやろうとしてる事はよぉ! とんでもねぇ、でっけぇ事なんだからな!」

「……クリムガンを奪った奴か」

「覚えてくれていて光栄だよ! おれはニシジマ。人はこう呼ぶ。鉄拳のニシジマ、とな」

 その言葉にエスプリは、ほうと感嘆する。

「だったら、その拳であたしを進ませない?」

 ニシジマはクリムガンの入ったモンスターボールを掲げて口にする。

「――その通りだ。来い、ドラゴンユニゾン!」

 黒い鎧を展開させ、ドラゴンユニゾンの紫の血潮が行き渡っていく。

 エスプリは構えを取った。相手は余裕しゃくしゃくで片手から茨の鞭を引き出す。

「ドラゴンは神聖な生き物なんだぜ! それを、ちょっと齧ったくらいのエスパーが倒せるかよ!」

 振るわれるのは力任せの茨の鞭の一撃である。

 しかし馬鹿に出来ないのは、ドラゴンユニゾンの力と鈍重さ、その堅牢さの側面をしっかり引き出している点だ。

 ある意味では戦い慣れた自分よりも厄介だろう。

 エスプリが超能力を一点に集めて龍の鞭を空間に留める。

 その一瞬で肉迫し、とどめを差すつもりであったが、相手は何と、拳で応戦してきた。

 これにはさすがの自分もうろたえる。

 拳が鈍った瞬間、腹腔へとアッパーが叩き込まれた。

 ドラゴンユニゾンで近接戦闘、それも格闘戦など、誰が想定しているものか。

 よろめいたエスプリはこれまでの固定観念を捨てた。

「……ちょっとばかし厄介みたい。本気で行く。来なよ、マッチョメン」

 挑発し手招く。ニシジマが茨の鞭を仕舞い込み、身体に滾る龍の血潮を顕現させた。

 全身に茨が宿り、その装甲と力を補填する。

 どうやら殴り合いになりそうだ。

 エスプリは即座に念力の拳を相手へと放つ。ニシジマは避けようともせず、それを満身に受け止めた。

 龍の装甲が念力を弾く。

 舌打ち混じりにエスプリは後ずさった。

 今の相手に間近で格闘戦術を挑むのは愚の骨頂。

 だが、通常の攻撃では相手の装甲の隙間など突けない。

 ――どうするか。

「ネタ切れか? エスプリ」

「どうだかね。ただ単に念動力で攻撃するだけが、エスパーの真骨頂じゃない!」

 エスプリは低空で浮き上がり、飛び蹴りの姿勢を取った。当然、相手は万全を期して防御の姿勢を取る。

 次の瞬間、エスプリの姿が十も二十にも分散した。

 その技にニシジマが瞠目したのが伝わる。

「何を……」

「影分身! どれが本物か、分かるか?」

 滑空してくる蹴りをいなすのには本物を見極めなければならない。しかし、防御に徹していれば本物を倒す事も出来ない。満身に全方位の蹴りが叩き込まれる事を恐れたのだろう。

 ニシジマは叫んだ。

「だったら! その本物をぶった斬ればいいだけだろうが!」

『エレメントトラッシュ』の音声が鳴り響き、ニシジマの片腕から伸長した茨の鞭が電磁を帯びて固定された。龍の剣を保持したニシジマが首を巡らせる。エスプリも標的を見定めた。

