ANNIHILATOR - 運命篇
EPISODE138 末路

「ヨハネ。貴様の事を、俺は評価している。買っている、と言い換えてもいい」

 アマクサ・テトラは絶対者の余裕を浮かばせて佇んでいる。

 その傍らに立つのはカレンであった。

「……僕は、今の今まで、どっちつかずだった」

「それも今日までだ。ヨハネ、アドバンスドの生命力、欲しくないか? 今まで、傍らで見ているだけの力だっただろう? そのEスーツ、貴様にくれてやる。今、この場で、変身して見せろ」

 アマクサ・テトラとカレン以外は出払っている。ヨハネはアタッシュケースに手を添えて、ゆっくりとそれを開いた。

 その時、テトラが違和感に気づく。

「……おい、核となるバックルはどうした?」

「置いてきた。〈もこお〉に、全てを託して」

「どういうつもりだ? ヨハネ。俺達の仲間になるんじゃなかったのか?」

「アドバンスドの一員になる前に、一つ、問いたい。カレンさん。あなたは本当に、僕の姉なんですか? 姉だというのなら、あの日からどうして、僕を独りにしたんですか」

 カレンがうろたえる。テトラは手を振り翳した。

「どうでもいいだろう!」

「どうでもいいわけがない! 僕にとっては、それだけなんだ。あの時、命を賭して僕を救ってくれた、姉さんが生きていた。だって言うのなら、何で! 会ってくれななかったんだ! 一度としてあの後、僕に会おうともしてくれなかったんだ!」

「ヨハネ、私は……」

「――本当に姉さんなら、教えてくれ。何で、僕を独りにしたんだ」

 その問いにカレンは面を伏せた。苦虫を噛み潰したかのような表情で告げる。

「……ごめんなさい。私は、もう演じられそうにない」

 それが全てだった。ヨハネは潰えた事を悟る。

 ――ああ、あの日、やはり姉は死んだのだ。自分を助けるために。

「騙し騙し使うつもりだったが、やはり即席のメンバーでは駄目だったか。貴様の経歴を調べ、その女には整形を受けてもらった。全てはヨハネ、貴様に悪の道を進ませるために。だが、何を悲観する? 姉が偽物? その程度何だと言うんだ? お前はお前だ。悪人、ヨハネ・シュラウドなんだ。その事実に変わりはない。迷うな、ヨハネ。俺達と共に来い。そして覇道を見せてやる。お前が描くべき、その悪の道を。何もかもが虚像だった? だがお前がこちらに寝返ったのは事実。虚像の中の真実だ。それを覆す事は出来ない。ヨハネ、お前はもう、悪なんだよ」

 テトラの言葉は耳障りがいい。悪の道に堕ちてもさほど惜しくないとさえも思える。

 だが、ヨハネは頭を振った。

「僕は……あの日の姉さんに、赦しを乞いたかっただけなんだ。ただ一言、僕を逃がした事を、赦してくれればそれでよかった。でも、姉さんはもういない。この世にいない人間にいつまでも未練を持って、それで前に進めなくなるのなら、僕は……!」

 クロバットを繰り出す。その鉤爪がアタッシュケースを携えた。

 テトラが怪訝そうに窺う。

「何を迷う? お前は、悪でいいんだ。エスプリはもう終わった。イグニスも、だ。何もかもが潰えたこのミアレでやり直すのならば、それは俺達の側しかない。アドバンスドだけが、前に進むのに必要なものを与えられる」

「僕は、与えられる道なんて真っ平御免だと言っている」

 その言葉にテトラが眉を跳ね上げた。それでも、彼は怒りに身を任せようとはしない。

「……ヨハネ、賢い道を選択しろ。いいか? ここには二つの選択肢がある。一つ、俺と共に来て、ミアレを立て直せ。全てをやり直すための道を模索するんだ。もう一つは……これは愚か者の道だ。俺に楯突き、背き、ここで俺の手で死を迎えるか。どちらに一つ、というわけでもない。選ぶまでもないだろう? こんなの」

