EPISODE134 恩義
「アドバンスド?」
シトロンはその報告を受けるなり問い返していた。
ミュウツー完成に近づいたとはいえ、油断出来ない日々が続いている。
そんな中に湧いた議題にシトロンは無頓着であった。
「ミアレに入ったとされています」
「放っておけよ。どうせその辺のチンピラだ」
「しかし、連中、不死の軍団を名乗っていまして……」
そこまで聞いてようやく、シトロンはアドバンスドの情報を脳内に呼び出した。
「……そういえば、Eアームズの競合相手がそのような名前だったかな」
「遺伝子配列の改造、及び反射神経、戦闘本能の増幅……ポケモンを用いない、同調現象に近いものを成立させる」
「思い出した。確か六人の被験者が残ったはずだ。だが、おかしいな。ぼくの記憶じゃ、全員始末されているはず」
「そのはずだったのですが……どうやらアドバンスドは他のPMCに買い叩かれ、紛争地帯を回っていたようです。その戦歴はこれを」
データを受け取るなり、シトロンはその戦歴に感嘆する。
「生存者ゼロ。これはまた……面白い結果だね」
「アドバンスド以外の全ての味方、敵が潰えてもその紛争の決着をつけられると見ていいでしょう。それほどの連中です」
「分からないな。それが本当だとしても、フレア団の勢力には敵うまい」
「……問題なのは、連中が目をつけたのは、クセロシキ副主任の残した新型Eスーツだという事です」
「新型……確か色々造っていたな。まぁ、ぼくは自分の研究以外にあまり興味がないから」
シトロンが笑いながら手を振ると、部下は激昂した。
「主任! 笑い事ではありません! 今回の敵は我らを完全に駆逐するつもりです。ディルファンスという自警団とも手を組み、エクステンドスーツの流通を進め、さらには! あのエスプリさえも退けたとの報告を受けています」
「エスプリを退けた、ねぇ」
しかしシトロンの関心は依然としてミュウツーであった。培養液に浮かぶミュウツーはあと少しで完成する。その前に水を差されるのは少しばかり厄介ではある。
「でもこちらに手数はないんだろう?」
「……王自ら出る事になるかと」
「それは駄目だ。フレア団の敗北、というのを簡単に示してしまう。フラダリには言っていないだろうな?」
「む、無論です。王に心労をかけさせるのは」
「よくない。それくらいは分かっている、か。今の王は特に、ね。ナンバーツーであるパキラへの不信感もある。正直、フレア団そのものが今は磐石にほど遠い。この時期に来られたのではこちらも困ってしまう」
「では……如何なさいますか」
「今は、この街の抑止力に任せよう」
「エスプリに、ですか? ですがエスプリとて」
「なに、ぼくの設計したフレアエクスターミネートスーツはこの程度じゃないし、それに、だ。まだ相手とて見せていない切り札があるはず」
「……探るためにエスプリを利用すると?」
「いけないかな?」
そこまで言ってから部下はおずおずと下がった。
「いえ、そんな事は……。ただ、どこまでやれるのはまでは」
「そこまではデータの範疇にない。だが忘れないほうがいいのは、エスプリは今までも散々、ぼくらをかき回してきた。それほどまでに厄介な相手が、そう容易く敗れるかな? ぼくは結構、期待しているよ。エスプリに。いや、もっと言えば、ヨハネ・シュラウド。彼に、かな」
その期待に関しては部下にはピンと来ないようであった。
「その……草を放つのならば今ですが」
「余計な事をしないほうがいいのかもしれない。ぼくは静観を貫くつもりだ。無論、ミュウツーに何かあるとすれば、それは別の話だけれどね」
部下は恭しく頭を垂れてラボを後にした。
シトロンはミュウツーの完成割合を見やり、語りかける。
「ルイ・アストラル。キミは、どこまでやれると思う? キミの主人と、その相棒は」
その問いかけに応じたのは薄紫色の髪をなびかせたルイであった。
『……ボクは、お前に協力しない』
「つれない事を言うなよ。ここまでミュウツーを育て上げた、それに関しては感謝してもし切れないほどだ」
ルイは悲痛に顔を歪ませ、頭を振った。
『お前に、魂まで売ったつもりはない』
「誤解しないで欲しいな。魂の売り買いを決めるのは人間だ。システムじゃない」
シトロンはシステムのコンソールを撫でてから、ふと口にした。
「アドバンスド。その能力はぼくが一番よく知っている。Eアームズの競合相手だ。それなりにデータは揃っている。閲覧を」
ルイが情報を投射する。シトロンはそれを眺めながら、なるほどと呟いた。