 絞られる一撃。

 影分身の収束する瞬間と、斬り払われた一閃が交錯する。

 直後、エスプリはニシジマの背後に降り立っていた。

 ニシジマは剣を振るった姿勢のまま硬直している。

 暫時訪れた沈黙の末、エスプリがよろめく。

 肩口にドラゴンの剣による傷口が入っていた。

「勝った!」

 振り返ったニシジマはその瞬間、腹腔に輝く思念の渦を感じ取ったらしい。

 ハッと見やったEスーツのバックルに亀裂が走っていた。

「そんな、馬鹿なァッ!」

「影分身の一撃、きっちり入っていたみたいだね」

 エスプリが手を払う。ニシジマが倒れ伏し、Eスーツの変身が解けた。

 転がったクリムガンのボールをエスプリは回収する。

「これで二つ。ファイアとドラゴンは返してもらった」

 Eスーツ部隊が追撃してくるかに思われたが、及び腰のディルファンスの人々は襲っても来ない。

「待っていてくれ。ヨハネ君」

 そう念じて、エスプリは階段を駆け上がった。
















 朦朧とした視界の中、エクリプスが廃材に腰掛けている。

 自分は、といえば両腕を椅子に拘束されていた。足も自由ではない。

 必死に拘束具を外そうとするとエクリプスが気づいたらしい。

「起きたか」

「何をやった……、アマクサ・テトラ」

「何、動かれると面倒なんでね。こういう強硬手段を取らせてもらったのみ。どうせお前達はこの街の支配構造が入れ替わるのを、指をくわえて見ていることしか出来まい」

 手錠を外そうとするが、それを目にしたエクリプスが笑い飛ばした。

「弱者。そう、弱者だ。ヨハネ・シュラウド。とんだ見込み違いだったよ。お前は、悪に転がる事こそ相応しいのだと、思っていたのだが」

「僕は悪になんてならない」

「どうだかな。正義と悪なんて所詮は紙一重。それを理解せずして回っている連中が多過ぎる。そう、この世には、完全なる悪も完全なる善も存在しない。人々は悪行と同じく、善行も積む。それも、意図せぬ形で、だ。この世に生きる全ての人間が咎人であり、何らかの罪を抱えて生きている。昔話をしよう。ヨハネ。俺は、とある国の内紛に巻き込まれた。片方の国のレジスタンスに所属していた俺は、正義を信じて疑わなかった。それこそ死に物狂いで戦ったよ。何人も、殺し、殺され、その繰り返しだった。想像出来るか? 銃弾の雨、戦地に降り注ぐ爆撃、破壊光線が一射されるだけでゴミクズのように吹き飛ぶ人間達。それまで尊厳なんて無視された戦場で、俺は最後の最後まで戦った。戦い抜いた。そちら側の正義を信じて」

 そこで言葉を切り、エクリプスは立ち上がる。自らの掌に視線を落とし、だが、と言葉を継いだ。

「だが正義とは、かくも虚しきものであった。最終的な結論から言おう。レジスタンスは壊滅、勝ったのは相手方であった。それだけならば、まだよかったのかもしれない。こちら側の抵抗軍は諦めなかった。勝った、負けたで戦場は収束しない。負けた側には最悪の屈辱を。勝者に犯され、晒し首にされていく内地の人々。銃声と悲鳴の連鎖する中、逃げ惑っていたのは俺だ。俺は、必死に逃げた。正義があるはずだ。そう信じて疑わなかった俺が最後に見たのは、戦勝国の国防軍に拘束され、女子供のように泣き崩れるレジスタンスの長の姿であった。その時、俺はようやく悟ったよ。この世に正義なんてない。ならば、悪こそが相応しいと。いいか? 善と悪の戦いなんてないんだ。悪と悪が戦う。悪と悪が喰らい合う。それが世の理だ。お前らが絶対的な正義を貫くというのならば、それを見せてみろよ。そうすれば、俺は少しばかり、善というものを信じてやってもいい。だが目下のところ、貴様の自由でさえもどうしようもないのならば、結局、俺の悪のほうが強かった、という事だ」

 高笑いするエクリプスに、ヨハネは拳をぎゅっと握り締める。

 言い返したい。

 この世には、まだ正義があるのだと。

 だが、彼の境遇をどうにか出来るような言葉など、自分の中にあるのか。

 あるのは薄っぺらい、誰かに依拠した正義のみ。

 エスプリが諦めるのならば、自分にはもう、残された正義もない。

「……でも、僕は信じたいんだ」

 こぼした言葉にエクリプスが視線を振り向ける。

「この期に及んで何を信じる? 正義は存在しない! この世は、悪が蹂躙するだけの生き地獄だ。それを、俺は分かり易くしてやっているだけに過ぎない! 勝者と敗者! 地を這い蹲るしか能のない人間と、高みへと昇る事の許された人間のみが、存在するだけだ! 極端なんだよ、ヨハネ。この世は両極端に出来ている。片や、英雄。片や、歴史の敗北者。それが善と悪の戦いがもたらす全てだ。何を期待したところで全てが無駄! 無駄に出来ている事を、もうそろそろ認めろよ。いつまでも子供じゃないんだろう?」