「ああ、そうだな。選ぶまでもない」

「物分りのいい奴は大好きだ。では俺達と――」

「クロバット。アタッシュケースと共にハンサムハウスへ。全速で飛んでいけ!」

 ヨハネの命令に衝き動かされたクロバットがプリズムタワーから飛翔する。その逃げ道を咄嗟には防げなかったらしい。

 テトラが歯噛みする。

「何を……貴様ァ! 何をやっているのか分かっているのか!」

「僕は僕の道を行く。お前達の、好きにはさせない!」

 テトラの手が首根っこを引っ掴んだ。その膂力にヨハネは呻く。

「お前に、自由意思なんてあると思っているのか……? 俺の思うように動かないのならば、お前も敵だ! ここで死ぬか、それとも大人しく従うか! 選べ!」

「それなら、僕は死を選ぶ!」

 壁に投げつけられ、背筋を強く打ちつけた。咳き込むヨハネにカレンが歩み寄る。

「やめてください……。もう、僕の姉の真似なんて」

 カレンは一瞬だけ言葉に詰まったようだったが、それでもヨハネを介抱した。

「何をやっている? 殺せ! 銃くらいは持っているのだろう。そいつの頭蓋を撃ち抜け!」

 テトラの命令にカレンは拳を握り締めて反論した。

「出来ません! ……そりゃ、確かに私は、貴方達に雇われた……身売りしか能のない女です。でも……彼の言葉を、心を無駄には出来ない!」

「心だと? 一夜の駄賃でどんな男にでも身を許す女が、偉そうな口を叩くな!」

 テトラがカレンを叩きのめす。ヨハネは覚えずテトラへと突進していた。

「やめろ! 彼女は、もう関係がない。僕らの闘争にも、何もかも! だったら、痛めつける必要なんてないだろ!」

「痛めつける? そんな生易しいもので許すと思ったか! 俺に逆らう奴は殺すだけだ!」

 バックルが掲げられ、テトラがそれを装着する。

「させない。僕が……あなたが何者でもいい。僕はこの場で、逃げない男になりたい」

 カレンを庇うようにヨハネが前に出る。テトラは待機音声の後に言い放つ。

「Eフレーム、コネクト! 超越者、エクリプス! ここに誕生!」

 白い鎧が纏いつき、黒く染まったバイザーに雷撃の文様を刻み込んだ。

 テトラ――エクリプスに対抗する手段はない。クロバットも手離してしまった。今の自分に出来るのは、せめてこの身を挺してでも、正義を守る事だ。

 誰のためでもない。自らに誓った正義を。

「ヨハネ、ここでお前の頭を叩き潰し、その死体をプリズムタワーに飾ってやるよ! 栄光だ!」

 哄笑を上げるエクリプスにヨハネは足が震え出した。今にも退きそうだ。だが、ヨハネはここで退くわけにはいかないと感じていた。

 ――ここで退いたら男じゃない。

「僕は、もう逃げないと決めた!」

「だったら、その脳髄をぶちまけるんだな! 裁きの――」

 エクリプスの掌の上でオレンジ色の断片が浮かび上がっていく。それらが形状を成して、一斉にヨハネの身体を貫こうとした。

「つぶて!」

 放たれた一斉掃射を受け止めたのは、ヨハネではない。

 咄嗟に前に出たカレンであった。

 カレンの身体に穴が空き、血が溢れ出す。

「何を……」

「これくらいしか、償える方法を知らないから……」

 倒れ込んだカレンがヨハネの手に抱えられる。カレンは息も絶え絶えにヨハネの頬に手を伸ばした。

「僕のために、そんな事をする必要なんて……」

「いいえ……違う。これは、もう、私の、最後の……」

 呼吸が途絶えた。腕がだらんと垂れ下がる。

 ヨハネは慟哭した。

 喉から迸るのが自分の声だと信じられなかった。

 ――一度ならず二度までも、自分は姉を失った。

 その事実にヨハネは面を上げてエクリプスを睨み据える。

「許さない……、お前だけは!」

「許さない、か。だが、どうする? 馬鹿が! クロバットでEスーツを飛ばさなければまだ勝機のあったものを。この街のクソみたいな可能性に賭けるなんて、本当に馬鹿だよ、ヨハネ。そして、残念だ。愚か者のほうであったか、お前は」

「愚かでもいい……。僕の信じるもののために!」

 雄叫びを上げてエクリプスに飛び込むが、もちろん策などあるはずもなかった。エクリプスの腕がヨハネの首を締め上げる。

「お前、もっと賢いのだと思っていたよ。あのシトロンが見込んだほどだ。それなりに、悪の素質があるのだと。だが、実際には、貴様は蹂躙される側だったという事だなァ!」

 エクリプスの拳がヨハネの身体を突き上げる。今にも激痛に意識が閉じそうであった。

 しかし、それでもヨハネは信じる。

 信じ続ける。

「この街の正義は死なない。僕は、それを信じている!」

 拳を掲げて猪突する。

 その拳を払い、エクリプスは手刀を見舞った。

 それだけで意識が混濁する。

「ヨハネ、お前に相応しい末路を今、考えた。最も後悔しながら死んでいく末路をな」

 引きずられながら、ヨハネは闇に落ちていく意識を感覚していた。



オンドゥル大使 ( 2017/05/04(木) 13:30 )