「アマクサ・テトラ。まだ生きていたのか。最初に死を超越した男は」
『ミュウツーで攻め込めば』
「そんな事をぼくが許すと思うか? ミュウツーはフレア団の切り札。使うべき時を心得なければならない」
『充分に脅威でしょう……』
アドバンスドのデータを同期したルイが口にする。シトロンはしかし、慌てもしない。
「かもね。でも、エスプリだってそれなりに仕上がっているはずだ。後はどこまでやれるのか。高みの見物と行こうじゃないか」
ルイがぎゅっと拳を握り締める。
このシステムは自分を快く思っていない。
しかし、だからこそ価値がある。
ユリーカはこれを持ち帰る事だけは出来なかった。そこにこそ、つけ入る隙があると感じていた。
「なに、ミュウツーの完成を急げばいい。それ以外は全てが些事だ」
能力以上の事が出来なかっただけだ。
気にするなと言われてしまえばそれまでであったが、マチエールにはしこりがあった。
ハンサムのポケモンを奪われ、しかも勝利出来なかった醜態。
それをユリーカは咎めもしない。自分とユリーカの間にあるわだかまりが解消出来ていない証拠であった。
座り込んでマチエールは顔を埋める。
「どうすればいいんだよ……おやっさん」
どうすれば、ユリーカと分かり合える。否、今はそれさえも考えている暇はないのか。
アドバンスドなる敵。
ユニゾンを奪われたエスプリでは勝てないのは必定である。
ノックする音が聞こえたがマチエールは無視を貫く。もう一回、ノックの音が聞こえた。
ユリーカか、と思っていると発せられたのはコルニの声だった。
「なーにやってんだか。行くよ」
「……行きたくない」
「あ、っそ。じゃあ、さっ!」
扉が蹴破られて粉塵が舞う。咳き込んでいるとコルニが襟首をひねり上げた。
「無理やりでも行かせる。まだ、完全に敗北したわけじゃないし」
コルニから視線を逸らすと、彼女は言いやった。
「あのカレンとか言うの、もしかしたらヨハネの過去に関係があるかもしれない」
その言葉にマチエールはハッとして問い質す。
「どういう事?」
「……多分、言って欲しくないだろうけれど、ヨハネは自分からは絶対に言わないから、言っておく。アタシ、一回だけヨハネの過去を見せてもらった事がある。〈もこお〉のパワーでね。その時に、見たんだ。燃え盛る景色の中で、生き別れになったヨハネの家族を」
自分には一度も話してくれた事がない。マチエールがその感覚に浸っているとコルニはため息をつく。
「そのせいか知らないけれど、ヨハネはもう出たよ。ミアレホテルに行った」
カレンのところだ。どうして、とマチエールは目で問いかける。
「……分かんないよ。アタシだって。ヨハネが本当のところ、何考えているのかなんて。でも、前に進もうとしているのだけは確実。そんな時に、探偵であるところのあんたは何もしないわけ?」
「ヨハネ君は、自分の事を知ろうとしている?」
「だから、分かんないって。でもさ、そんな時に出来ることって、アタシ達、大概限られてくるでしょ」
マチエールは拳を握り締める。まだ負けたわけではない。
「どうするの? 当てはあるの?」
「……やっとその眼になったか。当て、っていうのは分からないけれど、Eスーツの位置情報をようやく同期出来たみたい。アジトが分かった、ってところかな。アタシは乗り込む。準備は?」
コルニの声音にマチエールはアタッシュケースを傾ける。
「いつでも」
「よし、ヨハネがいないのは寂しいけれど、行こう。ここで一網打尽に出来れば、アタシ達の勝ちだ」
歩み出すコルニにマチエールは覚えず聞いていた。
「あのさ、前からヨハネ君の事、何でそんなに気に入っているの?」
「うん? だってそれなりに好きだし。ヨハネなら、任せられる気がするんだよね」
「任せるって、何を?」
「街の未来とかそういうの。なに? そっちはそんな気はないの? 助手なのに」
助手なのにと言われてしまえば立つ瀬がないが、自分はヨハネの何を理解しているというのだろう。
ヨハネは何を思いどう行動するのか。いつの間にか自分の思い通りに動いてくれるものだと思い込んでいた。
「ヨハネ君は、いつだって……、あたしの気持ちを汲んでくれていた」
「だったら、恩返しするのならば今だね」
「恩返し、か」
だが、自分がヨハネに何を出来る? 何のためにこの戦いを続ければいい?
「ヨハネはカレンとか言うのを気になっている。この場合、どうするべきなのかは任せるけれど、今はただ」
その通りだろう。今はただ、戦えればいい。
「あたしはまだ、負けたつもりないから」