 エクリプスの理論は一見正しいように思える。戦場を見てきた人間の言葉だ。重みもある。その説得力を覆すだけの言葉が自分の中にあるとは到底思えない。

 ――だが。

 自分は信じたい。

 この世はまだ捨てたものではない事を。

 まだ、信じられる。信じていられる存在がこの世のどこかで正義の芽を育んでいる事を。

「……まだ僕が、音を上げるわけにはいかないんだ」

「強情だな、ヨハネ。それも加味して、お前を誘ったのだが、もう随分と毒されていたらしい。回った毒を一度抜かなければ、お前は純粋なお前に戻る事さえも出来ない」

 エクリプスがボタンを保持する。ヨハネは自分が座らせられている椅子がただの椅子でない事をようやく悟った。

「この椅子は……」

「俺達アドバンスドは、定期的な命のやり取りがなければどうしようもない、戦争中毒者だ。その命の補填は、誰かの命でまかなわれる。貴様の命、俺が自らの糧としよう。それで、今回の損害はなかった事に出来る」

「僕を、殺す気か」

「殺す? そんな勿体のない事はしない。お前はこの街が蹂躙され尽くすのを目にして、絶望してから俺の一部となる。それが最も相応しく、お前の尊厳を叩き潰せる方法だ」

「そんな事をしても、僕は諦めていない」

 エクリプスが歩み寄ってきてヨハネの顎を掴み上げた。

「……なぁ、ヨハネ。もうこの世界に未練なんてない、自分はアドバンスドになる、と今ここで言えば、まだ許してやる。アドバンスドになるのは簡単だ。ナノマシンを体内に注射し、二十四時間後に目を覚ませば、そいつにはアドバンスドの資格がある、って事なんだ。だが、俺がフレア団より受け取った時間は十三時間。もう九時間ほどしかない。九時間でお前を絶望させ、俺に服従を誓わせる。その上でなら、アドバンスドへの進化を、考えてやってもいい」

 ヨハネは唾を吐きつけた。バイザーについた唾を、エクリプスは拭う。

「クソくらえだ」

 その言葉を聞き届けた瞬間、エクリプスの蹴りがヨハネの腹腔に突き刺さった。

 凄まじいパワーに背骨が砕け散ったかと錯覚させられる。咳き込むヨハネへと蹴りの姿勢のまま、エクリプスは言いやる。

「なぁ、ヨハネ。簡単なんだ。俺達の仲間になる。そう言えばいい。そうすれば全てが楽になるぞ。何故、そんな一言が言えない?」

「僕は……、お前に忠誠を誓う気はないからだ」

「ディルファンスの連中は簡単に俺達の軍門に下った。今もプリズムタワーの下には数百人のミアレ市民が押し寄せている。いいか? 衆愚なんてそんなものだ。簡単にコントロール出来る。恐怖を植えつけてやれば、連中は誰にだって尻尾を振る腑抜けだ。お前らの守っているものはその程度なんだ。……いい事を教えてやるよ、ヨハネ。俺達が何故、プリズムタワーを占拠したのか」

 その言葉にヨハネは目を戦慄かせる。

「理由が、あるっていうのか」

「理由もなくこんな場所に陣取ったりはしないさ。プリズムタワーはミアレの電力をまかなう中心地点だ。当然の事ながら、この場所が破壊されると、ミアレの市街はとんでもないダメージを負う。だが問題はそんな事じゃない。プリズムタワーを中継地点として、俺が考えついたのはこの、フレアエターナルスーツのエネルギーの増強だ」

 布がかけられた物体をエクリプスが払う。

 そこには自分と向かい合う形の椅子が設えられていた。

 その椅子は様々な機器やパイプに繋がっており、巨大機械の中核を成している。

「Eアームズ……」

「似ているが、違う。理論上はそうだな、拡張する、という点で言えば。フレアエターナルスーツの効力をプリズムタワーの頂点から発生させ、その余波で全てのEスーツどころか、全ての電子機器へと干渉する。そうするとどうなると思う? ミアレからは誰一人として出られない。ここに、巨大な牢獄が完成するんだ。俺は、その牢獄の王として立つ。ミアレという街を支配し、地獄へと染め上げるために、な」

 エクリプスの語ったのは壮大な支配計画であった。

 マントを翻し、エクリプスが両腕を掲げて嗤う。

 その笑い声に、ヨハネはぼそりと呟いた。

「……下らない」

 笑い声が止んだ。振り向いたエクリプスが問い返す。

「今、何と言った?」

「下らない、って言ったんだ。支配? この街の王? そんな、下らない事に付き合わされる義理はない」

 エクリプスが嘆息を漏らし、不意にヨハネの頬を殴りつけた。

 唇が切れて口中に血の味が滲む。

「下らない? 訂正しろ。取り消せ。お前は理想を何とする? 崇高な理念だ。フレア団などという戦場も知らない素人のまやかしとは違う。俺は、地獄を知っている。その上で言っているんだ。この街ならばそれに相応しいと」

「だから、それが下らないって言っているんだ。崇高な理念? フレア団とは違う? そんな事はない。お前らは、フレア団以下の、小悪党だ」

 エクリプスは乾いた笑いを漏らす。だがその実、怒りがこみ上げてきているのは纏った殺気で分かった。

「ヨハネ、あんまり冗談のスキルが高過ぎても笑えないとはこの事だな。俺達アドバンスドが、フレア団以下? あの、EアームズとEスーツという、馬鹿のような技術に命をかけている連中以下だと? ヨハネ、この俺のボールに収まっているポケモンを何と心得る? アルセウス、この世の造物主だ。それを支配する俺はでは、何者か。創造主を超える、神の位置に佇む男だ」

「その錯覚自体が、とんだ間違いだ。アマクサ・テトラ。お前達は一人では何も出来ない、半端者だ。寄り集まって、ようやく、何か出来る。僕は断言する。エスプリは今まで、たった一人でも、戦い抜いてきた。この街の正義のために、命さえも賭して。その覚悟を、僕は何度も、輝きとして見てきたんだ!」

「黙れ! 小賢しいクソガキが! 何を知った風な口を利く! エスプリはここに来ない! 奴のフレアEスーツは、もう完全に、機能不全を起こしたのだ! フレア団も十三時間は俺に手出し出来ない! 俺は、勝った!」

「僕は負けない。エスプリも、負けないはずだ!」

「吼えろ、弱者! ここで殺してやってもいいんだぞ! こうしてお喋りしてるのは、お前という命一つでさえも、勿体無いからに過ぎない。ただ殺すにしては、な。……お前の姉を名乗らせていたあの売女も、命の糧とするために保存する事にしたよ、ヨハネ。それでもお前は何を信じる? 姉も虚像! 正義も虚像! この街の良心も、全てが虚像と虚構に塗れている! こんな嘘だらけの世界で、お前一人が吼えたところで何にもなるまい!」

「――いや、なるさ」

 差し込んだ声音にエクリプスが反応した瞬間、その身体に念動力の拳が叩き込まれた。

 不意打ちにエクリプスが吹き飛ぶ。

 ヨハネは拳を振るったその影を戦慄く視界の中で目にしていた。

「エスプリ……マチエール、さん?」

「待たせた。ヨハネ君」

 纏っているのはロストイクスパンションスーツだ。間に合ったのだ、とヨハネは感極まった。

「よかった……まだ」

「ああ、まだ戦える」

 その瞬間、雷撃が部屋の一角を引き裂いた。

『エレメントプレート。エレクトリック』の音声と共に、片腕を掲げたエクリプスがその手に電磁を纏わりつかせている。

「……驚いたな。ヨハネの分の悪い賭けが成功したわけか」

「そういう事。エクリプス。ここで終わらせる」

「その姿、エスパーのユニゾンだな。該当するポケモンがいたとは。だが、俺の操るポケモンはアルセウス。全てのタイプに対応出来る。当然、弱点属性にも、な」

 電流を纏わりつかせたエクリプスが手を突き出す。

 放たれたのは電気属性の「さばきのつぶて」であった。

 その一撃だけで壁が崩落する。

 間一髪で回避したエスプリであったが、息を呑んだのが伝わった。

「今度は悪タイプだ。食らえ」

『エレメントプレート。ダーク』の音声と共に、赤黒いつぶてが掌から浮かび上がる。

 エスプリは超低空の念動力を編み出し、飛び蹴りの姿勢を取った。

『エレメントトラッシュ』の音声と共に足裏に薄紫色のエネルギーが集中する。

 比してエクリプスは放った悪タイプのつぶてだけで、それを相殺させた。

 エスプリの攻撃が中断され、エスパーの属性が身体から失せていく。

 モンスターボールから〈もこお〉が転がり出された。

「裁きのつぶては無敵だ! 貴様らがどれだけ策を弄しようが、俺に敵う存在はいない」

 倒れ伏したエスプリへとエクリプスが歩み寄っていく。その手に「さばきのつぶて」が浮かび上がった。

 とどめを差す気だ。

「死ね、エスプリ。この街の守り手の死をもって、絶望を喰らい知れ」

「――させない」

 切り込んだヨハネの声にエクリプスは振り向きもせずに鼻を鳴らす。

「どこまで吼える気だ? いい加減身の程を知れ。エスプリは! お前の目の前で地に這い蹲っている! この現実を受け止めろ!」

「まだ、僕が諦めていないからだ。そろそろ、来てくれたか」

「来てくれた? お前に、エスプリ以外の仲間などいるのか?」

「いるさ、最後の最後に残った切り札は、僕の……」

 その瞬間、崩落した壁から侵入したのは紫色の翼を翻したクロバットであった。

 空気の刃がエクリプスに突き刺さろうとする。

「相棒、とでも言うのか? たかがクロバット如き……」

「だけじゃない!」

 クロバットがその鉤爪に保有していたのはモンスターボールである。

 それがエクリプスの背後で割れた。

 瞬間、エクリプスを取り押さえたのは強大な念動力の渦である。

 まさか、とエクリプスが振り返る。

「クセロシキの、フーディンか」

 フーディンが両腕から発生させた重力波の思念がエクリプスの動きを阻害している。

 今しかなかった。

 クロバットがヨハネの拘束を解き、その足を歩ませる。

「何のつもりだ? まさか、フーディンの拘束術だけで勝ったとでも? 残念だったな。俺はまだ、エレメントプレートカードを使うくらい――」

「造作もないのは知っている。だから、本当の切り札は、僕自身だ」

 ヨハネは雄叫びを上げて突っ込んでいた。

 エクリプスからエレメントプレートカードを奪い取り、バックルで高速回転するボールへと手をやった。

 その瞬間、灼熱が掌を焼く。

 高速回転するボールの摩擦で指が、手の表層が弾き飛ばされていく。

「馬鹿な……何をしている、ヨハネ。そんな事をしたところで、アルセウスのユニゾンは」

「……僕は、これでも一度経験しているんでね。Eスーツのユニゾンはいざとなれば、人力でも止められる。それが永続でなくってもいい。一瞬のエラーさえ生めれば……」

 ヨハネは激痛をおしてユニゾンを押し留めようとする。エクリプスの体表を跳ねた電流がその身体に走ったラインをぼやかせた。

「……嘘だろう? こんな事で、ユニゾンが解けるわけが」

 指が飛んでも構わない。

 手が使い物にならなくなっても構わない。

 ヨハネは渾身の力で、ボールの動きを止めようとした。

 叫びが喉から迸った瞬間、バックルからメッセージが飛ぶ。

『フレアエターナル、エラー』

 バックルから黒煙が棚引き、エクリプスが後ずさった。

 ヨハネは血みどろになった手を携えてよろめく。

「エレメントトラッシュが解除された……。こんな、ただの人間に……。俺のフレアエターナルがァッ!」

「エスプリ! 叩き込め!」

 その言葉にエクリプスがハッとして振り返った瞬間、エスプリの拳がバックルへと打ち込まれていた。

 その拳が正確無比にフレアエターナルスーツの機能の一部を奪い取る。

「これでもう、お前の権限は消えた」

 エクリプスは舌打ちしてエスプリを突き飛ばす。

 マントを翻してエクリプスが上層へと飛翔した。

 やった、とヨハネはその場にへたり込む。

「ヨハネ君!」

 エスプリが駆け寄り、自分の手を見やった。あまりに酷かったのか、言葉をなくしている。

「ゴメン、遅くなった」

「いや、よかった」

「よかった?」

「まだ、正義は死んでいなくって。僕の信じたエスプリは、そのままで……」

 エスプリは首肯し、ヨハネの手を引いた。

「ヨハネ君のお陰だ。やっぱり君を、あたしは助手に選んでよかった」

 ああ、とヨハネは感じ取る。

 そうだ、自分はずっと、誰かに必要とされたかった。

 それだけの、取るに足らない欲。

 ほんの些細な事だが、それだけでよかったのだ。

 覚えず感じ入って涙しそうになったが、ぐっと堪えた。

「……エクリプスは、上に逃げた。エスプリ、アドバンスドの本当の目的はプリズムタワーを利用した地獄の再現だ」

「あたしが止める。行こう、ヨハネ君。一緒に」

 ヨハネはプリズムタワーの上階を振り仰いだ。


オンドゥル大使 ( 2017/05/04(木) 13:31 )